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<act.11>



「あーくそっ!とことん扱き使われたぜっ!!」
「さすがに…今日は参りましたね…」
閑散とした大浴場に、男二人の虚しい声が響く。
湯船で踏ん反り返って、肩をこきこきと鳴らして、ビクトールがぼやいたのだ。
それにマイクロトフがざばっと顔を洗った後で同意する。
朝から交易の荷物持ちとして、ビクトールとマイクロトフは引っ張り回されていた。
しかも、ワインが高騰したと言って、持て得る限りの本数を背負わされ、何度も行き来させられたのだ。
夜半を過ぎた今し方、やっと本拠地の城に辿り着いたのだった。
力自慢故に選抜された二人だとしても、かなり堪えていた。
その疲れを癒すべく、二人は伴ってこの城自慢の大風呂に漬かりに来ているのだ。
「何か最近、異様に燃えてるんだよな…ヤマトの奴…」
「何かイライラとしているようにも思えたのですが…気のせいでしょうか?」
「うーん。さあなあ…」
ほんとうは、それをビクトールも感じていた。
しかし、何を悩んでいるのか、そんな話をする間もなく次から次へと仕事を押し付けられては、聞き出す間もない。
しかし。
「ま、思い詰めてるって訳でもねえみたいだしよ。内に篭らずこうやって出掛けて発散出来てるなら心配ねえだろ?」
「そうですね。」
そう、納得したマイクロトフが返事を寄越すと同時に、ビクトールが湯船から上がる。
そして洗い場で頭を洗い始めた。
それに続いて、マイクロトフも湯から上がる。
ビクトールの、2つ隣に座って、同じように洗髪に掛かった。
先に洗っていたビクトールが、当然先に洗い終わる。
その、ビクトールの目に、髪を洗うマイクロトフの姿が映った。
「……」

自分程ではない、が。
マイクロトフもまた逞しい身体つきをしている。
ガタイも良く、肩幅が広く均整に分厚い筋肉が付いている。
同じ男からなら羨ましがられ、女からは感嘆の溜息が洩れる事だろう。

「なあ、おい。」
「はっ…はい?!」
突然声を掛けられ、髪を流しているマイクロトフが慌てて返事を返す。
「お前、フリックと付き合ってるんだよな…?」
「え?!あ、はいっ!」

だとしたら。
この、引き締まった体で。
フリックの肩を抱き、引き寄せ。
そして。

ざっ、と。
ビクトールの頭から血が下がる。

「じゃあよ、だったら男の方が好きって事なのか?」
「っ?!!」
ビクトールが問い掛けたのに、がたた、と腰掛を鳴らしてマイクロトフが身を引いた。
「いっ、いえ!決してそうでは…っ!」
手をぶんぶん振って、マイクロトフが青い顔で否定する。
まだ、洗い終わってなくて泡まみれなのが何だか間抜けだ。
その慌て振りに、ビクトールは思わず笑い声を上げた。
「はっはっは!そんな慌てんじゃねぇよ!」
「は、はい…」
がたがたと腰掛を戻して、マイクロトフが残りの泡を流す。
その横で、ビクトールは石鹸を泡立てていた。
ごしごしと体を洗い出した頃。
流し終わったマイクロトフが。
「何て言うか…フリック殿は何だか特別な気がしたんです。」
「へえ?」
手を止めず、ビクトールが応える。
「あいつはあの通り顔はいいからな。お前意外にも、あいつに運命を感じる奴はごまんといるみてぇだけどな…」
ニナが一番の手本だな、と笑う。
フリックは美青年と謳われるだけあって、本当に顔がいい。
お陰で、それに伴うトラブルにはひっきりなしに巻き込まれている。

けれど、とビクトールは思う。
あいつの良さは、それではない。
確かに、顔の造りはとても端整だ。
けれども、造り云々がどう、というのではなく。
感情を実に良く表して、変わる表情そのものが。
とても胸に響くのだ。

その事を。
マイクロトフは解っているだろうか。
フリックの、いいところはどこなのか。
それを、ちゃんと、解っているだろうか。

フリックと付き合うという男が。
その事を解っていない、という事が。
ビクトールには、酷く赦せない事のように思えた。

「いえ…確かに、顔は可愛らしいとは思うのですが…」
ビクトールの台詞に、マイクロトフは苦笑して言葉を紡ぐ。
「でも、その…こんな事を言うのは可笑しいのですが、綺麗な顔はカミューで見慣れているというか…」
「ああ。そう言やそうかもな…」
マイクロトフの相棒もまた、タイプは違うが綺麗な顔を持ち合わせている。
優しく、柔和な微笑みは優美で、絶大な女性の賛辞を受けている。
ちなみに言えば、マイクロトフ本人にしても、城内三大美男子のうちの一人なのだ。
「はじめは、あの強さに憧れていたんです。」
マイクロトフもまた、体を洗いながら語り出す。
「ここに来て、初めて戦場で一緒に戦った時に、凄いと思ったんです。」

個人としての腕前は勿論の事。
しかしそれ以上に。
戦い慣れた動き、判断力の良さ。
そして何より、その統率力。
純粋に、その強さに目が奪われた。

「それから、暫くして…フリック殿の噂話が耳に入って…」

過去にいた恋人の事。
その恋人が亡くなった事。
その悲しみを乗り越えて、偉業を成し遂げた事。
今でも、その恋人への想いを胸に、強くなろうとしている事。

「本当に強いのだと思いました。そしてとても純粋で健気だとも。」
「……」
「何か、力になりたかった。俺に出来る事があれば何でもしてやりたい、と思ったんです。それからは気が気でなくなって…気付けば目が離せなくなってました。」
ビクトールは、湯桶で湯を被りながら黙って聞いていた。
少なくとも、その辺できゃあきゃあ言ってる女共とは明らかに違う。
本当に、フリックの心と向き合おうとしている。
だからこそ、フリックも『断る』といいつつ、邪険に出来ずにいるのだろう。

マイクロトフなら、申し分ない相手だろ?

そう、自分で言った言葉が蘇る。
確かに、申し分ない。
文句の付けようが、ない。

そんな風に思って、ぐぅと唸ってしまったビクトールに。
マイクロトフの告白は、まだ、続く。

「でも…告白しようとか、そんな事は全然思っていなかった。しかしあの時…」



合同演習を事無く無事に終え、マイクロトフはほっとしつつ帰り道を辿っていた。
少し先をフリックがビクトールと並んで歩いている。
今日の演習でさえ。
フリックの動きは素晴らしいもので。
俊敏かつ正確で。
その上その剣技は、時折剣舞を思わせるような。
そして一個隊を噛み合わせるための誘導も見事であった。
思わず惚れ直して、ぼっとフリックの後姿を見詰めていたマイクロトフに。
ふと、フリックの名が耳に届いた。
「いいよなあ…フリック隊長…」
「強くてすげえのに、あんなに可愛くってよぉ…」
驚いて振り返ると、まだ若い兵士がにやけた顔で話し合っていた。


「その時、はじめて自分だけがフリック殿を好いてる訳ではない事に気付いたんです。」
「ああ、まあなあ…色んな意味で人気者だかんなあ、あいつは…」
「これはうかうかとしてられない、と正直焦りました。」
「はーん、それで慌ててフリックに告った、っつー訳か…」
「そうです。が…それだけはなかった…」
「…?」

そこで。
前を向いて体を洗っていたマイクロトフが、ビクトールを、見た。
それは、ビクトールにとって。
マイクロトフからは初めて寄越される類の視線だった。

どこか挑むような。
冷たい、炎のような。

「その隊員の片方が…『でもフリック隊長には、クマ隊長がいるから』、と。」
「なんだその『クマ隊長』っつーのはっ?!!」
「恐らくビクトール殿の事だと思われますが。」
解ってて、声を上げたビクトールに、マイクロトフが至極真面目に答える。
ビクトール殿の傭兵隊の兵士でしたので、と。
「…くそっ…どいつだ、まったく!」
目を、逸らせてビクトールが下を向く。
そして、泡に塗れたタオルをざぶざぶと洗う。
まだ、マイクロトフの話は続く。
「…そう、言われて、あなた方を俺は見た。そうしたら…」



フリックは、ビクトールと並んで歩いていた。
ごく、自然に。
そうあるのが当たり前のように。
歩きながら、言葉を交わし、笑い合って。
そんな、フリックに。
ビクトールのその向こう側から、知り合いらしき兵士が話し掛けた。
暫く、ビクトールを挟んで遣り取りをしていたのだが。
不意に。
ビクトールの手が、フリックに伸びた。
そして、そのまま頭を引き寄せると、反対側にと押し遣る。
そうされたフリックも、また。
文句を言うでもなく、笑って、近くになったその兵士と話の続きを再開した。

一部始終を見て、マイクロトフは、少なからず衝撃を受けた。

もし、自分がフリックと同じ事をされたなら。
まず、伸びて来るビクトールの手の気配を感じるだろう。
そして、振り返ってしまう。
頭に触れる前に、逃げるか、手を跳ね除けてしまうだろう。
それは、咄嗟にされた事であればある程。
条件反射的にやってしまう、事であるのだ。
フリック程の腕前であるなら。
ビクトールの気配に気付かない筈がない。
そして、背後から頭部に動いてくるものに、反応しない訳はない。
と、なれば。
あれは。
わざと、なのだ。
フリックは、知ってて、わざと頭に触れさせたのだ。
ビクトールが、触れて来る事を知り、そしてあえてそれに反応しなかった。
それは、つまり。
全幅の信頼を、置いているからに他ならないのではないか。
ビクトールに対しては、一切の警戒を解いているのではないか。


そして何より。
ビクトールに隣に移動させられて。
笑った、あの、表情。



「俺は、確かにあの時、貴方に嫉妬したんです…」
「……」


自分には、向けられる事はない。
あんな笑顔を。
ビクトールだけには、何故。


「貴方と並んで歩くフリック殿の姿を見て…とても焦ってしまった。」
兵士と話し終えたフリックが、また、ビクトールに話し掛ける。
その、後姿に。
思わず手が伸びた。
そして。
告白を。

あんな、笑顔を自分にも、と。
いや、自分だけに、と。



「…別に…お前が勘繰ってるような、関係じゃねぇぜ。俺達はよ…」
「はい。安心しました。」
答えて、笑うマイクロトフに含みはないだろう。
「しかし…フリック殿がビクトール殿に信頼を寄せているという事実は変わらない。」
「信頼…ねえ…」
言った後、口元をぎゅっと引き締めたマイクロトフに、力なくビクトールが笑う。
そんなビクトールから目を離して、マイクロトフが頭から湯を浴びた。
そして。
「俺は…俺に出来る事をやって、そして好きになって貰える様、頑張るしかない。」
それはともすれば独り言のようでもあった。
けれど、とても強い決意の現れだ。
「ま…頑張れや。道は険しいだろーけどよ…」
「え?」
洗い終わって、立ち上がったビクトールが、去り際に呟く。
見返したマイクロトフに、小さく笑って。
「あいつの心ん中にゃ、一人の女が居座り続けてるからな…」
オデッサという、名の。
今は、もういない女が。
「ああ…そうですね…」
納得して、マイクロトフも苦笑する。
死んだ彼女を想って、今も強く生きようとする。
そんなフリックだからこそ。
好きになったのだから、と。

ビクトールは、再度湯船に浸かりながら、思う。

この三年間。
自分はフリックの一番傍に居た。
そのフリックは。
ずっと、亡き女への想いに囚われたままであった。
今でも。

それを、マイクロトフは、解き放つ事が出来るのだろうか。
自分が、ずっと傍に居て、出来なかった事を。

ぐ、っと腹に力が入る。

それは、どうして。
自分ではないのだろう。
自分ではいけないのだろう。

そこまで考えて、はっとしてビクトールはざばざばと顔に湯を掛けた。
どうして、自分ではいけないのか。
それは。
フリックと付き合うのがマイクロトフだからだ。
そして、マイクロトフと付き合ってもいいと。
自分には関係ないと、言ったからだ。
その事自体には、何の感慨も後悔もない。
今でも、そうだと思っている。

フリックが、好きだと思う奴と付き合えばいい。

それなのに。
どうして、こんなにも。
胸がざわつくのだろう。


「どうかしましたか?」
後から湯船に浸かったマイクロトフが、心配そうに声を掛けて来た。
その、無邪気な顔を眺めて、どうしてか憎らしく思ってしまってビクトールは首を振った。
「ああ…ちょっと、のぼせたかもな…」
無理に笑顔を作ったビクトールではあったが、内心では悪態を付き捲っていた。
その殆どが、自分に対して、であった。




<act.12>に続く 2003.09.30



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