森総理の失言について

森総理の失言について

平成12年6月11日の日曜日の中日新聞朝刊の社説を読んでいたら非常に腹立たしくなってきた。
森総理大臣が「神の国」発言をした事に関して、それを糾弾する内容のものであるが、この論法と言うのがまさしくマルクス主義者の思い上がった態度と言っても過言でないくらいに腹立たしい限りであった。
日本ではマルクス主義者と社会主義者が混同されて使われている節があるが、この社説には署名がないのでどういう人が書いたのか定かにはわからないが、所謂、日本のオピニオン・リーダーとして自負を負った人の説である事は充分に推測される。
森総理大臣の「天皇を中心とした神の国」と言いう発言は確かに失言に近いものである。
我々、庶民レベルでの発言ならまだしも、公人としての総理が公の場で言うのにはいささか慎重さが欠けていた、といわれても致し方ない部分があることは否めない。
ただその発言した場所が神道政治連盟国会議員懇談会の席という事で、いわば身内の中の気楽な話のとしてのリップ・サービス的な発言であったわけで、いまどき「天皇を中心とした神の国」などといわれてそれを真に受ける人間などいるわけが無い。
まして森総理自身がそう云う国を目指しているなどと言っているわけでもなく、一般論としての鎮守の森を懐かしんで、昨今の風潮を嘆いただけの事である。
しかしそれを文書として読んで見ると確かに誤解を招く要因は散見せられる。
そうした面では誤解を招いても致し方ない。
もともと我々は天皇制のもとで今まで、21世紀にまで来ていたわけで、戦前の皇国史観というのは急進的な軍国主義者達にそれを上手に利用された為あの戦争というものを遂行せざるを得なかったわけである。
日本の天皇制というのは、不思議な事に今日に至るまで連綿と続いてきたわけで、昭和20年の敗戦を経ても尚生き続けているというのは実に不思議な事だと思う。
第2次世界大戦の勝者であるアメリカやソビエットでさえも、あの天皇を殺す事が出来なかったのは実に不思議といわなければならない。
ソビエット連邦の誕生の切っ掛けとなったロシア革命においては、ロマノフ王朝というものを見事に葬り去ってしまった共産主義者の人々といえども、日本の天皇にだけは手をつけられなかったというのは不思議でならない。
時のソビエットの独裁者であるスターリンに対して「天皇を殺してしまえば日本では革命が成就しない」といったのは野坂参三という話しが伝わっているが真偽の程は分らない。
マッカアサーはアメリカ合衆国の政治的判断として昭和天皇を戦犯として除外する事を決めていたわけで、これもマッカアサーが「天皇を殺せばあと100万の兵士がいる」と伝えたためといわれているが、あの世界大戦の勝者達が、揃いもそろって天皇の免責を認めていたわけである。
その点が実に不思議な感じがする。
もっとも、日本の戦前・戦中の政治状況というものを詳細に調べて見れば、天皇は常に反戦の立場でいられた事は明らかなわけで、その事から考えて見れば、同朋としての我々の認識の方が間違っていたのかもしれない。
神道というのは果して本当に宗教なのかどうかも疑わしいように思う。
宗教というからには、経典があって、教祖がいて、教義がないことには宗教とは云えないのではないかと思うが、神道にはそういったものが存在しないわけで、日本には八百万の神々いるのであり、田の神、井戸の神、池の神、淵の神、風の神等々あらゆるところに神様がいるといわれている。
便所にまで神様がいた。
自分の嫁さんでさえ「ウチ(我が家の)の山の神」とか「神(かみ)さん」とか言って神様の一人であるわけで、そういう我々の歴史というか、認識というか、物の考え方を辿って行けば、森総理の云った言葉はあながち嘘を言っているわけではない。
一般論として我々日本人の概念の中にはそう云う発想は未だに抜け切っていないわけで、戦後の民主主義の中では確かに天皇の地位は憲法によって日本国民の象徴として位置付けられている。
森総理もそれを否定しているわけではなく、ましてそれを目指しているわけでもない。
我々、日本人が潜在意識として持っている概念を述べたに過ぎないわけで、森総理が自分自身でも述懐しているように、こういうことを今まで公の場では中々言えなかった事を「及び腰になる」という表現で述べたに過ぎない。
戦前・戦中の軍国主義者達が天皇制を最大限に利用して国民を煽った事は我々はもっともっと謙虚に反省しなければならない。
しかし、戦後55年、半世紀を経過して、この平和ボケの国民の間に再びその時代の軍国主義に戻ろうとする風潮があるとはとても思えないし、そうありたいと思っている人は全くいないに違いない。
森総理の発言は仲間内のリップサービスの域を出るものではないが、それを真に受けて、さも重大発言かのように受け取る側に過剰反応の兆しがある。
このマスコミの側の過剰反応という事を我々は真摯に考察しなければならないと思う。

話し合いの限界

加藤周一という評論家がいる。
テレビ等にも時々出演して一貫して反戦を唱えているが、反戦を唱えるということは個人の自由の範疇の問題であるが、それをマス・コミニケーションというものがあたかも正義の論説の如き論調でもって、一般世間に吹聴する雰囲気に付いては冷静な目で注視する必要がある。
加藤周一という評論家は戦後民主主義の権化のような存在で、私のように戦後民主主義というものに一抹の懐疑を抱いているものにとっては不可解な精神構造の持ち主としか写らない。
彼の論調によれば、戦争というものには如何なる理由があろうとも反対しなければならない、と言う事を述べているが、私も戦争には正しい戦争と悪い戦争があるとは思っていないし、戦争というものを正邪、善悪、寛容・不寛容という言葉で区別出来るものではないと思っている。
戦後世代の我々にとって一番新しい戦争といえば、1990年の湾岸戦争であるが、あの戦争はイラクのフセイン大統領がクエートの領域に電撃的に進攻したことから始まったわけで、イラクのフセインにして見れば、「クエートの領土はもともと我々の領土だったからこれは聖戦である」、という論理でもって戦争が開始されたわけである。
ここで加藤周一の理論を当てはめれば、それでも戦争はすべきでない、という事になる。
ならば進攻を受けたクエートの人々はイラクのフセイン大統領に言うがママに生きよ、という事を容認せざるを得なくなる。
そこには主権、国家主権、民族の自決権、自分の国の政治は自分で決める、というその国に帰属する民族自決権というものを全く否定する事になってしまう。こんな馬鹿な話はない。
戦後民主主義者のもう一つの特徴は、戦争を唾棄するあまり、「紛争は話し合いで解決すべきである」というものがあるが、これもただ単なる絵空事に過ぎないにもかかわらず、そう言う事を声だかに叫んで憚らない所がある。
紛争が話し合いで解決できればこれほど有り難い事は無いわけで、それが出来ないからこそ人の殺し合いが続くわけである。
イラクのフセインがクエートに対して「ここはもともと我々の土地だったから素直に我々の指揮に入りなさい」といってクエートが素直にその隷下に入ってしまえばイラクの電撃的進攻ということもなかったわけである。
イラクのフセインに対してアメリカのブッシュ大統領や国連の事務総長が足を運んで説得してもフセインは言うことを聞かなかったわけで、それだからこそアメリカの逆襲があったわけである。
紛争が話し合いで解決できればこの世から戦争は一掃されるが、人と人の話し合いでは解決できない事があるからこそ、この世に戦争があり、人は太古から殺し合いを続けてきたわけである。
人類の歴史というのはいわば戦争の歴史と同一である。
人間という生き物は単独では生きていられない生き物で、集団でしか生きられない宿命を背負っているわけである。
集団、群れを形成するとなれば、そこには必然的にリーダーが必要になってくるわけで、紛争というのは利害の相反する集団同志の諍いなわけで、双方のリーダーの話し合いで解決できている間は戦争というのも起こりえず、人の殺し合いというのも存在しないわけである。
ところが双方のリーダーがいささかも妥協することなく、自己主張のみを続けていれば、それは最終的に武力衝突となり、人の殺し合いに発展してしまうわけである。
日本の戦後民主主義者というのは、こう云う状況下で武力衝突にまで紛争をこじらせたリーダーというものを「悪」と決め付けているが、武力衝突を回避しようと思えば自分のほうが潔く妥協をしなければならないわけであり、一度そう云う意思表示を相手に知られてしまえば、何処まで妥協を迫られるか分らないわけである。
最終的には国を乗っ取られてしまう可能性もあるわけである。
戦後の日本のオピニオン・リーダーというのは、戦後の占領がアメリカによってなされたものだから、何処の国が占領しても占領体制というのはこの程度のものだ、と思い違いしている節がある。
しかし、彼らはソビエットに占領された地域の悲劇をどのように見ていたのであろう。
加藤周一ならずとも、戦争は誰もが嫌な事で、出来れば避けて通りたい事に違いない。
話し合いで紛争が解決できれば、それに越した事はない。
主権国家の首脳者が戦争という究極の選択をした時、その国家に属する国民としてはやはり兵役につくのが国民の義務として当然な事と思う。
戦争という状況には必ず相手の存在というものがあるわけで、もし自国の政府が戦争という状況に入る事を決断した時、それに反対するということは相手の国を利する事につながる。
1960年代のベトナム戦争というのは、アメリカが南ベトナムが共産化するのを阻止しようと始めたわけであるが、アメリカ国民の反戦運動が講じてアメリカはベトナムから撤退せざるを得なかった。
そしてその結果はどうなったっかと問えば、南ベトナムは完全に共産主義者に蹂躙され、東シナ海にはボート・ピープルがあふれだしたではないか。
ボート・ピープルの現出はアメリカ政府の戦争行為で生まれたものではなく、共産主義者たちがサイゴンを支配した結果であって、その因果関係を我々は冷静な目で見る必要がある。
戦争を嫌だと思うのは加藤周一一人だけではないわけで、人間として誰でもが戦争など嫌いに違いない。
出来るものならば避けて通りたいわけであるが、紛争とか、意見の食い違いというのは話し合いで解決するに越した事はないと誰しもが思っている。
しかしその為には何処まで妥協が許されるか、という事があり、妥協するということは相手の要求を何処まで容認できるか、という事でもある。
湾岸戦争の時、イラクのフセインが「ここは我々の領土だったのだから皆さんは出ていったください」といわれてクエート側として、おめおめと国民を引き連れて流浪の旅に出れるか、という事である。
話し合いで解決するということはこう云う事のはずである。
クエートの政府首脳というのはこの時国民を放り出して逃げてしまった。
ベトナム戦争のときの南ベトナム政府の要人達と同じ事である。
こういう国家を放置しておいても良いのかという問題である。
戦後の日本の民主主義者たちというのは、こういう状況下においては国民を放置しておいても構わない、それでも反撃はしてはならない、という発想である。
日本は第2次世界大戦後の平和憲法で戦争を放棄しているのだから、こういう時にも一切合財無関心であり続け、そう言う事態を招いたのは政府の責任であるから、国民は一切反撃してはならない、というのが戦後の日本の進歩的知識人の発想である。
これではあまりにも自己中心的で博愛精神のかけらもない人間となるのではなかろうか。
戦後の日本の発展というのは我々自身の努力の結果でもあるが、それは同時に世界の通商・貿易の恩恵にも浴しているからこそ今日の我々の経済が成り立っているわけで、自分だけ良ければ後はどうなっても構わない、というのでは世界から蔑視されて致し方ない。
湾岸戦争の時アメリカが座してイラクのフセインの行為を黙認していたら、クエートという主権国家は地球上から抹消されてしまっていた。
それでも日本には差ほど大きな影響はないに違いない。
いや、逆に石油の輸入という場面で経済問題として計り知れないダメージを受けていたかもしれない。
しかし現実の動きというのは日本から遠く離れた場所での出来事で、我々、日本国内に住んでいる平和ボケの人々には、その重要性がなかなか認識できなかったというのも事実だと思う。
南ベトナムが共産化したところの日本に住む我々には特段の影響はなかった。
だから日本は世界の紛争には一切合財、手も口も出すな、ということは身勝手過ぎると思う。
何も率先して鉄砲を撃つ必要はないが、時と場合によっては金も力も出す心つもりだけは持っている、と言う事を世間、世界に知らしめることは必要と思う。
日本が今日、平和で、飽食の時代を過せているのも、世界中が戦争ということを回避して、出来るだけ平和裏に話し合いで解決しようとしているからであり、そういう条件が整っているからこそ我々は安穏と生きていられるわけである。
世界中の人々は基本的には平和を希求しているが、それでもイラクのフセインのようなリーダーが突出する事があるわけである。
戦後の日本の進歩的知識人というのは、戦争というものを政治の延長線上にある人間の営みの変形である、ということを失念して、あたかも犯罪か、極悪非道な暴虐のように見ている。
確かに戦争というものがそういう面を内在している事は否めないが、所詮政治の一形態であるということを忘れている。
だからといって日本の過去の戦争を肯定するつもりはないし、アメリカの世界の警察官としての紛争の介入に諸手を上げて賛意を表するつもりもない。
ただ、どの主権国家においても、その国の為政者、当局、政府が、戦争という政治選択をした場合、その国の国民として、自分の国の国難に対しては協力する事が国民の義務ではないかと思う。
第2次世界大戦のドイツにおいては、ヒットラー率いるナチスに対して国民の間にそれを嫌う雰囲気が多からず存在し、そういう人々の内のあるものは亡命する事が出来た。
しかし、亡命する術を持たない人々は、嫌々ながらも追従するしか道のなかった人も大勢いたに違いない。

国を護るということの本質

主権国家の国民として、自分の属する国家の方針が気に入らなければ亡命する以外に道は無いわけで、我々日本人の場合、この亡命という意思表示乃至は自己の生存の手法というものが、有史以来民族の間に存在していなかったわけで、所謂「亭主の好きな赤烏帽子」という事になり、黙って追従する他に道がなかった。
戦後の日本の進歩的知識人というのは、この黙って国家の言う事に追従することを極端に嫌悪するわけである。
先の大戦の経験から、知識人ならずとも庶民レベルでも国家の言う事に黙って盲従すればろくな事にならない、ということは経験則として知っているが、ならば他にどういう選択があるのか、と問いなおさなければならない。
問いなおした所で早々名案が出てくるわけでもなく、結局の所、頭の挿げ替えで終わってしまう。
政治及び外交というのは、自分一人で事が解決出来るものではなく、相手があるわけで、相手との対応の仕方が政治であり、外交であるわけで、その為には当然話し合いが前提条件になっているが、この話し合いというのは双方に妥協点がないことには解決できないわけである。
話し合いが暗礁に乗り上げてくれば、当然その次にくる事は、何時武力衝突になるか、という時間の問題となる。
こういう過程を経ずにいきなり武力でもって奇襲攻撃を仕掛けてくる事も歴史上にママあるわけで、その為にも、自らの安全保障という事には日常からの警戒が必要なわけである。
加藤周一に代表される日本の戦後の知識人というのは、戦争というものを政治家が自分の利権の獲得に寄与するような悪行という雰囲気で捕らえているが、それは人間の日々の営みのある一面、一断面に過ぎない。
人間の日々の生活というものを一枚のコインと考えれば、平和な日々の反対側には常に戦争というものが存在しているわけである。
仮に今の日本に北朝鮮が一発のロドン・ミサイルを打ち込んだとしたら、たちまち日本の平和は乱れてしまうが、果して日本の政治家たちは、それをきっかけに直ちに北朝鮮と戦争をするか、といえばそうとも限らないと思う。
第2次世界大戦の頃の日本ならば、直ちに懲罰的行為としての報復攻撃をしたに違いないだろうが、今日の日本の政治家にはそれほどの肝っ玉はないにちがない。
しかし、我々日本人の考えとは別に、アメリカは黙っているかどうかは分らない。
日米安保があるからアメリカがそう思うのはその協定上からも当然の事であるが、アメリカはアメリカの持っている価値基準を優先した行動をする国であるから、日本が攻撃されて、その日本が泣き寝入りしようとしても、それを許さず断固報復行為に出る可能性もある。
湾岸戦争がそうだったではないか。
そこには世界の警察官を自負するアメリカの価値基準があるわけで、日米安保もそれによりかからなければ成り立たないわけである。
問題は、北朝鮮が日本にミサイルを打ち込んできた時に、日本に住む我々はどういう行動、行為に出るかという事である。
おそらく国論は二分され、「直ちに報復せよ」というグループと、「泣き寝入りに徹しよ」というグループに分かれると思う。,br> しかし、政府当局はそんな議論をしている暇はないはずで、直ちに答えを出して即実施しなければならない状況に置かれると思う。
当然の事である。
今の日本における日米安保条約の意味合いは、これが最初に締結された頃の性質とは懸け離れたものとなってしまった。
最初の日米安全保障条約というのは、第2次世界大戦で兵力というものが皆無になってしまった日本を共産主義の勢力から防御するという意味合を持ち、アメリカが一切合財、日本の武力というものを肩代わりするというものであり、それの持つ意味合いの中には、日本の経済復興というものは含まれていなかったわけである。
ところが今日の日本というのはアメリカに次ぐ経済大国で、この経済で日本がアジアで突出した力を持つということは、アジア諸国の側から見れば戦前の日本と同様末恐ろしい存在となってしまったわけである。
この状況は安保条約が最初に締結された時の状況とは雲泥の差で、最初に条約が結ばれた時にはこういう状況になるということが想定されていなかったわけである。
だから今のアジア諸国の日本を見る目というのは、日米安保は日本の独走をコントロールするものであるという認識に変わってしまった。
つまり日米安保がある限り、日本はアメリカのコントロール下にあるわけで、鎖に繋がれた犬のようなものである、という認識に変わってしまっている。
戦後の日本の知識人の戦争認識というのは、所謂、戦闘場面のみの再現を嫌悪しているのみで、戦争というものは銃を撃ったり大砲を撃ったり軍艦が沈んだり、という戦闘場面の再現を忌み嫌っているという風にしか見えないが、戦争というものはそういう面ばかりではなく、人が生きること自体がすでに戦争である。
北朝鮮が日本にロドン・ミサイルを撃ち込むという想定はまさにありえない妄想のように見える。
それは東海大地震が何時来るのか?という類の問題と同じなわけであるが、来るかこないかもわからないが、何時来てもそれに抜かりなく対応しておく事が究極の政治であり、行政であるわけである。
日本に住む人々にとって、彼らが快適な生活が出来るように社会の基盤整備を整える事も立派な政治であり行政であるが、そこに住む人々の生命と財産を守るという事も主権国家の使命であり、国家というのはそれを義務として立派に果たさなければならない。
それが政治であり行政である。
何時来るかもわからない東海大地震に完全に備える為にはいくら金をつぎ込んだとしても万全ということはありえないし、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込む事も果してあるのかないのかはわからないので、これに対して万全な措置というのもありえない。
来るかこないかわからないことに金をつぎ込むということは全くの無駄としか言いようがないし、事実無駄そのものである。
しかし我々が安心して生きていく為には各種の保険が必要なように、地震に備えたり、北朝鮮の対日政策に対応する為には、やはり保険と同じような無駄な金というものがある程度必要な事は致し方ない。
自分の国を守る為の保険として国防というものが有るとすれば、その守るべきものとは一体何か?と問い直せば、それはその国の中で生きている国民の生命と財産に他ならない。
しかし,この発想の根底には国の存在そのものがあり、自分達のテリトリーとしての国という枠組みがあるからこそ、そのテリトリーの中の人間を守らなければならないという発想につながるわけである。
ならばその国という枠組み、テリトリーというものを無しにしてしまえば、こういう発想は起きないわけであるが、今度はそこに住んでいる人間の側がそれで満足するかといえばそうはならないわけである。
もともと人類という動物が住んでいるこの地球には、国境というものは存在していなかったわけで、人類の発達の段階で、進化が進むに従い、人々はそのテリトリーの意識を強固にしてきたわけである。
今でも同じ人間でありながら文明の度合いの低い地域では国境などあるのかないのか定かでない地域も有るわけである。
この事実は、人というものは群れになって生きるという事で、群れの在り方で様々な文化・文明が成り立っているわけである。
20世紀のアメリカが自由主義経済で民主主義を具現化しているのも人の生き様の一つの形態であり、旧ソビエット連邦が共産主義で収容所列島を築いたのも、そこに住む人々の群れの一つの形態で有ったわけである。
人の群れが進化してくると、国家というテリトリーを非常に大きく意識するようになるわけで、自分のテリトリーが少しでも侵されると、それを排除しようという意識に苛まれるわけである。 統治する側としては、何時如何なる時に隣接する他民族、異民族の侵害があるかわからないので、その時の為に保険として無為徒食の軍隊・武力集団というものを準備しなければならないという構図が出来上がるわけである。
ヨーロッパの封建主義の時代の貴族というのは、この保険の部分を傭兵によって賄っていた。
封建時代が消滅して近代国家になると、この部分は国民皆兵とか、徴兵制によって国民全部が何がしかの負担を負う事で成り立っていた。
ところが日本の場合、明治維新までの戦というのは、同胞同志の戦であって、対外戦争というものを想定していなかった。
しかし、明治維新の時、日本の周辺を見てみると、あの中国でさえ西洋先進国に翻弄されているではないか。
これはいけないと言う事で、すぐさま西洋先進国にならって、近代的な兵法を学んだわけであるが、日本では基本的に士農工商という封建思想が国民の間に浸透しており、近代的な軍隊という組織に対してすぐにはなじめなかったわけである。
兵隊の組織、つまり軍隊と云うところでは、階級がモノを言う所で、それがそのまま旧来の士農工商の発想で軍隊内に浸透してしまったわけである。
この軍隊の中の社会というのは、どこの国でも大なり小なり同じ情況を呈していると思うが、ある意味で平等社会であり、同じ階級では極めて平等であるが、階級が違うと極端な階級社会になっていると思う。
つまり平等と不平等が同時に存在しているわけで、その使い分けは軍務上の事柄に関しては上官の命令は絶対でなければならないが、平常は一般の社会と同じでなければならないはずである。
ところが人の習性として、人間誰しも楽がしたいわけで、軍隊に拘束されている間は、あるゆることを軍務にかこつけて「上官の命令が絶対である」という言いくるめておけば、嫌なことを全部下のものに押し付けて楽が出来るわけである。
江戸時代までの武士階級というのは武力集団であると同時に行政官でもあったわけで、合戦のときには指揮官として立ち居振舞いを行ったわけであるが、数の上ではごく限られたものであった。
実質の軍勢というのは少数の指揮官とかき集められてきた雑兵が主体であって、その全部が武士であったわけではない。
明治維新以降の日本の軍隊というのは、近代的な軍隊にふさわしく、その内部には階級の違いというものは存在していたが、出自による差別と云うものは存在しなかった。
1銭5厘で徴収されてきた兵士の間には、出身母体による差別は存在しなかったが、階級の差による虐めは枚挙に暇がなかったわけである。
このことは近代国家の近代的な軍隊内部では何処の国でも内在している大いなる矛盾であるが、人の集団である以上、人間の英知では根絶は出来ないでいる。
それはあたかも人類が戦争という野蛮行為を根絶できないのと同じで、人の集団の持つ宿命というべきものかもしれない。
軍隊という密室集団の内部において、軍務というものが上官の命令に服従する事で成り立っている以上、下の者の意見を取り入れて民主的に戦争をするということはなり立たないわけである。
軍隊というものが他民族、異民族、利害の対立する相手と対峙しなければならないという宿命を背負っている以上、上官の命令に服従する事が至上となることは致し方ない。
問題はここに召集されて来た民衆、大衆、善良な青年男子、愛国心に満ちた有能な人々が、階級が上がるに従って下のもの、つまり後輩に対して威張るという事である。
こういう現象は何も軍隊だけの問題ではなく、今でも学校教育のクラブ活動の先輩高配という関係にもあり、会社内でも大なり小なり生きているわけで、人が属する社会には程度の差こそあれ根絶されているわけではない。
このことはその集団に外部から無理やり押し込められた人々にとって、最初の年はその階級の一番最下層なわけで、それこそ先輩から非人間的な取り扱いを余儀なく経験させられるわけである。
そして1年経ち,2年経って、自分のランクが上がると、自分が受けた事と同じことを後輩に押し付けるわけである。
それが伝統と称される物の実体である。
問題はそういう経験をした人達のモラルである。
1銭5厘の徴兵ということは、ある意味で見事に平等な選択をされたわけで、そこには村長の息子であろうと、代議士の息子であろうと、乞食の子であろうと、見事に平等化されていたわけである。
玉石混交で二等兵として初等教育を受ける事になったわけである。
こういう人々の集団が2年後、3年後に海外派兵で外地に出兵ということになると、糸の切れた凧のように無軌道な行為に走った訳である。
所謂モラル・ハザードである。
そこに指揮官としての統率力が強く作用していれば下部階級のモラル・ハザードもある程度食い止める事が可能であったが、外地という特殊な環境では、指揮官そのものも平静な気持ちでいれなかったに違いない。
戦後55年を経過したした今日でも、旧日本帝國軍人の行為を糾弾する声がアジアの各地から起きているが、あるものは虚報であり、あるものは悪意の誇大広告であったり、あるものは日本から金を出すための恫喝であったりするが、100%虚偽であったということは言えないと思う。
南京大虐殺というのも日本軍が関与していた事は否定できないが、相手の言うことがそのまま真実とも思われない。
しかし、ここで事件を引き起こしたのは紛れもなく旧大日本帝國軍人の下級兵士の一群であったことは否定しきれないのではないかと思う。

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