満月の夜に降り立った悪魔がくれた天使の翼 By : 屋代 理記
満月の夜、きれいな円形をしている湖に影が降りる――。 用意するのは黒猫。胡桃が3つ、小鳥の羽が5枚。あとは水面にゆらゆら揺れて映っている月に呼びかけてやればいい。――彼の名前を。 そうすればすぐに水面が大きく揺れて、彼が姿を現してくれるから。
「何だ?フリック」 「すごいなぁ。やっぱり悪魔なんだぁ。おれの名前、分かっちゃうんだね」 少年は数えで15。教会に住んでいる、神(いやな)の匂いのする少年。 気まぐれから久しぶりに人間界からの喚び出しに応じてみたら、聖水の匂いをぷんぷんさせた少年だったなんて、なんてタイミングが悪いのだろう。 「望みは?フリック」 悪魔は自分の身体よりも一回り大きい翼をはためかせながら、盛大なため息を一つついた。 後悔しても仕方がない。召喚に応じてしまったのは自分だ。 悪魔は一度呪文に応じてしまった以上、召喚士(サモナー)の望みを聞くまで魔界には戻れないのだから。 ――ちっ、めんどくせえが、ここはこいつの願いをさっさとかなえて帰るしかねえな。 しかし、悪魔の思惑とは裏腹に、少年――フリックは悪魔の問いにすぐには答えを出さなかった。 「あんた何でもできるのか?」 …そう、聞いてきたのだ。実に真剣な瞳で。 悪魔は思わずフリックをまじまじと見た。彼が悪魔としてこの世に生を受けてから数百年。 その間、彼は数え切れない人間の欲望を叶えてきたが、こんなことを聞いてきた人間はフリックが初めてだったからだ。 ――この大悪魔・ビクトール様にこんな事を聞く人間がいるとはなあ…。 悪魔――ビクトールはいまだかつてない骨のある少年に興味を引かれていくのを覚えた。 ――おもしれえ人間だぜ…。 「おれにできないことがあるのか?」 ビクトールは今度は逆にフリックに聞き返した。それは自分の持つ力に自信を持っているからこそいえる言葉だ。 「なら、ちょうだい」 フリックは月明かりに薄く照らされてビクトールの顔を見つめた。2人から少し離れたところで木々がざわざわと内緒話をしている。フリックの蒼い瞳に映る自分の顔に悪魔はにやりと笑った。 二人の声が、重なる。 『おれに天使の翼をちょうだい』 少年は驚いた顔をしなかった。ただじっと黒い翼の持ち主を見つめる。怪しげな笑みを口元に刷いたのは黒い翼の悪魔・ビクトールだけだった。 「血みどろのスプラッタだぞ」 そうしてビクトール(悪魔)の声がフリックの耳に届かないうちに。彼の声がまだ空(くう)を漂っているうちに。 メリメリ、と嫌な音がして、フリックは背中に激痛を感じた。思わず声を上げようとしてキスで口をふさがれる。 「声を上げるなよ。おれの集中力をずらすな。おれの目を見ろよ」 皮膚の裂ける音が耳に痛い。それは卵の殻を割るように少年の背をつく。 まだ12歳の少年には感じたこともない痛みだった。普通の人間なら失神していてもおかしくないほどの激痛なのに、半泣きになりながらも、フリックは悪魔の黒い瞳を見つめていた。 ――ほお。なかなか根性あるな…。 ビクトールは彼の熱意に感嘆した。そして、何がこれほどまでに彼を支えているのかを知りたくなった。 悪魔はフリックに気付かれないように彼の額に唇を落とし、彼の記憶を読んだ。 フリックの記憶は悲しい出来事ばかりで満たされていた。 小さい頃に両親をなくして、彼は一人ぼっちになった。 その後、彼はオデッサと言う少女と出会い、幸せな毎日を過ごすが、彼女もつい最近死んでしまっている。孤独で、寂しくて、けれども頼れる人もいなかったフリック。 彼が悪魔を召喚してまで天使の翼を欲しがったのは、自分が天使になれば、今まで亡くした皆に会えるかもしれないというなんとも子供らしい理由によるものだったのだ。 ――なるほどな。そういうことならお前の願い、ちゃんと叶えてやらなきゃな。 ビクトールの口元が歪む。これは悪巧みを思いついたときの表情。 「さて、時にフリック、お前の願いを聞き入れたら、代わりにお前はおれに何を捧げる?」 悪魔の瞳が怪しく光った。 「か…わり……?」 対して問われたフリックは何を言われているか分からないと言った表情でビクトールを見つめている。 「そう『代わり』だ。悪魔は無償で願いを叶えるわけじゃない。悪魔に願った願い事には常に代償が必要なのさ」 「だいしょう…」 「さあ。お前はおれに何をくれるんだ?」 「おれは…自分の身体以外に何もないから…」 「…上出来だ」 そういっている間に鮮血が絡みつく。腕、背中、流れて足へ。それは朱(あか)の色のオブジェ。 「おれはお前をもらっていく」 フリックの耳元でそうつぶやいて。フリックが彼に目をやる前に。 ――黒く塗りつぶされた、それは天使(あくま)の黒い翼。
END
理記さんコメント なんかねえ(笑)。いきなり思いついて書いてしまいました(笑)。 この間設定画と一緒に送った天使フリと悪魔ビクのお話でございます。 悪魔なビクとフリをくっつけようとしたらこんな感じになってしまいました。 …こじつけと言う気がしなくもありませんが(笑)。しかしタイトル長すぎ…。