自分は多分情けない顔をしたのだろう。 男が笑った。すぐに背を向けて走り出す。 自分もすぐに馬を走らせた。男の走り出したのと反対の方向へ。 馬車の中では小商いをしてあるく商人の夫婦が震えている。 少し振り返ると、深い森と暗い夜に広い背中が消えていった。
この先はよく盗賊が出る。そう聞きつけた商人の夫婦が荷物の護衛を捜していた。 荷馬車は2つあったので自分とビクトールの他に2人、傭兵が雇われた。 このあたりの道に詳しいというその2人が強く主張したので、森を抜ける道へ向かった。近道だという。 自分達は夫婦者と前の馬車に乗り、雇われの御者とあとの2人が後ろからついてきた。 森に入ったあたりから手綱を握ったビクトールが、急に馬車の速度を上げた。 「後ろの馬車が見えなくなったぞ」 「ああ」 「少し速すぎるんじゃないのか?」 「ああ」 返事はするが速度を落とすわけではない。 理由はすぐにわかった。 囲まれている。 悲鳴の類は聞こえなかった。後ろの馬車についた2人は盗賊の仲間だったのだろうか。獲物を森に誘い込むための。たちが悪い。 「10人、くらいかな」 「ああ」 自分とビクトール相手にたった10人で何ができるというのだろう。油断するわけではないが。頭も悪い。 ひゅう、と音がして、馬がいなないて倒れた。矢が突き立っている。馬車が不自然に止まった。 命が惜しかったらおとなしくしろ、という決まり文句もなかった。荷物にしか用がないということだろう。全くたちが悪い。 ビクトールが荷台の夫婦に大丈夫だ、と言って剣を抜いた。 自分も剣を抜いて馬車の後ろに回った。
「この道が近道だってえのは、あながち嘘でもなさそうだな」 死んだ馬の代わりに盗賊の乗っていた馬を馬車につなぎながら、ビクトールが言った。 木々のすきまから森を抜けた先に明かりが見える。次の町のものだろう。 地面に数人の人影がのびている。 これで全員てこたあないだろうし、できればもう一台の荷も取り返したいところだな、と言う。 「・・・そうだな」 自分は少し息が切れている。ビクトールは平気な顔をしている。 「荷物取り戻せたら報酬上乗せしてくれよ」 調子の良いことを言う。しかしその言葉に、すくんでいた商人夫婦が少し笑顔を見せた。 「さて」 行くか、と男が立ち上がった。 自分も行こうとすると、首を振って見せた。 「お前は一緒に先に行ってろ」 「何で」 「先回りして待ち伏せしてるかもしれないだろ」 「・・・」 「まずは無事に町まで送ってけ。まあすぐ追いつくと思うけどな」 わかった、と言う前にいくつか蹄の音が聞こえてきた。商人の顔がまたこわばった。 「恋人に別れの口づけとかしてる場合じゃないな」 男が剣を持ち直した。 「莫迦」 最後の一言が耳に届いたかはわからない。男は笑って背を向けた。
残った荷と商人夫婦は無事に次の町まで送り届けた。 馬だけ借りて引き返す。 道の途中ではビクトールに会わなかった。 森についた。静まり返っている。 念のために布を噛ませて、馬を手近の木につないだ。 誰もいない、ように見える。 少し足を早めた。男と別れた場所に出た。転がっている体の中にビクトールのものはなかった。 さらに進むと馬車が見えた。馬が所在なげに立ちつくしている。 荷は無事だ。商人が雇った御者は地面に倒れて息をしていなかった。他には誰もいない。 暗い。何も見えない。ビクトールはいない。 「ビクトール」 わずかな風が木を揺らした。雲が流れて一瞬月が隠れた。手近の枝を拾って火をつけた。 「ビクトール」 返事がない。また風が吹いて木々のすきまに弱い月の光が落ちた。 暗くて良く見えない。まさかそんなはずはない。 何かの気配が動いた。剣を持っている。しかしビクトールではなかった。 考えるより先に紋章の力を使った。雷が落ちて人影が倒れた。 何人か、生き残っているようだ。 何も考えずに紋章の力で倒していった。雷が落ちるたびに周囲が一瞬明るくなる。でもビクトールはいない。 そんな莫迦な。
森を歩き尽くして馬車のあった場所に戻った。 疲れた。 膝をついた。 ビクトールがいない。 大した相手ではなかったはずだ。何を油断したものか。 どこか道の途中で行き違ってしまったのだろうか。それなら荷馬車がまだここにあるのはおかしい。 どうして。 「ビクトール・・・」 視線が地面に落ちた。 旅をして、仕事をみつけて、次の町について、また旅が続く。いつものことだ。 そのはずだったのに。 今自分は一人だ。 こんなのは嫌だ。 「・・・ビクトール」 返事を期待せずに呼んだ。声がした。 「フリック」 顔を上げると熊が巣穴から顔を出している。 違った。
地面に膝をついた自分のさらに下に、男の顔があった。
「・・・ビクトール?」
「手え貸してくれや」
「どうして地面から生えてるんだ?」
「あいつらほんとに姑息だな」
落とし穴、掘ってやがった、と言う。先刻は馬車の陰で見えなかったようだ。
「お前も落ちなくて良かったな」
運が悪いの俺にうつったかな、と言ってわざとらしいため息をつく。
「・・・自分で出てこいよ」
「落っこちた時足くじいた」
「莫迦熊」
仕方なく手を伸ばすと強い力で掴まれた。
「重いぞ肥満熊」
「お前が非力なんだろ」
引き上げて地面に座り込んだ。
「足見せろ」
「ああ?大したこたあねえよ」
「じゃあ早く出てくればいいだろうが!」
「怒るなよ」
「何へらへら笑ってる!」
「はいはい」
軽く足を引いて御者台に上る。
「何がおかしい!」
熊がこちらに手を伸ばしながら言った。
「さっき泣きべそかきながら森中雷落として回ってる奴がいてなあ」
「・・・・・・」
「なかなかかわいかったぞ」
「・・・・・・」
手は無視して御者台に上った。手綱を掴んでいない方の手が、懲りずに伸びてきて自分の手を掴んだ。
「俺は頑丈にできてるから、そんなに心配しなくていいぞ」
安心したか、と掴んだ手が強く握られる。
「誰が心配なんか・・・」
「あーあ。お前ががんがん雷なんか落とすから馬がおびえて走らねえじゃねえか」
「ならお前が引け」
「無茶言うなよ」
「森の入り口に俺が乗ってきた馬が、」
「そんなに急がなくてもいいか」
荷物は無事だしな、と男が笑う。
この調子では町に着くまで随分かかるだろう。
馬を操るのが下手なくせに片手で済まそうとしている。
文句を言ってやろうとしてやめた。
旅は続く。
了
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