ここは傭兵隊の砦、又の名をビクトールの砦と云う。砦が出来て約半年、仕事も軌道に乗り始めた頃のお話。 その日、ビクトールは超ご機嫌だった。ここしばらく見た事のない、恐ろしい程の陽気さで、すれ違う人皆に声を掛ける。しかし、皆は引きつった笑顔で応対するしか出来なかった。何故なら、ビクトールの左頬には明らかに人の手形だと判る赤い跡が付いているにも係わらず、にやにやと笑っている彼は、かなり不気味さを醸し出していたから。もちろん手形の主はフリックである。ここで彼以外にビクトールにそんな真似が出来るの人間なんて居やしない。 「ビクトール隊長〜〜っ!」 「おっ、何だ?」 後ろから呼び止められて、ビクトールは満面の笑みで振り返った。それにビクっとしてポールが後ずさる。 「はいっ、あの・・・例のやつ、仕上がりました。」 「おっ、そうか、出来たかっ!じゃ、後でフリック・・・と一緒に見に行くとするか―――じゃあ、後でな。」 フリック、の所で、またビクトールの顔がだらしなくニヤける。自分でも解っているのか、ビクトールは慌てて口を押さえて背を向けて歩き出した。そんなビクトールを見送りながら、ビクトールが最近沈んでいたのと、一昨日のフリックとの諍いと知っているポールは 「・・・副隊長と巧くいったのかな?・・・それとも悩み過ぎで壊れたかな・・・」 と、肩を竦めて呟いた。 そう、ここ数週間ビクトールは悩んでいた。いわゆる恋の病というやつで。相手は・・・この砦で副隊長をやっているフリック、だ。初めは馬鹿馬鹿しいと一蹴していたが、一人で考える時間があっただけに否定できない状況だと自覚するしかなくなってしまった。―――その時の事を振り返ってビクトールは苦笑した。 1ヶ月程前――――― どうしても外せない仕事が2つ同時期に舞い込んできた。仕方がないので、行き先のトラン共和国は出身地だった事もあって、フリックが出張という形を取る事とした。初め、フリックは2週間で帰って来る予定だったのだ。口煩いのがいなくなった、とビクトールは初めこそ浮かれていたものの、仕事が早くにかたがつき5日ぐらいで終了すると、今度はフリックの事が気になり出した。いつも目の端に映っていた青い色が、今は空を見上げる時くらいしか見る事がない―――。それでも、もうすぐ帰って来ると自分に言い聞かせていたのに、約束の日にはフリックではなく、その使者というのが遣って来た。 「仕事がまだ片付きそうにないので、帰るのが遅れるそうです。仕事が終わり次第、帰る―――と仰ってました。」 「なんだそりゃ。そんな仕事―――――」 言いかけてビクトールは口詰まった。大事な仕事だから、とわざわざフリックに行かせたのに『そんな仕事、ほっぽって帰って来い』と言いそうになってしまったからだ。 「―――あぁ、いや・・・ご苦労。フリックには・・・がんばるよう伝えてくれ。」 なるべく早く帰れるように・・・とは思ったが、口には出さなかった。 その事があってから、ビクトールは何かにつけフリックの事が気に掛かった。病気をして仕事が遅れているんじゃないか・・・とか、もしかして向こうに好きな女でも出来たんじゃないか・・・とか、故郷が近くて里心がついたんじゃないか・・・とか。そう思う度にビクトールの胸は激しく痛む。フリックの事が心配で心配で仕様がなかった。何をするにもフリックの事が頭を掠める―――。むしゃくしゃする時にはこれに限る、と夜の街へ繰り出し、商売女を買おうとしたが、そんな時ですらフリックの事が浮かんでその気にはなれない程だった。そう、そしてなにより一番ビクトールを困らせたのは、夜だったのだ。自室のベッドで休もうとすると、必ず決まってフリックを思い出す。ただ思い出すのではなくて・・・そのフリックはとても・・・艶かしかった。そしてその度に、空想のフリックに自身を反応させてビクトールは狼狽した。それでも仕方なく処理しようとすれば、そのフリックを犯す事ばかり考えてしまう―――さすがに、そんな日々を幾日か過ごしていると、ビクトールは自分がおかしいと気付き始めていた。フリックの事を友人としてではなく、求めているのだ、と・・・。 「一番強い奴、くれ―――」 ビクトールはカウンター越しに片付けをしているレオナに言った。ひどく声が沈んでいる。レオナが顔を上げると、そこには覇気の欠片も無いビクトールの姿が目に入って来た。もう、かなり遅い時間で食堂には他に誰もいない。数時間前までは酒豪達で賑わっていただろう空間にカウンターだけが浮かび上がっていた。食器を洗いながら、レオナは返す。 「嫁さんが出掛けてるからって、荒れてんじゃないよ。」 「あぁん?嫁さん?」 そんなのいたか?とビクトールは頭を掻きながら椅子に腰掛けた。 「フリックって名前じゃなかったかい?」 「ああ?何、馬鹿言ってやがる・・・あいつとは、そんなんじゃねぇよ・・・」 何時もなら、笑って済ますレオナの軽口にも、つい過剰に反応してしまう。フリックを意識している証拠だが、本人はまだそれに気付いていない。 「―――あんた達、本当そーいう事に関しては、無駄に年喰ってるんだねぇ・・・」 ため息をついてレオナは手を止め、ビクトールに酒とつまみを出す。ビクトールは出されたそれを一気に飲み込んだ。自分でも解ってはいた。この数日考えてみると、答えは一つにしかならないのだから。ただ、その答えを認めたくはないというだけで。 「自分でも、自分が解らねぇって事・・・あるもんだよな・・・」 独り呟いて遠くに目をやるビクトールにレオナは2杯目を注いでやる。レオナはこういう事に聡い。そうでなければ、飲み屋の女将なんかやってられやしない。 「自分じゃどうしようもないのが、恋ってものじゃ、ないのかい?」 「恋ぃ?!おかしな事言ってくれんじゃねぇよ・・・」 「何がおかしなもんかい。人が人に惚れるってういう事の、どこがおかしいんだい?!」 「・・・・・・」 レオナの剣幕に押されながらもビクトールはその言葉に感動した。そのはっきりとした口調には何の蔑みもなく、ビクトールはレオナの思いやりと励ましを感じ、何だか力が込み上げて来るように感じた。 「はっはっはっ・・・解ったよ、降参するぜ。あんたにゃホントかなわねぇな。」 「当り前さね。伊達に年くっちゃないよ。」 手を挙げて笑って誤る姿に、いつものビクトールを見出してレオナはにっこりと笑ってからキセルをふかした。 さて、隔してフリックへの想いを肯定する事にしたものの、これからどうすればいいのか―――?フリックが応えてくれるとは、到底思えなかった。ここに砦を構えるまでは二人で旅をして(フリックは死にかけるし・・・昔の仲間とははぐれさすし・・・奴にはいい迷惑だったかもしれないが)、お互い背中を預ける事が出来るくらいの絆は、築いて来たつもりではある。告白してその絆を断ってしまうというのは、かなり嫌だった。しかし、今ですらこんな状況でフリックに会ってしまったら・・・自分を押さえる自信があまり無い。ビクトールはやっぱり堂々巡りになる悩みを解決できずに、後10日ばかりを過ごしていたのである。 そして、フリックは帰ってきた―――。 しかし、フリックがビクトールを見て、最初に言った言葉は 「疲れたから、寝る。」 だった。この1ヶ月間、ビクトールはフリックの事ばかり考えて過ごしていたというのに、当のフリックは全然そんな風ではないらしい。ビクトールは怒りとも、悲しみとも、寂しさともつかない気分でその言葉を聞いた。しかし、心を落ち着かせて良くフリックを見れば、確かにとても疲れて居る様だった。仕事が終わって、直ぐ此処に帰ってきたんだと思うと今度は、嬉しさが込み上げてきた。そんな風にビクトールはフリックの一挙一足踏に一喜一憂して、昨日に至ったという訳だ。 「おう!フリック。ここにいたか。」 執務室のドアを開けて、その人に気付くとビクトールは声を上げた。大きな窓から光が差し込んで、きらきらしている。その光を背に受けながら机に向かって何か書き物をしていたフリックが、手を止めて顔を向ける。 「何だ?何か用か?」 「ああ。ちょっと・・・ベランダに出ねぇか?」 「ベランダ?」 何か企んでいる顔でにやりと笑うビクトールにフリックは警戒して眉を顰めた。乗り気でないフリックの反応に、ビクトールが机の前に陣取って手をついた。近付いてきた彼の頬に自分の付けた跡を見取って、原因となった出来事を思い出したフリックが赤い顔をして俯いた。今朝―――二人は同じベッドで(何もなかったのだが)目覚めた。逃げ出さなかったフリックに気を良くしたビクトールは、『早く起きろ』と言うフリックに抱きついて『今日は二人だけで過ごそう』などと抜かしたものだから、キレたフリックにはたかれたのだった。 「お前に、見せてぇもんがあるんだ。」 「見せたい・・・もの?」 「おぉよ!ほら、早くこいよっ。」 痺れを切らしてフリックを椅子から引き摺り出したビクトールは、どたどたと部屋を後にした。連れ出されたフリックには何が何だか解らない。ベランダなんかに何があるというのだろう?目的の場所へついた所で、てっきり下を覗くのだろうと思っていたのに、ぐいっと肩を回され上を向かされた。 「あっ!・・・これは・・・」 「いいだろ?お前をびっくりさせようと思ってよ!」 嬉しそうにビクトールがフリックの顔を覗いた。そこには―――緑の旗が掲げてあった。熊?の絵がピックアップされている様な絵だ・・・ 「あれ、お前がモデルなのか・・・?」 フリックは呆然として、その熊・・・もとい、ビクトールの方を見た。それに得意げにビクトールが答えた。 「判るか?獅子の様に逞しく・・・ってカンジを出そうと思ってよ、俺が描いたんだ。でも道具家のおやじやポールなんかは、何度もやめとけとか言いやがってよぉ。」 獅子?!もしかしてあの黄色いのはたてがみか・・・?確かにやめとけと言われるだろう・・・。 「あぁ・・・驚かされたよ・・・お前の絵の腕前には、な。」 「はっはっはっ、惚れ直すなよ、フリック。」 ばんばんとフリックの背中を叩いてビクトールは至極ご満悦だ。フリックの遠まわしな嫌味にはビクともしない。まぁ、今日のビクトールでは目の前で悪口を言っても笑っていたかもしれないが。げんなりしたフリックが、ふと思いついて口を割った。 「こんなもの、何時の間に用意してたんだ?」 「ん?あぁ、お前がいない時に注文して・・・一昨日の晩取りに行ってたんだ。んで、昨日ポールと一緒にあそこに貼っつけたって訳だ。」 「一昨日・・・逃げた訳じゃなかったのか・・・」 「あぁ?何だって?!」 「いや、何でもないっ・・・」 口喧嘩をした日の夜、ビクトールの姿がなかったのはこういう訳だったと知り、逃げたとばかり思い込んでいたフリックは自分を恥じた。ビクトールの方が見られなくてフリックは又、その旗を見上げた。窓と窓との間に丁度都合よく収まったそれが、そよそよと吹く風で少しだけ揺れている。その風が気持ちいい。よくよく見ると、その熊・・・じゃなくて獅子はとてもビクトールに似ていて、可笑しくなったフリックはちょっと笑ってしまった。その横顔をビクトールは嬉々として見詰めた。 今思えば―――これまで誰かをこんなに好きになった事はなかった。ネクロードに村を全滅された時に死んだディジーは家族の様に愛していたし、この砦を世話してくれたアナベルとは結局立場もあって飲み友達になってしまった。それ以降は復讐の旅に女連れという訳にもいかず、誰かに本気になる事はなかった。なれなかったと言うべきか―――?そんな自分が今、夜も眠れぬ程の本気の恋をしようとは・・・しかも、男に惚れるなんて夢にも思いはしなかったが。 初恋は実らない―――というけれど、自分は運がいい。絶対実らしてみせさせる、と今ならそう思える。それも昨夜のフリックの告白があったからこそ―――なのだけれど。 『側にいられないなら、ビクトールの恋がうまくいかなければいい。』―――それは、鈍いフリックにしては上等な愛の告白だったと、ビクトールはそう思っている。あんな風に泣きながら言われる前に、自分から言うべきだったとも思ってはいるが。 「なあ、フリック。」 その肩を引き寄せ、頬に触れるだけのキスをした。 「馬鹿っ、よせよっ!誰かに見られたらどーすんだっっ。」 「下からじゃ見えねぇよ。」 引き剥がそうとするフリックを更に抱き込んで、ビクトールはキスの雨を降らせた。頬に、おでこに、鼻に、唇に―――。フリックは赤くなって固まったまま所在無く突っ立っている。ビクトールはちょっと考え込んでから、口を開いた。 「・・・実はな、昨夜遅くなったのはあれを準備してただけじゃなくて・・・わざと、なんだ。」 「?・・・わざと?」 目線を外して何か恥ずかしそうにしているビクトールをフリックは訝しげに覗いた。 「お前、部屋で飲もうとか言いやがってよ・・・」 そういえばビクトールに話を持ち掛けた時、迷惑そうな顔をしていたっけ―――フリックは昨日の事を思い出した。 「んな夜に二人っきりで、酒も入っちまったら・・・やばいと思ってよぉ。」 「やばい?」 鈍感なフリックはまだ気付かない。ビクトールは困った様に笑ってから、フリックをぎゅっと抱きしめた。 「襲っちまうと、思ったんだよ。」 「――――――」 襲う、とは・・・やはりそーいう意味でか?男と女の、いや、女じゃないけど・・・あれ、か?フリックの頭の中は一瞬真っ白になったが、その後目まぐるしい勢いでビクトールの言葉を理解しようと働いた。 「えええぇ?!――――おっ、俺をか?じょ、冗談だろ?」 「冗談なもんか。お前の事好きだっつったろ。」 やっぱりそれしか思いつかなかったフリックがびっくりして叫ぶ。ビクトールは更にぎゅうぎゅう抱きしめてフリックの耳元に囁いた。 「今から、襲ってもいいか?」 「わーーーー!!馬鹿っ、離っ――――?!」 暴れるフリックの頭を掴んで、自分の肩口に押し付ける。目の前にある彼の耳が真っ赤になってるのを見たビクトールは、その耳朶を軽く甘噛みした。途端にびくっと硬直するフックに笑いが堪えきれない。 「はっはっはっ!お前、すっげカワイイ。」 襲う気なんて更々ないのだが、こうも可愛いとつい、苛めたくなるもんだよなぁ?―――ビクトールは楽しくて楽しくて仕方なかった。可愛い、愛しい、大好き、そんな気持ちでいられる自分に少し驚きながらも、ビクトールは幸せをかみ締めていた。 数分後、からかわれているとやっと気付いたフリックは、嬉しそうに自分を抱いている男の足を、踏んずけてやる事ぐらいしか仕返し出来なかった。 またしても続く・・・ 2001.03.27 |
・・・すみません。全然話が進んで無いですね・・・前話の補足ってカンジですかね・・・ あんまりなので、更に続けようかと思っているのですが、どこまで書こうかな?と。 やっぱり、×××する迄でしょうか?でも、この話のビクトールって手を出しそうで出さない人だからなぁ・・ |
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