戦後の民主教育の結果

戦後の民主教育の結果

今の日本で一番愁うべきことは、知識人といわれる人々が、社会に貢献することの意義を強調しない事である。
社会に貢献とか、国家に忠誠を尽くす、という言葉を聞くと、生理的な嫌悪感を露にする事が進歩的な事だと勘違いしている事である。
そういう意識が根底にあるものだから、ボランテイアという事をことさら強調しなければならなくなるわけで、普通の人間が、弱者を見たら普通に親切心を示せば、それが普通の人間としての当然の行為である、という事を忘れている。
そして誰も彼もが、そういう人としての普通の行為を避けているものだから、学校で義務としてそれを教えなければならない、という発想になるのである。
自分達が、自分の子供に、躾としてそれを日常的に教えておけば、ことさらボランテイアを強調する事はないわけである。
この自分で「自分の子供に躾る」という行為をスポイルしておいて、それを学校で義務として教える、と云う事は一つの大いなる責任転嫁である。
本来、子の親として、子供に躾るべき事を、公教育の場でもってさせる、と云う事は、知識人としては言ってはならない事で、そこに知識人としての社会に対する貢献の意識が欠けている証拠である。
日本をリードして行くべき知識人ならば、国民に向かって、「自分の子供は自分で躾ましょう」と声を大にして叫んでこそ、知識人としての社会的貢献が生きてくると言うものである。
社会に貢献とか、国家に忠誠を尽くす、と言う事は右翼の専売特許でもなく、軍国主義の復活でもないわけで、日本が民主主義国として今後もあり続けるためには、必然的にそうならざるを得なくなる。
日本の青少年が荒れている、という事がマスコミで言われて久しいが、一部の青少年が不道徳な行為をしている事は事実に違いないが、大部分の若者は、曲がりなりにも精一杯生きていることも事実としてある。
ところが、マスコミの報道というのは、普通の子供が普通に生活していてはニュースにならないわけで、普通でない子供が、普通でない行為に走るからこそ、ニュースとして取り上げるのであって、全部が全部悪い事ばかりをしているわけではない。
そしてマスコミというのは、そういう普通でない子供を煽る事で飯を食っているわけで「狼が来る、狼が来る」と何時も何時も叫び続けていることが、マスコミとしての宿命でもあるわけである。
自分の子供を躾れないような知識人の言を、如何にもオピニオン・リーダーの振りをして、もっともらしく喧伝しているのである。
公教育を考えるとき、どうしても昔と今を比較してしまいがちであるが、もう昔のことは参考にはならない時期に来ている。
昔の事が参考にならないと言う事は、全く新しい道を模索しなければならないと言う事で、その意味からしても、私の公教育を極力小さくして、能力と意欲のあるものをどんどん引揚げる為の教育、というものに変えて行かなければならないと思う。
それと同時に、大学というものも、この狭い日本にそう沢山はいらない。
大学を出た者がスーパーの店員をしたり、車の運転をしたりするような世の中というのは可笑しいわけで、そんな事をするぐらいならば、高校だけでそういう職業についた方が嫌々大学に行くよりもよほど有効な人生が送れる。
それでいて学歴社会というのは歴然と残っているわけで、大学出が浜の真砂ほどいても、日本の企業社会における学歴偏重の気風というのは少しも改革されていないではないか。
それは何故かと問えば、今まで既に企業に入ってしまった人達が、社会的な貢献というものに背を向けて、自分一人だけが得をすればそれで由、という発想から抜け切れていないからである。
それが証拠に、日本の有名企業で、新人の採用に当たって、大学を逆指定しているではないか。
これは企業のエゴイズム意外のなにものでもない。
この企業のエゴイズムを継続させている人達というのは、いうまでもなく、日本で最も優秀といわれる大学を卒業して、そういう企業に入社した人達のなれの果ての姿である。
その事は、不思議な事に、日本でも最も優秀な大学を出た人達でも、教育の効果というのは、全くその後の人格形成に役立っていないということである。
高等教育で習得した知識というものは、企業のエゴイズム、乃至は個人としての利得のみに貢献しているということになる。
国立大学の安い学費で医者になったものが、独立開業して大金持ちになり、税金を誤魔化しているようなものである。
これでは社会に貢献するということにはならない。
企業には貢献していても、その企業の枠を取り外せば、ただただ高級を取る事にキュウキュウしていただけの事である。
日本の最も優秀な大学を出た人でさえこれだとすれば、その他の三流大学を出た人達ならば、なおさらのこと社会に対する貢献というものには縁遠い存在といわなければならない。
日本の戦後民主主義の中で一番悪い事は平等主義である。
何でもかんでも平等でなければならない、という発想は全く人間性を無視した発想で、これを唱える文化人、知識人、大学人というものには、鉄槌を加えなければいけない。
人としてこの世に生まれてきた人間は、一人として平等ではないわけで、一人一人に個性があるように、その生まれた環境、境遇、生い立ち、そして本人の持って生まれた能力というのは違うわけである。
最近声を大にして叫ばれている、個の確立、個性の尊重という風潮は、その掛け声と裏腹に、個の埋没を促しているようなものである。
個の確立、個性の尊重ということであれば、生まれてきた人間をそのままの、ありのままの姿で受け入れる、ということでなければならない。
と言う事は、確立された押し付け教育ではなく、多様な教育をしなければならないという事に他ならない。
革新的な教育を論じようとする人は、クラスの中の序列を排除しようとしているが、これはそもそも個の尊重ということの意味を履き違えているということである。
ある限られた児童を、限られた場所に集約して、均一な教育をしようとすれば、クラスを作って教える、という処置もやむをえない。
一人一人に一対一の教育するという事は、公教育の理想ではあるが、現実性に欠けている。
人間が或るまとまった数集中すれば、その中には当然、あらゆる物事に序列が出来るのは自然の摂理である。
算数の得意な子、かけっこの得意な子、工作の得意な子、本を読む事の好きな子、体操の上手な子、こういう多様性に富む子供をひとつにまとめてある一定の教科を教えなければならにとなれば、その中で飲み込みの早い子、理解の早い子、記憶力の良い子悪い子というのは当然いるわけで、それをそのまま受け入れながら、一定の基礎を満遍なく浸透させる事が公教育という物である。
教えた教科をどれだけ身に付けているかどうかを計る物差しがテスト、試験なわけで、テストをすると云う事は、極論すると、先生を評価するメジャーなわけである。
本来は、子供の知能を測るものではなく、先生がどれほど上手に教え込む事が出来たかどうか、を計るものでなければならない。
それを明治以降の日本の教育界では、子供の能力を測るものだ、という錯覚から抜けきれなかったので、こういうテストに対する嫌悪感が、革新的と称する人々の心を捉えたわけである。
戦後の民主主義の中での教育観というものは、初等教育というのは大方ほとんどの日本人が享受できているが、それを高等学校にも、大学にも、誰でも彼でもが入れ、尚且つ卒業出来る状況がベターだ、という観念から抜けきれていない。
そうする事が理想の実現である、と信じきっていた。
これは即ち、完全なる平等主義の具現化に他ならない。
だから可笑しな大学に入って、遊ぶ為の費用を稼ぐのにアルバイトをして、その金で海外旅行をしたりして、それこそ青春を謳しているわけであるが、これでは何のための大学か分ったものではない。
こういう大学を卒業した若者が企業に入ると、今度は企業の論理で行動するわけで、そこでは再び個性というものを犠牲にしなければならなくなるわけである。
そこでは個人としての欲望と、個人としての自由との葛藤があるわけで、自分の欲望を満たすにはリスクを背負わなければならないので、そのリスクに挑戦する勇気が問われるわけである。
純粋培養された学歴偏重主義の知的モヤシの人間は、当然、このリスクに尻ごみするが、野趣あふれる冒険家は、敢然とそのリスクに挑戦を試みるわけである。
昨今の社会現象の中で、民間企業の経営者の杜撰な経営の結果として会社を倒産させたような人というのは、ここで言う場合のリスクに挑戦する勇気の無かった人達である。
純粋培養の学歴偏重社会の中で、当り障りなく、自分の取り巻きや仲間に迎合して、何一つ革新的なアイデアを出すことなく、他人がひいたレールの上を試行錯誤することもなく、そのレールが地獄に向かっている事にも気が付かないまま、既存の枠を出ようとしなかったわけである。
これが戦後の日本の民主教育を受けた人の教育の結果であったわけである。

子供の問題は親の問題である

今、60歳の還暦を過ぎた私として、今の子供の不登校児童、登校拒否、学校に行きたがらない子供の存在というものがどうしても理解できない。
私にとっては、小学校の高学年から中学校の時期というのは、学校というところは心の拠り所、友達との楽しい会話や遊びの場で、家庭内でどんな嫌な事があっても、学校に行けば心が晴れたものである。
これは何も先生の話を真面目に傾聴するという意味ではなく、勉強に興味があったという意味でもなく、いたずらをする事を含めて、先生にしかられたり、友達と喧嘩したり、虐めたり虐められたりすることを全部含めても、学校というところが心の拠り所であった。
今の不登校の児童の問題というのは、学校という制度の問題ではなく、個人の問題、即ち幼児から学童児童になる過程における家庭内の子育ての問題ではないかと思う。
今、還暦を迎えた私の子供の頃は、まだまだ貧乏人の子沢山という言葉が生きていた時代で、家庭は貧乏で、兄弟の数は多かった。
その上、お爺さんやお婆さん、叔父さん叔母さんまで同居したりした家庭も多かった。
それこそ生んがために、子供でも真剣に家の手伝いをしなければならなかったし、同時に兄弟の間でも生存競争があって、オヤツの取り合いを演じたものである。
そういう状況下で、学校に行きさえすれば、そういう束縛からは逃れれたわけで、学校は楽園であった。
学校に行きたがらない子供というのは信じられない存在である。
ところが今日では昔の貧乏人という概念で捉えるべき人々は全くいないわけで、全ての人が快適な住まいに住み、快適な電化生活を享受しながら、子育てが出来ないということは、一体どういう事なのであろうか。
核家族で、赤ん坊の扱い方が分らない、と言うに至っては動物以下である。
確かに今は核家族で、若い人々の間では、老人の死や、病人を家庭で看病したり、若い母親が乳を飲ませたり、オムツを変えたりする姿を見る機会が減った事は認めざるを得ない。
だからといって、それを自分の子育ての下手さの理由にしてはならない。
解らなければ人に聞けば済む事である。
自分が産んだ子供を育てるという、人類の背負った一番崇高な行為をしようというのに、解らないから解らないまま生きる、ということは自分の先祖から子孫に至るまでの係累を冒涜するものである。
ここで戦後の民主主義の専横が頭を持ち出すわけである。
つまり、核家族で子育てが解らない母親が多くなれば、それを社会がホローして、そういう母親を保護し、教育しなければいけない、という論理に成るわけである。
馬鹿も休み休み言ってもらいたい。
動物というのは本能で生きる部分もかなりあるが、命を継続するということは、種族内で、見たり聞いたりする後からの学習によって習得した技術で生き長らえているわけである。
万物の霊長である人間が、子育てが解らないからと言って、解らないまま生きていていいものかどうか、自問自答してみるべきである。
解らなければ人に聞けばいいわけで、それを本人がせずにおいて、何故、社会としてそういう母親をフォローしなければならないのか。
こういう甘えが、若い母親ばかりでなく、若い世代そのものの精神をスポイルさせてしまうわけである。
本来、個人で努力しなければならならないことを、社会がホローしなければならない、という言葉で責任転嫁をしようとしているにすぎない。
自らが積極的に聞く、という努力をすれば、そういう情報というのは掃いて捨てるほどあるわけで、ほんの一言電話を掛けるなり、直接訪ねて行けば、あふれるほど情報は得られる。
要は、その母親が子育てに真剣かどうか、という問題だと思う。
その事は、その人自身の生き様に係わっているわけである。
学校に行きたがらない子というのは、いわゆる我慢が出来ない事だと思う。
人が生きるということは、学校という場以外にも、制約を受ける事というのは付いて廻るわけで、自分にとって嫌な事というのは、学校を卒業して実社会に出れば、学校内での制約以上に沢山あるわけで、それをいちいち嫌がっていては、生きることそのものが成り立たない。
それでは死ぬより他ないわけで、死ぬのがいやならば、我慢するという事を覚えるほかない。
不思議な事に戦後の日本の知識人というのは、「我慢する」という事を非常に蔑視した観念を持っている。
「我慢する」ということは、古い思想だと思い込んでいる節がある。
それは戦争前の日本の風潮としては、婦人の地位が非常に低く、女性の立場というものが男性の下に置かれており、女性一般に我慢を強いられる事が多かったから、我慢するぐらいなら、制度なり、制約なり、我慢を強いる方を変えなければならない、という考え方になってしまったわけである。
その端的な例が、校則というものの存在である。
これは紛れもなく生徒にとっては大きな制約であり、強制を強いるものであり、我慢を強いるものである。
だから即ち、これは変えるべき物である、と言う論理なっており、そうする事が進歩的なことであり、そうしないのは保守反動で、倒すべき対象であるという論理に展開するわけである。
戦後の日本の知識人というのは、その大部分がこういう展開を熱望しているが、そこには「ルールは守りましょう、それが民主主義の基本ですよ」という思考が抜け落ちてしまって、人に我慢を強いるものはすべからく打倒すべきもの、という階級闘争の論理がそのまま生きている。
核家族で、子育ても解らないままの若い母親が、子供に我慢をする事を教えなかったものだから、その子供は集団の中では生きておれないわけで、学校に行けなくなり、すぐにキレたりするわけである。
このキレルという現象も、我々の世代には不可解な事である。
学校に行けなかったり、すぐにキレルような子は、社会に適応する能力が欠けた子といわなければならない。
こういう子供が増えた、ということは子供の責任というよりも親の責任なわけで、自分の子供を満足に育てられなかった親というのは、社会全般でフォローするよりも、制裁というかぺナルテイ―を科さなければならないと思う。
子供に罪はないと思うが、親の方には充分に罪があるわけで、その罪の償いとして、何かを考えなければならない。
現代、後一月で21世紀に差し掛かろうという現代という時代は、特に日本という環境は、あまりにも科学技術が発達しすぎて、我々、今に生きる現代の日本人というのは、テクノロジーに囲まれてしまって、精神の方がそのテクノロジーに追いついていないわけである。
そして、このテクノロジーの発展から取り残された人々を、皆で救い上げて、皆で横一列になって、奈落の底に歩まなければ!という状況に立ち至っているわけである。
この皆で一緒に、という点が極めて日本的で、横一列の列から抜け落ちた人を、それこそ皆で救い上げなければ、という意識が抜けきれないわけである。
だから人間の集団としてのクラスから落ちこぼれのないように、という事が我々の潜在意識となっているが、これは自然の摂理から言って、どだい無理な話で、その無理な話をあくまでも追求しようとするものだから、制度の方にひずみが来たり、社会現象としてひずみが噴出するわけである。
学校に行けない子、要するに不登校児童などというものを皆で何とかしよう、とするものだから制度を弄くったり、先生に余分な仕事を押し付けたりするわけである。
挙句の果てに社会や地域でそういう子供をホローしましょうとなるのである。
そんな子供は社会生活に適応していないわけだから切り捨てるべきである。
学校に行かなくても十分に生きていけるのが今日の日本であれば、そういう子供を無理に学校に引きとめる必要は更々ないわけである。
そういう子供に育てたのは親の責任だから、その親が何とかすればいいのであるが、現実の問題として、その親も何とかできないから、そういう子供が社会にあふれて、社会問題化しているわけである。
そういう子は無理に学校に引きとめる必要がない、というこの発想の転換ができないものだから、学校も、社会も、地域も、皆一緒になって悩まなければならないことになる。
社会に適応できない子は、親が責任を持ってその子に付き添って生きて行く他ないわけで、自分の子供をそういう風に育てたというのは、親の責任である以上、それを地域や社会が干渉すべきではない。
今日のこの情報化社会で、情報が無いという事はないわけで、それは情報を得ようとしないだけの話で、子育てにしろ、不登校児童の問題にしろ、相談の窓口は現在でもかなり沢山あると見なして良いと思う。
問題は、そういう問題を抱えた人が、その門を叩くか否かの問題で、それは親なり、保護者なり、問題の当事者の意識の問題である。

我慢する、耐えるという事

日本は法治国家である。
法治国家というのは、法律が人間の生き様を制約し、管理し、規制する国家という事で、我々は法律の枠の中という条件下で、自由を謳歌し、言論の自由を謳歌し、義務教育としての教育を受ける権利が補償されているわけである。
その事は、我々は無制限に何をやっても良いという事でもないし、自由気ままに振る舞う事が許されているわけでもない。
あくまでも法律の枠の中、という条件があるわけで、この法治国家が何時までもこの体制であり続ける為には、その中にいる人々が、法の遵守ということに積極的でなければならないわけである。
これは自分にとって嫌な法律だから勝手に変えても良いというわけではない。
その意味で、高校生に課せられた校則というものは、生徒を規制し、制約する大きな法律と見なさなければならない。
この場合、その法律としての校則が気に入らなければ、学校を変わる事は、国の法律が許しているわけで、それこそ個人の自由である。
しかし、その学校の生徒である限りは、校則の規制を受け入れる他ない。
高校生の校則の問題が提起された時、こういう論を試みる知識人というのが全くおらず、髪の毛の長さを規制するのは人権に反するとか、個人の自由を侵すものである、という的外れな論議が沸騰したように記憶している。
「その学校の生徒である限り、校則を守れ」と論破した知識人というのは全くいなかったのではないかと思う。
民主主義の基本原則は「決められたルールは率先して遵守しなければならない」ということで、その為には往々にして、自分の意に沿わない事態に直面し、我慢を強いられるケースもあるわけで、その度毎に不登校になったり、キレたりしていては社会そのものが成り立たないわけである。
戦後の教育に関し、私は専門家ではないので詳しい事は定かではないが、戦後アメリカ占領軍に強いられた教育の民主化ということでいえば、日本国民たるものすべからく普遍的に平等に教育を受ける機会があるといわれ、ハンデキャップのある子には特別の教室が与えられ、健常児とは別枠で教育が行なわれた。
私はこれは良い事だと思う。
ところが時代が下がってくると、これが差別という言い方で、健康な子もハンデイキャップを背負って子も同じ教室で教育を行え、という風に.親というか、世間の考え方が変わってきた。
これはある意味で、ハンデイキャップを持った子供の親のエゴだと思う。
自分の子供がハンデイーを背負っているが故に、人と同じことができない、という点については、その子の親として、子を思う不憫さというのは察して余りあるが、そういう子供にも必要最小限の教育をいたしましょう、というのが行政側のスタンスの筈である。
子供が障害を持って生まれる、乃至は途中で不幸な事で障害を持つ、というのは誰の責任でもない。
親の責任でもなければ、行政の責任でも無いわけで、ただ不幸としか言い切れない。
そういう子供の特性に合わせた教育をしよう、というのにそれを差別と一緒にしてしまう感覚というのは、その人の奢りだと思うし、そういう人を支援しようとする人も、ある意味で無責任である。
ハンデイーというものを直視することなく、ただ感情論でそういう人は気の毒だから、という美意識に酔った無責任な考え方だと思う。
自分の背負った環境に甘んじよ、という言い方は酷なようだけれど、その酷な環境を、世間や社会の所為にする、ということは別の次元の問題だと思う。
ハンデイキャップを持った子というのは気の毒だと思う。
そう思う気持ちは、人間として当然の感情で、我々は普通の日常生活の中では、そういう人に対して憐憫の情を表現するのは、人の行為として美しいことと理解しなければならない。
しかし同時に、そういう人達を別枠で、その人に合った教育をする、と云う事は人の持つ理性で、その子の個性を大事にし、その個性に合った教育をしているのだ、という風に解釈すべきである。
五体満足で、はたから見れば皆同じように見える子供でも、それぞれに個性があるわけで、かけっこの早い子もいれば、物覚えの悪い子もいるわけで、そういう子達が一つのクラスで集合教育を受ける、ということはある意味で個性を殺しているということでもあるが、それに較べ、ハンデイキャップを持った子が、特別の教室で授業が受けれる、ということはその個性に合った教育を享受できていると言う事でもある。
それを差別という言い方で糾弾するということは、あまりにも世間というものを舐めてかかっているとしか言いようがない。
こういう事を声高に主張する事が戦後の民主主義の成果と評しているが、これは世間、社会というものに対する冒涜以外の何物でもない。
ハンデイキャップを持った子供が気の毒だ、ということは人間の持つ感情の領域である。
それに反し、そういう子供にマッチした教育を別枠で行っていこう、という思考は人間の理性がなさしめているわけである。
それを差別という捉え方で括ろうと云う事は、逆にその子の持つ個性を踏みにじる事になるわけで、教育というものを感情論で押さえ込もうとするものである。
その負担は当然そのハンデイを持った子にかかるわけで、それこそ人権を蹂躙することになる。
ハンデイを持った子は気の毒だ、という感情論が、その子の個性に合った教育、という人の理性を踏みにじっている事になる。
そこで世間のアホな大衆というのは、「気の毒な障害を持った子供を救え」というスローガンで、行政に迫りくるわけであるが、冷静に考えれば、自分達のしていることが障害を持った子供を苦しめる事になる、という事を忘れてしまっている。
生きる為の苦労というのは、なにも障害を持った子供だけにあるのではなく、五体満足な健康な子供でもそれなりに悩みを持ち、苦労を持ち、自己嫌悪に陥り、自己改革に取り組み、時には挫折し、我慢し、耐え、生き延びているわけである。
ところが昨今の子供一般に、そういう事を親の方がスポイルしてしまうので、今の子供がおかしくなっているわけである。
その事は今は親の方があまりにも豊かになりすぎていると言う事である。
親が豊かなればこそ、子供に不自由させたくないと言う親心があだとなり、子供が不甲斐ないものになっているわけである。
子供が不甲斐ないというのではなく、子供の親が不甲斐ないと言わなければならない。
今の子供の親というのが丁度、戦後民主主義の中で民主教育を受けてきた世代なわけで、彼らは日本が昔から持ってきた艱難辛苦に耐える、という考え方を遺棄した世代なわけである。
自分が損をする事には我慢ならず、我慢を強いるような体制は、体制の方が悪く、それを強いる制度や法律が悪いという発想でもって、自分の責任を他のものに転嫁をする世代なわけである。Br> だから子供が不良化すると、社会が悪く、教育制度が悪く、先生が悪いという発想につながるわけである。

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