<act.10> フリックが、マイクロトフとデートしてから一週間。 しかし、付き合うもなにも、あれ以来フリックはマイクロトフに会ってはいなかった。 互いに任務に忙しく、ゆっくり顔を合わせる間もないのだ。 フリックは、昨日からラダトに滞在している。 同じ任務で同行したカミューと一緒に、酒場で席を並べていた。 一週間前、ビクトールとカミューとがここで仕入れてきた情報が、どうもきな臭いらしい。 再調査、という訳で送り込まれたのだ。 先の調査に来ていたビクトールは、現在交易に燃えているリーダーのお供にと扱き使われている。 「どうしました?何か気に掛かる事でも…?」 ぼんやりと考え事ををしていたフリックに、酌をしながらカミューが問い掛ける。 「いや…確かに王国軍の姿がちらほらしてるけどな…今すぐどうというのでもなさそうだ。」 「そうですね。特に目立った騒ぎもありませんでしたし。」 にこやかに相槌を打つカミューに。 フリックも少し笑って頷いた。 「でも、よかったよ。」 「何がですか?」 「ビクトールに…カミューが荒れてたって話を聞いてたからさ。けど、今日はそうじゃなさそうだからな。」 荒れたカミューなどというのは、フリックには想像出来ないでいた。 その分、そんな状態であったなら対処に困る。 そう、フリックは心配していたのだ。 けれど。 フリックにとって、カミューもまた大事な仲間である。 最近入隊してきたから、まだ、不慣れな事もあるだろうし、何か力になってやれればいいのだが。 そんな風に、何か、荒れる原因があるのならば相談に乗ってやろう。 自分にはあまり得意とはいえない分野ではあるが、それなりにフリックはカミューを心配していたのだ。 けれど自分に対するカミューの態度は穏やかなもので。 だからフリックはほっとしていた。 「…ビクトールから、何か話を?」 「いや。ただ、荒れてるって聞いただけだ。」 「そうですか…」 フリックは、答えて、その晩の事を思い出した。 ビクトールと飲んで、笑い合ったのに、最後には言い合いになってしまった。 苦い事を思い出したと、フリックは手にしたグラスに目を落とした。 だから。 カミューの目の、冥い光は、見逃してしまっていた。 「…そんな事より、すみませんね。マイクロトフがご迷惑をお掛けしてるみたいで…」 「えっ?!いやっ、ええと…」 マイクロトフの名が出て、フリックはぎくりとして顔を上げた。 「猪突猛進だけが取り柄な馬鹿な男ですからね。思い立ったら考えなしですぐ実行して、私もよく頭を抱えてるんですよ。」 「ははは…」 カミューが少しおどけて両手を挙げるのに、フリックは力なく笑った。 確かに、そう言われればそんな感じだ。 「あの時も…ああ、告白したという日の事ですがね。」 カミューが酒瓶を取って自分の杯に注ぐ。 一口飲んで。 「勢い余って告白してしまったけれど、我に返ると聴衆の前だった事に気付いて内心焦ってたらしいですよ。」 その場面を思い浮かべているのか、カミューは笑いを噛み殺している。 「あれでOKを貰ったからよかったものの、振られていたらさすがにみっともなかったと胸を撫で下ろしてました。」 「……」 「まあ、そんな風な馬鹿ですが、あれはあれでなかなかいい奴なんですよ。宜しくお願い致しますね。」 「…その、事なんだけどな…」 「はい?」 穏やかに、笑って。 相棒をよろしくと言うカミューに。 思わず良心の痛んだフリックが声を上げた。 変わらず、カミューは笑顔で応える。 「俺…ほんとは…っ…!」 がつ、とフリックが身を乗り出す。 その、タイミングで、カミューが言った。 「なんてね。」 「……は?」 にこやか、ではあるけれど、どこか意地の悪さを持った笑みで。 「解ってますよ。フリックがほんとは付き合う気がないって事くらい。」 「へ…?」 「どうせ何か安易な勘違いか何かで応えてしまったんでしょう?」 「…っ?!!!」 呆れた口調で鼻で笑うカミューに。 フリックは信じられないと目を見張った。 「おっ…お前っ!!だ、だったら、何でっ?!!!」 だんっ、とテーブルを叩き付け、フリックが立ち上がって叫ぶ。 しかし、カミューは一向に動じずへらりと笑った。 「え?だって面白そうだったもので、つい。」 「っっっ!!!!!!」 怒りと呆れの衝撃で、言葉を失うフリック。 そんなフリックの腕を引いて、ゆっくりと座らす。 「まあまあ。落ち着いて下さい。皆の注目を浴びてますよ?」 目立つと不味いんじゃないですか? そうカミューが諭すと、フリックはわなわなと震えながらも椅子に腰掛けた。 「フリックも罪な人ですよねえ…」 人の悪い笑みを作るカミューに、一瞬殺意を覚えるフリックではあったが。 思い直して、何とか気を静める。 マイクロトフの相棒であるカミューが、解ってくれてるなら話は早い。 それとなく上手い事伝えて貰えばいいのだ。 「カミュー…だったら…」 「嫌です。」 「?!」 出来るだけ、感情を抑えて、下手に回るつもりで声を掛けた。 が、用件を言う前に即答で拒否されてしまった。 「折角、楽しい事になってるのに私がぶち壊すなんてご免ですね。」 「お前なあ〜〜〜っ!」 「それに…」 ふと、声音が変わる。 先の冗談とは違って、本音はこちらの方らしい。 それに気付いたフリックが、大人しく続きを待つ。 「長年付き合ってきましたが…マイクロトフの方から交際を申し出るなんて、初めての事なんですよね。」 カミューが、遠くを見る。 「それだけ、あなたの事を好きになってしまったんでしょうね。」 そして、フリックに視線を戻す。 眉根を寄せて、どこか辛そうな。 「カミュー?」 「もし、宜しければ付き合ってやってくれませんか?」 「……」 「勿論、無理にとは言いませんが…」 そこで、どうしてか。 フリックの脳裏に、ビクトールの姿が浮かんだ。 唇を噛んで、思う。 馬鹿らしい。 たかだか、言い合いしたくらいで、気にするなんて。 それに。 言ったではないか。 ビクトールは、自分には関係ない事なのだ、と。 「俺は…男なんだけど…相棒が男と付き合うとかって、そういうのは気にしないのか?」 「ああ…そうですね。別に、騎士領じゃそう珍しい事でもありませんでしたしね。」 「そうか…」 カミューにまでも、男同士である事を肯定されて、フリックは肩を落とした。 こんな事を気にしているのは自分だけなのだろうか? 充分常軌を逸しているとは思うのだが、段々と些細な事に思えてくるから怖い。 「それにですね、マイクロトフが好きになるのが男でも女でも。」 また、僅かではあるが声が変わる。 今度は、優しくなった気がする。 「彼が、彼である事になんら変わりはないでしょう?」 「……」 「でしたら、私が、彼を好きである事にも変わりはないのですよ。」 だから、好きな人と幸せになって欲しいと思いますよ。 そう言って、カミューが微笑んだ。 「そんな…もんなのかな…」 「そうですよ。あなたは違うんですか?」 「え?」 「相棒が男と付き合うのは嫌?」 今迄、考えた事もない質問に、フリックは一瞬戸惑った。 自分の身に降り掛かったこの出来事が、もし、逆の立場だったなら。 誰かが、ビクトールに付き合ってくれと言って来たら。 ビクトールが。 誰か、と並び立つ。 そして、肩を抱き、キスを。 その、光景を思い浮かべたら。 背筋にぞっと寒気が走った。 「俺は、嫌だな…」 眉を顰め、心底嫌そうな顔で。 ぽつ、と洩れた言葉に。 「でしょうね。」 カミューが笑う。 「え?!」 「いえ。」 「…お前、今、俺の事心が狭い奴って思っただろ?!」 「そんな事思ってませんよー」 「嘘言え!顔が笑ってんじゃねーかっ!!」 「気のせいですよ。」 憤慨するフリックに、にこやかに微笑んでカミューがツマミのチーズを頬張った。 憤りをぶつけても、すらりと躱すカミュー相手では、どうにもフリックの調子が狂う。 「ほんとに貴方は可愛らしい人ですねぇ。」 マイクロトフが惚れるのも解ります、とカミューが揶揄うとフリックの表情が忙しく変わる。 最後には絶句したフリックを楽しそうに見詰めてカミューは。 「でも、振るのなら傷の浅いうちにお願い致しますね。」 言った後、眉を顰めて苦しそうな表情になった。 その、表情の意味は解らなかったけれど。 フリックは申し訳なさそうな顔をして。 うん、と小さく、けれど固く頷いた。 |
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