「心配だ。本当に大丈夫か?」 先ほどから何度も何度もマイクロトフがカミューに尋ねていた。 その顔は不安でいっぱいという感じがありありと出ている。 鏡の前で身支度を整えているカミューは、鏡越しにすでに用意の出来て上がっているマイクロトフに微笑んだ。 「マイク、大丈夫だよ。別にたいしたことじゃない」 「しかし…」 「おかしなヤツだな。お前が人前に立つわけではあるまい?」 「そうだが…」 マイクロトフは大きく息をつくと、どさりとソファに腰をおろした。 その日は年に一度のマチルダ騎士団の歓迎会となっていた。 歓迎会は新しく騎士団に入団した騎士見習たちを歓迎し、親睦を深めるために毎年催されている恒例の行事である。 白、赤、青、それぞれの騎士団が合同で夕食後に広間に集まり、上官も交えての大宴会となる。この日ばかりは少々羽目を外しても誰も何も言わないのである。むしろ、素面でいる方がその場の雰囲気にそぐわないと叱責を受けるくらいなのだ。 騎士団に入団したばかりで、まだ緊張の取れない見習たちの気持ちをほぐすことが目的であるため、この日は日頃見習たちを叱ってばかりの上官たちが出し物をしなければならないことになっている。近寄りがたいイメージを少しでも和らげることができれば、との考えである。 かといって、上官たちが全員出し物をするというわけにもいかないため、出し物をするのは毎年くじで一人決められるのだ。 今年、見事にその当たりを引いたのはカミューであった。 カミューは赤騎士団長になって以来、驚異的な強さで、この演芸係からは逃れていたのだが、そろそろ運も尽きたのか、今回は見事一発で引き当てたのだ。 「まぁ毎年毎年外ればかり引いていると、裏で何かあるんじゃないかと疑われるからね」 ちょうど良かったよ、と当たりくじを手にしたカミューは苦笑してそう言った。 しかし赤騎士団員たちは全員、カミューが演芸係など!と嘆いた。 カミューは新米団員たちのみならず、このマチルダ騎士団全員の憧れの的なのである。 その美しい容姿は言うに及ばず、優しげな雰囲気からは想像もできない剣の腕。穏やかな口調で誰もが舌を巻くほどの見事な戦略を立ててみせるその頭脳。 マチルダに入団してまず最初に誰もがカミューに憧れるのだ。 もっとも、そんな見かけの素晴らしさだけでなく、カミューのことを愛してる者もたくさんいる。 マチルダ入団時からカミューと付き合いのある者たちはみな、カミューが意外とそそっかしいことや、大雑把で面倒臭がりなこともよく知っていて、むしろそんな人間味溢れる部分を好ましく思っているのだ。 そして、さらにカミューのことを誰より深く知っている者が一名いる。 「マイク、カフスを留めてくれ」 カミューが右腕をマイクロトフへと差し出す。 マイクロトフは嫌な顔もせず、差し出された右腕の袖口にある、赤い石のついたカフスを留めてやる。左手で右袖のカフスを留めるのが苦手だなんて知るのはマイクロトフだけである。そして、それを堂々と恋人に留めさせる我儘な一面があることを知っているのもマイクロトフだけである。 「カミュー、本当に大丈夫だな?俺も一緒に…」 「くどいな、マイク。私はそんなに頼りなく見えるかい?」 「そういうわけではないが…」 今年、カミューは騎士団員たちの前で歌を歌うことになっていた。 出し物は何にするか、と問われて、しばらく考えていたカミューは「では、歌でも歌うか」とにっこりと笑って言ったのだ。 カミューが歌を歌うなんて誰も想像もしなかったのだ。 マイクロトフでさえ、カミューが歌うところなんて見たことがない。 その噂はあっという間に城中に広がり、カミューの歌は今日の歓迎会のメインイベントとなっていた。 マイクロトフはカミューが人前で緊張せずに歌えるのかどうか、1週間も前から心配していて、顔を合わせるたびに大丈夫か、と聞いてくるのだ。 さすがのカミューもいい加減うんざりしていた。 「マイク、私は音痴じゃないから安心しろ」 「そんな心配はしていない」 「人前で緊張するなんてことも、今まで一度もないし」 「それも分かっている」 「では何を心配しているんだい?」 「………いろいろだ」 その答えにカミューが吹き出す。 そして憮然とした表情のマイクロトフの隣へと腰を降ろした。 「ところでマイク、礼服がよく似合うな」 「俺よりもお前の方がよく似合っているぞ」 歓迎会では上官たちはみな礼服を着ることになっていた。 青騎士団長のマイクロトフはいつも着用している軍服ではなく、深い濃紺の礼服に身を包んでいた。あくまで儀式のためだけのその礼服は、袖口や襟元に白い絹糸で細やかな刺繍が施されていた。赤騎士団長のカミューが着ている深紅の礼服はさらに華やかで、お洒落なカミューは自ら礼服に似合うカフスやシャツを用意しているのだ。優雅で、貴族的なその礼服はカミューの美しさをさらに際立たせるもので、誰もがそんなカミューの姿に心を奪われるのだ。 マイクロトフは滅多に見ることのできない、礼服に身を包んだ恋人に目を細めた。 「綺麗だ、カミュー」 「何だい、いきなり」 「人前に出すのがもったいないな」 美しい恋人の姿を他人に見せるなんて、本当なら許せないところである。 マイクロトフは手を伸ばすとカミューの肩を抱き寄せた。何の抵抗もなく、カミューはその頬をマイクロトフの肩へと寄せた。 「カミュー、本当は緊張しているだろう?」 「……まだ大丈夫だよ。だけど、そうだな…いざ歌うとなると緊張するかもしれないな」 「では緊張を解くおまじないを教えてやろう」 「え?」 マイクロトフはゆったりと笑うと、カミューの耳元で何かを囁いた。 「……それがおまじないなのかい?」 カミューがおかしそうに笑う。 「だめか?」 「いや…効きそうだ。ありがとう」 くすくすと笑ってカミューはマイクロトフに口づけた。 歓迎会は例年になく賑やかだった。 無礼講というだけあって、みな遠慮なく酒を飲み、陽気に騒いだ。そして、これまたいつものごとく、カミューの周りは酒瓶を片手に酌に訪れる人で溢れ返っていた。 見習騎士たちは普段滅多に話すことのできないカミューと少しでも話したいらしく、そばを離れようとしないのだ。 「あれでは緊張する暇もないかな」 マイクロトフのつぶやきを部下の一人が聞き、微笑む。 「カミューさま、歌を歌われるんですよね。みんなそれを楽しみに今日の歓迎会に出ているようなものですからね」 誰もが注目している中で歌を歌うなどと、とてもマイクロトフにはできそうにない。そういう意味ではカミューはなかなかに豪胆なのかもしれない。 「あ、そろそろ時間ですよ」 カミューが舞台の前へと歩み出るのが見えた。 マイクロトフは広間の一番後ろの壁にもたれ、これから始まる恋人の出しものに内心はらはらしつつも目を凝らした。 大きな拍手で迎えられたカミューは優雅に一礼すると、何かを探すかのように視線を巡らせた。。どうやら探していたのはマイクロトフだったようで、カミューは広間の一番後ろにいたマイクロトフに気づくと、微かに微笑んだ。 カミューは小さく深呼吸をすると、そばに控えていた楽団の一人、バイオリンを持った男にうなづいてみせる。先ほどまでの騒がしさが嘘のように広間は静まり返っていた。誰もが舞台に立つカミューに注目をしている。これで緊張しない方がおかしい。 音楽が流れ始めると、カミューは顔を上げ、真っ直ぐにその視線をマイクロトフへと向けた。 まるで何かを語りかけるような視線に、マイクロトフはドキリとした。 カミューの唇が開き、よく通る声が広間に響く。 もともと高すぎず低すぎず、綺麗な声をしているカミューだが、こうして音楽に合わせて歌を歌うと、それはさらに際立つようで。誰もがうっとりとその声に聞き入っていた。 流れる音楽はあまり聞いたことのない旋律で、おそらくカミューが生まれたグラスランドの歌なのだろう。甘いメロディーはどこか切なくて、聞いている者の胸をしめつけた。 歌は…ラヴソングだった。 あなたに会いたい、と。 戦地へと赴いた今はいない恋人のことを想い、眠れない日々を過ごしているという情熱的な内容の歌で、歌っている間中、カミューは一度もマイクロトフから視線を外さなかった。 まるでマイクロトフへと語りかけているかのように、歌い上げる。 マイクロトフは気恥ずかしさに顔が赤くなったような気がして、思わず片手で口元を覆った。 「カミューのやつ…」 余計な心配などするのではなかった。 視線を外すこともできず、歌が終わるまで、マイクロトフは恨めしげに舞台に立つカミューを見つめ返していた。 歓迎会は盛況のうちに幕を下ろした。 カミューの歌は当然のことながら大好評で、いつもは人を誉めることなどしないゴルドーまでがカミューに声をかけるくらいだった。 「あ〜疲れた…」 深夜、やっと解放されて部屋に戻ったカミューはそのままどさりとベッドに大の字になった。 「カミュー服くらい脱げ」 「もう指一本動かせない」 次から次へと注がれる酒を、カミューは一度も断ることなく飲みつづけていたのだ。底なしに酒には強いカミューだが、さすがに限界が近いのだろう。 「仕方のないヤツだな」 マイクロトフがベッドに乗り上げ、カミューの礼服のボタンを外す。 「マイク、私の歌はどうだった?」 「……歌は…上手だった」 「歌は?他に何か問題でもあったかい?」 にやりと笑うカミューにマイクロトフは舌打ちする。 「お前、わざと俺の方を見て歌っていただろう」 「何だ、気づいてたのか」 「当たり前だ。おまけにあの歌の内容…聞いていて恥ずかしかったぞ」 あなたに会いたい、と。 あなたを想うだけで夜も眠れない、と。 今すぐそばに来て、抱きしめて欲しい、と。 そんなとんでもなく甘い歌をカミューはマイクロトフを見て歌ったのだ。 「うん、何の歌にしようかなといろいろ考えたんだけどね、本当はあの歌を歌うつもりではなかったんだよ。さすがにここで歌うには俗っぽいかなと思ったし」 「グラスランドの歌なのだろう?」 「そうだよ。何てことはない、ただの流行り歌だ。あの歌を歌おうって決めたのはね、歓迎会が始まるほんの少し前だったんだよ」 カミューは眠たそうに小さく欠伸をする。 「どうして歌を変えたのだ?」 「ん?だって、お前が言ったんじゃないか…」 もういいだろう?というようにカミューが潤んだ瞳でマイクロトフを見上げる。どうやらもう眠ってしまいたいらしい。マイクロトフが慌てて礼服を脱がせる。このまま眠って服が皺になれば、責任が自分にあっても不機嫌になるに違いない、と長年の付き合いで分かっているからだ。 薄いシャツ一枚になったカミューは呂律の回らない舌でマイクロトフに礼を言う。 「待て、カミュー、眠る前にどうして歌を変えたのか言え」 「ん〜?だからお前が…緊張しないおまじない…って」 マイクロトフは歓迎会が始まる前にカミューに言った言葉を思い出した。 『緊張しないように、歌を歌っている間は俺を見ておけ』 『それがおまじないなのかい?』 大勢の人間の顔を見ているよりは、自分だけを見ている方が緊張しないだろうと思っての言葉だったのだ。深い意味なんてなかったのに。 「だからね、どうせお前を見て歌うなら、お前に捧げる歌にしようと思って…あの歌にしたん…」 最後まで言葉を続けることができず、カミューは静かな寝息をたて始めた。 マイクロトフはやれやれとため息をついた。 余計な心配などするのではなかった。 あんな大勢の人の前で、堂々と恋人の顔だけを見て、甘い恋歌を歌い上げることができるくらい度胸があると知っていれば、あんなことは言わなかったのだ。 愛して止まない恋人には、まだまだ知らないことがたくさんあるようだ。 カミューと違い、自分は今夜はきっと眠れないだろう。 カミューの甘い歌声が、耳に残って離れないからだ。 そばにいて欲しいなどと歌っておきながら、さっさと一人先に眠ってしまうなんて、何とも冷たい恋人だ。 マイクロトフは安らかに眠る恋人をちょっと恨めしげに見ると、灯りを消し部屋を出て行った。 |
彩子さんコメント 「歓迎会って…どこぞの会社じゃあるまいし」という突っ込みはしちゃいやん(爆笑)ただカミューさまは声が綺麗で歌が上手いということが書きたかっただけです。相変わらずの馬鹿ップルぶり披露SSでございました(笑) こんな感じでいかがでしょうか?師匠! |
樹林コメント 1万HITの時はビクフリだったので、次は違うのをと思って「マチルダ時代の青赤」をお願いしました〜馬鹿ップル!最高に素敵です〜v 私的萌えシーンは、 1.カフスを留めて貰う所 2.歌ってる所 3.服を脱がせて貰う所 でした〜!! よく考えたら、この二人の方が腐れ縁より長い付き合いなんですよねぇ。なのに何故こうもラブっぷり爆裂なんでしょうか〜?(笑) 彩子さん、期待通りの甘甘なお話を有難う御座いました〜! |
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