song



旅の連れの男が、先ほどから歌を口ずさんでいる。


旅の連れの男が、先ほどから歌を口ずさんでいる。



仰ぎ見る空は高く、そして目を細めるほどに眩い。
切れ切れに浮かぶ雲の色は、光に漂白でもされたかのように真っ白だ。
風は時折、自分の髪やバンダナの裾をふわりと揺らめかす程度に吹く。

それ以外には特に思いつくこともない、今日はそんな寧日だった。


自分は馬車の荷台に足を投げ出し、ぼんやりと空を見上げている。
連れの男は御台に腰を落ち着けたまま、なおざりに手綱を手にしている。
ここからの位置だと黄色いシャツの背中が、まるで小山のように見える。




二人でのんびりと荷馬車に乗ることもある。 行く宛も決まらないこの旅を続けて、それなりの時間が経っただろうか。
目的がないのをいいことに、実に気ままに日々を過ごす。
行きたいと思ったところへ向かい、やりたいと思ったことをする。
たまに、旅を続けるための路銀を稼ぐ。
ただし、仕事と言っても剣を握るばかりではない。
例えばこのように、二人でのんびりと荷馬車に乗ることもある。

隣町に住む親戚の家まで行かねばならないのだ、と腰を痛めた夫とその妻から頼まれごとをされたのは昨夜のことだ。
荷台に一杯の野菜や何やらを届ける約束になっていたのだ、と語った農家の夫婦の悩み事とは、こんな素朴でささやかなものだった。
距離にして一日かかるという町まで出かけ、そしてまた戻ってくるという依頼の報酬は、夫婦と親戚の家にそれぞれ食事付きの宿一泊。
そして、戻ってくるまでに作ってやると妻が請け合ってくれた何日か分の携帯食、オマケに一壺の酒。

――全くもって、悪くない。
仕事と報酬のどちらもが、こんなに釣り合っている例はなかなかない。

つまるところ今夜の宿を求めるため、明日からの食事を求めるために自分たちは荷馬車に揺られているのだ。
こういう旅もまた、悪くはないと自分は思う。
思えるようになっている。

そんな自分もまた悪くない。

馬ではなく驢馬が引くこの荷馬車は、ろくな速度も出やしなかった。
もっともこの街道筋では、野盗や山賊はおろか、モンスターの出る気配すらもない。
急ぐ理由が何もないこの仕事に見合った、何とものんびりとした道程だ。




身につけた剣を抜くきっかけもなく、荷台に積まれたジャガイモやニンジンの袋の合間に自分は半ば寝転んでいる。
御台に座っている男は心地よさげに歌っている。
そんなことができるくらいに、今どちらもが退屈な平穏のただ中にある。


自分は何かを言うこともなく、男も話を振ってはこない。
もしかしたらこちらが眠っているとでも思っているのかもしれない。
振り返ることもない男は、前を向いたままのどかに歌い続けている。

振り返ることもない男は、前を向いたままのどかに歌い続けている



何の会話もなく、ただ歌が続いている。
この男が時折口にするこれは、自分のあまり知らない歌だ。
繰り返し聴いているはずだが旋律はうろ覚えで、歌詞は全く。
何という題名なのかもやはり知らない。


けれど、それを自分の恋人がかつてよく口ずさんでいたことはしっかりと憶えている。


彼女の恋人はと言われれば確かに自分であるはずなのだが、話し相手としてならばそれは自分ではなくこの男であったかと思う。
率いていた組織に関係する重要事から、ただの雑談から、彼女はよくこの男と一緒に語らっていた。

だからだろう。
この歌を自分ではなく、この男が歌えるようになっているのは。
こんな日に似つかわしい、ゆったりとした節回しだ。
ゆるりと風が巡るように、音を伴う声は自分を柔らかく撫でている。

ただし、聴いている自分の気持ちまでが柔らかくなるかと言えば、そうではない。
彼女に関わることを自分ではなく、この男が受け継いでいる。

――何とも腹立たしく、理不尽なこの現実。
何よりも、男に合わせて歌うこともできない自分のこの不器用さ。

胸の中に湧き上がるこのもやもやを振り払うように、ごろりと荷台に転がる。
目で確かめた訳ではないが、男が笑った気配が伝わった。
だが、次にからかいの言葉がやってくるわけでもない。
視線を感じなかったところをみると、振り返った訳でもないのだろう。
男は変わらない姿勢のままで、歌もやはりまだ続いている。


自分の奥底から感じる何かは、じんわりとその染みを広げていく。
多分、もはや止めようもないのだ。
自分は寝転がったまま、諦めの溜め息を吐いてみる。
この曲に触発されたように、腹か胸のどこかがじくじくと疼き出している。
自分やこの男に対する苛立ちというだけならきっと、こんなことは生まれはしない。
むず痒さにも似たそれはきっと、甘さとか切なさと言うのだろう。
良くある話だ、と密やかに呟く。

何かが何かの記憶と結びつき、それに出会ったときにかつてをふと思い出していくと言うのは
そして思い出とは大抵が、こんな風に甘やかで悲しみに似た懐かしさを感じさせるものなのだ。


自分の場合、この曲を聞けば自然と彼女を思い出す。

歌っている時の彼女の顔や仕草、髪や目の色、歌う前とあとの様子がこんこんと溢れ出してくる。


歌っている時の彼女の顔や仕草、髪や目の色、歌う前とあとの様子がこんこんと溢れ出してくる。

今はもう会えない、けれど今も会いたいと願う彼女の姿が、この歌のようにすぐ傍らに寄り添う。



だからだ、と口の中で続けて呟く。


だからこんなにも気持ちが揺れているのだ。
この男の声などに、いつまでも耳を傾けているのだ。


決して今はもう、彼女の声で歌われる曲ではないのに。
男が歌うかつての曲を、以前よりずっと真面目に聴いている。





決して美声でも何でもない、むさくるしい大男の歌は続いている。
この歌に導かれるまま、心にはぷくぷくと泡のように何かが浮かぶ。
それか決して、かつてのことだけではない。
彼女だけの、ことじゃない。
自分の恋人であった彼女は、自分だけのものではなかった。
自分と同じように他の様々なものたちもまた、彼女を切実に必要としていた。
そして彼女は、それら全ての中に散った。
彼女という一個の人間は消え、その欠片はあちこちにばらまかれていった。
例えば戦いが終わったこの世界とか。
こんな暢気な依頼を傭兵にもちかける農村の夫婦とか、走らせれば壊れてしまいそうな荷台とか、よく手入れされている驢馬の毛艶とか。
いつの間にか道連れになり、未だに自分と別れるつもりもないらしい、この男とか。
彼女を思えば、それは彼女だけの姿には留まらない。
彼女が願っていたもの、当時は思いもしなかったものが、一緒になってこの周りにある。


この歌に。
荷馬車の揺れに。
見上げる空の色に、光に。

この男の背に、自分は何かを今感じている。


この男の背に、自分は何かを今感じている。


例えば彼女への尽きぬ愛しさ、新しく産まれた国への愛着。
自分に出来たことと出来なかったこと、それらに対する誇りと後悔。
かつてへの憧憬。
これからへの期待と不安。
――そして、この男に対する自分の気持ちの移り変わり。


数え切れないものがこの歌のように、自分から離れずにあり続ける。

打ち寄せてくる。
迫ってくる。

振り払うこともできぬまま、胸の内で迫り上がっていく。
抱き締めることのできないまま、身の内を一杯に満たしていく。





「――、っ」

見上げる空が眩しいと思った。



見上げる空が眩しいと思った。








腕を上げ、肘で目元を覆ってみる。
そのまま目を逸らして、自分の傍らを見つめてみる。
振り返らない男の背は、ただ眠たげに見える。



わざわざ起き出すつもりはなかった。
少しだけ上体を持ち上げ、身体の角度を変えただけだ。

自分よりも幅の広いこの背に、頭を預ける。

自分よりも幅の広いこの背に、頭を預ける。
もっともそれは勢い余って、ほとんどぶつかるようになった。
痛、と思わず声が口からこぼれる。
「――」
男の歌も一瞬途切れる。
さすがにこれを荷馬車の振動と勘違いすることはなかったらしい。
「おい――」
「止めるな」
フリック、と名を呼びかける声を押しとどめる。
「止めんな馬鹿」


俺はお前と話をしたいんじゃない。
話すことなど今はない。
話などしなくたって、いい。
剣を頼みに生きているはずの自分たちがこんなことをしているように、すぐ隣にいるからといって今は語り合わなくてもいい。


こんないい天気の中のんびりと、歌を口ずさむだけでいい。
巧いとはいえないこの歌に、ただ聴き入っているだけでいい。

「……歌えよ」

――この歌をまだ聴いていたい。
かつては彼女が歌った歌を、今はこの男が口にする歌を、この空の下で聴き続けたい。

「歌ってろよ。まだ続きがあるだろ」
「……何だ。静かだと思ってたら寝てたんじゃなくって、聴き惚れてたってか?」

だから今は振り向くな。
頼むから、今だけは振り向かないでくれ。
そのまま暢気に歌い続けろ。

「ああ。お前の下らない雑談に付き合ってるより、ずっといい」


今の自分は、この男の中に彼女を見ているのか。
彼女を通して、この男に触れているのか、分からないから。







「――歌えよ。なあ」


「――歌えよ。なあ」













背中越しの会話は、男が短く笑ってそれで終わりとなった。
へいへい、と呟き声が聞こえた様な気がする。

へいへい、と呟き声が聞こえた様な気がする。

それはこの穏やかな天気と同じように、とても優しげなものだった。



がたがた、と荷馬車の轍が刻む音に、やがて男の歌声が被る。
俺はそれを背中越しに、寝転がって聴いている。
思い出すものと感じるものの全てに浸されたまま、聴き続けている。

思い出すものと感じるものの全てに浸されたまま、聴き続けている。

歌はまだ続いている。
次に聴く時には、更に新しく感じる何かがあるのだろうか。






目的地はまだ遠い。

荷馬車は止まらず、そして急がずに進み続ける。



荷馬車は止まらず、そして急がずに進み続ける。


男はまだ歌い続けている。










20031012//先日出かけたライブにて、思いもかけずに聴けた曲に触発されました。




樹林コメント
えーと、
このお話の挿絵は全て樹林の勝手なイメージの具現化です!
製作前に有涼さんと打ち合わせ等は一切行っておりません。
なので、挿絵の表情がお話と完全にあっている訳ではないかと思われます。
(特にラストのフリックが泣いてるのとか…全くの妄想です)
有涼さんのサイトで先にお話を読まれてて、「こんなじゃない!」と思われましても、どうかご了承下さいまし…
でも、私は泣いてるように思ったのですから、仕方ないじゃないですか。
いえ、でも有涼さん本人からの苦情は受け付けますのでどうぞご遠慮なく仰って下さいまし…

有涼さんから「これからキリリク以外は全て樹林さまに(挿絵の)選択の権利をお譲りします」という大変有難くも光栄で畏れ多いお言葉を戴きました。
すごくすごくすごーく嬉しかったです!
有涼さんのお話は本当に情景が浮かび出て来て、挿絵を描きたい〜!と常々思っておりましたので!
いやしかし実際描いてみると凄く難しかったです。
こ、これで前言撤回とかにならなければ宜しいのですが…(涙)
有涼さん、遅くなってしまってすみませんでした(ほんとにな…)
宜しくお納め下さいますと幸いです。

(2003.12.19)


有涼さんのサイト




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