<act.5> ラダトの酒場。 ビクトールは、ここでカミューと席を並べて酒を飲んでいた。 昼過ぎに街へテレポートして貰ったのだ。 その後、散策するふりをして街の様子を伺った。 川向こうがもう敵地である。 この街は情報を仕入れるには持って来いであるのだ。 西日がきつくなり出した頃。 情報収集と実益を兼ねて、ビクトールが酒場に入る事を提案したのであった。 「口の達者なので、すっぺらこっぺら洗い浚い聞き出せ…って事なんでしょうけどね…」 そこそこ上物のワインを飲んで、カミューは投げ遣りに言い放った。 カウンターの上には、更に上物のブランデーが一本置いてある。 これはビクトールの分だ。 当然、必要経費で落とすつもりである。 「おいおい…何か機嫌悪ぃなー…」 共に仕事すると昼前に会ってからこっち、カミューはどことなく不機嫌である。 普段は八方美人と言っても差し支えないくらいの鉄壁の仮面を付けている。 この、見目麗しい青年が、にこりとも笑わないのだ。 それは勿論、相手を見ての事ではあるのだが。 「……」 ちらりと横目で剣呑に睨んだカミューがぼそりと呟いた。 「平気でいられるなんて、どうかしてるんじゃないですか…?」 「ああ?」 肘を突いてはあ、と溜息を吐く。 どこかやつれた横顔は、遠くに思いを馳せているようだ。 ここにはいない、誰かに。 「ああ…」 ふと、ビクトールはカミューの気持ちが解るような気がした。 隣に人はいる。 けれど、まるで誰もいないかのような。 あるはずの体温がない。 ちょっとした孤独と喪失感。 「まさか…フリックにマイクロトフを取られたってんで、やさぐれてんじゃねぇだろーな?」 揶揄い目的で半分茶化したつもりのビクトールの言葉に。 カミューはふっと笑って、遠くを見詰めた。 「…だったら、どうだって言うんです?」 「…マジかよ…」 開き直って不貞腐れたカミューが、持っていたグラスを荒く置いて小さく声を上げる。 「そもそも、あなたがっ!…フリックをちゃんと捕まえとかないから、こーゆー事になるんじゃないですかっっ!!」 胡乱な目で絡むカミューに、ビクトールは盛大な溜息を吐いた。 「あんなあ…お前といい、シュウの奴といい…何で俺にフリックの世話を押し付けやがるんだよ?」 「……」 驚いた、という表情をして。 カミューはビクトールの顔を見詰めた。 「な、何でぇ?」 何か顔に付いてるか? と、ビクトールが不審気に少し後ろに仰け反った。 そんなビクトールの反応を見て、カミューは。 小さく笑って、またグラスに手を伸ばした。 「私は…てっきりあなたがフリックの事を好いてるものだとばかり、思ってましたんでね。」 今度は、ビクトールの方が驚いた顔をした。 「はは…馬鹿言うんじゃねぇよ…」 ビクトールも、グラスを手にとって、一口呷る。 少し、動揺しているように見えなくもない。 「ご自分で気付かれてない、って事もありますよ?」 あるだろうか。 そんな事が。 ビクトールは己の胸の内を探る。 フリックは、大事な相棒だ。 それ以外の何者であるのかなど。 考える必要すらないと思っていた。 「…ある訳ねぇだろ…そんな事ぁ…」 「そうですか?」 挑むような瞳で、笑うカミューにビクトールの奥にある何かがざわつく。 しかしそれには敢えて触れないでビクトールは。 「大体…あいつとは出会ってから5年は過ぎてんだ。今更、んな気になる筈ねぇだろ。」 全部飲み干して大きく息を吐く。 初めて出会った時。 フリックには恋人がいた。 しかしその女は志半ばで斃れてしまった。 そして、その遺志を継いだフリックもまた。 殉じて女の元へ行くような怪我を負った。 その時自分は。 出来得る全ての事をやって、フリックを生かす努力をした。 けれどもそれは。 『好き』とか『嫌い』とか、そういうものではなく。 その後、ずっと傍に居た。 きっと、一番近くで見て、触れて、話して、笑って。 共に何かを共有してきたのは、自分だろう。 きっと、一番フリックを解ってやれるのも。 それでも。 それがフリックを『好き』であるから、などとは。 一度も思った事はないのだ。 腰が落ち着かないのを無理矢理押さえ込むように、ビクトールは背凭れに体重を預けた。 カミューが、柔らかく笑って、ブランデーの瓶を手にする。 つ、と傾けてビクトールに口を差し向けた。 そして、カミューは酌を受けるビクトールに、言って聞かせるように呟く。 「私がマイクロトフと出会ってから10年経ちますが…この想いに気付いたのは、ここ2、3年の事ですよ?」 「……」 カミューの顔には、もう険はない。 いっそ、穏やかだと言っていいくらに。 なのに、ビクトールはどこかで危険を感じる。 このまま、この会話を続けてはいたくない、ような。 だから、さり気無く話題を変える。 「俺の事よか、お前自身はどうなんだよ?」 「私…ですか?」 「おうよ、2年も3年も想い続けてるなんざ、らしくねぇんじゃねーのか?」 ビクトールはバーテンに新しいワインを注文しながら、反撃に打って出る。 逆に攻め込まれて、カミューは困ったように眉を顰めた。 「そうですね…でも、どこかで諦めていたのもあるんですよ。」 「諦める?お前が?」 「ええ。マイクロトフがまさか男に恋するとは、思ってもみませんでしたんでね。」 「ああ、成る程な…」 差し出されたグラスを受け取りながら、カミューが小さい吐息を吐く。 「それに…」 一旦言葉を途切らせ、目線を落とす。 伏せた睫毛が震えている。 「怖かったんでしょうね。今の関係を失うのが…」 カミューとマイクロトフもまた、相棒同士である。 カミュー曰く10年来の付き合いだそうで。 それに。 見ていれば解る。 良き友、良きライバル。 互いに理解し、信頼し。 背中を預けて戦う。 共に並び歩き、同じ処を往き、同じものを見る。 ビクトールには、痛い程カミューの言葉は理解出来た。 自分にも、そんな相手がいる。 得難く、喪い難い。 そんな相手が。 そう思って、ビクトールは慌てて首を振った。 別に自分は、カミューとは違って相棒に惚れちゃあいやしないのだ、と。 夕刻を過ぎたのだろう。 店内のざわめきが少しづつ大きくなっていく。 丁度二人の後ろにあるテーブル席に、仕事を終えたばかりと見て取れる商隊のお抱え兵士らしき団体がどやどやと腰掛け始めた。 その、少し離れた席にも、同じような連中が。 ビクトールとカミューを取り巻く空気が変わる。 けれどそれに気付く者はその場にはいない。 「さあて…そろそろお仕事の時間だな…」 「調子に乗って飲みすぎて後で全部忘れた、とか言わないで下さいよ。」 さっきまでの表情をさっさと切り捨てたカミューが笑う。 いつもの、毒舌も忘れずに。 そして、ビクトールもまた、いつもの顔に。 「馬鹿言え。ただで酒が飲めるってのに、そんな勿体ねぇ事ぁしねーよ!」 それぞれに潜り込むターゲットを定めると席を立つ。 「じゃあ、明後日の夜ここでな。」 「うまくやって下さいよ。」 「誰に言ってんだ?」 「酒好きで間抜けな熊にですよ。」 軽口を叩きあって背を向ける。 そうして、その後はもう一度も振り返る事なく分かれて歩き出す。 あっという間に二人の姿は酒場の喧騒に紛れてしまっていた。 |
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