人の群れというのは必然的に組織を形作るもので、国家の存立そのものがすでに一つの大きな人の群れ、人間の集団としての組織になっているわけである。
この組織そのものが、人間の資質として善良なものも粗悪なものも内在しているわけであり、ここでいう善良とか粗悪という精神そのものの価値観も、時代とその時の状況によってその座標軸そのものが浮動しているわけである。
異民族を撲滅するということが、ある時代には正義であり、時代と状況が変われば同じ事が悪行といわれるわけである。
又される側とする側では当然その価値観は逆転するわけで、この状況の変化を無視して過去の行為を現在の視点から判断する事は、それこそ歴史認識として間違っていると思う。
そうは云うものの、今日、アジアの人々が旧大日本帝國の日本人の所業を糾弾するのは、今世紀にはいってからの事象で、現実にそれを目の当たりに見た人々が生きているという意味で、まだ歴史にはなりきっていないという点は考慮に値するものといわなければならない。
しかし、そう云う状況を考慮に入れたとしても、彼らアジアの人々の言い分には思い上がった思惑があると言わなければならない。
彼らが今そう云う事を言える情況を呈した裏には、日本の存在が歴然とあったからである。
あの第2次世界大戦というものに日本が全く関与していなかったとしたら、今アジアはどうなっていたか、と考えると真に面白い状況が描き出されるに違いない。
第2次世界大戦に日本が巻き込まれた背景というのは、日本が中国に進出し、そこから撤退しなかった為に、太平洋戦争というものが誘引されてしまったわけである。
もしあの時、国際連盟の勧告に従って、日本があっさりと中国進出を諦め、帝國主義的発想というものを納めてしまったとしたら、21世紀のアジアはどうなっていたのであろう。
こういう想像力を働かせて見ると実に興味深い妄想に駆りたてられる。
日本が第2次世界大戦に参加しようとしまいと、ドイツは遅かれ早かれ敗北し、ヨーロッパの状況というのは今と大した変わりはないと思う。
ところがアジアにおいてはそんな訳には行かず、中国は共産主義国家というものを成立させれたかどうかわからないし、朝鮮は日本と同化されて、今のように分裂する事もなく、経済成長を謳歌し、我々同様の生活が出来ていたかもしれないし、台湾はやはり朝鮮と同じ状況に置かれていたかもしれない。
東南アジアの人々というのは、おそらく自分の国の独立ということはありえず、あったとしても極めて遅い時機に成されていたに違いない。
おそらく今まで同様に西洋列強のアジア支配が続いていたに違いない。
今、中国でも朝鮮でも日本に対して一般の人々が言いたいことが言えるというのは、日本が敗戦という事で敗者=悪者という認識を彼らの側で欲しいままに弄ぶ事が出来るようになったからで、彼らは今頃になって無理難題を日本に突きつける事が可能なわけである。
こういう状況を作ったのは朝鮮の人々の努力の結晶でもなく、中国10億の人々の努力の結果でもない。
これは紛れもなアメリカのなさしめたことで、朝鮮の人々、中国の人々の行為の結果ではない、という事を彼ら自身もっとももっと深く認識すべきである。
1945年8月15日までの日本と言うのは朝鮮を実行支配し、台湾を統治し、中国では日本の民間人も含めて、もぬけの殻とはいえ軍隊も存在していたわけである。
8月15日正午の昭和天皇の玉音放送で日本の側は自主的にそういう行為を一切合財放棄してしまったわけで、これを機に統治するものとされるもの立場が逆転してしまったわけである。
統治するものとされるものの立場が逆転してしまえば、今までの被害者が加害者となり、加害者が被害者となるのも致し方ない。
しかし今日、アジアの人々が過去の日本を糾弾する時の言い草は、自分達が被害者でいた時の事ばかりを並べ立てるわけで、自分達が勝者になったときのことには全く言及しないのは極めて不合理な事である。
そして我々の側においても、この時に我々が受けた理不尽な報復行為と言うものに対して何ら抗議しない、というのも情けない話であるが、戦後半世紀を経て、我々は世界で最も豊かな国になったのだから「金持ち喧嘩せず」と言う事なのかもしれない。
昭和の初期の段階から日本が中国という土地に触手を出さず、朝鮮と台湾にみで満足していたとしたら、今日のアジアの情勢も大きく違っていたに違いない。
少なくとも中国の共産化というのは10年は後になっていたに違いない。
そして朝鮮半島の南北の分離ということもありえず、台湾は今頃独立していたかもしれない。
この状況下において一番の立役者はどう考えても蒋介石にならざるを得ないと思うが、蒋介石が全中国を完全に統一出来るかどうかは極めて不確かで、だからこそ毛沢東の共産主義というものが中国の土地を制覇できたわけである。
この時代の中国においては、日本の軍部と、蒋介石と、毛沢東という三つ巴の大混乱の中で、日本の存在というのは蒋介石と毛沢東の両方のスケープ・ゴートとして極めて有効に機能していたわけである。
その事は中国古来の封建思想の持ち主としての蒋介石も、共産主義者の毛沢東も、他の中国人同様、骨の隋まで中華思想に凝り固まっていたわけである。
中国人に中華思想ある限り中国には民主主義というものが成り立たない。
「自分が一番偉くて、他の人は自分に貢献するものである」という思想が民主主義と相いれない事は最初から自明な事である。
自分も他人も皆同じ基本的人権をもち、同じように生きる権利を持つ、という発想は中華思想とは相容れないものである。
新しく出来あがった中華人民共和国というのは紛れもない独裁国家で、共産主義というのは、国を支える国民には平等を説きながら、統治するものに関しては国民を支配する階級を認め、独裁政治を行っているわけである。
これはまさしく全体主義と絶対主義の具現化に他ならない。
人が群れを成して生存しつづけると言うこと、必然的に統治するものとされるものという形態を取らざるを得ない。
つまり国家の形成ということになり、国家というものはそれを統治するものとされるものというのを形作る。
主権国家の主権が国民の側にあるといってみたところで、国民の一人一人が直接政治に関与出来るものではない。
とすると如何なる形態の国家であろうとも、国家の首脳者とそうではないそれを支えるべき縁の下の力持ちの存在として一般庶民なり国民なり民衆なりというものの存在を否定する事は出来ない。
共産主義というのは「皆さんは皆平等ですよ」といいながら統治するものとされるものに間には一線を画しているわけである。
民主主義というのは「誰でも統治する側に立つチャンスはありますよ」というものであるが、この統治という点で長い歴史という時の流れに中には当然失敗もあるわけである。
統治する者が失政をした時に統治される側として悲劇が生まれるわけである。
旧ソビエット連邦が共産主義を選択した事もその失政の大きな象徴であり、北朝鮮がそれと同じ轍を踏んだのも、同じように統治するものの選択の失敗であったわけである。
日本が第2次世界大戦を避け得ずに、太平洋戦争に巻き込まれたのも大きな失政であったわけである。
この時、統治する側に対して失政であり、政治の失敗であると詰め寄る事が出来るのが民主主義であるが、統治する側と共に存在する統治される側の一般民衆、大衆、国民というのは統治する側の失敗から逃れる術を持たない。
まして歴史という時の流れが価値観まで変えてしまう状況では、統治される側としては誰の言うことを聞けば身の安全が保障されるのかさっぱりわからないわけである。
共産主義国においても純粋で、善良な人程、国家方針に常に忠実であろうと努めたわけであるし、日本においても善良で純真な人程、軍国主義者となったわけである。
なんとなれば、そうすることがその当時の価値観からして「善」であったからに他ならない。
こういうことは我々、日本ばかりでなく、朝鮮でも、中国でも、あるいわアメリカにおいても同じように統治する側とされる側の間には必然的に起こるわけである。
自分の国家に忠実であろうとすればするほど、価値観の転換が起きた時、それが極悪非道な罪悪となってしまうわけである。
この状況を天国とか、神の国とか、人間を超越した状況から敷衍する事が可能だとすれば、人間のやっている行為というのは実にばかばかしい愚考としか映らないに違いない。
事実、この地球上で人が殺し合うということは愚行以外のなにものでもない。
しかし、この世に生きている人という生き物は、自らの愚行から脱却する事が出来ない。
日中戦争のさなか日本の兵隊に肉親を殺されたならば、その仕返しをしない事には腹の虫が収まらない、というのは人としての自然な感情といわなければならない。
日本が戦後半世紀で、世界でも有数な金持ちの国になったならば、そこから金を出させなければ腹の虫が収まらない、というのも極々ありふれた人間の感情である。
やはり人間というのは自らの感情に支配される生き物で、理想のみでは生きておれないわけである。
共産主義というのは明らかに人間社会の理想を追求し、それを具現化しようとする発想であるが、それの具現化の課程で、生きた人間の思考を経る事によって、その理想が理想でなくなってしまうわけである。
理想は理想として、旗印にはなるが、その具現化の過程というものが人間の感情に支配されている以上、人のもつ「業」からの脱却が難しいわけである。
人が作っている社会というものが、時の経過と共にその価値観を変化させるということは、共産主義というのが人を統治するにふさわしくない考え方であるという事に突き当たる。
人類の進化と共に人間の価値観というのは変化するのが自然のあり方であるが、共産主義というのは人間の思考を固定してしまって、その変化を認めないとい点が不合理そのものである。
民主主義というものが人を統治するに最適な手法であるか?ということにも大きな疑問がある。
お互いに統治する者を選択出来る、とは言うものの統治する側が常に正しい政治をしているかどうか、という点では大いに疑問があるが、少なくとも自分達が選んだリーダーの行為である以上、納得せざるを得ない。
それと同時に、リーダーが選択を間違えた時には、次には違うリーダーを選出すればいい、という安全弁としての機能は持ち合わせている。
アジアにおいて曲りなりにも民主主義国家として存立できているのは日本に以外にはないわけであるが、それでも21世紀に足のかかった今日において、アジア諸国も遅々としてではあるが民主主義国家に向けて脱皮しつつある。
しかし、アジアの民主主義というのは西洋先進国の民主主義とも一味違うようで、それは本質の良し悪しとは又別の側面を持っている。
中国においては共産主義が未だに有効に機能しているかに見えるが、その実情は日本人が思っているほど有効に機能していないと思う。
中国の人々にとっては、彼らが潜在的に持っている中華思想というものを、そう簡単に払拭できないはずで、彼らにその民族的な潜在意識がある限りにおいて、彼らは人治主義というものから脱却は出来ないはずである。
政治の場面において、「人治を尽くす」ということは言葉の印象から良い事のように受け取られがちであるが、これは突き詰めれば、えこ贔屓の政治ということに他ならない。
合理主義でもなければ民主主義でもなく、その場その時の状況で、自分の気に入ったものを重用する、という極めて人間の自然感情を重視した管理手法であるといわなければならない。
法を前にしても、自分との利害関係を優先させるわけで、これが身内意識の根源にあるわけである。
よって政治が縁故によって左右されるわけである。,br>
こういう状況から見ると、アジアにおいては、大なり小なり中国以外にもこういう傾向はあるわけで、いわば「個の確立」というものが不完全な状況に置かれているわけである。
個人の意思が明確に確立されていない限り、真の民主主義というものは成り立たない筈である。
その意味で、ヨーロッパ諸国とアジア諸国では、民主主義の発達の度合いが同一ではない。
アジアの場合、民主主義というものを自らの力で勝ち得た主権国家はありえないわけで、第2次世界大戦後独立したアジア諸国においては、その総てが他から与えられた民主主義に依存しているわけである。
中華人民共和国は一見すると自らの力で国家を作り得たように見えるが、先に述べたように、日本人が中国の旧来の風習とか因習とか秩序というもの御破算にしてしまったが故に、新しい共産主義というものが根を下ろす環境になったわけである。
東南アジアにおいて、それを支配していた西洋列強の頚木を全部取り払ったのは言わずもがな日本の軍部であったわけである。
タイの人々、インドネシアの人々、カンボジアの人々が、西洋列強、つまりイギリス人、フランス人、オランダ人を東シナ海に追い落したわけではない。
それをしたのは紛れもなく我々日本人であったのである。
こういう論旨を述べると、太平洋戦争肯定論になりかねないが、この問題は価値観の相違であるように思う。
彼ら東南アジアの人々からすれば、今日の彼らの存在が、日本の戦争行為の延長線上にある、ということは我慢ならない気持ちであるに違いない。
しかし現実の歴史の流れというのはそうなっている事を知らなければならない。
人は明日という先の事を知ることは出来ない。
まして、一週間先の事など皆目予測する事は出来ない。
ならば、50年先の事などおして知るべきである。
それにもまして、国家という概念そのものが近代になってからの産物で、近代以前には国家という概念そのものが存在していなかったと見るべきである。
日本、日本民族、大和民族というのは、たまたま四周を海で囲われ、地理的に太古より一つの独立国家という感じがするが、日本に住む人々が自ら生息する土地とその環境を含めて国家という意識を持つに至ったのは明治以降の事だと思う。
そしてそれまでの日本においては長い長い封建思想のもと、士農工商という階級制度のもとで分に応じた生き方を強いられていたわけである。
しかし、この階級制度というのも日本だけの事象ではなく、歴史の長い民族では大なり小なりそういう社会の形態を経て今日に至っているわけである。
その階級の中においては、人々はそれそれに分に応じた生き方をしていたわけであるが、今日、それは人類の悪行のように言われている。
果して階級というものを解消する事が本当に人類にとって有意義な事かどうかは、はなはだ疑問視する時期に来ているように思える。
階級制度のもとでは人々はそれぞれに分に応じた生き方を強いられていた、ということは上の階級はその階級にふさわしい生き様というものがあり、下のものはその精神も卑しいまま、生存競争を生き抜くという知恵を備えたわけである。
21世紀に差し掛かろうとする今日の地球上では、ほとんどの主権国家がこの階級制度を排除する方向に向かっているが、それはそのまま共産主義に沿ったライフ・ワークに向かうという事である。
その過程を我々日本人の過去の行為から推考すると、関が原の合戦の頃の軍隊というのはほんの一握りの武士に雑兵という下級兵士が付随していたわけで、問題はこの雑兵の方である。
雑兵というのは、いわば農民の次男、三男であったり、商工業者であったり、博徒であったり、所謂寄せ集めの何処の誰ともわからないものを駆り集めて、自分の軍勢として自己の陣営内に引き入れた人々である。
今の言葉に言い換えれば、草の根の市民、一般大衆、国民、納税者という言葉に置き換えることが出来る。
その後、時代を経てそういう人々は徴兵制のもと1銭5厘の葉書で集められて大日本帝國陸海軍軍人、いや厳密には兵士というべきであるが、そういうものになったわけである。
昔の武士階級というのは数の上では当時の人口の1割にも満たないのに、人を統治するという社会的的責任を、好むとこのまざると先天的に持たされていたわけである。
こういう状況を近代になって誕生してきたマルクス主義者というのは「支配と非支配」という構図でとらえ、一般大衆の側は常に搾取されていると決め付けていたわけである。
こういう状況は打破しなければならない、階級社会を打ち壊すには暴力も辞さない、相手、統治する側、支配する側というのは人を支配するという立場上、そういう人の命は生存に値しない、という論理でもって暴力革命を「善」とするに至ったわけである。
日本の古い俚諺に「武士は食わねど高楊枝」というものがあるが、これはこの時代の武士のノーブル・オブリッジ・貴族の誇りを揶揄したものである。
武士というものは貧乏をしていても金儲けに奔走するような事を差し控えるというもので、庶民の側から武士のあり方を哄笑したもののように感じられる。
武士はいくら貧乏しても城主・藩主のくれる禄のみで生き、何時如何なる時でも城主の命に従う心の準備をしているということは、いわば武士のモラルであったはずである。
そういう武士の在り方を、小金を貯めた商人や職人や博徒の連中から見ると、武士のやっている事は馬鹿に見えたに違いない。
同じ人間に生まれて、城主や藩主に忠義建てをして苦しい生活をするよりも、少し要領良く立ちまわれば、妻子を幸せに出来るのに、という哄笑の意味で「武士は食わねど高楊枝」という俚諺が生まれたに違いない。
武士が城主・藩主に忠義建てして生きると云う事は、今の言葉に置きかえれば武士としてのモラルの維持である。
それに反し、武士が要領良く立ちまわって小金を貯めれば、それは今の言葉で言うモラル・ハザードなわけである。
ノーブル・オブリッジというのは、不思議な事に貴族にだけにしか通用しない言葉で、洋の東西において、封建時代においても、自分の属する階級に誇りを持ちうるのは貴族、つまり一番上の階級のみで、その下の階級には階級の誇りというものが存在していなかったわけである。
常に誇りを持って生きるという事は、一番上の階級のみに課せられた精神的規範なわけである。
下の階級のものは、如何なる行為をしても、モラルに反するということはなかったわけである。
貴族がモラルに束縛されて精神的な規範を守り、他の人々にはそういうモラルが存在していなかったいうことは、人を群れという視点で社会を見た場合、非常に大きな価値観の相違が存在していたのではないかと想像する。
封建時代から近代思想が芽生える段階になると、日本の武士でも西洋の貴族でも、農業に依拠して農民を管理するということだけでは生きていけれなくなってきた。
それを打開するには、他の地に自分のテリトリーを確保しなければ、という発想が沸いてきたのである。
これが帝國主義であるが、時代が進むに従い、今まで貴族や士族の下で管理されるだけの人々のほうが逆に経済力を持って来るようになったわけで、貴族や士族といえどもモラルのみでは生きていけなくなったわけである。
明治維新を経過した日本は、一刻も早く西洋先進国に追いつき追い越せという熱意のもと、封建思想をかなぐり捨てて、四民平等を社会のあらゆる機構の中に取り入れた。
高等教育においても、軍隊の養成機関においても、身分を問わず試験さえ通れば皆同じ立場として、それこそ平等に採用し、平等に教育を施し、平等に社会に送り出したわけである。
このことは今流の考え方からすれば極めて民主的であった、と言わなければならないが、この民主的な措置というのも、人間の深層心理までは教育し、訓練し、聖人君子を作るわけにはいかなかったわけである。
例えば旧東京帝國大学、海軍兵学校、陸軍士官学校という名門の教育機関は、生徒の募集に関して極めて民主的に学生を採用していたと思う。
そして、その卒業生達は何をしたかといえば、日本を戦争に巻き込ませ、国民を奈落の底に突き落としたではないか。
旧帝大を出た人々、旧海兵、旧陸士を出た人々というのは、江戸時代ならば士農工商の士分を担うべき人でなければならず、そこには当然士分としてのモラルがあり、ノーブル・オブリッジがあって然るべきであった。
この時代に高等教育に恵まれた人々というのは紛れもなく選別された人々で、問題は、その選別が極めて平等・民主的であったが故に、選ばれた人々の大部分が精神的に下賎な人々ばかりであったわけである。
よって、大局的な見地から人を統治するという視点に欠けていた、と言うことを物語っているわけである。
それは現在の日本社会においても、高級官僚の不祥事、企業経営者の乱脈な会社経営等々にも垣間見る事が出来る。
まさしくモラルハザードとしか言い様のない状況が提示されているが、日本が太平洋戦争に巻き込まれていった状況にも、これと同じモラルハザードがあったと見るべきである。
モラルの崩壊・これが民主化の負の遺産として残ったわけである。
私の個人的な見解としては、日本が第2次世界大戦に巻き込まれていった遠因は、5・15事件、2・26事件等々による軍部の中間管理者の反乱に、時の政府首脳がきちんと対応しきれなかったという点にあると思う。
この時、時の政府首脳が軍部の思い上がりをきちんと押さえ込んでいれば又別の選択があったように思う。
この時の政府の対応と、青年将校の側にモラル・ハザードがあったればこそ、それが常態となってしまったところに日本の悲劇が潜んでいたように思う。
もう少し突っ込んで云えば、日本が中国に触手を伸ばしたきっかけというのは、軍部が政府首脳の言うことを全く聞かなかったわけで、その根底には明治憲法の解釈に畏怖の念があったように思う。
その根っこの所にあるのは、所謂統帥権というものであるが、これは天皇自身の権利であったものを軍部のものである、という風に言いくるめて、それを政府首脳も軍部もそう思い込んで、それ以上深く考えること遺棄してしまった所に悲劇が潜んでいたに違いない。
これと同じことを戦後55年も継続して今尚続かせている所が、我民族の特異なところといわなければならない。
歴史の教訓というものが出来ていないわけである。
統帥権というものは、もともと天皇陛下自身の用兵の権利であったわけで、軍部の側からすれば、文字通り朕の命令は絶対であったはずなのに、軍の中枢部は、朕に成り代わって命令を出し、必要な措置は故意に蔑にしたわけである。
ここにあるのは明らかに軍の思い上がりであり、独断専行であり、軍人としてのモラル・ハザードである。
ここでいう軍人というのは、徴兵で集められた下級兵士という意味ではなく、陸士なり海兵などを出て、功成り名を成した高級将校なわけで、そういう人々が軍人の本文としてのモラルを喪失したというのは、ここに来るまでの民主的な処遇の中で、その人としての個人の持つ生来の下賎な思考が払拭され得なかったわけである。
下賎な発想というのは、小金を貯めるとか、賄賂もらうという卑近な例とばかりは限らないわけで、そういうものならば逆に人間味があふれて頬笑ましぐらいであるが、国の大義とか、国の存亡を賭けるとか、5族共和とか、大東亜共栄圏という大命題を振りかざしながら、自らの保身に走ったり、立身出世を願ったりする、という意味で下賎と称するわけである。
江戸時代の士農工商の武士ではないが、戦前の軍人というのもそうたいした俸給はもらっていなかったので、それこそ「武士は食わねど高楊枝」という状況を強いられていたが、それに反し権力とか権威というものは金の威力以上に大きかったわけである。
その意味からすれば、1銭5厘の葉書で召集された下級兵士でさえも一般国民は一目置いて、国を守ってくれる尊い存在である、という認識が普遍化していたわけである。
徴兵制のもとであって見れば、街で見掛ける兵士達は自分の息子や、親戚の青年男子と同じなわけで、彼らが血を流す事をいとわず国を守ってくれていると思えば、おそらく親近感が沸くに違いない。
ところが、この兵士達の中身においても、玉石混交なわけで、人として立派な人だけが兵士となっているわけではない。
人間の集団には立派な人とそうでない人が入り混じっている事は洋の東西を問わず普遍的な事であるが、社会が乱れるということは、本来立派であるべき人が、モラル・ハザードを起こして下賎なことをするようになった時に起こるのではなかろうか。
今日の日本の官僚の不祥事、企業経営者の乱脈な企業経営というものは、モラルの低下としか説明がつかない訳で、こういう立場の人々は、その全部が全部高等教育を受けた人達であるにもかかわらず、モラルを喪失ということは、高等教育の効果というのは、生来下賎な人間に対してはまったく効果がなかったという事に他ならない。
人が群れを成して生きると言うことは、人という生物は社会性を持った生活形態を持つという事であるが、社会性ということは組織というものを形作るという事である。
昔の軍隊にしろ今の民間企業にしろ、これらは皆人が作った組織として機能しつづけているわけで、この組織というものは、長い年月の間には、腐敗堕落して内部崩壊しがちなものである。
いったん出来あがった組織が、常に活性的であるためには、組織の要員が常に入れ替わって、内部における新陳代謝が活発でなければならない。
アメリカの政治が活力に富み、建国わずか200年で世界の警察官と称せられまでになった背景には、アメリカの政治を担う人々の交代があるからだと思う。
それが民主主義の具現化というもので、政治を担う人達というのが、政府の機構と民間の組織の間を行ったり来たり出来る、という他の主権国家にはない機能を持っているからだと思う。
例えば、クリントン大統領というのは、不倫疑惑を抱えながらも、それが政治的疾患となって政治の行き詰まりとならないダイナミズムに富んでいる。
これが他の国、例えば日本であったとすれば、完全に政治生命を断たれ、政治家でありえないし、東南アジアであれば疑惑にさえならないし、共産主義国であれば疑惑そのものが存在せず大統領は常に安泰であるはずである。
クリントンの不倫というのは、ある意味で真実であったに違いないが、それが政治とか行政とは別の次元のことで、全く個人的なレベルのことである、という常識が常識として通用しているからこそ、クリントン大統領は任期を全うしえたのである。
日本ならば、内閣総理大臣の浮気が公になれば、当然その人はその地位と権力に値しない、ということですぐに更迭である。
そこには人としての個人の行為と、公の職務ということのきちんとした峻別が無いわけで、その区別を故意に無視する傾向がある。
浮気は「公人としてあるまじき行為である」とする偽善が優先してしまうわけである。
浮気の虫というのは誰にでも取りつき、政治家といえども甲斐性のある人ならば密かに願望しているに違いないし、それが人間の「性」でもある、ということをお互いに理性では知っていても、それを政治的な道具として利用し、相手の足を引っ張るという事になるわけである。
常識を常識として素直に認識するという事こそ、モラルの遵守なわけであるが、日本の政治の場合、常識というものの幅を非常に大きく拡大解釈することによって、常識を枠を超えて偽善に摩り替わってしまっている。
つまり組織の中で常識が常識として通用せず、偽善が罷り通るような状況になってしまうため、モラルが権威を失い、モラル・ハザードがおきるわけである。
日本社会の高級官僚、優秀な民間企業の経営者達にとって、彼らの生息する環境というのは、すでに常識が常識として通用していない社会に生きているわけで、それは日本の一般社会と懸け離れた隔離された別の社会にあったわけである。
この一般と懸け離れた別の社会の存在ということこそ、その属する社会が組織崩壊しているという証拠である。