尾花(薄)

1.


ふむ、と目の前の光景に腕組みした。
本拠地の城、そこからそう遠くもない原で、自分には昔懐かしい場所でもある。
本拠地の城は自分の住んでいた村の跡地にある。
ただしあの場所は、この野原の眺めと違って、ただ懐かしい場所だとは言いがたい。
思い出すことが多すぎる。
風が吹いて、すすきの穂がざあと揺れた。
すすきの穂が示す先に、夕暮れの赤い光が見える。


その光景は子どもの頃に見たものとあまり変わらない。
ただ今の自分は、野原はいくら広いと言っても無限に続くのではないと知っているし、歩いても歩いても迷子になりそうに前が見えなかった頃と違って、すすきの穂は自分の腰のあたりにしか届かない。
しかし、自分はこんなところで何をしているんだろう、と思う頼りない心持ちは、あの時とあまり変わりない。

風に揺れる穂がたてる、波のような音に混ざって、乾いた草を踏む足音が近づいてくる。
振り返ると予想通り、青いマントの男が夕日に目を細めて立っている。
「何してる」
「ああ」
それじゃ返事になってない、と言い、隣に並びかけてふと足を止めた。
目線を追うと、手袋をしていない男の手指に、細く赤い筋が浮いている。
柔らかな穂と違い、葉は細く鋭い。ふとした拍子に人を傷つける。
自分のうかつさを悔やむように、男がちょっと口を尖らせた。
その手を取って、傷口に舌をのばす。人目がないときに限れば、男はこういう仕草に寛容だ。じっと自分を見つめて、少ししてから口を開いた。
「ホウアンが、」
「ホウアンが?」
何でこの場に若いが腕のいい医者の名前が出てきたものか。
「人間の口の中にはいろいろ雑菌があるから、清潔とは言いがたい、と言っていた」
つまりそんな真似をするな、ということだろうか。このまっすぐな男が回りくどい物言いをするのは珍しい。思いながらしぶしぶ手を離す。
「怪我はどこだ」
「うん?」
怪我をしたと聞いた、ホウアンにお前を医務室に連れてこいと言われた、と男が言う。
今日の戦闘に同行した誰かに、おせっかいがいたようだ。
「・・・大したこたねえよ。舐めときゃ治る」
「駄目だ」
人間の口の中には、と繰り返す。よほどの怪我でない限り、医者の助けを借りようとしないのは、自分もこの男も同じはずだが、今日はそう言い聞かされて負けたのだろう。
生真面目に医者に言われたままを繰り返すのがおかしい。
「帰ろう」
「おう」
少し足を引きずるのを見とがめて、男が眉を寄せた。
「お前は熊だけど、」
「ああ?」
「野生の熊じゃないんだから、怪我をしても人目を避けて逃げなくていい」
「ふむ」
肩を貸そうと寄ってくる男の言い分は、あながち的外れでもなかった。
一人旅をしていた以前の自分なら、怪我をすればその傷が癒えるまで、一人でじっとしているしかなかった。
その時の癖が抜けないのだ。

今は頼りない一人旅の途中ではないが、痛みや苦しみは人に見せるものではない。

誰かがいる場所では、笑っていなければならないような気がする。









「・・・ほんとに傷は
    大したことねえぞ」

「わかってる」
自分の身体を支え、拠地に向かって歩きながら男が言う。
「勝手に姿を消すな。お前がいなくなると、何だか知らないが俺が探しに来なきゃならなくなるんだ」
「ふむ」
まあそうだろう。この男の姿が見えないと、自分のところに問い合わせが来る。お互い様だ。
「 ・・・せめて行き先を誰かに言ってから消えろよ」
見つけるのが面倒だ、という。そのくせ男は驚くほど精確に自分を見つけ出すのだが。今のように。
「そうだな。俺がいないとお前も寂しいだろうしな」
いつものような熊とか莫迦とかの悪態は返って来なかった。
そういえば、戦闘から帰ってから、軍師に報告もせず、部屋にも戻らず、当然この男と顔を合わせもしなかった。
戦闘から帰った相棒が顔を見せず、誰かから怪我をしていたと聞かされたら、・・・あまり気分は良くなかっただろう。
男は固く唇をかんでいる。
「・・・すまねえな」
重いんだ莫迦、とようやく相棒が口を開く。
自分に寄り添う体温に、なるほど自分は一人ではないな、と思いながら、夕日に背を押されて城に戻った。





***




2.

本拠地から程近いところに、薄の原がある。
子どものころ良く遊んだ、と男が言っていた。
本拠地は、男の故郷の村があった場所にある。
村はもうない。

ずいぶん前に住人が死に絶えてしまったせいだ。


昨日の夕刻、戦闘に出ていた隊が帰ってきて、出迎えるでもなく階下に下りた。
隊を率いていたはずの、見なれた熊は見えなかった。つきあいの長い傭兵の一人が寄って来た。
「隊長、怪我をしましてね」
いや大したことはないって言ってましたが、とあわてて付け加える。
自分の顔にどんな表情が浮かんだというのだろう。
「…本人がそう言うなら、大したことはないんだろう」
「医務室に行ってくださいよって言ったんですが、……姿が見えなくなっちまって」
「そうか」
もし見つけたら、俺が様子を見て連れて行くことにする、と言うと、男はほっと息をついた。
「じゃあ頼みますよ」
「どうせ酒場にでもいるんだろうが・・・」
「だといいんですが」
言って、顔見知りの男は忙しそうに立ち去った。
傭兵稼業なら大抵の傷は見慣れている。その男が治療の必要があると言うなら、それなりの深手に違いない。
出迎えの人ごみを抜けて、医務室を覗いた。普段は静かで清潔な部屋に、地と泥の匂いがする。
手伝いの少年が気づいて用を聞きに来た。
「どうしました?」
「ビクトールは来たか?」
「怪我をされたんですか」
「そうらしいんだが……」
「まだ、いらしてません」
少年の表情が曇る。この少年もあの熊とは顔見知りだ。
「それでは首に縄をつけてでも連れてきてください」
処置をする手を止めずに、若いが腕の良い医師が言う。
「何でも『なめときゃなおる』で済ませたいようですが、人間の舌には意外と雑菌が多いものですから。思わぬ悪化を招きますよ」
「……」
そんなことを言われても、答えに困る。ホウアンが顔を上げた。
「それに、あまり、ご自分の体を大事に扱う方ではないようですから」
「……そうだな」
一緒に旅をしていたときもそうだったが、最近特にそう感じる。
あの吸血鬼を打ち倒して、故郷の仇を討ってから。
「あなたも人のことは言えませんが…」
「また来る」
忙しそうな医務室を後にした。



部屋に戻った形跡はなかった。姿を見なかったか聞いて回ると、何人かめで城外に出ていったようだ、と聞かされた。
厄介な奴だ。
怪我をしたというなら、おとなしく治療を受けて、部屋に戻れば良いものを。
妙に腹立たしい気分で、当てもなく城外に出た。
遠くには行かないだろう。
あるいは行けないだろう。
そう思った先、薄の広がる野原に、広い背中を見つけた。
夕焼けの中に何をするでもなく立っている。
声をかける前に気づいて、こちらにふりかえる。
そばに近寄ろうとして、薄の細い葉で指を切った。
男が近づいてきて、手を取り、自分の不器用さを笑うでもなく傷口を舐める。
軽く足を引きずっている。戦闘で傷を負った場所が知れた。
自分の深手を放り出して、些細な切り傷を気に留める男に腹が立った。
野生の熊じゃあるまいし、こんなところで何をしたって、傷が治るものか。
いまさらに謝る相手に肩を貸し、ひきずっていって医務室に放りこんだ。



そして今日も暮れかけて、一人で薄の原を眺める。
あれは医師の仕置きも兼ねていたのだろうか。傷口を手荒に何針か縫われた熊は、薬が効いて良く眠っていた。
昼過ぎに目を覚まして十二分に食事をし、日の高いうちから酒場に繰り出した。
一緒に行こうと言うのを断り、かといって怪我に悪いと留めもせず、好きにさせた。
男は不思議そうに自分を見てから、気を取り直した笑顔になって、酒場に出かけていった。もういつも通りに見えた。
そして自分は薄の原で、夕焼けの中に何をするでもなく立っている。












昨日あの男はどんな思いで、
     この薄の原を夕日を
            眺めていたのだろう。


傷の痛みも、乾かない血も放り出して。

怪我をした男が向かったのは、自分が待つ場所ではなかった。
仕方がないと思う。
あの男は一人で、行きたいところに行き、生きたいように生きるだろう。
今は自分が相棒の腐れ縁のと言われてそばにいるが、それがいつまで続くものかはわからない。
隣にあると思っている今でさえ、男は懐かしい薄の原にくつろぎ、薄の原は男を自分の知らない場所へ連れていく。
連れ戻すことはできない。自分にはどうしようもないことかもしれない、と思う。
いつかあの真の紋章が、あの男と自分の生を少しばかり違うものにしていくように。



「どうした」
風の音に混ざって男の声がした。振り返った先に男がいる。
「昨日と逆だな」
「杖はどうした」
傷がふさがるまで使え、と医師に言われたはずだ。
「めんどくせえよあんなもん」
「……」
医師の言うように、この男は自分の身を粗雑に扱う。それはなぜか自分の気持ちを沈ませる。
生きながらえて共にいることさえ、粗雑に扱われるような。
「……そんな顔しなくたっていいだろ」
どんな顔をしているというのだろう。
ほんとに大したことねえんだって、と男は口を尖らせている。
でかいなりをして、叱られた子どものような顔をする。
思わず笑うと、男も笑う。
「何で笑うんだよ」
「お前がおかしな顔をするから」
俺の顔のどこがおかしいんだ、と男が笑う。
男が自分の表情を映しとるならば、自分は笑っていようと思う。
今だけ、わずかな間だけでも。
薄の原はまぶしく金色に揺れる。

笑みを作るのは、少し難しかった。

ふとした拍子に男を見失うような気がして、その中で笑みを作るのは、少し難しかった。




樹林コメント
かいほさん、つつがなく2つとも戴かせて貰いました!
ありがとやんしたー
そしてまた絵本ちっくに…今回はテーブルなど使ってみました。
色々、勝手に想像して挿絵描いてしまってますんで、違ってたらすみませんです…


(2004.11.21)


海保さんのサイト




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