<act.9> 夜半近く。 マイクロトフと城に戻ってきたフリックは、ほっとしていた。 ヤマトに『デート!デート!』と囃し立てられていたせいで、どこか緊張していたのだ。 けれど、今日一日振り返ってみると。 存外に、楽しかったのだ。 出掛ける前に、かなり取り乱したニナに捕まるというアクシデントがあったにはあったが。 回収に来たヤマトに取り押さえて貰って、何とか無事に城を出ることが出来た。 昼過ぎに出立して、クスクスに着いてから幾つかの店を見て回った。 お互いに必要である日用品だとか、戦闘の補助品など。 また、防具や馬具など。 同じ騎馬隊の隊長をしているマイクロトフとは、欲しいと思うものが似ていたのだ。 色んな品を手に取って、あれやこれやと物色した。 そうしていると、あっという間に日も暮れてしまったのだ。 夕食を摂る時も、軍や戦闘の事を話し込んで、瞬く間に時間は過ぎていった。 気が付くと、帰って来た頃にはもうこんな時刻になっていたのだった。 その間。 一番心配していた色恋めいた雰囲気などは一切感じなかった。 ただ、友人同士が一緒に出掛けただけ、というような。 だから。 『付き合う』というのは。 本当に買い物に付き合うって事だったのでは。 そう、フリックは思い始めていた。 だから。 云いそびれてしまっているのだ。 恋愛目的で付き合う気はない、のだと。 フリックとマイクロトフは同じ官舎の同じ階に部屋がある。 その、別れ間際の廊下まで帰って来て。 「では、本当に今日は有難う御座いました。」 「ああ、俺も楽しかったよ。」 「そ、それはよかった!」 ぱっと満面の笑顔になるマイクロトフにフリックが苦笑する。 時折ある、この過剰な反応に、どう対処していいのか解らないのだ。 フリックの部屋の前まで来たところで。 「あ、それはそうと…」 マイクロトフの笑みが消え、替わりに、すまなそうな表情になった。 「休暇の件なんですが…俺が我侭言ったせいで、フリック殿やビクトール殿にまでご迷惑をお掛けしたようで…」 「ああ…」 「それで、もし何でしたら、俺の休暇を替わりに使って頂けませんか?!」 「え?だってそんな事したらお前…休みなしになっちまうぞ?」 思いもよらなかった申し出に、フリックが目を丸くする。 「でも俺のせいでこうなったんですから!」 「……」 きっぱりと言い切るマイクロトフを、フリックは改めて見詰めた。 もし、これが自分の相棒であったなら。 『そんなの放っときゃいいだろ?文句言わない奴が悪ぃんだろ。』 くらい言いそうなものなのに。 そう、しみじみ思って。 フリックは。 「お前、ほんっとーにいい奴なんだな。」 「…っ!」 素直に、思った事を言った。 少し、自分より高いマイクロトフを見上げて。 そうしたら。 返事はなかったけれど。 「え?」 代わりに、唇が。 柔らかく触れて、舌も。 軽く、なぞられて体が震えた。 突然の事で、フリックは言葉も出なかった。 「では、おやすみなさい。」 固まってしまったフリックに、最後にまた、軽く触れるだけのキスをして。 扉を開けて、フリックを部屋の中へと促した。 呆けて、されるがまま後ろ向きのまま部屋に入ったところで扉が閉まる。 その、扉を呆然と見詰めていたフリックに。 後ろから、声が掛かった。 「よお、何でそんなとこで突っ立ってんだ?」 「?!!!!!!!」 ぎょっとして、フリックが振り返ると、もう一人の部屋の主がいつものようにテーブルで酒を飲んでいた。 「あ…いやっ…その…っっ!」 「あんまり遅いから、朝帰りかと思っちまったぜ。」 「こっ!怖い事言うなっっ!!!」 ビクトールの冗談だか本気だか解らない言葉に、フリックが悲鳴を上げる。 そしてずかずかとテーブルに歩み寄って、無言でもう一個置いてあったグラスを取ると、ビクトールの方に差し出した。 突き出されたグラスに、笑ってビクトールが酒を注いでやる。 それを勢い良く飲むフリックを見て、ビクトールが気付いて声を掛ける。 「ん〜?でも顔が赤いぜ?キスでもされたか?」 「っ?!!」 言い当てられた事に驚いたフリックが目を剥いた。 「…って、したのかっ?!」 「だっ!!だって、しょうがないだろ?!イキナリされたんだからよ?!!!」 耳まで真っ赤になって。 フリックが叫ぶ。 「別に、俺はしたかった訳じゃねーよ!!あいつが、勝手に…っ!」 「でも、そんな嫌じゃなかったんだろ?」 「なっ、何言ってんだ?!」 「ほんとに嫌なら、マイクロトフは今頃病院送りくらいになってんだろーが。」 「…そんな事…」 「大体、ちょっと俺が怒らしたくれーで殴るわ蹴るわ…終いにゃ雷だもんよ?」 「だってそれは!お前が…っ!」 「カッとしやすくて手の早ぇお前が無傷で返したんだ。それなりに想うとこがあんだろーよ。」 「……」 何だろう。 何だか、嫌な感じだ。 最初は、いつものように揶揄われてるのか思っていたけれど。 どうして、こんな、諭されるみたいな事を言われているんだろう。 「…何で、そんな事言うんだよ?」 低く、フリックが呟く。 見返してくるビクトールの瞳が、とても冷たいように見えて。 ずきりと胸が痛む。 「別に…お前の方こそ、そんな剥きになって言い訳なんぞしてなくてもよ…」 声まで、冷たく聞こえる。 「お前がマイクロトフと付き合おうがキスしようが、お前の勝手だろ?」 そして、また。 突き放すあの言葉を。 「それに、交際断るっつってたけどよ。キスされるんじゃあ、そんな話もなかったみたいだしよ…」 「……っ」 だってそれは。 また、言い訳しそうになって、フリックは唇を噛んだ。 確かに、ビクトールの言う通りなのだ。 自分が、誰と付き合ったとしても。 それをビクトールに咎められる筋合いなんて一切ないのだ。 なにも、言い訳などしなくていいし、自分の思うようにやっていいのだ。 だけど。 思っていたのだ。 ビクトールなら、自分の想いを解ってくれる、と。 まだ、自分にとっては、オデッサが一番である事。 他の誰かと、付き合いたいなんて思わない事。 そして。 助けてくれるものだとばかり思っていたのだ。 自分が、望まない状況に流されそうになったなら。 間違った方に行かないように、と。 手を、引っ張ってくれるものだと。 無条件で信じていた。 ビクトールなら、と。 でも。 現実は。 「…お前も…マイクロトフと付き合った方がいいって思うのか?」 「…だからよ…」 溜息を吐いてビクトールが肩を竦める。 その続きを奪って。 「解ってる。俺の好きなようにしろって言うんだろ?」 「…おう。」 「……じゃあ、好きにさせて貰う…」 「っ…付き合うのか?」 ビクトールが問うて来るのに。 フリックは、冥い瞳で見返した。 そして、寝台に向かう。 「お前には、関係ない、事なんだろ?」 「…っ!」 その、返事に。 ビクトールがどんな顔をしたのかは、フリックには解らなかった。 解りたくもなかった。 もう、何だか何もかもがどうでもいいような気になってきた。 何を、こんなに自分は剥きになっているのだろう。 生涯の女性はただ一人と決めていた。 その、オデッサに似た瞳の少年に。 『他の誰かと幸せになって欲しい』 オデッサならそう思うだろうと、告げられた。 だったら、何のために自分は。 毛布に潜り込んだフリックは。 酷く捨て鉢な気持ちで目を閉じる。 そういえば。 ここ最近は、こうやって不貞寝するようにベッドに入ってばかりなような気がする。 どうして。 ビクトールと言い合いになるのだろう。 喧嘩、をしてる訳ではないのだ。 だって、自分が、マイクロトフと付き合うかどうかなんて事で。 ビクトールと喧嘩になる訳がない。 でも、だとしたらどうして。 こんな思いをしているのだろう。 いつものように、酔って、話して、笑って。 気持ちよく寝付く事が出来ないのだろう。 嫌な事を考えないように。 早く眠りに堕ちて行きたかったフリックだったが。 どうにも胸が痛んでしまって。 結局は朝方まで、うつらうつらとしか出来なかった。 |
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