<act.6> コボルトの村で、フリックは暇を持て余していた。 ヤマトに取る物も取りあえず城を連れ出されてからもう2日経っていた。 明日には帰れる予定にはなっている。 今は、といえば。 この村で確実に高く売れる『ひかるたま』を別働隊が持ってくるらしい。 それまで時間が余ってしまっているのだ。 「コボルトダンスも、もう見飽きたしなぁ…」 そう大きくもない村で。 特にこれといった娯楽もない村である。 いくらフリックがコボルトダンス好きだと言っても、立て続けに3時間も見てれば嫌にもなってくるだろう。 ぶらぶらと往来を歩いていたフリックは欠伸しながら背伸びをした。 その時に。 一軒の雑貨屋が目に留まった。 集合時間にはまだ少し間がある。 他にする事もなし、という事で、フリックはぶらりと店内に入っていった。 雑貨屋、といっても生活用品が主な店のようだ。 食料品や消耗品などが多く置かれている。 その一角に、酒瓶が並んだコーナーが設けられていた。 まず、フリックはそこに向かう。 コボルトが好むものは、やはり人間とはどこか違うのだろう。 そこには、余り目にしないような品柄が半分以上を占めていた。 上から下まで物珍しそうに眺めていたフリックだったが。 一本のワインを手に取ってしげしげと見詰めた。 何処かで見た事がある。 いや、飲んだ事がある。 「お客さん。それ、いい酒。コボルト好き、じゃが、ニンゲン好き。」 「へえ?」 後ろから声を掛けられ、フリックは振り向いた。 眼鏡を掛けた老犬らしい店主だ。 片言であったが、その意を汲んだフリックがまた瓶に目を落とす。 そういえば。 これはビクトールと飲んだものだった。 さっき店主が言ったような事を、得意気に話していたのを憶えている。 その時。 まだ、行った事のないコボルトの村を想像して、少し胸が踊ったものだった。 そして、それを見透かしたビクトールに笑わてムカついた。 けれど、その後に続いた言葉に、思いの外溜飲は下がった。 『いつか、一緒に行こうぜ。』 いつか、と言われたその日は本当にやって来て。 自分はこの地をビクトールと共に訪れた。 まさか、こんなに何度もやって来る羽目になるとは思ってもみなかったが。 「これ、包んでくれ。」 穏やかに。 フリックが瓶を手渡して店主に告げる。 老犬は頭を下げて、丁寧に瓶を受け取った。 包んでくれている間に代金を、と思ったフリックが財布を取り出そうとした、その時。 会計場のすぐ横にある入り口からひょっこりとヤマトが顔を出した。 「お土産ですか?」 「あっ、ああ。」 いきなり現れたヤマトに驚きはしたものの、ちょっと考えれば小さな村なのだから当たり前だと思い直してフリックが頷く。 「もう、時間か?」 「いえ、まだちょっと早いですけど、見掛けたもんですから。」 手早く会計を済ませて店から出たフリックにヤマトが並んで歩き出す。 そうして、抱えた包みに、ヤマトが興味をみせて尋ねた。 「…お酒ですか?」 「うん?ああ、帰ったら一緒に飲もうと思ってな。」 「ふうん。マイクロトフさんとですか?」 「ああ…って、え…?」 ヤマトに問われた内容に、フリックはまず頷こうとして、慌てて留める。 疑う余地もなく、フリックは。 ビクトールと飲むのかと、そう訊かれるものだと思っていたのだ。 だって、ずっと、自分は。 ビクトールと。 「…いや、ビクトールと、と思ってたんだが…何でだ?」 「え?だって、マイクロトフさんと付き合うって言うからさー」 「だから、付き合うなんて言ってねーつってんだろ?!」 笑って、少し揶揄口調になったヤマトの台詞にフリックが憤慨して叫ぶ。 「あはははは!そうでしたっけ〜?」 「そうなんだよ!!!」 怒るフリックから、ヤマトが小走りで逃げ出す。 「…ったく。」 その背を追わず肩を竦めたフリックを。 ヤマトは少し先で待っていた。 町並みを外れて、その先はただ畦道が続くばかりだ。 ヤマトの赤い服が緑によく目に映える。 そして。 「ねえ、マイクロトフさんと付き合ってあげたら…?」 だって可哀想だよ、とヤマトが言う。 フリックの脳裏に沈んだマイクロトフの顔が浮かぶ。 けれど。 「お前な…人事だと思ってな…」 「だって、フリックさんは付き合ってる人いないでしょ?」 「それは…そうだけど…」 「それとも。」 フリックは、もうヤマトの目の前にまで歩いて来ていた。 充分すぎる程、声は耳に響く。 大きな瞳で見上げて、ヤマトが。 「誰か、好きな人がいるの?」 好きな、人。 そう訊かれて。 目の裏に、影が浮かぶ。 けれどそれは瞬く間に消えた。 「俺の…好きな、人は…」 消えた筈の影が、また浮かぶ。 そうだ、あれは。 「オデッサ、だ・・・」 霞んだ影が鮮明になっていく。 赤い、長い髪。 意志の強い瞳。 「そうだ。俺はまだ、彼女を…」 うわ言のように。 フリックが呟く。 「ほんとうに?」 「え…?」 長閑な、村の道端で。 さんさんと降り注ぐ陽が、明るく照らし出した世界で。 柔らかく頬を撫でていく風が、草の葉を鳴らしていくその音を遮って。 ヤマトの言葉が、酷く大きくフリックの耳に届いた。 ほんとうに? 何が? どうして、そんな事を問われるのか解らないフリックが佇む。 ただ、ヤマトの瞳を見詰めるばかりだ。 光を返して煌く茶色の瞳。 意思の強さを嫌という程伝えてくる。 どこか。 誰かに似ている。 「でも、そのオデッサさんは亡くなってしまってるんですよね?」 「……」 オデッサ、とその少年が名を呼んで。 そのオデッサに瞳が似ているのだと気付く。 黙ったままになってしまったフリックに、ヤマトが言う。 「僕は…だったら、フリックさんが、誰かと付き合うって事には凄く賛成なんです。」 別にマイクロトフさんじゃあなくても。 と、付け加える。 「いつまでもいなくなった人を想ってる姿を見るのは、とても辛いですよ…」 「……」 「僕が、オデッサさんだったら…そりゃあ、忘れられるのは辛い、けど、でも早く他の誰かと幸せになって欲しいって想います。」 オデッサさんだったら。 そう、オデッサに似た瞳でヤマトが言う。 オデッサなら、そう、想うだろう言葉を。 「…お前に何が解る…」 「何も解りません。」 「…っ!」 低く出たフリックの声に、ヤマトが苦く笑う。 「でも、僕は…」 見上げる瞳には一点の翳りもない。 「フリックさんに、幸せになって欲しい。ただ、そう想うんです。」 幸せになって欲しい。 そう言う、この少年こそが。 自分よりもずっと幸せからは遠いのではないか。 それなのに。 フリックはふっと肩の力を抜いた。 目を閉じ息を吐く。 そうして。 ゆっくり目を開けたフリックの顔には、苦笑が浮かび上がった。 「…俺は、そんなに不幸そうに見えるのか?」 「ううん。」 少し困ったように出た問い掛けに、ヤマトはきっぱりと否定を返す。 「でも、もっと、幸せになれると思うし、なりたいと思って欲しい。かな…」 にこりと笑って、ヤマトが表情を崩す。 けれど、ぷいと背中を向けて、歩き出した。 その後をフリックが追って歩を進める。 「今は、何処で、誰が死んでも、おかしくない状況なんだよね…」 まだ、幼さの残る輪郭で、呟く。 その後姿は、田舎のただ広い景色に溶けてしまいそうなほど、細い。 「誰かが、死んだりいなくなったりして、悲しむ姿を見るのは…ほんとに辛いなって…」 ピリカが両親の死と殺戮のショックで喋れなくなったように。 ジョウイがいなくなってナナミが悲しんでいるように。 フリックがそっとヤマトの頭に手を乗せる。 そして、ビクトールがよくしてるように、髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。 「…色々、差し出がましい事言ってごめんさない…」 「馬鹿、謝んなよ…お前が、俺等のリーダーなんだろ?」 「うん。でも…」 きっと、こんな時自分の相棒だったなら。 上手い事空気を和らげる事が出来るだろう。 ヤマトの気を楽にさせる言葉が出るのだろう。 ここに、あいつが居てくれたなら。 そう、思ってしまって、フリックは唇を噛み締めた。 心の中のどこかで。 頼りにしてしまっている。 その事を認めざるを得ないのが、酷く悔しくて情けなかった。 しかもその相手は。 きっと、こんな風に、自分を必要とはしない。 暫く二人は。 黙ったまま、長閑な田舎道を歩いて行った。 明るく抜けるような、哀しい程お天気な空の下を。 |
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