日韓併合への道程

日韓併合のクライマックス

こういう状況下では、朝鮮の人々も、さすがに自分達の民族の不甲斐なさに憤慨する人も出てきたわけで、それは極々当然な成り行きである。
そして、その憤激のあり方が、これまた腐敗した宮廷政治そのままの感覚で、国際舞台で暴露したものだから、いよいもって見下げられてしまったわけである。
この事件というのは、1907年、明治40年、オランダのハーグで第2回平和会議が行われた際、韓国皇帝の高宗は密使を派遣して、この会議に参画することを画策した事件で、ハーグ密使事件といわれるものである。
第2次日韓協約で外交権を取り上げられたことを、韓国の排日派の面々が、イギリスのベッセルという人や、アメリカのハルバートと言う人、又その他の海外同志と図って、会議への参加を画策し、要求した事件である。
ところが列強各国は、韓国の外交権が既に日本にあることを理由に、拒絶したわけである。
それにも飽き足らず、韓国側はロシアやアメリカ政府にもなきついたが、ここでも拒否にあい、高宗はそれを理由に譲位し、日本は再び第3次日韓協約を結び、いよいよ内政権も掌握してしまったわけである。
韓国皇帝・高宗の、やるせなく、悔しい気持ちは察して余りあるが、ここでも如何せん、その無知と、その偏狭さというのは、なんとも拭いきれないほどの民族的欠陥となっていたわけで、その国際感覚の未熟さというか、無知というか、時代感覚のなさ、というものは救いようがなかったわけである。
そして日本はといえば、明治維新を経ても、その前の江戸時代の契約や条約はきちんと守ると宣言しているし、韓国を保護下においても、韓国の取り交わした条約や契約はきちんと守る、と宣言しているわけで、こういうところが西洋列強からもきちんと信頼されていたわけである。
この太平洋の東の方にある日本と韓国という小さな国でも、西洋列強というのはよく見ていたわけで、特にイギリスなどは実に目ざとくそれを見ていたわけである。日露戦争の調停でも正当に評価してくれていたわけである。
同時にその事は、朝鮮、つまり韓国については「何とも致し方ない国だ」ということも、先方は承知していたわけである。
それが先に引用したジャーナリストの記事にもなっていたわけである。
21世紀において、日本の植民地支配を糾弾している朝鮮の人々は、こういう歴史的な流れの中で、自らの国の歴史を紐解いて見るべきである。
自分の恥部を見ることは、かなりの勇気を必要とすることであるが、ただただ相手のみを声高に攻撃していても、それは犬の遠吠えと同じで、関係改善には全くつながらない。
そしていよいよ韓国併合とつながってくるわけであるが、これは日韓関係においては極めて重要な条約であるからして、要約することなく掲載する。

韓国併合に関する条約。

日本国皇帝陛下及び韓国皇帝陛下は、両国間の特殊にして親密なる関係を顧ひ、相互の幸福を増進し、東洋の平和を永久に確保せむことを欲し、この目的を達っせむ為には、韓国を日本帝国に併合するに如かざることを確信し、茲に両国間に併合条約を締結することを決し、これがため日本国皇帝陛下は、統監子爵寺内正毅を韓国皇帝陛下は内閣総理大臣李完用をその各全権委員に任命せり、因って右全権委員は合同協議の上、左の諸条を協定せり、
第1条、韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与する。
第2条、日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し、且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾する。
第3条、日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下皇太子殿下並びのその后妃及び後裔をして、各その地位に応じ相当なる尊称威厳及び名誉を享有せしめ、且これを保持するに充分なる歳費を供給すべきことを約す。
第4条、日本国皇帝陛下は、前条以外の韓国皇族及びその後裔に対し、各相当の名誉及び待遇を享有せしめ且これを維持するに必要なる資金を供与することを約す。
第5条、日本国皇帝陛下は勲功ある韓人にして特に表彰をなすに適当なりと認めたるものに対して栄爵を授け、且恩金を与えるべし。
第6条、日本国政府は前期併合の結果として、全然韓国の施設を担任し、同地に施行する法規を遵守する韓人の身体財産に対し充分なる保護を与え、且その福利の増進を図るべし。
第7条、日本国政府は誠意忠実に新制度を尊重する韓人にして相当の資格あるものを、事情の許す限り韓国における帝国官吏に登用すべし。
第8条、本条約は日本国皇帝陛下及び韓国皇帝陛下の裁可を経たるものにして公布の日よりこれを施行す
となっている。
これは明らかに力の強いものが力の弱いものを支配する構図であるが、決して差別を強要するものではなく、韓国皇帝及び韓国の皇族を今までどおりの地位と名誉を保証するといっているわけで、隷属させるとはいっていないわけである。
この主権国家を併合するということは、アジアの史上においては非常に稀有なことで、ヨーロッパでは国境線というものが、あっちに行ったりこっちに行ったりして併合というか合併というか、主権国家同士がくっついたり離れたりしたことが往々にして散見されるが、アジアではこういう例は史上になかったわけである。
アジアにおける民族抗争の結果といえば、当然のこと負けた側は全員奴隷になるか、殺されるか、追放されるのが常で、地位も名誉も財産も、勝った側に没収されるのが普通であったわけである。
併合するということは、ソビエット崩壊後に東西ドイツが一緒になったように、富める者と貧乏人が一緒なって、家計を一つにするということで、富んでいた方が不利というか、犠牲を強いられるわけである。
これは考えてみれば当然のことで、金持ちと貧乏人が家計を一つにすれば、金持ちは失うばかりで、貧乏人のほうは得るものばかりである。
日露戦争を終えたばかりの日本は、決して豊かな国ではなかったわけで、貧乏なるがゆえに、賠償金も取れないような条件で、戦争を終わらせなければならなかったわけである。
その日本が、敢えて朝鮮という破産寸前の国を併合したのかといえば、それはやはり未来に対する投資であったに違いない。
未来への夢の実現に賭けたものと思う。
この時点では、日本の台所も苦しく、火の車であったが、同時に朝鮮も統一国家の体をなしていない。
ならば、朝鮮を合体して、朝鮮の土地と日本人の人的資源を合わせれば、アジアが豊かになれるのではないか、という発想ではなかったかと思う。
この発想というのは、朝鮮の側にもあったわけで、それは一進会という政治結社が、百万という会員の声をそえて、韓国皇帝および当時の統監曽根荒助、李完用総理大臣に奏上文を提出した事が証明している。
彼等がこのように日本を頼りにしたのは、やはり彼等の内なる反省に依拠しているわけで、ある意味で日本の明治維新の時の開化派のような心情であったと思う。
彼等とて、日本に頼るということは、出来得ればしたくなかったであろうが、現状認識に立ってみると、当面はそうせざるをえない、という現実的な視点に立って、そういう結論に達せざるをえなかったに違いない。
ここで言うように、やはり政治とか外交というのは、現状認識に上にたって、最善の手法なり、発想なりを考えるというのが一番大事なわけで、その意味からすると、非常に現実的であったわけである。
それと同時に、その対極にいた人物もいたわけで、これが今の韓国の英雄となっている安重根、いわゆるハルピン駅で伊藤博文を暗殺した人物で、彼は一進会の発想とは全く逆の発想をしていたわけである。
彼の発想の中には、日本が朝鮮民族に対して支配力を強めてくることは、朝鮮民族を力で押さえつけ、自己の利益のみを追及する極悪人に映っていたわけである。
安重根の考え方も心情的には理解できる。
しかし、その考え方は、朝鮮という民族と、その国家というものを現実的な視野に立って見た場合、果たして、日本の力添え無しで、民族の独立と自尊、自助、自立というものがありえたであろうか。
それが無かったが故に、朝鮮半島という土地で、日本と清が、日本とロシアが戦争したのではないか?という彼らの内なる反省がこの発想には欠落している。
そして、その裏の考え方の中には、日本の支配は厭だが、清やロシアの支配ならば一向に構わない、という思考が横たわっていたのかもしれない。
たまたま彼らを支配したのが日本だったから、彼らは気に入らなかったわけで、日本以外の国だったら、それで満足していたのかもしれない。
彼らには、自身自分の国を独立国としよう、自分の国は自分達で治めよう、という気が全くないのだから、日本でなければどこかの国が日本の代わりに管理しょうとするのは火を見るより明らかな事であったわけである。
その事が見えてなかった、ということは即ち、当時の自分達の現状認識が欠けていた、という事に他ならない。
日本の朝鮮支配についてインターネット上でも色々な議論が飛び交っているが、その中でも、韓国併合が強制であったかどうか、ということに焦点が当てられている。
しかし、強制であったかどうか、ということは瑣末な問題だと思う。
主権国家と主権国家が条約を結ぶときは、お互いに国益を賭けているわけで、そこにははったりやブラフ、はたまた軍隊という強権力をちらつかせての駆け引きというものが存在するわけで、条約を締結してしまった以上、それが強制であったかどうかということは問題にならない。
強制されることがいやならば、締結をしなければいいわけで、そういう状況下であってみれば、遅かれ早かれ、締結をしようがしまいが、結果は一つなわけである。問題を卑近な例に引き戻して考えれば、個人と個人の商取引ならば、契約をするときに高圧的に脅されて契約をしたとすれば、その契約は無効ということを、国家権力としての裁判というものが裁定してくれる。
ところが、主権国家と主権国家の間には、又は民族と民族に間には、民間の商取引のように、個人を超越して裁く法律というものが存在せず、契約としての条約というものが法にかなっているかどうか、という事を裁定する機関がないわけで、強制されたから無効だ、ということが言えないわけである。
言っても無駄なわけである。
なんとなれば、それが正しいのか正しくないのか誰も裁定してくれないわけで、仮にしたとしても、意味をなさないわけである。
事ほど左様に、国際社会というのは無法地帯なわけである。
この無法地帯において、日本はある程度の信任を得ていたわけである。
先に述べたように、西洋ジャーナリストの朝鮮に対する批判に見るように、世界の大部分の見方、世界の世論というものは、「朝鮮民族というのは日本に統治してもらったほうが彼らのためにも良い」と思われていたのである。
この当時の西洋列強の日本に対する評価というのは、明治維新から日清・日露の戦いを制し、3国干渉には素直に応じ、ロシアの南下を食い止めている、という日本の実績が物を言っていたわけで、これらのことは、本来、朝鮮民族が自己の責任においてすべきことであったわけで、その事が彼ら朝鮮の人々には分かっていなかったが、西洋人には分かっていたわけである。
伊藤博文を暗殺した安重根を、「朝鮮民族の英雄」と思っている限り、この世界情勢が全く視野に入っていない、ということを物語っているわけである。
そして、テロをすればその反動として当然締め付けが厳しくなる、という自分の行為の結果ということにも考えが至っておらず、テロという物が、その場限りの、突発的で、線香花火的な効果しかない、ということにも思いが至っていなかったわけである。
日本人でもテロ行為に走る人間は後を絶たないわけで、1891年、明治24年、大津においてロシアの皇太子に警官が切りつけた事件、また1895年、明治28年、日清講和会議に出席中の李鴻章を狙撃した事件等、テロ行為というのは散見していたが、その対応というのは、日本と朝鮮では雲泥の差である。
日本は犯人を自分達で裁き、相手国に対しては、誠心誠意謝罪をしたわけで、この一事を見ても、日本が西洋列強というものから信任を得るには充分な対応であったわけである。
その意味からして、1895年、明治28年、日本の官憲がなしたところの「朝鮮王室閔妃殺害」という行為は、我々の側の行為としては、実に情けないことである。
これは明らかに日本の非であることには相違ないが、ここには日本民族の悪い癖が露呈している。
というのは、大津事件や李鴻章狙撃事件というのは、日本人としての個人の犯罪であったが、閔妃殺害というのは、日本の組織犯罪であったわけで、外務省というか、駐在していた日本の軍隊の一部というか、そういう集団としての行為であったわけで、こうなると日本というのは、はっきりとした処断というものに躊躇する悪い慣習というか、因習というか、民族的性癖というものを引きづっている。
それは後の2・26事件でも同じ事が言えているわけで、トカゲの尻尾きりのように、実質的な実行当事者のみを糾弾しておいて、後ろに控えていた黒幕というの物にまでメスを入れて糾弾することに躊躇してしまうわけである。
21世紀においても、この性癖というのは一向になくなったわけではなく、例えば不良債権の問題でも、組織犯罪であったが故に、首謀者を前面に引きずり出すことに躊躇し、責任者を徹底的に糾弾することに躊躇しているわけである。
朝鮮の人々の発想と言うのは、我々と全く逆なわけで、個人のテロというのは英雄として、組織的な犯罪となると、一族郎党まで厳しく糾弾することに貪欲なわけである。
しかし、安重根は、そのテロの結果として、その後自分の民族がどういう処遇を受けるのか、というところまでは考えが至っていなかったわけである。
歴史というものを見るとき、歴史というのは時の流れを象徴しているわけで、その時々には、その時々の価値観があるわけで、その時々の価値観を、現在の尺度で測っても意味をなさないわけである。
その事は、歴史というものを、正しいとか正しくない、間違っているとかいない、という物差しで測ることは意味をなさないということである。
日本が朝鮮民族を支配しようとしたことは、明らかな歴史的事実であるが、それが正しかったか間違っていたのか、という評価はありえない。
しかし、そのことによって、朝鮮の人々が近代化の波に乗った、ということは言えていると思う。
そして、我々は併合と言う事を、もっと根源的に考察してみる必要がある。
何度も言っているように、植民地というからには「富の狩場」でしかないし、常識的に考えて、それでこそ植民地であったわけである。
ところが我々のしようとしてきたことは、ただたんなる植民地というのではなく、「この地に住む人々を、我々と同じレベルの生活水準にまで引き上げよう」、というものである。

近代化の道のり

この部分を、日本の知識人も、朝鮮の排日扇動家も口をつぐんでいるが、この部分は、今の日本国憲法の第9条に匹敵するぐらい世界的視野、ないしは世界の常識からすれば異質で、常識破りの発想だと思う。
考えても見よう!!
日本は明治維新以降というもの、朝鮮民族とはほとんど直接的な戦火は交えていない。
確かに、明治初頭において、江華島事件というのはあった。
これは確かに日本と朝鮮民族が直接的に戦火を交えたものではあるが、極めて小規模なもので、それ以外に、日本と朝鮮が戦争をしたということはないわけである。
それに引きかえ、当時において、その巨大さは世界一、幻のスーパー・パワーであった清とは戦火を交え、世界最大の陸軍大国であったロシアとも戦火を交えたわけであるが、これは本来朝鮮民族がすべき戦争ではなかったのではなかろうか。
朝鮮民族というのは、何世代も前から、清の属国でありつづけたわけでだし、ロシアの南下というのは、直接的な朝鮮の領域の侵害になるはずである。
それを阻止したのが他なら日本であったわけで、日本は朝鮮のために、日本国民の同胞の血を流したようなものである。
このことに西洋のジャーナリストは気がついていたわけである。
だからといって、日本が朝鮮を植民地支配してもいい、という発想につながらないのは当然であるが、植民地支配ということがそれほど悪い事かどうか、という検証も必要かと思う。
ある民族にとって、近代化ということを、望む民族もいれば望まない民族がいるのも当然なことであるが、朝鮮民族というのは後者のほうであったのであろうか。
もしそうであるとすれば、日本が支配して、無理やり近代化を推し進めた、ということは罪悪になる。
しかし、朝鮮の人々が、近代化を願いつつ、民族の殻を打ち破ることが出来ず、悶々とした状況を日本が打開したと解釈すると、日本は朝鮮民族の近代化に貢献したということが言える。
歴史の結果として、日本は朝鮮民族を清の頚城から脱し、ロシアの南下を食い止めたことは事実である。
そしてそのために、日本人の血が流れたことも歴史的事実なわけである。
そして朝鮮を支配したといわれているが、我々は朝鮮の人々を、奴隷のようにこき使ったわけではない。
よく強制連行され、強制労働をさせられた、という苦情を聞くが、あの戦争の時代というのは、彼ら朝鮮の人々だけが強制連行で強制労働を強いられたわけではない。
日本人でも、学徒動員、女子挺身隊、銃後の守りというわけで、中学生から家庭の主婦までが、なにかかにかの戦争協力を強いられたわけで、我々は朝鮮人だけを働かせて、酒池肉林に浸っていたわけではない。
強制連行とか強制労働というのは、朝鮮の人々だけに降りかかった災禍ではないわけで、世界中の全地域で同じようなことがあったわけである。
イギリス人も、アメリカ人も、ソビエット人も、ドイツ人も、フランス人も、世界中が強制連行と強制労働の渦の中に巻き込まれていたわけである。
強制連行というと、アメリカの黒人奴隷のように、鎖でつながれて頭を垂れて、もくもくと働かされているイメージを想像しがちであるが、この時代においては世界中が精神的な強制連行と強制労働の中で生きていたわけである。
朝鮮の人々だけが、日本の強制連行と強制労働の災禍にあっていたわけではない。この「自分達だけが災禍に出会ったのだから金よこせ」と言う発想の中に、朝鮮の人々の狭量なところが見られ、世界的な視野の欠如している点があるわけである。
第2次世界大戦と言われるだけあって、このときは世界中が死に物狂いで戦ったわけで、朝鮮の人々は、日本人は朝鮮人のみを働かせて、自分達は左うちわで、空中戦を眺めていた、というようなニュアンスで抗議をしているが、彼らとて日本の学徒動員・学徒出陣の事を知らないわけではなかろと思う。
問題は、日本が朝鮮を支配しようとしたとき、彼らを日本人と同様に扱おうとした点にある。
彼らの側に立って考えてみると、それが一番の苦痛であったのかもしれない。
同様に扱ってもらうよりも、一線を画して、差別的に扱ってもらうほうが、彼らの精神構造にストレスを与えなかったのかもしれない。
我々が善意と思ってしたことが、彼らにとっては苦痛であったかもしれない。
そう言われれば、我々には返す言葉がない。
「日帝支配の36年間」というものは、我々は、日本の金で、日本の本土の納税者の金で、朝鮮の社会的基盤整備をしたわけであるが、これが「いらぬお節介」であるといわれれば、もう何も言う言葉がなく、ただただ頭を下げるほかない。
しかし、当時の世界の状況というものを見れば、日本が朝鮮民族を支配下におく、と言うことは世界中が納得していたわけである。
それに反し、日本が満州国を建国したときは、世界中からブービングがあったわけで、そのことを考えれば、このときの日本の朝鮮併合というのは、世界的な規模で整合性があったといわなければならない。
「善悪」という言葉を仮に使うとすれば、それは「善」であったわけである。
それが「善」であったということは、世界中がその方が朝鮮の人々にとっても幸せに違いない、と思ったわけである。
歴史を「善悪」で評価してはならない、と絶えず言っているにもかかわらず、ここでそれを言うのは自己矛盾のようであるが、その後の彼らのナショナリズムによると、それが「悪」と決め付けられている以上、それに対抗する言葉として「善」という表現にならざるを得ない。
それと更に掘り下げて考えるべきことは、日本は、朝鮮の人々を、我が同胞と同じに扱おうとした、ということにもっともっと言及しなければならないと思う。
異民族同士が対等の立場になろう、という発想は、有史以来の未曾有の発想であったかもしれない。
基本的に、そんなことはありえないわけで、そのことを我々は理解していなかったのであろうか。
もしそうだとすると、今の日本の進歩的知識人とおなじで、空想的理想主義ということであろうか。
平和、平和と、念仏を唱えていれば、戦争は日本を避けて通ってくれるに違いない、と思い込んでいる理想主義的平和論者と同じで、現実の世界というものが見えていなかったのであろうか。
理想主義というものが、現実の世界を越えて、普遍化すると思っていたのかもしれない。
日本の考え方としては、朝鮮の人々を温かく迎えてやれば、彼らもそれなりに自助努力をして、日韓の民族が力を合わせれば、西洋列強に対抗しうる勢力になりうるという読みがあったのかもしれない。
朝鮮を併合した後の日本のアジア政策というのは、全てこの線に沿った政策が練られたわけで、その後日本が建設した満州国というのもこの線上にあったわけである。最初の原点に戻って、朝鮮の人々が自分の国を自分で治め、日本とも対等の関係で話し合いに応じ、その話し合いの結果として、独立を維持できる国ならば、こういう発想は出てこなかったわけで、朝鮮という国が、世界中から見捨てられたような国であったからこそ、世界中が日本の朝鮮支配を容認し、日本を信任したわけである。
日韓併合条約でも、韓国は統治権を日本に譲渡する代わりに、全ての保護を受けることになっているわけで、明らかに自主権と引きかえに保護を受けることを確約されている。
保護を受けることで、民族の自尊心が傷つけられるとしたら、保護を受けなくてもいいように、自らが努力しなければならなかたわけである。
それが出来なかったから、こういう事態になってわけで、それについては、彼らは自らに向かって内なる反省をしなければならないのである。
我々の発想は、日韓両国民が協力し合って、更なる努力をすれば、アジアは西洋列強の植民地支配を脱却できるに違いない、という信念に基づいて行動していたわけである。
そしてそれは朝鮮の人々にとっても苦しい道のりであった事は否定できない。
しかし、苦しい道のりというのは、朝鮮の人々だけに科されたものではなく、我々も同じように苦しい道のりを歩んできたわけで、その意味からすれば、日韓両国民というのは、ある意味で戦友でもあったわけである。
今朝鮮の人々の持つ対日感情の悪さというのは、日本と朝鮮の人々の経済格差の相違が、嫉妬心を沸き起こらせているからだと思う。
戦後の日本というのは、自分の国を守ることさえアメリカにおんぶに抱っこされ、その国防費というものを、全部経済成長に回して、世界一、二の経済大国になっているわけで、それに比べ、韓国にしろ、北朝鮮にしろ、GNPの何割かを国防費に回さねばならないわけで、それだけ日本のように安逸な生活は出来ていないわけである。
税金は高いし、社会保障は不安定だし、徴兵制度はあるし、38度線では未だに臨戦体制であるし、とても安逸な生活をむさぼる雰囲気ではないわけである。
そして海の向こうの日本を見れば、自分の国を守る気概もないのに、教科書は自分の都合のいいことばかり書いているし、靖国神社には参ろうとするし、日本のすることの1から10までが気に入らないわけである。

靖国神社と教科書

ここで朝鮮や中国の人々に過去の歴史から学んでもらいたいことが一つある。
平成13年5月25日の日本の報道によると、小泉内閣の田中真紀子外務大臣が中国を訪問した際、中国はやはり例の内閣総理大臣の靖国神社参拝と教科書問題を俎上に載せてきたと報じられている。
ところが、この靖国神社参拝というのは日本の国内問題であって、日本の政府首脳が何処のお宮さんに参ろうと、それは外交問題になりうるわけが無い。
そして、教科書問題というのも極めて国内問題であって、日本以外の国がとやかく言う筋合いのものではないわけである。
それを言うということは、自分達が何をしているのか、全く分かっていないということである。
この、自分達が何をしようとしているのか全く分かっていない、ということが過去の中国や過去の朝鮮が他国の支配を受けた最大に理由であったわけである。
他所の国が何をしようとしているのかさっぱり理解していないものだから、それに対応する手法も間違ってしまうわけである。
日本の朝鮮併合の前にも、「日本憎し!」と言う前に、自分達が世界からどういう眼で見られていたのか、という視野に欠けていたわけである。
だから清に頼ったり、ロシアに頼ったり、ハーグ密使事件を起したり、と段々墓穴を深めていったわけである。
清という国に至っては、あまりにも国土が広いものだから、西洋列強がその国土を蚕食しても、痛くも痒くもなかったわけで、西洋列強の意図というものを全く理解しようとしていなかったわけである。
その事は相手のことが充分わかっていないという事に他ならない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのは彼らの先祖の大名言ではないか。
つまり、今の中国、そして韓国というのは、今の日本というものが全く分かっていない、ということに他ならない。
今の日本で、総理大臣が靖国神社の行こうが行くまいが、そんなことは我々、今の日本人には全く関係のないことで、そんなことで日本の愛国心が復活するわけも無く、軍国主義が勃興するわけも無い。
それこそ「烏の勝手でしょ!」とうわけで、自衛隊が動くわけもなく、治安維持法が発動されるわけもなく、援助交際がなくなるわけでもなく、外国人を追い出すわけでもなく、こういうナンセンスなことを外交の切り札にして干渉してくるということは、自分の無知をさらけ出しているようなものである。
また教科書に関しても、日本の教科書は国定教科書ではないわけで、その記述に不条理なところがあったとしても、日本の若者がすべてその教科書で教育を受けるわけではない。
そんなことは当然先方も知っているわけで、知っていて尚言い募ってくるということは、我々の側としては、外交の切り札として、金をせびるカードとしているとしか取れない。
最後は「金よこせ!」という本音がそこに潜んでいるとしか取れない。
日本のマスコミというのは資本主義社会の企業として、常に利潤の追求という潜在意識化の制約を受けているわけで、本音を語れない宿命を背負っている。
本音を言ってスポンサーに降りられたら、糊塗をしのぐことができないわけで、そのために誰かをスケープ・ゴートとして悪者に仕立てていなければならない。
戦前の朝日新聞というのは大日本帝国の体制べったりで、政府の広報機関として戦意高揚に徹していたわけで、政府ないしは軍がスポンサーであり、左翼の運動家とか、中国人ないしは連合国側の人々がスケープ・ゴートにされていたわけである。
よって、価値観の逆転した戦後において、朝日新聞は中国や韓国をスポンサーとし、日本の政府をスケープ・ゴートにしているわけである。
そこから推察して、中国や韓国が、この戦前戦後を通じて日本の代表的なマスコミとしての朝日新聞の言っていることを鵜呑みにして、それが日本の世論だと思うと大間違いを引き起こすわけである。
価値観の変節を平気でするということは、本音が全くなく、時流に迎合していると事に他ならない。
今、これらの国がしていることというのは、まさしく朝日新聞の論調を踏襲している感がする。
その事は、即ち、彼らの側の無知をさらけ出しているということに他ならない。
今の日本に愛国心というものが本当にあるだろうか?
今の日本に軍国主義の予兆というものがあるのか、羽田空港に降りて、ほんの2,3時間、東京の町を歩いてみれば、それは歴然としている。
それなのに、首相の靖国神社参拝に怯え、教科書問題に怯えている、というのは幻の恐怖感に怯えているわけで、自分の目で日本をみれば、こういう主権国家同志の外交及び経済交流に水を指すような発言はありえない。
中国及び韓国というのは、大国意識を鼓舞するために、そういう発言をしているかもしれないが、この21世紀という時代に、大国意識を振りかざすことのナンセンスというものは衆人が知っているわけで、それは19世紀の遺物でしかない。
中国、韓国では、その意識があったればこそ、20世紀の半ばまで外国の支配下にあったわけではないか。
21世紀に至っても尚その大国意識から抜け出していないということになれば、彼らは歴史から一体何を学んだというのか。

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