隣国・朝鮮と日本

政治・統治の概念の有無

それでアンダーラインの部分について私なりの考察を加えておきたいと思う。
朝鮮には道がなくて畦道のようなものしかなかったということは耳新しい知識であるが、これも妙なことである。
日本では、街道の整備というものは既に奈良時代からあったし、古代ローマでは「すべての道はローマに通ず」と言われるだけあって、紀元前から道を整備することが政治の一環でもあり、統治者としても統治の利便性が高かったに違いないが、それが朝鮮民族では近世にいたるまでなかった、というのは不思議でならない。
その事は、朝鮮の人々にとって政治という概念そのものが、そもそも最初からなかったのではないかと思えてくる。
卑近な例でいえば、日本にいたアイヌ民族というのは我々、倭人のように道というものを案外必要としていなかったのではないかと思う。
小さな集落を作り、食料としては穀物に依存する割合が小さかったので、穀物の栽培に束縛されることが少なく、自由に移動できたわけで、その意味からすれば国家の形成というものもなかったわけである。
国家がない以上、統治するという概念もわかなかったに違いない。
ところが、倭人としての我々の方は、農耕に依存する度合いが大きく、その余剰生産物は換金して、より豊かになろうと目指していたわけで、その為には人との交流が不可欠で、必然的に道の整備という事が整合性を持ってくるようになった。
その上、統治するという意味からも、遠隔地をより効率的に管理するためには、道の整備が不可欠で、我々は道を移動することによってより富を得、より知識を得、よりよき政治を目指したわけである。
それに反し、朝鮮半島の人々は、道というものの必要性を全く認識していないということは、統治という概念も、政治という概念も全く持っておらず、日本のアイヌ民族のように、自からの同属的小集団で、他との交流を拒否しながら生きてきたのかもしれない。
しかし、そういう人々でも、農業で生きている以上、余剰農産物というものは必然的に生まれてくるだろうし、それを取り上げるべき徴税という制度があるということは、それを実効有らしめるためにも、道というのは不可欠でなければならなかったと思う。
朝鮮という半島においては、日本のように、四周を海で囲まれた島国ではないので、国という概念がもともと希薄であったのかもしれないが、国という概念に関して言えば、これはそう大昔から有ったわけではなく、大昔ではいかなる民族でも、自らの国という概念は持ち合わせていなかったものと想像する。
しかし、人間が末永く生きることを願い、合理的に生きようと思えば、必然的に他の地域の人々との交流、ないしは自分の持たないものを補うという意味でも、交易とか、最悪の場合、略奪という行為をするためにも、道の存在というものは不可欠であったはずである。
それを無しで済ませるという事は、アイヌ民族や、アメリカのネイテブ・アメリカンのように、宇宙というものを自分の属する小宇宙の中にしか持っていなかったということである。
その事は次の疑問である「税金が途中で雨散霧消してしまう」ということにもなるわけである。
統治するものが、折角徴収した税金、恐らくこの当時では穀物であろうが、それが統治者のもとに来るまでの間に、途中で消えてしまっては、統治者そのものが困るわけで、その原因が途中の役人がねこばばするから、ということまで分かっていれば、当然それに対して対応策を講じるのが統治者としての役目というか、使命というか、自己保存というか、統治の基本中の基本な筈である。
それが出来ていなかった、ということは統治という意味すら理解していなかったというわけである。
日本では、徴税する方も、それなりに徴税したものを安全確実に届くように、又、納めたほうも自分たちが納めたものがきちんと届くように気を配り、采配もし、監視もし、警戒もしたわけで、それだからこそ統治者は下々に対して威厳が示せたわけである。
税金が途中で消えてなくなってしまう、などという事は統治する方もされる方も、全くなっていないということである。
あるのは、人をたぶらかしても、自己のみ得をすればいい、という無責任極まりない生き方である。
朝鮮の人々というのは、儒教思想に凝り固まって、小中華を自負していた、ということであるが、これはあくまでも両班という貴族階級のもので、それ以外の人々には儒教も小中華も一切関係がなかったにちがいない。
あるのは明日食う糧のみであったと想像する。
李朝末期になるまで、国内を縦横に網羅する道がなかった、ということは信じられないことである。
ローマの例を持ち出すまでもなく、道を作ることが国家経営の基本である、ということを全く欠いた民族というのものが近代化に立ち遅れのもむべなるかなという印象を受ける。
道を整備することこそ国家建設の基本であるはずが、それをせずに畦道のようなもので、税金を中央に運ぶということでは、それが途中で消滅してしまうのも致し方ない。
税金が途中で消えてしまう、ということは道の整備が不十分で、それが政治システムの不備に輪をかけているわけで、それでは統治する方もされる方も、共に不幸になっているわけである。
こんな馬鹿な話は我々、日本では信じられない。
統治者というのは自分の隷下の国民、臣民に対して、税金をかけて自己の富を増やすと同時に、そのことによって臣下の人々を潤す、という効果も持っていたわけであるが、そういうシステムそのものが全く機能していないとなると、それこそアイヌや、アメリカインデイアン、はたまたアフリカのマサイ族と同じレベルといわなければならない。
その事は、この地に住む人々が中国の影響下において、中国こそ自分達の見本である、との思い込みから、自分たちでものを考える、ということを怠ってきたからであろうと思う。
中国さえ見ていれば自分たちは安泰だと思っていたものだから、自分で物事を考える意欲を失ってしまったわけで、創意工夫というものを全くしなくなってしまったからだと思う。
それともう一つ、甲申政変でクーデターに失敗した金玉均を暗殺したところまでは、心情的に我々としても理解できるが、彼の死体を切り刻んで晒し者にする、という神経は我々には理解しがたい行為である。
まさしく朝鮮民族の「恨」そのものであろうが、こういう思考は儒教独特のもので、儒教では規範や名分を重んずるがゆえに、人間の本来のあり方に価値を置かず、大義名分に反したものは徹底的に懲罰することを厭わないわけである。だから、考えられないような残酷な刑罰が行われたわけで、その残酷さというものは、我々の想像を絶するものさえ散見される。
日本でも江戸時代には釜茹でとか、火あぶりとか、晒し首という残酷な刑罰があったのは、この儒教の流れを汲む朱子学の影響があったからに他ならない。
しかし、近世においてもそういう刑罰が行われた、ということは為政者の意識が前近代のままであったと言うほかない。

共存共栄の意識の欠如

コリアの人々の政治意識というのは我々には計り知れないものがある。
つい数年前でも、政治の場から降りた2人の大統領を牢屋にいれて、死刑だとか減刑だとか、わけのわからないことをしているわけで、法律というものがあるのかないのかさっぱり理解しがたい。
法に反して大統領が私利私欲を肥やした、というならば分からないでもないが、それにしても大統領たるものが、その地位を利用して私利私欲を肥やす、という行為そのものが我々には納得しかねる。
朝鮮では大統領の座を下りたら何時暗殺されるか分かったものではない。
朝鮮の歴史の中で、道の整備がなされていなかった、ということは逆に考えると、当時の朝鮮を統治する側にいた人たちは、道というものをわざと作らずに、各地に孤立して生きている人々を、むしろ積極的に孤立したままに置いておこう、という配慮があったのかもしれない。
なんとなれば、彼らの倫理では、他人を扶助するという思想がないわけで、あるのは自分の身内と、その同族のみが生きれればいいわけで、他人と共に共存共栄しよう、という気持ちが最初からないわけであるから、その為には支配されている側を個々に孤立させておいた方が有利なわけである。
儒教というのは自らの伝統や、戒律や、規範や、因習を重んじるわけで、この考え方に凝り固まっている限り、現状打破という事はありえないわけである。
人の生き方として、現状打破を否定すれば決して前に進むことはない、という事になる。
事実、朝鮮の人々の歴史がそれを物語っているわけで、改革をしようとした人を晒し者にしてしまうほどに因習に固執していたわけである。
その実、小宇宙であるべき身内の中では、人間の感情としての本質性を持ちつづけているわけで、「親兄弟は他人の始まり」という人間の現実の姿さえ引きずりながら、自分の身内の気持ちさえ一つにし切れなかったのが高宗の心変わりと、閔妃の宮廷内反乱である。
現代流にこの関係を言い表せば、高宗と閔妃は夫婦であったわけである。
この夫婦は、中国の干渉に嫌気が指して改革をしようとまでしたが、最後の土壇場で高宗は気弱になり、閔妃は宮廷官僚にたぶらかされて守旧派の言うがままになってしまったわけである。
この状況というのは、孤立した集落の中で、仲間内の喧嘩をしているようなもので、いわゆるコップの中の嵐に過ぎないわけである。
人の意見を聞くということがないものだから、誰それの長老の意見がもっともらしく取り沙汰されるだけで、事態は一向に前に進まないわけである。
この激動の時期において、朝鮮民族は個々の戦闘では西洋列強に勝っている場面が多々ある。
日本のようの、鹿児島を焼かれたり、下関が砲火を浴びて西洋列強に負けるということはなかったわけで、個々の戦闘では決して弱いということはなかったが、それを集合的に運用するとなると、組織立った戦いでは馬脚をあらわしてしまったわけである。
その事は、国民の大部分が個々の集落の枠を越えて、他との連携の中で生きるというのではなく、アイヌ民族のように、自然の中で、誰からも束縛されることなく、自由気ままに生きていたということである。
いわゆる近代国家というものには一番遠い位置にいたわけで、近代国家ともなれば、組織論で国体というものを論じなければならないが、その組織論というものが成り立たない状況にあったということである。
組織立った国家を作ろうと思うと、彼らの潜在意識であるところの儒教思想というものを払拭しなければならないが、それが出来なかったということである。竹下義朗氏がインターネットの中でも述べているように、朝鮮では封建主義というものを経ずにきた、というところが我々と大いに違うところである。
戦後の教育を受けた我々は、封建主義というものは古い思想で、悪弊以外のなにものでもない、という教育を受けて来ているが、こういう状況を考えてみると、人のというか、社会のというか、その発展段階では、それの有る無しで、その後の近代化に大きな影響が出ているように思える。
日本の場合、江戸時代という長い年月の間に、封建主義というか、制度というか、そういうものがあったが故に、それがそのまま近代化への礎となっていたわけで、その礎があったればこそ、明治維新というものが完遂出来たわけである。
この論文でも両班の悪弊が記述されているが、この両班は(やんばん)と発音し、李朝初期の制度で、文班と武班とあり、文班のほうが武班よりも格が上という事になっていたらしいが、これも今流に言えば、シビリアン・コントロールという事になるわけで、ここで格が上だとか下だとかいう発想が出てくること自体、儒教思想そのものである。
これはまさしく差別意識そのもので、こういう差別意識というものは、人間の集団の中には自然発生的に髣髴してくるものである。
しかし、その反面、人間というのは理性を持っているわけで、近代的になればなるほど、人間の理性が「そういう差別をすることは良くない」という思考が働くようになるのも自然で、その結果として差別の中から、それを打ち破る勢力というものが沸きあがってくるのである。
よって活動的な人間集団では、その差別感で下克上が日常的に繰り返されているのが普通である。
例えば、日本の場合、平安時代というのは貴族の社会であったわけで、貴族でなければ人であらず、という雰囲気が蔓延していたが、次の室町幕府の時代になれば、武士の社会になったわけで、武士でなければ人であるずとなり、江戸時代では身分制度が固定したと思ったら明治維新ではそれが再び破壊されてしまったわけで、そういう差別意識の対象は常に入れ替わっていたわけである。
我々の場合は、差別意識というか、社会的な階級そのものが完全に固定してしまうという事はなかったわけで、その原因はといえば、やはり人々の意識が常に現状打破という方向に向いていたからだと思う。
このように我々は現状に甘んじることなく、常に現状よりも少しでも良くしよう、前向きに進もう、より便利に、より合理的に、という意識は今の我々にも生きついているわけで、これが我々、日本人の物作りの精神として民族意的根源となっているように思う。
儒教というものに考え方を固定してしまうと、現状を変革、改革することが罪悪とみなされてしまうので、前に進むことが全く出来ないわけで、現状を改革、改善、手直しする術が全くないわけである。
人間というものは基本的に好奇心というものを持っているはずで、この好奇心があれば、必然的に「現状を変えてみたらどうなるであろう」という興味が沸いてくるはずである。
そういう興味を発露する場所がないという事になれば、そういう人々の好奇心、ないしは興味というものが何処に向いたかというと、身内の噂話に向かってしまったのではないかと思う。
それが宮廷内の足の引っ張り合い、身内同士の足の引っ張り合い、いわゆる身内という小さなコップの中の嵐を引き起こすのみで、身内以外のものに対する徹底的な差別感情となって現れていたものと想像する。
そこにはやはり儒教というものが、人々の上にのしかかった蓋の役目を果たしたわけで、需給以外のものを受け入れなかった、というところが非常に偏狭なる思考の結果であったとしか言いようがない。
偏狭な上に、自分だけ得をしよう、損をしないように、という気持ちが作用するものだから、隣人と助け合っていくということが出来ない。
例えば、今日本にいる在日韓国人というのは、日本に帰化していないから在日なわけで、それでいて自分達の文化をこの仮住まいの日本の中で保存しようとしているから差別されていると思い込んでいる。
日本に帰化して、その日本の忠誠を誓えば、決して差別されているなどという意識をもたなくても済むが、それをせずに帰化しないまま日本のこの豊かな生活をエンジョイしつつ、もし万が一、日本が何かの災禍に見舞われたときには、「俺は日本人でないから預かり知らぬ」と逃げる算段をしているから、差別されているという意識が抜けきれないわけである。
いわゆる自己中心主義で、相互扶助という意識がないわけである。

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