<act.2> 「青い騎士の団長さんとオツキアイするんだってね?」 「……」 夜の酒場で、レオナにグラスを手渡されながら訊かれたフリックは、嫌そうな顔を返した。 噂は、もうその日の内に隅々まで広まっていた。 フリックといい、マイクロトフといい、隊の長を務める要幹部なのだ。 軍にあっては有名人と言っていい位の立場である。 しかも二人揃って城内では3本の指に入る美男子となれば、尚の事だ。 恋に破れた男女ひきこもごもが、次から次にと噂していくのだから当然の結果といえよう。 「…そんな訳ないだろ。ちょっとした…誤解があったんだ。頼むからレオナまでそんな事信じないでくれよ…」 尋ねられるのはもう何十回目になるのかも解らなかったが、フリックはひとつひとつに同じように否定して回っていた。 けれど噂が回る方が早いものだから、焼け石に水程度だ。 「まあね。ほんとには信じちゃいないけどさ…一応本人に確認しとかないとね。」 片目を瞑って笑うレオナに、軽く溜息を吐いてフリックはカウンターを離れた。 いつもの指定席のテーブルに着く。 そこでは既にハンフリーが数杯の空きジョッキを侍らせていた。 フリックは手にしたグラスを呷って一息吐く。 しかしそうしている間にも、何処からともなく視線を感じ、そして耳にはひそひそと潜めた声が。 マイクロトフとの事を噂しているのは、流石にフリックにも解った。 ウンザリしながらもう一口。 飲んでグラスを置くと、ハンフリーがフリックを見ていた。 「…やっと新しい恋人を作る気になったのか?」 「……」 フリックの嘗ての恋人のオデッサが逝ってもう5年近く。 『やっと』と言われても仕方のない程、充分な時間だ。 それでも。 フリックは。 「いや…俺は、まだ…彼女の事を…」 言葉はそこで途切れてしまったから。 続く言葉が何だったのか、解りはしない。 好きだ。 愛してる。 忘れられない。 忘れたくない。 言った、フリックでさえ、きっと。 どの言葉が当て嵌まるのか、解らないのだから。 「それに、恋人が欲しいとは思わないんだ。今の生活で充分満足してるんだ、俺は。」 穏やかに笑んで出たその言葉は、フリックの本心からのものだろう。 けれども、その想いがどこから来るものなのかを、深く考えてはいない。 どうして、今の生活に満足であるのか、などは。 「…マイクロトフが、ほんとに俺と付き合いたいのかは兎も角、俺は勘違いで返事してしまったんだ。」 「……」 「でも、その場に皆がいて…それでこんな騒ぎになっちまった。」 困ったように肩を竦めたフリックに頷いたハンフリーは、静かに口を開いた。 「それで…ビクトールは?」 「さあ?もう部屋にはいなかったけどな。」 ビクトールとフリックは相部屋である。 フリックが帰った時にはもう、ビクトールの防具だけが残されていたのみだった。 「…何か言ってたのか?」 「え?ああ…別に、特に何も…ただ…」 「……」 言い淀んだフリックの視線が落ちる。 しかしそれも一瞬で、また酒を一口飲むと続きが出た。 「何だか解んねーけど…怒ってるみたいだった。」 「……」 その経緯を思い起こしたフリックが、むっとした表情になる。 ハンフリーは一度目を閉じて、ちらりとフリックを見遣って言った。 「解らないのか?」 「…ああ、解んないね!だったら、お前は解るって言うのか?」 「……解らない事もないが…」 ハンフリーの答えに意外そうに目を大きくして、フリックはまじまじと見詰め返した。 普段は殆ど無表情で無口で何事も一歩離れて構えるところがある。 けれど、だからと言って、機微に疎い訳ではない。 時に驚く程敏く本質を見極める事もある。 「じゃあ、教えろよ。」 ぐっと肘を寄せてフリックがハンフリーに詰め寄る。 暫し沈黙が続いたが、何事かハンフリーが口を開こうとした、その時。 「こらあ〜!早速浮気しちゃ駄目だよ〜〜〜!」 「痛っ…?!!」 背中にどしっ、と何かの衝撃が落ちて頭をテーブルにしこたま打ち付けたフリックが小さく叫ぶ。 額を押さえつつ振り向いた先には、この城の主の少年が笑って圧し掛かっていた。 「ヤマト…っ、お前、子供がこんなトコ来ちゃ駄目だろう?!」 「子供でもここの城主だもんねー!」 諌めるフリックに舌を出して、ヤマトは手を伸ばしてフリックのグラスを奪って中身を飲み干した。 「こらっ!!!」 「まーまー、それより聞きましたよ?フリックさん。」 「……」 「マイクロトフさんと婚約したんだって〜?」 「?!!!」 「…それはまだだ。」 「なあんだ。どおりで話が早すぎるとは思ったんだー」 驚きで固まったフリックを余所に、ハンフリーが軽く否定したのをヤマトが笑って受ける。 「てゆーか、何でマイクロトフさんなの?僕はてっきり…」 がたん。 ヤマトが最後まで言う前に、ハンフリーが空いた椅子を無言で引いた。 同じように、無言で、ヤマトがハンフリーを見る。 しかしすぐににこりと笑って。 引かれた椅子に座ったヤマトが、興味深々とフリックに向き直った。 「ね、何で付き合う事になったの?!話を聞かせて下さいよー!」 「ば、馬鹿!誰も付き合うなんて言ってねーだろ?!!!」 「でも城中この話で持ちきりですよ?」 しかも婚約するって。 「そんな訳あるかぁああああ〜〜〜!!!」 にこにこと語るヤマトの話に、フリックは頭を抱えて突っ伏した。 噂はほんとに恐ろしい。 伝わる早さもそうだが、尾ひれ背びれが付き捲るのもそうだ。 「でも…やっぱり違うかったんですね。おかしいと思ったんだー」 「当たり前だろ…」 悶えるフリックの頭の上で、ヤマトが呟く。 それにゲンナリと答えてフリックは脱力した。 「…ところで、ビクトールさんはどーしたの?」 「知らねーよ…あんな奴…」 「…喧嘩でもしたんですか?」 「……」 黙ってしまったフリックから目を離して、ヤマトはハンフリーを伺った。 「……」 けれどハンフリーもまた、黙ったままで、その表情も読み取れない。 どこか暗く沈んだ空気に、ぽりぽりと頭を掻いてヤマトは肩を竦めた。 「まぁ、それよりもさ…どうしてマイクロトフさんとそんな話になったのか聞かせてよ、ね?」 「……」 「……」 「あのー一応城主として言ってるんですけど…?」 ヤマトは決して冷やかしに来た訳ではなく、あまりにも騒ぎになりすぎてる原因を探りに来たのだ。 その、真偽を知り、対応を練るために。 「悪い、けど…その話は明日な。」 流石に今日はもう、その話はしたくない。 そう言ってフリックが席を立つ。 「解りました。じゃあ、おやすみなさい。フリックさん。」 「ああ、おやすみ…」 覇気の欠片もなく応えたフリックが、よろよろと酒場を出て行く。 その背中を見送って、ヤマトは横目でハンフリーを眺めた。 事情は知っていそうなのだが、話してはくれないだろう。 相変わらず無言で酒を呷っている。 「ふう…」 大袈裟に溜息を吐いてヤマトが立ち上がる。 「僕も寝ようっと。じゃあね、おやすみ。ハンフリーさん。」 「……」 やはり無言で。 けれど片手を挙げたハンフリーに笑顔を向ける。 不謹慎ではあるけれど。 暫くおもしろそうな騒ぎが続きそうで、ヤマトは内心わくわくしていた。 自然と足取りも軽くなる。 そんなヤマトを一瞥して。 ハンフリーは、やれやれと肩を竦めたのだった。 |
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