<act.13> 「ウソ?!ウソだよねっ?!!」 ナナミの声が、重厚な造りの部屋に響く。 執務室と呼ばれる部屋で、ナナミは信じられないと声を張り上げた。 ラダトが王国軍の手に落ちた。 その、重大な情報を手に入れ、調査に出ていたメンバーは『瞬きの手鏡』でその日のうちに帰城していた。 そうして、急ぎ報告するべくその足で軍師の下に集ったのだ。 そこには軍師の妹弟子と、弟の帰りを待つ姉の姿もあった。 ラダトでの将軍キバとその息子の演説の内容。 その時の状況に、住民の反応。 それらが事細かに軍師へと報告される。 どれもが緊迫感を持っていた。 しかし、ナナミはどこか人事のように聞いていたのだ。 けれど。 最後に告げられた事項。 ジョウイの、軍主たる少年の親友の結婚話に。 弟と同じく彼等と共に幼少を過したナナミは、その話に驚愕した。 「だって…!だって、ジョウイはまだ17歳なんだよ?!」 壁に凭れていた体をぱっと起こし、ヤマトに近付いて。 その両腕を掴んで、ナナミが弟の顔を睨んだ。 「あのね、ナナミ。ジョウイはあれでも結構な家柄の子なんだよ?」 「……?」 勢いのあるナナミとは相対して、ヤマトはすっと冷めた口調だ。 「貴族の結婚なんて、10代でも全然おかしな話じゃないじゃないか。」 「っ?!!」 突き放した言い方に、ナナミが驚きで目を見開く。 「なっ、何でそんな事言うの?!ヤマトはショックじゃないの?!!」 ヤマトの腕を揺さ振って、ナナミが涙目になった。 そんなナナミを見下ろして。 ヤマトは一瞬、シュウの方をちらりと見遣ると、小さな溜息を吐いた。 「だって、僕、知ってたもん。」 「え?」 「ハイランドにいる密偵から、もう何日も前から連絡が入ってたんだ。知ってるのはシュウさんと僕だけだったけどね。」 「!!」 その、事実は。 姉弟の遣り取りを、心配そうに見詰めていた周囲の大人達をも驚かせた。 そして、ビクトールが得心して頷く。 「そうか。それで最近機嫌が悪かったんだな。」 小さな呟きを聞いて、ヤマトがビクトールの方を向く。 けれど何も言わずに、また、縋り付く姉に視線を戻した。 「知って…た…って?だったらどうして教えてくれなかったの?!…ううん、違う。それでもいいの?!ヤマトは!!ねえ?!」 殆ど、悲鳴に近い声だった。 けれど、ヤマトは動じる事はなく。 益々、冷えたような声を。 「ねえ、ナナミ。」 ナナミの問いには応えずに。 ヤマトが凍るかと思わせるような視線で、見る。 「今、僕達は離れ離れだけど…もし、何もなくて、キャロで一緒に過してたとしても…」 ナナミの瞳が、ヤマトを映し出す。 けれど、まるで知らない人のようだと、ナナミは思う。 「ずうっと、三人一緒だなんて、そんな事は無理なんだよ。」 「…っ」 「いつか大人になって、仕事をして、誰かと結婚して…どの道一生一緒になんていられないよ。」 「…そんなの…っ!解ってるよ!でも、だけど…っ!!」 「いつかは、自分の道を見付けるんだ。ジョウイも僕も、もう、歩き始めてる。」 「でも…でもっ…っ、じゃあ、ヤマトはジョウイともう二度と会えなくなってもいいの?!」 「……」 その叫びに。 やはりヤマトは答えなかった。 代わりに、固く結んだ唇ときつい眼差しを。 それにナナミは打ち拉がれる。 「う…っ…」 ばっ、と体を体を離すと、ナナミは振り返って駆け出した。 厚い扉を力いっぱい開けて、廊下に飛び出して行く。 「ナナミっ!!」 今まで、ただ見ていただけのフリックが素早く反応して後を追った。 そしてその更に後をマイクロトフが追う。 そうして、部屋に残った者達に沈黙が重く圧し掛かった。 小さな溜息がどこからともなく聞こえる。 その当事者の少年は、ただ、頑なに立ち尽くして動かなかった。 暫しの間。 静けさが室内を支配していたが。 大男の動きでそれは破られた。 「お前は、間違っちゃいやしねぇよ。」 「……っ」 ゆっくり近付いたビクトールが。 項垂れたヤマトの頭を掻き混ぜる。 「でも、ナナミに当たるのはどうかと思うぜ?」 「……」 大人しく髪をくしゃくしゃにされるヤマトの体が、小さく震えた。 「わ、解ってますよ…その位…っ!」 少年から出た声も、震えている。 「でも…でもっ、ナナミはずるいっ…!」 「ん、」 「何かって言うと、いつも自分が『お姉ちゃん』だからって、言う、癖にっ…!!」 途切れ途切れになった声はもう、泣きの表情が入っている。 ビクトールは頭に乗せていた手を引き戻して、ヤマトの頭を脇に抱え込んだ。 「なのに!何で、こんな時だけ…っ!どうして、『お姉ちゃん』なのに…」 ヤマトは目の前にある大きな胸に抱きついて、喚く。 「どうして!弟の僕が慰めなきゃいけないんだ…!!」 「ああ、そうだな。」 「僕だって…!僕だって…っ!!」 そこまで言って、ヤマトは、わっと泣き出した。 「あぁ、よしよし。解ってんよ。お前だって、辛いんだよな。解ってる。」 「−−−っ」 声にならない声。 で、哭くヤマトを強く抱き留めて、ビクトールは言葉を紡ぐ。 「少なくともここにいる連中は皆、ほんとうはお前が辛いって事も、それでも頑張ってるって事も、ちゃんと解ってんよ。」 その言葉に。 成り行きを見守っている面々が、ヤマトからは見えなくとも、固く頷く。 「お前は頑張ってる。それでも、何か困った事や力の及ばない事もあるよな。」 わしわしと頭を撫でながらの言葉に、ヤマトが小さく頷く。 「そんな時の為に、俺等仲間がいるんだ。皆、お前の為なら出来る限りの事はしてやろうって思ってるさ。」 「……」 「思い通りにならなきゃあ、こうやって泣いてもいいし、怒ってもいい。喚いて騒いでして迷惑掛けてもいい。」 ビクトールの声は普段からは想像がつかない程静かで。 低く、穏やかに、ヤマトの心に沁み込んでいく。 「さっき、お前が言った事は決して間違いじゃねぇ、けどな、無理してそんな大人みたいに、悟った風な事は言うな。」 「…っ!」 「まだ、お前は子供なんだ。叶わないかもと思ったってよ、夢見ていいんだ。足掻いて必死になってそれでも夢を叶えたいって頑張るんなら…」 そこでビクトールは周りを見渡した。 誰もが、穏やかな優しい瞳でヤマトを見ている。 「俺達が尽力するっつってんだろーが!死に者狂いで手伝ってやるぜ!な?!」 大きく、響いた声にヤマトが顔を上げる。 その、ヤマトに。 温かく、明るい、満面の笑みで。 「なあ?同盟軍リーダーさんよ?!」 赤くなった目を、大きく見開いて、ヤマトがビクトールを見詰める。 「大丈夫だ。ナナミだって、ちゃんと解ってるさ…今は混乱してるだろうけどな。」 ビクトールの『大丈夫だ』という言葉に。 ヤマトは声もなく頷いていた。 力強い声と、眼差しと、腕の温かさと。 それに有無を言わず納得させられる。 ほんとうに、大丈夫な気持にさせられる。 そう思って、ヤマトはそっと体を離す。 ほっと一息ついて。 深呼吸を。 そして我に返ると、さっきまでの自分の醜態を思って申し訳なさそうに後ろを振り返った。 「…ごめんなさい…僕…」 「そうじゃねぇだろ?」 取り乱した事について謝ろうとしたヤマトの頭上から声が降る。 「え?」 仰ぎ見たビクトールは、しかしヤマトは見ずに。 真正面のシュウを見ている。 「だろ?」 「ああ。一国の城主はそう簡単に頭を下げるべきではない。」 「…ちっ、また小難しい事を…」 「…?」 二人の遣り取りに目を大きくして何を言わんとするのか考えるヤマトに。 違うところから声が掛かる。 「あなたは何も謝る事などないと言う事ですよ。」 カミューが、柔らかく笑う。 「ここは、謝るのではなく、やるべき事はただひとつですよ。」 「…??」 そうして、笑み同様優しい声で答えを促す。 それでもまだ、頭を捻るヤマトに、苦笑しながらビクトールが頭にぽんと手を載せた。 「ただ、笑って見せりゃあいんだよ…」 「あ…」 はっとしたヤマトが小さく声を出す。 そして。 顔を拭い、背筋を正す。 「はいっ!!」 大きく、返事を返すその声は元気良く。 その表情は。 明るく、少年らしいものだった。 やっと、重苦しい空気から室内が開放される。 皆がふっと肩の力を抜く中で。 軍師が独り言のように呟いた。 「…これでこっちは丸く収まったが…あっちはどうだろうな…」 それに妹弟子が小さく返す。 あっち、とは当然ナナミの事である。 「そうですね…後を追ったのがあのフリックさんとマイクロトフさんですものね…」 「短気な熱血バカが二人だからな…益々事態を窮しかねんな。」 「それに二人とも子供にも結構厳しい面がありますから…追い詰めてないといいんだけど。」 「ふむ…後でホウアンに精神のケアを頼むとするか…」 「そんな、兄さん!ナナミちゃんは心の病じゃないんですから!」 小さな声ではあるが、当然回りには聞こえている。 「……」 「……」 短気な熱血バカの相棒である二人は、顔を見合わせ溜息を吐いた。 あまりな言い様ではあるのだが、身内贔屓で見ても、フォローの言葉が思いつかなかったからだ。 「後で僕から謝りに行きます。」 「是非、そうしてくれ…」 「宜しくお願いします…」 がっくりと目の前で項垂れる大人二人の姿を見て、ヤマトがひっそりと笑う。 その、心の中では。 『大丈夫だ』 先程のビクトールの言葉が、力強く響いていた。 |
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