<act.3> フリックが静かに自室の扉を開けると、同室者と目が合った。 「……」 「……」 けれど特に何を言うでもなく、自分の寝台へ向かう。 ビクトールは部屋の真ん中に備え付けられたテーブルに着いて酒を飲んでいた。 扉が開いた時には視線を寄越していたが、また、ふいと何処ともなくを見詰めた。 気拙い空気が漂う。 喧嘩らしい喧嘩などしなかったというのに。 ただ、ほんの少しの言い合いをしただけだ。 勿論、今までだって腐る程喧嘩して来たからこんな状況は始めてなんかじゃない。 なのに、まるでいつもとは勝手が違う。 唇を噛んで、フリックは俯いた。 どうしたいのだろう、自分は。 「……」 少し逡巡した後。 フリックは軽く首を振って考える事をやめた。 こんな時は寝てしまうに限るのだ。 そうしたら、また明日には何でもなかったかのように話が出来る、筈だ。 シャツを脱いでごそごそと布団に潜り込んで。 壁側に向いて背を丸める。 目を閉じると、ビクトールが溜息を吐く気配がした。 そういえば。 ハンフリーにビクトールが怒った理由を訊くのを忘れた。 自分には解らなくて、ハンフリーには解る理由というのは何だろう。 ビクトールとの付き合いは、もう、5年以上も経ってしまっている。 今はこうして相棒と呼ばれ、傍にいるけれど。 以前はそう仲が良かった訳でもない。 それなのに、自分は、酷くこの男の世話になったのだ。 大して仲が良くもなかった相手を。 ビクトールは簡単に笑って助けて、医者に掛からせ、その費用を稼いで来た。 あの頃から、何かと自分の世話を焼くのが癖になっているようだ。 歳が幾らかは上な分、余計にそうさせているのかもしれない。 がさつでいい加減でお調子者で、どうしようもないと思う時もあるけれど、本当は心根の優しい男なのだ。 今回の事だって、きっと。 ビクトールなりに心配してくれてるのではないだろうか。 だから、マイクロトフの台詞が告白だと気付かないような、物事に疎い自分に腹が立ったのではないだろうか。 そう、思い当たって、フリックは。 ゆっくりと、ビクトールの方へと向き直った。 「明日…断るから…」 ぽつり、と独り言のように呟く。 けれどそれは確かにビクトールの耳に届いた。 「………別に…いちいち俺にそんな事言わなくっていいだろ…」 低い、声だった。 勘に障るものではない。 けれど、言い返された内容に、フリックがむっとする。 「だってお前、怒ってたじゃないか。」 「…ああ、でも、もー怒っちゃねぇよ。だからお前の好きにすりゃいいだろ。」 「何でそんな言い方するんだよ?!」 また、突き放した言い方に、フリックが声を荒げる。 「何で…って、だからお前の好きにしろっつってんのに、何を怒る事があんだよ、お前は。」 まだ、ビクトールはこちらを見ない。 その事が更にフリックの苛立ちを煽った。 がばりと起き上がって、叫ぶ。 「じゃあ!だったら、俺がマイクロトフと付き合ってもいいんだなっ?!!」 「……っ」 その一言で、はじめてビクトールが顔を向けた。 どうしてか、酷く動揺したような顔で。 けれどそれはほんの一瞬の事で、またビクトールはそっぽを向いてしまった。 「…お前が付き合いたいなら、付き合やあいいだろ!」 「相棒が男と付き合っても何とも思わねーのかよ?!」 「別に、男でも女でも好きな奴と勝手に付き合えばいいだろーが…っ!」 「…っ!」 ビクトールは、もう、全くこちらを見ようともしない。 何だか打ちひしがれた気分になって、フリックは自然と怒鳴っていた。 「解ったよ!勝手にすりゃーいいんだろ?!勝手にっっ!!!」 言った後、横になって毛布を引っ掴んで頭から被る。 心配してるなんて思った自分がどうかしていたのだ。 別に、ビクトールにとっては、自分が誰と付き合おうとどうでもいい事に違いない。 どこかで。 ビクトールなら、『付き合うな』と言うものだと思っていた。 どうしてそんな事を思っていたんだろう。 何故だか、泣き出しそうになって、きつく毛布の端を握る。 早く眠りに就けるように、固く目を瞑る。 そんなフリックの毛布に包まれた背中を、ビクトールが見詰めていた。 そして。 口の中、小さく、聞こえるか聞こえないかのような声で。 「勝手にしろ・・・」 そう、呟いて。 酒を注ぎ足してグラスを傾けたのだった。 |
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