人権と差別
我々は日常生活において何気なく生きているが、その一人一人の人間に基本的人権があるなどとは認識していない。
それだけ我々の周囲では基本的人権ということが普遍的なものとなっているわけである。
しかし、この基本的人権の確立というものは1789年のフランスの人権宣言までさかのぼる事が出来る。
これはフランス革命の前の時代である。
すなわち、フランスにおいて人権宣言が確立されたことにより、フランス革命が誘発されたと見るべきで、およそ200年の歴史がある。
だからといってこの200年間に、人権に関する差別がなくなったのかといえば、これは未だに続いている問題である。
考えてみれば、人間の歴史、人類の歴史というものは差別の歴史である。
封建制度というのは差別を是認した制度であるし、差別以外の何物でもない。
人間の歴史、人類の歴史ということはそのまま日本史なり、世界史なり、全ての歴史ということである。
歴史を語るという事は差別を語るという事である。
人権という言葉は差別と同義語であると云って良いのではないか。
いま、我々はこれを別々の問題として、同根の問題として見做している。
けれども、世界史でも日本史でも、歴史の内容というのは差別以外の何物でもない。
基本的人権ということを、人間が人間らしく生きていくために必要な基本的な自由と権利というとらえ方をすると、人間の歴史、人類の歴史というものは、太古の時代から差別の歴史であったわけである。
差別を論ずるという事は、いみじくも歴史を論ずるという事になってしまう。
1991年(平成3年)11月9日、NHK教育テレビが大阪で開催された人権問題シンポジュウムの事を放送していたが、近頃の人権問題というのは、この差別を矮小化して、局部的なものを掘り下げて論議されていた。
主権国家における外国人の問題とか、部落の問題とか、こういう問題に関心が寄せられているが、こうした問題は差別という大きな枠の中では極小の問題ではないかと思う。
差別ということを歴史的視野で眺めた場合、余りにも問題が小さすぎると思う。
これというのも国連という国際機関がこうしたマイノリテイ−の問題を取り扱っている関係上、こうした極小の現象にもスポットをあてるという趣旨は理解できると思うが、差別という事を歴史的側面から眺めれば、そのまま政治と経済の問題になってしまうと思う。
国連がマイノリテイ−の問題を検討する背景には、地球上には160ヵ国以上の主権国家が存在する。
その主権国家の中の、民族のバランスの不均衡によるトラブルを解消しようということだと思う。
違う民族が、同じ土地に共存すれば必ずトラブルが生じてくる。
これの解消を目指すものと思う。
しかし、人間の営みというのは、民族と民族のトラブルもさることながら、同じ民族同志でもトラブルは存在するわけであるので、なにも他民族が隣に居るのでトラブルが増えるという事にはならないだろうけれど、差別の問題を解消しようという事は、他民族とのトラブルの解消を目指したものであると理解すべきである。
又、差別イコ−ル基本的人権の侵害という事も、一面では真実であるけれども、基本的人権の侵害という事は、他民族との関係ばかりでなく、同じ民族内においても起こり得る事である。
すなわち、人権問題というのは、人間に関わるあらゆるトラブルの解消という事だろうと思う。これはすべからくいいことには違いない。
この世から差別をなくし、あらゆる人間の人権が守られるという事は理想であり、夢である。
けれども、現実の世の中において、この理想と夢が実現できるかどうかという問題になると、話は又別である。
人間および人類というのは、誕生以来何万年と生存し続けて来た。
けれども、その間ずっとこの理想と夢を追い続けてきたわけであるが、それが実現していないところを見ると、今後とも無理かもしれない。
だが、これも考え方と捉え方の問題で、フランスで人権宣言が出る前ならば、人々は差別ということも認識せず、人権という意識も知らずに、幸せな生活を送っていたのかもしれない。
封建制度のもとでは地主は地主で、農民は農民で、それぞれの小宇宙で満足していたのかもしれない。
有史以来の民族の攻防の繰り返しの中で、征服した側も、された側も、それぞれの小宇宙にそれなりに順応していたに違いない。
今日、我々が、差別だ、人権だと云う裏には情報伝達の発達という事がある。
これが未発達な時代においては、それぞれがそれぞれの小宇宙が世界だと思い込んでいたはずである。
情報伝達の発達があればこそ、我々日本人が南ア連邦のアパルトヘイトに抗議したり、アメリカ黒人の公民権運動の関心を寄せることが出来るのである。
もちろんソ連で起きた一連の改革にも関心を寄せることが出来る。
国連人権委員会(1946年設置)の存在も、情報伝達の発達があればこそ可能であって、情報が地球上を飛び交うのは、科学技術の進歩の賜物である。
情報が帆船と人間の足に頼っていた時代においては、文字通り、よその世界の出来事であった。
又、フランス人権宣言が出された以降の200年の間も、随分ひどい人権侵害というものが継続していたわけであるが、我々が日常的に、人権というものを認識しだしたのは戦後になってからのことである。
最近日本で人権問題としてクロ−ズアップされてきた事に、在日朝鮮人の指紋押捺の件がある。
この時の問題の争点は、指紋押捺が人権の侵害に値するかどうかという事であったが、その後結果的には指紋押捺制度は廃止にされた。
しかし、この時感じたことであるが、指紋押捺がそれほど人権を侵害しているかどうかという事である。
確かに日本の警察は犯罪者を拘束するとその人の指紋を取る。
これは犯罪者の固体識別の便宜のために取るわけだが、日本人でも中学校の中では卒業生の指紋を取って警察の業務に協力しているところもある。
警察としても犯罪を侵すかどうかわからない余分な指紋を保管していても何の得にもならないだろう、そういう観点から眺めれば、在日朝鮮人が指紋を押捺する程度のことは日本の警察の業務、ひいては治安の維持という観点からも協力していいのではないかと思う。
朝鮮人が日本で居住するという事は、日本人および日本政府のあらゆる利便を日本人と共に共有するわけである。
そういう意味で、治安の維持という言葉は少々オ−バ−かもしれないが、本人にやましい心がなければ、指紋押捺程度の事では日本政府に対して協力すべきではないかと思う。
それを人権の侵害というのは、問題のすり替えではないかと思う。
基本的人権という言葉の中には法の前に平等であるということがある。
朝鮮人の指紋押捺拒否ということはその法に真っ向から逆らうものである。
今は指紋押捺しなくてもいいということは法の方が改正されたということで、それ以降に指紋押捺を強要されたら、確かに人権の侵害ということが成り立つが、法が生きている間はやはり順法の精神というものは大事だと思う。
日本の中で差別という問題を論じていると、どうしても在日朝鮮人の事に触れないわけにはいかないが、在日朝鮮人というのは、どうも日本の法律を無視する傾向があるような気がする。
日本の中においては外国人という立場で、日本の法律に疎いという面があるかもしれないが、そのよい例がパチンコ屋の脱税の問題がある。
真偽のほどは知らないが、パチンコ屋の経営者には在日朝鮮人が多いと聞く。しかし日本の脱税のランキングでは常にパチンコ屋が上位を占めている。
これなども順法精神の欠如ということだと思う。
脱税といえばパチンコ屋ばかりでなく、あらゆる業界に悪徳経営者がいる後を絶たないが、悪い事を真似する必要はない。
これも確かなことは云えないが、日本に居る朝鮮人というのは同族意志気が強いように思われる。
だからなりふり構わず金儲けをするが、その儲けた財貨を100%自分の物にしたいという願望が強いように思われる。
だからこそ所得があれば納税をしなければならないということを忘れてしまっているのだと思う。
これは朝鮮の人ばかりでなく、同じ日本人の中でもこういう人は沢山いるわけで、彼等のみを責めることは出来ないが、朝鮮の本国、北朝鮮であろうと韓国であろうと、本国に較べれば天国のような日本で、金を儲けさせてもらっておいて、脱税をするという事は、やはり日本人として面白くない。
11月9日の放送を見ていたら、外国のパネラ−が「差別というのは自分は意識せずにしている、自分では差別していないと思いながらしている。」と述べていたが、これは全く真実を突いた発言である。
私自身、今述べたように在日朝鮮人のことを述べたが、これも理性として差別していないつもりで書いたつもりであるが、結果的には差別になっていると思う。
けれども一人の日本人として心の隅ではどうしても朝鮮の人々、中国の人々には信用がおけないという面が拭いされない。
こういう心の襞の部分というのは、自分自身の内なる問題である。
差別、差別と外に向けて云う前に、自分の心に向けて問い直さなければいけないけれども、それは一体どういうことかと、問いかえしても答えは帰ってこない。
自分自身が「彼等は信用できない」と思っている事を、どういう風に考え直せばいいのか、「信用せよ」とでも云えばいいのだろうか?
自分自身信用できないものは信用できない。
差別をしてはいけないと思いながらも、信用できないものは信用できない。
しかしよくよく考えてみると、差別するという事と人権の侵害とは直接には結びつかない。先程の指紋押捺の件でも、在日朝鮮人側は「犯罪者と同じ事を強要することは人権侵害だ」と云っていたわけであるが、これなども日本側はそんな意識は毛頭ない、というのが本当の事ではないかと思う。
ただその時点の現行法でそうなっているから、指紋を押せといっているだけで、そんな意識は始めから存在していないとしたら、これは在日朝鮮人側の言い掛りでしかない。
結果的には無用のトラブルを引き起こしたわけである。
やはりこれは信用がおけないということになる。
同じくこのシンポジュムにおいてノルウエ−のパネラ−が発言していたが、ノルウエ−はパキスタンからの労働者の子供に、母国語の教育をしている事を報告していたが、これはなかなか立派な事である。
日本で同じ事が出来るかといえばなかなか難しいと思う。
けれども最近日本も労働者不足で、外国人労働者が沢山入ってきているので、そのための教育という事をなんとか考えなければならないという気運は出てきたようであるが、日本ばかりでなく何処の国においても外国人のことまで考えて学校制度が出来ているわけではない。
恐らく日本ばかりでなく、何処の国でも暗中模索の状態だろうと思う。
けれどもこれは主権国の方の対応であって、入ってくる方の人々はそんな思惑など一切おかまいなく入ってくる。
考えてみれば好き勝手に入ってきて、好き勝手なことをやっているわけである。
難民なんて物はその一語に尽きると思う。行った先のことなど一切おかまいなしである。
こうなると個人の人権という極小の問題から、政治とか外交の問題として取り上げなければならない。
最近の大量交通機関の発達により地球規模で人々が動く、トルコから西ドイツへ、ブラジルから日本へ、朝鮮、フイリッピンから中近東へと、民族大移動というのは団塊として移動しているが、最近のは民族の拡散である。
その流れは低開発国から先進国へと、発展途上国から成熟国家へと、需要のあるところには何処からでも集まってくる。
要するに成熟した既存の国家、主権国家の下の方にどんどん周囲から他民族、他国の人間が潜り込むという形である。
20世紀前半まではその時点で成熟した主権国家が、未成熟な国家に帝国主義的拡張ということで上から侵略を行ったが、20世紀の後半では、成熟した国家が未成熟な国の人々によってその社会の下の部分から侵触されているようなものだ。
アメリカというのは建国以来外来者によって国家が成り立っているが、ヨ−ロッパとか日本というような古来から存在していた主権国家というのは、こうした対応には不慣れである。
ヨ−ロッパ諸国が1992年にECとして統合されるにしても、今の状態、周囲から人が流れこんでくるという状態は変わらない。
ましてや、日本においては社会の下層部分に他国の人が入ってくるなどという状況は初めての事である。
日本の歴史上、他国の人々は社会の上層部には入ってきている。
所謂、帰化人といわれている人々のことである。
主権国家同志が主権を主張し合って戦争という手段で勝った負けたいう状況は我々にとって非常に理解しやすい、過去の経験からその善し悪しは別の事として、従来の常識で理解しやすいが、こうした下からの侵触という状況というのは初めての経験である。
先に述べた在日朝鮮人の指紋押捺の問題でも、彼等の圧力によって法律の一部が侵触されたという事である。
日本の法律体制というものが彼等の圧力に蝕まれ、欠落したということである。
在日朝鮮人の人権擁護の美名のもとに主権の一部が蝕まれたということである。
次は朝鮮人学校の高校野球参加の問題がクロ−ズ・アップされてくると思う。
こうして一つ一つが積み重なって日本というものが外国人によって蝕まれてくるのではないかと思う。
今、日本は景気がよく労働力不足で外国から様々な形で人間が入り込んできている。
合法、非合法、あらゆる手段で外国人が入り込んできている。
人、物、金の国際交流は全て良いものだと我々は単純に考えていたが、これに一度、人権という問題が絡み付くと、今述べたように国家が浸食されるという現象にすり変わってしまう。朝鮮人でも、パングラデイシュに人でも、ブラジルの人でも、パキスタンに人でも、日本で稼ぐだけ稼いで、そのまま本国に帰ってくれれば問題はない。
けれども日本に住み付いてしまうと徐々に彼らの侵触が始まる。
まず最初はゲット−が出来る。
このゲット−というのは治外法権的な形になってしまう。
終戦後日本各地に誕生した朝鮮人のゲット−など全く治外法権的な地域であった。
そのつぎに人権擁護の名目であらゆる法改正を迫られる事になると思う。
以前、外国人労働者を受け入れるかどうかという問題が提起されて、入国管理法が改正されたさい、外国人労働者にも高度な知識技能を持った人は受け入れても、そうでない人は受け入れるべきでない、ということが議論されたが、これなども差別の問題に抵触するが、我々の心情としてはそうあってほしいと思うのは私一人ではないと思う。
というのは知識階級というのは当然数の上でも少ないし、ゲット−を作るということも顕著でないが、ただの労働者というのはすぐ群れて行動しがちである。
それは無理もない話で、誰でも外国に行けば不安で、同国の人同志で集まって一緒に居ればお互いに心強いという心理は何処の国の人でも同じだろうと思う。
それがゲット−を自然に形作る事になると思う。
ノルウエ−の行っている外国人の子供に母国語を教えるということは実に立派な事である。日本では恐らくそんな事は出来ないであろうと思う。
というのは、これだけ物価が高い国である以上、そういう余裕はないのではないかと思う。以前、日本で働く人々の為の日本語学校というのが
それは成人に対するものであったが、成人である以上働かないことには収入がないので、全員脱走してしまったという経緯がある。
子供は働くという事がない(少なくとも日本内においては)が、成人ならば働かなければならない。日本語を悠長に覚えている暇などないのである。
そして、そういう労働者が日本に辿り付いた場合でも、仕事というのは大都会に集中しているわけで、勢い大都会に住み付くということになる。
だからその結果として大都会にゲット−が出来るということである。
又、彼等にとっては日本の法律などというのはあってないようなものである。
入国管理法に引っ掛かって本国に送還されるのは本当に運の悪い一部の人間だけである。
よくアメリカ映画でメキシコの密入国というのがあるが、日本というのは周囲を海で囲まれている以上、一部の地域では全くの自由自在に出入りできるといってもいいくらいである。
以前の金大中拉致事件や、北朝鮮スパイ、キム・ヒョウヒの日本語の先生というのを見ても明らかなように、日本というのは全く開かれた国である。
出入り自由な国である。
こういう状態で外国人が社会の下の部分の階層にどんどん潜り込んでくるということは、日本という国の土台が侵触されるという事である。
それが人権擁護の美名のもとに行われる。
ノルウエ−が外国人に母国語を教えるということは、一応は合法的に滞在している外国人ということだろうと思うが、日本の場合、合法だろうが、非合法だろうが、その見分けがつかないのが現状ではないかと思う。
仮に入国する際に合法であっても、滞在期間が過ぎてしまえば非合法になる。
そういう意味で、日本に居る外国人労働者というのは非合法の人が大部分ではないかと思う。
そして非合法の人々というのは基本的人権で云うところの法の前に平等という、その法を破っていることになる。
逆に云うと法を守っていないので不平等に扱ってもいいということになる。
けれどもこれは日本人の感情にそぐわない。
日本人の認識では都合の悪いことは故意に無視して、正義感ぶるところがある。
「法の前に」という前置きを無視して、「人間はすべからく」と勝手に解釈してしまう。
人間の姿をしておればすべからく人権があるという日本人の認識はこういうところの存在している。一種の慈悲心である。
日本人が感情に支配される人間であるという証拠でもある。
ゴスペルと差別
この原稿を書いている途中に、サンデ−・ゴスペル・コンサ−トというのに行ってきた。
ゴスペルと人権や差別と、どんな関係があるかというと、これは大いに関係がある。
ただし、私が「人権と差別」のことを書く事とは何の関連もない全くの偶然である。
ゴスペルというのは教会の賛美歌を黒人が歌ったもので、同じ賛美歌でも黒人が歌うと一種違う雰囲気になってしまい、それがゴスペル・ソングである。
音楽のジャンルの中でもまた格別の味わいのあるものになっている。
どうして私がゴスペルを聞いてみる気になったのかといえば、これがジャズのもとであるからである。
ジャズというのはこのゴスペル・ソングがもとになっているのである。
これはジャズの通の人なら常識であるが、そのジャズのもとに触れてみたいと思ったのが聴きに行く気になった次第である。
又、このゴスペルが実は人権と差別に深い関わりがあるのである。
今までジャズを聴いても、この問題と結びつけて考えたことはないが、たまたま人権と差別について書いている最中にゴスペル・ソングを聴く機会に恵まれたので、そういえばこの二つは、お互いに関連があることに気が付いた。
ゴスペルというのはアメリカでアフリカから連れてこられた黒人が教会の礼拝の時歌う賛美歌のことである。
本質的にはヨ−ロッパの賛美歌と同じ物であるが、これを黒人が歌うとまさしくゴスペル・ソング、黒人霊歌に変身してしまう。
黒人がなぜ教会で賛美歌を歌うのかと云えば、これは被圧迫民族として、心の拠り所をキリスト教に認めたからである。
農奴として支配者の白人から差別、圧迫されていたからキリスト教にすがって生きてきた、といわれている。
南北戦争前の黒人奴隷というのは、在日朝鮮人の比ではなかったろうと思う。
まるで牛や馬と同じで、鎖につながれ売買されたのである。
これが人権侵害、差別といわずしてなんであろう。
そうした人々が、心の拠り所としてキリスト教にすがって生きることは、必然的な成り行きであろう。
別な宗教でも良かったろうけれども、当時のアメリカ大陸にはキリスト教しかなかったのではないかと思う。
キリスト教というのは、こうした虐げられた人々に広く浸透した。
そして大農園の奴隷、又、南北戦争以降は開放された黒人奴隷は教会で礼拝をして、魂の救済を求めた。
その時に歌った賛美歌がゴスペルであり、黒人霊歌である。
賛美歌であるので伴奏はオルガンが主体であり、あとはアカベラである。
賛美歌というのはウイ−ン少年合唱団とか、サウンド・オブ・ミユ−ジックで歌われるエ−デル・ワイスの歌は我々も時々耳にするが、同じ賛美歌でもヨ−ロッパの雰囲気とは全く違う、異質の賛美歌である。
同じ賛美歌といっても、多少はアレンジしてあるが、全く違った、独立した音楽のジャンルになってしまっている。
黒人のリズム感とハ−モニ−が実に素晴らしい、歌詞が分からなくても、体が自然にスイングしてしまう。あのフイ−リングというのはまさしくニグロ・スピリチャアルである。アフリカ系の黒人のリズム感である。
聴いているだけで精神が高揚してきてしまい、一種のオカルト的な雰囲気に飲み込まれそうである。
出演者はケイナン・パプチスト・アンサンブルというニュ−ヨ−ク・ハ−レム教会の聖歌隊というものらしいが、女性4人、男性3人にオルガンとドラムという編成であったが、ニュ−ヨ−クのハ−レムといえばアメリカでも一番治安の悪いところで有名である。
しかし、一番治安が悪いかもしれないが、ここはまさしくモダン・ジャズの発祥の地である。
黒人霊歌、つまりゴスペルというのは黒人奴隷の多かった地方、つまりニュ−ヨ−クよりももっと南の方、ノ−スカロライナ、ジョ−ジア、アラバマ、ルイジアナに多かっただろうと思う。
この辺りで黒人が教会の中でゴスペルを歌っていたと思う。
そして南北戦争で黒人が開放されると、南軍兵士が捨てていった楽器、ドラム、トランペット、トロンボ−ン等を使って、黒人達がやりだしたのがデキシ−ランド・ジャズである。
このデキシ−ランド・ジャズと黒人霊歌が密接につながっており、その共通分母であるはずの賛美歌が、あのように賑やかな音楽に変身してしまっている。
ヨ−ロッパ人が奏で賛美歌は、いかにも賛美歌らしく、薄暗い教会の中で行儀よく歌うというものであるが、これがゴスペルとなると、同じようにアカベラ(肉声)で歌っていても、体が自然とスイングしてしまう。
又、興に乗ってくると、神が体に乗り移ってしまうようなオカルト的なものになるが、これがデキシ−ランド・ジャズになるとあのカンカン帽に派手派手な上着を着た陽気なブラス・バンドになってしまう。
荘厳な神様も、ついついうかれだしたくなるような陽気な音楽である。
あのデキシ−ランド・ジャズが進化して、スイング・ジャズを経てモダン・ジャズになると、ジャズは再び黒人のものに戻ってきた。
デキシ−ランド・ジャズとスイング・ジャズの間は白人がジャズというものを認識したときで、ベニ−・グッドマンやグレン・ミラ−という白人プレイヤ−が一斉を風靡した時代である。
もちろん黒人のプレイヤ−も大いに活躍したけれど、まだまだ黒人に対スル差別が本当には解消されておらず、偏見が残っていたのではないかと推測する。
それがもう一歩進化するとモダン・ジャズになった訳であるが、モダン・ジャズになると再び黒人が復権して、黒人の音楽になった。
けれども白人にも優秀なプレイヤ−が輩出してきた。ということはジャズが社会的に認識されてきたという事である。
デキシ−ランド・ジャズのあいだは黒人だけのものであったが、昨今では白人と黒人の区別がなく、素晴らしいプレイヤ−が出てきている。
ちなみにデキシ−ランドというのは先程述べたアメリカ南部の地方を総称する言葉でもある。
ジャズがアメリカ社会に受け入れられるまでは、アメリカにおいては黒人というのが被圧迫民族で差別され続けたわけである。
アメリカ社会における黒人差別というのは実にひどいものであったようだ。
やはり南北戦争以前にあった既成概念というのは、一朝一夕には拭いされないものだと見える。
その時点においては白人は支配者で黒人は奴隷である。
この奴隷というのは我々、日本人にはどうもこういう支配の形態というのは馴染めない。
ましてや人間を鎖でつないで管理するという歴史もない。
日本民族の歴史には、人間を金で売買するということはあまりなくて、ましてや人間に鎖を付けて管理するなどという歴史もない。
封建制度華やかな時代では娘を身売りに出すということがあったが、これは今では考えられないような事であるが、アメリカの黒人奴隷の売買とは少し様子が違っている。
アメリカのように公開の場で、アフリカから連れてきた奴隷を売買する、などという大げさなものではなく、ひそかに夜陰に紛れて人には内密に取引が行われていたに違いない。
しかもそれは同一民族内の事である。
成人した人間を労働者として売買するという習慣は日本にはなかった。
言葉を換えて云えば、ヨ−ロッパやアメリカよりも、人権が尊重されていたという事である。
人権と差別の観点からヨ−ロッパの歴史を眺めてみると、ヨ−ロッパでは昔から奴隷という制度が長いこと続いていたわけである。
古代ロ−マ帝国の時代から、戦争で勝った国が、負けた方の国の人間を奴隷として使う習慣があった。
又、それが当然という認識が存在していたに違いない。
それがアメリカの南北戦争の時まで継続していたと見ていいと思う。
アメリカの奴隷というのはヨ−ロッパ人がアフリカまで足を伸ばして、アフリカで奴隷狩りをして、それをアメリカまで運んで、売買していたわけである。
まるで象とか、犀、河馬の扱いと同じである。
こういう認識があればこそ、フランスで1789年に人権宣言がなされ、1861年アメリカのリンカ−ン大統領が奴隷を解放したわけである。
その間80年というも年月が経っている。
けれどもアメリカ社会においては、黒人に対する差別というものはつい最近まで続いていたし、今でもアメリカの白人の心の中には残っていると思う。
アメリカで公民権法が成立したのは1964年のことである。
1964年までアメリカの黒人は公然と差別されていたわけである。
1964年の公民権法が出来るまでのアメリカ社会の黒人差別というのは、我々の想像も付かないようなひどいものであったらしい。
公立の学校が黒人用と白人用に別れている程度なら未だしも、バスの中でさえ黒人用の席と白人用の席が別れていたと云うことであるから、我々ではちょっと想像も出来ない。
その点日本は、差別という点ではこれほどひどい差別はなかったように思う。
在日朝鮮人を圧迫したといっても、バスの席まで区別しようとする程ひどいものではない。まあ日本人と朝鮮人というのは顔つきや体型からは見分けがつかないから、そうならなかったという事が出来るのかもしれない。
日本人は心情的にそういうことは出来ないのではないかと思う。
そういう意味で、日本には極端な差別の歴史がない。
これも日本の特異性の一つといってもいいと思う。
確かに封建時代には片一方には大地主がいて、片一方には貧乏小作がいたことは事実であろうが、小作人というのはアメリカのような奴隷ではない。
小作人というのは農業経営に失敗した人、または世襲のためそういう現状に甘んじていただけで、奴隷とは違っている。又差別とも違っている。
金持ちと貧乏人という立場の違いはあるにしても、差別とは違う。
又、娘の身売りということも存在していたとは思うが、これは親も子も納得づくの取引であり、娘狩りをして女廊屋に売るというわけではない。
(こういう状態もあったかもしれない、けれどもこれは闇の行為である)所詮、ヨ−ロッパ系の人々の行ってきた人身売買とは本質的に違っている。
しかしよく考えてみると日本の女廊屋というのは随分とひどいものだ。
日本の成人男子がああいうところで遊んでいたのかと思うと急に人権宣言が身近なものに思えてくる。
売春という事は人類の最も古い職業だという話もあるが、日本の女廊屋の雰囲気というのは陰湿でいけない。
店の雰囲気というよりも、その裏にある背景が陰湿である。
女廊屋というものは、私が成人に達したときに売春防止法が制定されて、実質禁止になってしまった。
だから私自身、本当の女廊屋というものは知らないけれども、小説や映画で見る限りにおいては、典型的な人権の侵害の展示会場である。
けれども女廊屋とか廓という表現は、どことなく日本的な情緒に富んだ表現である。
私のように米軍基地の近くで成長した人間は、パンパンとかオンリ−という言葉の方が馴染みが深い。
こちらの方はいかにもあけっぴろげで、あっけらかんとしている。
日本的な、じめじめした悲惨さを背負っていないような気がする。
やっていることは同じだろうが、いかにもアメリカ的である。
パンパンとかオンリ−と云っている分には、人権問題も差別用語も、実感がわかないが、女廊屋とか置き屋という言葉を聞くと、ついつい人権という事が心配になってくる。
けれども我々が普通に抱く身売りの話というのは、父や母が病気になって、大金がいるので、身売りするというパタ−ンだから、陰湿なイメ−ジが抜けきれないが、あの業界にも結構自分から入る人も居るようだ。
少なくともパンパンやオンリ−ならば本人の自主的な判断だろうと思う。
女廊屋の方でも、なんらかの借金のかたに店に出るというパタ−ンもあるだろうと思うが、そうなると自由契約となり、我々の心配も少しは軽減される。
海外旅行では韓国にいく日本人旅行者が大勢いるが、あれは大部分がキ−セン旅行、つまり買春ツア−であるといわれている。
もしそれが真実であるとすれば韓国政府は日本に対してもっと怒るべきである。
又、それをする日本人も馬鹿である。
韓国が日本人のキ−セン旅行、買春ツア−を黙認しているのは、日本の外貨欲しさの為ではないかと思う。
日本人の落とす金が、一端はキ−センに渡るとしても、最終的には韓国の外貨になるので容認しているものと思う。
又、日本人の方はいくら金が有り余るっているとはいえ、そんなことに金を使うとは、見下げた連中である。
セックス・アニマル、スケベの極みである。
もう後10年で21世紀になるというのに、紀元前から続いているビジネスに協力して喜んでいるなんてのは阿呆である。
人権や人種差別とは直接関係ないかもしれないが、キ−センというのもやはり業界内でなんらかの圧迫を受けているに違いない。
それに加担するような人間は、もっと有効な金の使い方を考えるべきである。
部落問題について
名古屋の鶴舞公園の近くに高層アパ−トがある。
私が高校生の頃、ここは東京丸ノ内にあった一丁ロンドンとよく似た光景であった。
3階建てくらいの赤く塗られた、当時としてはえらくハイカラな近代的な建物であった。
周囲のバラック建ての民家とはえらくアンバランスであった。
あまりにもモダンすぎたのでそれが不思議でならなかった。
聞くところによるとあれが部落民ということであった。
それが今は近代的なマンションに変わっていた。
日本では部落民は差別されているという事であるが、あれを見る限りにおいては逆差別である。
部落問題というのは昔から日本には存在していた。
徳川時代の士農工商の下に、もう一段下のランクの階級である。
こういう人々の集落が、あちらこちらに存在していた。
それは今でもおそらくその位置に有り続けると思う。
しかし、近年になるとその集落も含めて開発が進み、宅地造成、ミニ開発等によって、部落があったにしても、まわりの人間が、よそから来た人が多くなって、昔の事など気に留める人は誰もいない。
けれども時々人権問題がクロ−ズアップされると、知識人が部落開放を大きく叫ぶものだから、今まで気にも留めていなかった人が改めて認識しなおすと云う事がある。
これを差別と総称しているが、普通の人は日常生活の中で、部落民の事など気にも留めずに生活している。
つまり差別などせずに生活しているわけである。
けれどもそれを時々思い起させるのは、要するに知識人と称する人々の大きな声である。
人がこれだけ移動し、新しい住宅が建ち、移り住む時代に、誰が部落民の事を考えているのか問いたい。
人権だとか、差別だとかいう人が、とくに知識人がそういう事を云うものだから、眠っていた意識が目を覚ますだけである。
けれどもこうした問題も、差別されていると思い込んでいる側にも問題がある。
今述べた鶴舞公園の近くのマンションもそうであるが、建物は立派だが、住んでいる人々の生活態度というものはまるでいただけない。
一種異様な雰囲気である。
この現実を見せ付けられると、「やっぱり」という思いがする。
ということは、我々の側の深層心理の中に差別視するという気持ちが芽生えるわけである。日常生活では全く無意識の内に生活しているが、そうした町を通るたびに、やっぱりと思う。そういう雰囲気を作り出している側にも一旦の責任はあると思う。
人権と差別を考えるにあたって、人を差別してはいけないということは、理性では解っていても、町を通るたびに、やっぱりと思うようでは本当の差別はなくならない。
けれども今述べたように、差別されている側も、それなりの努力をしないことには差別はなくならないと思う。
鶴舞公園の件でも、今、最新のマンションに居住しているが、その先代も当時としては最新のアパ−トに居住していたわけである。
これでは逆差別である。言葉を変えて云えば、特別待遇である。
並みの市民はなかなか市営(?)住宅に入居出来ないのに、彼等のみはいつも最新の住居をあてがわれているということは腑に落ちない。
この現実を日頃、人権とか差別とか口にする知識人はどう解釈するのだろう。
確かに差別という事は無意識の内に行ってしまう。
別に自分が優れているとか、優越感を持っているわけではないが、彼等が異質であるという風に考えてしまう。
しかし、これは我々が人間である限り、又、相手も人間である限り、これからも継続しつづける事ではないかと思う。
前にも述べた通り、朝鮮人を信用できないと思ったり、部落の人々を意識するな、と云ったところで、これはどうしようもない。
思考を止めよ、といわれても止めれるものではない。
これは私一人でなく、日本人一人一人にとっても同じ事だろうと思う。
ましてや、同じ国内に異民族や他民族が共存共栄している社会では当然起こり得る現象である。
お互いの心の中まではコントロ−ル出来ないのではないかと思う。
人間は皆兄弟とは云うものの、毎日の生活ともなれば、やはりいやなものはいやであり、嫌いなものは嫌いである。こうなると個々の心の問題となる。
自己との内なる戦いである。
この心の、内なる戦いの、拠り所が宗教であるはずであるが、この宗教が又非常に排他的である。
排他的であると同時に攻撃的で、帝国主義的な拡大主義である。
他の宗教を改宗させようと、帰依という云い方で、他の宗教を浸触しようとしている。
この地球上において宗教による差別が現在でも公然と罷り通っている。
冤罪事件について
人権問題を論ずるにあたって忘れてならないのが、冤罪事件である。
しかし冤罪事件ということになると、裁判そのものの正否を疑ってかからなければならない事になる。
この問題の原点は、被疑者の最初の取り調べの在り方にかかってくる。
自白の強要と、その自白の信憑性の問題である。
ここに疑念があると、後になってから冤罪事件となってくる。
最初の取り調べにおいて、被疑者が警察官とどういう問答をしたのか、ということがそのまま尾を引いて冤罪事件となるわけであるが、この、やった、やらない、と云う事が最後の争点になるわけである。
この、やった、やらないという点で、警察側がどういう取り調べを行なったか、ということで、人権問題と絡んでくる。
しかし、一般論として、警察という機関は、犯罪者を対象とした機関である。
人を殺したかもしれない人間、物を盗んだかもしれない人間、又、実際やっていないとしても、やったとして人を見るという警察という立場というものは、昔も今も変わるものではない。
警察の機関そのものが、人を見たら泥棒と思うことが、本来持っている本質的な体質である。参考人という、被疑者とは違う、といっても、警察側にしてみれば実質、被疑者と同じである。
まして被疑者となれば犯人と同様の目でみられる筈である。
という事は、人権問題に抵触するからといって、一般の社会人と同じ扱いを期待するほうが無理である。
冤罪事件で問題になるのは、警察が自白を強要したというものであるが、自分が本当にやっていないものだったら、強要されようが、脅迫されようが、自分に正直に振る舞うべきで、自分にやましい心があるため警察の強要、脅迫に屈伏してしまうのではないかと思う。
ただ問題は警察側にもイ−ジ−に事件を片付けたいという心理が作用することも事実だろうと思う。
被疑者に早いとこ自白させて、事件に決着を付けたいと思うことも多々有ると想像する。
被疑者の方も、警察の執拗な追求に、当面逃げたいという心理になることもあると思う。
この二つが噛合ってしまうと冤罪事件となってしまう。
警察側においても、犯人が簡単に割り出すことが出来ないということは、それだけ事件が難しいということで、ほんの小さな手がかりで、犯人と結びつけてしまいたがる傾向というのは有ると思う。
しかし、日本に裁判制度というものがある以上、本来はこの警察の行きすぎというものはチェックされているはずである。
警察の手違いというべきか、間違いというものは、当然裁判でチェックされて然るべきである。
そのチェックを通過して、無実の人が有罪となったとしたら、これは日本の裁判制度というものが、全く機能していないということである。
ましてや20年も30年も前に死刑が確定した事件が、無罪になるなんて事は、裁判というものが一体何をしているのかという事になる。
こういう場合、マスコミは大抵警察の不当性を槍玉にあげているが、これは本当はお角違いで、裁判制度を槍玉にあげなければいけないのではないか。
警察も人の子、それも末端の警察では、人材にも恵まれていないはずであり、そうした人達が取り調べたことが、本当に正しかったかどうかということをチェックするのが裁判所の本来の任務である。
警察官の調書を100%信用して、裁判を運ぶなんて事は考えられない。
しかし、過去の日本の裁判はこういうものである。
それでなければ冤罪事件なんて起こりえない。
大体、一旦死刑と確定した人が、無罪になるなんて事がありえる訳がない。
前の裁判は一体何んであったのか。裁判というもの自体が信用出来ないではないか。
私も個人的に裁判に精通しているわけではなく、裁判というものに全く認識がないといってもいいが、普通の常識で考えてみても、仮に一つの事件が起きる。犯人と疑いの持たれる被疑者が2、3人表れる。それを警察が追求、犯人を絞り込んで、その犯人から調書をとり、警察としてこれが犯人だと確定する。その後裁判が開かれ、何度も公判が行なわれる。
ここで検察と弁護士がやり合うわけであるが、このやり取りを裁判官がじっと聞いていて、最後に結論として判決を言い渡すわけであるが、この一連の過程の中で、当然、警察のやり方というべきか、警察の不当性も表面に出てきて然るべきである。
これまでに何人もの人が立ち合うというか、関連しているわけであり、検察側も警察と一緒の立場とは云うものの、100%警察のやっていることを信用しているわけではないと思う。
検察には検察としての立場としての、モラルなり、規範、正義の規範というものが存在して然るべきである。
又、弁護士だって警察の不当性を追求するチャンスというものがあるはずである。
こうして眺めると、一つの事件には何人もの人間がチェックするチャンスは有るはずである。
自白の強要とか、自白の信憑性というのは、この段階でチェックすることが出来るはずである。
それでも冤罪事件が存在するということは、一体どういうことだろう。
これだけの人間が関わり合って、なおかつ冤罪ということになれば、裁判そのものを否定しなければならない。
ましてや、死刑囚が無罪になるなんて事は、裁判というものが全く出鱈目としか云いようがないではないか。
又、最高裁判所が最終的に無罪としたならば、それ以前に有罪とした下級審の裁判官はどう責任を取るのか。
一般社会においてはこんなミス・ジャッジをすれば告訴されるし、会社の経営者なら追放される。
しかし、裁判所、法曹界ではそういう話を聞かない。
裁判は公正か?
以前、テレビで代用監獄ということを報道していたが、要するに警察の留置場の事であるが、日本では被疑者を警察の留置場に拘留して置ける時間が23日と決まっているらしいが、これが人権上問題になっているということであり、国際的にはこの期間が長すぎるということであるが、この間の警察サイドの取り調べというものが、人権問題上の争点になっているということで、この間に警察が被疑者に対して、自白を強要したり、自白をするよう脅迫したりするということである。
警察としては難しい立場だろうと思う。
犯罪というのは普通の社会人にとっては縁の無い事で、犯罪をする側というのは普通の社会人の枠からはみ出した人々である。
この人達に対して丁寧な言葉で、親切に、丁重に話して問題が解決するとは思われない。
又、自白の強要、脅迫と言ったところで、ちょっと声を大きくしただけでもそういう表現をしようとすれば出来る訳で。これも頭から信用することは出来ない。
第一、普通の人間が、犯罪者かもしれない人の言うことにはもっともらしく聞き入れて、信用し、警察サイドを不当と決め付けることも、危険な事だと思う。
しかし、それを追求するのが弁護士であり、その軽重を判断するのが裁判官であるはずである。
近世の警察サイドの決定的な汚点はかっての特高警察である。
これはまさに人権無視の最たるものである。
終戦前までの特高警察というのは文字通り人権というものを認めていなかった。
この時期というのは日本全土において民主主義というものが死滅していた時期であるので、ある面では致し方ないといってしまえばそれまでであるが、いっその事、ソ連共産党のように粛正してしまった方が後のトラブルが無かったのかもしれない。
日本人はやはり「邪魔者は殺せ」、というドライな行き方は取り得なかったのかもしれない。
このウエットな、情緒的な処置が、今になって歴史の証言ということで、我々の目の前に出てきているのではないかと思う。
その点ソ連共産党というのはさっぱりしたものである。
邪魔者は次から次へと粛正してしまったので、人権の無視だの、権力の横暴などという問題は一切存在していない。
今述べた裁判について言えば、日本人というのはどうしても情緒的な物の考え方をしがちである。
又、近代の裁判というのは法律と照らし合わせて、論理的な物の見方をしなければならない。
裁判が感情に流されてはいけないというのは、私の個人的な考え方であるが、この冤罪事件というのは、この二つの考え方の違いで、全く違った判決が出るのではないかと思う。
西洋人、つまり日本人以外の先進国の人々は、論理的に物を考える習慣がある。
けれども日本人は、ある時は論理的に、ある時は情緒的にとなるので、両極端な結論になるのではないかと思う。
しかし、結論が「天と地」程も相反するようでは、我々一般国民は困るわけである。
それでは心の拠り所を定める事が出来ない。裁判というものが信用できない。
男と女の権利
人権という時、男と女の権利というのも大事な要因だと思う。
終戦後、進駐軍が来た時、男女同権になったといわれ、如何にも民主的な日本に生まれ替わったような気になったことを子供心にも記憶している。
確かに政治というか、選挙の時には、この男女同権という言葉を実感として感じれていたが、日本においては、婦人参政権というのは、昭和20年12月に衆議院選挙法が改正されたさい、婦人にも参政権が与えられた。
終戦後の一番最初の、日本政府の動きではなかったのかと思う。
昭和20年、1945年12月のことで、それで私の年代にとって子供の心に男女同権という事が残っていたのかも知れない。
この参政権が与えられたことにより、如何にも婦人が開放されたように見えるけれども、実際には選挙権として、政治に参加する、投票が出来る、立候補が出来るということで、現実の問題として、実社会で男女同権であったわけではない。
しかし、戦後、労働3法というのが、昭和22年に出来て、この中では婦人は差別ではなく、保護されているわけである。
例えば、残業時間において長時間残業とか、深夜勤務(看護婦等の特殊なものは除く)の除外とか、生理休暇とか、授乳時間というものは、保護の目的で定められているはずである。
最近出来た男女雇用均等法では、女性の社会進出にともない、昇進とか昇給とかで差別するのはけしからんという趣旨で出来ている。
男女同権という言葉は美しいが、これは男の能力、女性の能力というものを、無視したというか、考慮していない概念である。
男性と女性では性による差異は歴然として存在するわけで、世の中の仕事の中には女性では出来ない、または不適当と思われる仕事がある。
又、その反対に女性に適しているが男性には不向きな職域というものも当然存在するわけである。
けれども人間を「種」として眺めた場合には、やはり男性も女性も、人間として同一であろうと思う。
女性に適した職域、男性に適した職業というのは、我々の過去の既成概念がそう思い込んでいるだけだ、という面も否定できない。
従来何の疑いも持たず、そういうものだと思い込んでいただけの事かもしれない。
けれども、男女雇用均等法で云うところの差別、不平等というのは又違った問題ではないかと思う。
仮に同じ年に入社したもの同志でも、男性は深夜勤務もやらなきゃならず、生理休暇も取らず出勤して、女性の方は女性保護の特典をフルに活用しておいて、昇進昇給を同じにせよというのは、少し虫が良すぎるのではないかと思う。
母性保護の法律を撤廃しておいて、そして男女が同じ土俵で昇進レ−スをするのなら、公平ということが言えるかもしれないが、保護の方は目一杯受けておいて、なおかつ男性と同じように、昇進昇給させよというのは、少し虫が良すぎる主張だと思う。
けれども学校の先生などにおいては、男女雇用均等法以前から、文字通り男女同権が実現されている職場ではないかと思う。
女性で校長になっている方も沢山見えるし、学校の先生という職場は、男女同権を絵に書いたような職場ではないかと思う。
それが出来るのも、学校の先生には実績に伴う査定がないからと思う。
ということは車のセ−ルスならば結果が如実に表れてくるが、学校の先生に限って言えば、こうした数字で表れる結果というものがない。
上級学校にどれだけ送り込んだか、という目安は有るにはあるが、これは社会正義上おお手を振って人前で公表できるものではないし、又、教えられる側の学生、生徒にとっては先生の評価を歴然と示す手段もない。
言葉を換えて言えば、情熱を傾けて教えてくれた教師も、そうでない教師も、管理者としてその見分けがつかないという面がある。
けれども実社会では、そんな生易しいものではない。
ノルマの達成は至上命令だし、そのノルマの達成に夜昼なく働かなければならない。
男女雇用均等法が出来る前でも、有能な女性はどんどん男性の職場にも進出していたのである。
キャリヤ−・ウ−マンと云われる人達がそうであるが、こういう能力のない女性が男女雇用均等法というのを楯にとって差別撤廃を叫んでいるのではないかと思う。
キャリヤ−・ウ−マンといわれる人々はそんなことを愚痴る前に、行動を起こしているわけである。
けれども、やはり人間の雄と雌には性による能力の差、適応の差と云うものは、これからも存在し続けると思う。
やはり力を要する仕事、肉体を酷使する仕事、というのは男性の職域だろうと思うが、こういう仕事というのは男性でも嫌な職域である。
よって機械化なり、合理化なりが進んできた。
そうすると女性でも出来ることになり、こういう職場に進んで入ってくる女性も多くなるという次第である。
土木作業の重機のオペレ−タ−でも、建築現場のクレ−ンのオペレ−タ−でも、大型トラックの運転手にも女性が進出してきている。
これは従来なら力を要する仕事が、合理化によって女性でも出来る楽な仕事になったわけである。
男性の職場に女性が進出する時代に、男女雇用均等法というのは時代遅れの感じがする。
アメリカでは女性兵士もおり、アメリカばかりでなく女性兵士というのは世界各国で採用されているが、以前は女性兵士といっても衛生関係か、通信等の後方支援部隊であったが、最近は戦闘部隊まで女性兵士が進出してきている。
日本の海上自衛隊でも女性の艦長が生まれそうだし、海上保安庁も女性に開放されている。今は女性に閉ざされた職場の方が数が少ないのではないかと思う。
男女雇用均等法を振り回わすのは、いわゆるOLといわれる人々で、この人達というのは何ら特殊技能と云うものを持っていない。
仕事に対する取り組み方が、キャリア−のある人達と較べて違っているのではないかと思う。
男と同じように机を並べていても、残業は拒む、出張は拒む、転勤は拒むでは、やはり管理職にしてみれば昇進昇給でペナルテイ−をつけざるをえないと思う。
普通の会社員、事務員という場合、男性は、まあ転職ということは、少なくとも入社の時点では考えておらず、一応はこの職場で出来るかぎり頑張ろうと考えていると思うが、女性の場合は、そういう心構えは最初から欠落しているのではないかと思う。
個々の女性はそう思っていなくても、世間一般にそう思われている以上、そう思われてもし方がない。
まあ俗な言葉で云えば、そういう色眼鏡で見られているという事であるが、それを打ち破るには本人の努力以外にない。
本人が世間一般の色眼鏡を打ち破る努力をしないで、男女雇用均等法という法律を振り回すのは納得できない。
同じ仕事を全く同じ条件でやれば、男女の差はないと思う。
むしろ女性の方が事務という点では優れているかもしれない。
女性と男性の能力の差というものは、ほとんどどの職域でもないのが本当だろうと思う。
けれども仕事、ビジネスというのは一回こっきりの物ではなく、一年365日継続するものである。
そういう連続の日々の中での残業、出張、転勤というものを否定していては、仕事なりビジネスというものの継続性が断ち切られてしまう。
これでは管理者としては心から仕事、ビジネスを任せられないと思う。
今の若い世代は、自分本位で自分の希望に合わなかったり、自分の納得できないものはすぐ法律を楯にして抗議しようとするが、それでは管理者として、その人間を使いづらい事も事実である。
同一労働なら同一賃金というのが理想ではあるが、学校の先生や公務員というのは一応この線に沿ったものになっているはずである。
何等級何号奉という基準で、それによる男女差と云うものはないはずである。
しかし、学校の先生や公務員が果たして労働者といえるだろうか。
労働者といえば炭坑で働く人とか、漁業に従事する人とか、道路や鉄道の工事に携わる人々であって、学校の先生や公務員というのは労働者ではない。
労働組合という用語から、労働者と位置付けられているが、この労働組合という言葉も
100年以上経っている用語で、学校の先生や公務員までもひっくるめて、労働者というのは時代にマッチしていない。
こういう人達は、肉体労働者ではないが勤労という意味では仕事をしているので、勤労という言葉にすれば先生も公務員も勤労者には違いない。
そうすると労働組合ではなく勤労者組合と変えれば時代にマッチしてくると思う。
労働3法も勤労者というものを労働者と別に考えなければならない。
労働3法というのも、終戦後の昭和24年に出来たものである。
すでに40年以上経過しており、時代にマッチしていない。
すでに産業構造そのものが変わってきている。
この戦後40年を経過したということで、男女雇用均等法というものが出来てきたこと自体、時代の変遷である。
しかし、私の個人的な見解によれば、あらゆる仕事、職域において、男女の差というものはないと思う。
性による能力の差と云うものは有ることは有る、けれどもそれは労働条件を変えるとか、仕事の条件、環境を上手に配慮すれば、男女の差というものはほとんどないといえる。
けれども労働条件を配慮しなければということは、それ自体が女性のハンデイ−キャップの一つであるということに昔も今も変わりはない。
例えば生理とか出産というものを、労働条件の中でどういうふうに配慮するのかという点で、3ヵ月も出産休暇を取ったものと、その間に休まずに出勤した男性社員を同じに評価するということは納得できない。
これは仕事の差別でなく、労働条件の差別というか、性による労働条件の相違で、これを勤務評定に加味してはいけないという論法は、ちょっと虫が良すぎる主張と思う。
これは不平等ではなく、労働条件の違いである。
人権上の問題としては何ら疑義のある事ではない。
婦人の労働について
女性が男性の職場に進出してくるのには目を見張るものがあるが、男性が女性の職場に入ろうとするのには鼻持ちならない思いがする。
若い男性がパ−マネント屋になりたがったり、保母ならぬ保父になりたがったり、看護婦ならぬ看護夫になりたがる男の気持ちが理解できない。
こう思う私の頭が古風で、古い既成概念に取りつかれていると云うことは自分でも判っているが、大の男が女の職域に入っていこうとするところに何とも腑甲斐なさを感じずにはいられない。
男は男らしく、女は女らしくというのが、それぞれ一番それらしく、映るような気がするが、こういう考えが古いとは思うが、女性が艦長になったり、ブルド−ザ−や大型トラックの運転手になろうかというのに、どうして大の男がパ−マネント屋や保父さんになりたがるのか不思議でならない。
こういう場合よく価値観の違いという言葉で片付けられてしまうが、大の男がパ−マネント屋や保父や看護夫に価値を求めるところが理解できない。
そういう職業が悪いという意味ではなく、他の選択がなかったのかという意味である。
その点、女性の方が自分の能力に対して前向きに挑戦しており、よっぽど男らしく、男意気である。男の方が女々しい。
最近では男性の出産休暇というのも法的に認められたようであるが、これからは女性はますます男らしく、男はますます女らしくなっていくのではないかと思う。
男性の職場、職域はみな女性に奪われてしまいそうである。
労働というか、仕事という場合、仕事そのものは男性も女性も全くその能力に遜色ない。
ただ女性なるが由に労働する環境、乃至は状況の違いという不利があるのは免れない。
そういう意味で、女性でも、残業も、出張も、転勤も受けて立てば、これはもう文字通り男女同権、尚且つ同一労働同一賃金になると思う。
今でも女性の多い職場では、女性の管理者も沢山いるわけで、いまさら男女雇用均等法でもあるまいと思う。
この男女雇用均等法を声高に叫ばなければならない人は、自分の無能を棚に上げて、その責任を人に転嫁しようとしているにすぎない。
普通の家庭の主婦の場合、パ−トタイマ−で仕事をするというケ−スが多いが、このパ−トタイマ−も数が多くなると色々注文を出すようになってきた。
このパ−トタイマ−というのは、どういう雇用契約を取り交わしているのか詳しくは知らないが、これは労働の時間を会社側に売り付けていると考えなければならない。
やっていることは勿論労働そのものであるが、これは時間いくらで雇用主に労働そのものを売っているわけである。まさに臨時の臨時である。
経営者の方にはそういう意識があるが、雇用されている側は、自分も社員のようなつもりになっているので、雇用上の不満が出てくるものと思う。
これは雇用される側の思い上りである。
不満があればそこを辞めればいいわけである。
資本主義社会の中で売る側よりも、買う側の方が立場が強いのが当然で、パ−トタイマ−の場合は会社側が買う立場である。
けれども今日の人手不足の状況から、買う側の企業サイドの立場が弱まっていることも現実であるが、パ−トタイマ−の本質はこうである。
ところが現実にパ−トタイマ−で仕事をしている立場の人は、日銭は欲しい、不満は募る、で団結しようとしているが、もともとが暇つぶしの労働である。
する側にとっては、してもしなくてもいい労働である。
中にはそれをしなければ生活が出来ないという人もいるかもしれないが、そういう人ならばパ−トタイマ−ではなくフルタイムの職に就くべきである。
経営側にとっては時間を買うというドライな経営方針で割り切っていると思う。
しかしパ−トタイマ−を募集すると、団地の奥さま連中が大勢志望してくるので、それを上手に利用しようと、知恵を絞るわけである。
が、使われる側はそこまで知恵が回らず、配慮しない。
目先の時間給だけに関心が向いているので、経営者側に上手に使われてしまうわけである。しかし、それはそれでいいと思う。
パ−トタイマ−をする方は、生活の糧ではなく、小遣いの糧であるので、待遇改善というものは他の企業との関係で決まってくる。
他の企業が少し時間給が高ければそちらの方に人は行ってしまう。
まさにビジネスとは熾烈な戦いである。
けれども私がパ−トタイマ−というものに憂慮するのは、家庭の主婦が小遣い稼ぎでパ−トタイマ−に出ていいのかという心配があるからである。
子供が幼稚園や小学校に行っている間だけとか、学校から帰ってくるまでとか、子供が成長して手が掛からないから、とかいう理由で日銭を稼ぎにパ−トタイマ−に出てくるわけであるが、これは私の考えが古風からかもしれないが、やはり家庭の主婦なら家の留守を守るべきではないかと思う。
留守を守るということは、じっと留守番をしているという意味ではない。
普通の家庭において主人とか父親というものが、生活費を稼いでくるのが一応標準的な家庭だろうと思うが、その生活費が足らなければパ−トタイマ−に出るという理由にも納得せざるをえないが、人間の欲望というのは際限が無く、父親がいくら生活費を稼いでも、尚且つ、もっと欲しいと望む主婦が多いのが現状だと思う。
女性の自立とか、家庭からの開放だとか、主婦を家庭に縛り付けるのは古い考え方だとかいいながら、美辞麗句で、理由付けを誤魔化して、パ−トタイマ−に出るというのはついていけない。
主婦の仕事というのは、実は大変な仕事だと思う。
留守を守るということは、第一に孤独である。
だから井戸端会議ということになるのだろうが、その上食事の後片付け、家の中の掃除、と云うことは実に大変な労働である。
それでいて夫からは、給料という形で賃金が出るわけではない。
夫の給料を全部渡してもらったとしてもそれは生活費である。
そういう意味では、主婦が家で留守を守るということよりも、パ−トに出ていた方が気分的にも楽だろうとは思う。
問題なのはパ−トに出ていて子供の教育に失敗しないかということである。
子供にとっては、母親がいつも家にいてくれるということは非常に大きな安心感がある。
一時、鍵つ子の問題がクロ−ズ・アップされたことがあったが、鍵つ子だろうと何だろうと健やかに育ってくれればいいが、主婦が家庭を守っている子供が必ずしも素直に育ってくれるという保証はない。
鍵つ子でも皆が皆悪くなるとは限らない。
けれども子供にとって母親がいつも家にいてくれるということは大きな安心感であることに変わりはない。
パ−タイマ−という端した金で、子供の安心感を捨て去ってもいいのか。
それだけの値打ちがあるのか、ということを考えると、パ−トに出る損得勘定も時間給だけでは計れないのではないかと思う。
この子供の安心感を失うという事は、子供の人権に関わってくることではないかと思う。
親自身が子供の人権を、子供としての人権を無視するようなものである。
家庭の主婦というものは、子育ての時間ぐらいはパ−トタイマ−として家を出ることを控えておいたほうが、懸命ではないかと、いらぬ心配をしている次第である。
婦人の人権というのは、日本では必要且充分に満たされていると思う。
労働基準法では婦人の深夜労働を禁止し、男女雇用均等法では昇進昇格も同じとされており、性による差別は無きに等しい、それ以上に優遇されている。
優遇されているということは男性側から見ると逆差別である。
差別、差別と云っている間に逆差別になってしまったわけである。
現在の会社について
職場の差別で、最近の傾向としてもっと大事なことは、大企業の中の小企業の存在である。大企業がある。するとその企業の建物を管理する別の会社がある、製品の設計だけをする会社がある、試作品の制作だけをする別の会社がある、当然製品を売る会社がある、売った製品のアフタ−・サ−ビスのみをする会社がある。
一般的に子会社といわれているが、親会社の100%出資の子会社、又、出資比率のまちまちの子会社がある。
この会社の系列というものは、先の日米構造協議でも問題になっているが、大企業の業務を、次から次へと子会社に移していく経営方針が問題である。
私は少々不勉強で、こうすることの本当の意義が今だに分からないが、多分税制上のメリットがあるものと思う。
そこのところがはっきりとは断定できないもどかしさがある。
又、俗に天下りの受け皿だとも云われているが、そんな単純なものではないと思う。
最近の銀行では、窓口の受け付けも、その銀行の行員ではないと聞いている。
どうして親会社が、本来その会社の業務であったものを、次々に子会社に分割していくのか、その真意というものが理解できないでいる。
問題なのはこの子会社の方に直接入社した人の処遇である。
こうした子会社には、親会社からどんどん人が天下ってくる。
そしてポストはそういう人達が占めてしまって、子会社の方に直接入社した人にはいつまで経ってもポストが回ってこず、日の目を見る事にならない、という事になる。
子会社といえども独立した会社であるので、それなりに就業規則のようなものがあるのだろうけれども、子会社に入社した人は決して親会社に入社した人を追い越すことは出来ない仕組みになっている。
企業の方は優秀な人材を、学生を採用できるが、子会社の方はそれなりの学生を採用する他なく、企業内の業務は親会社の人間一人に、子会社の人間5人とか6が付くという形で行なわれる。
親会社の方に入社できた人は、10年も経つとそろそろ役職に付くが、子会社の方はいつまで経っても日の目が当らないという具合である。
これは現時点ではまだだれも批判していないが、明らかに差別である。
極めて巧妙に隠された差別である。
これは会社の経費のうちで一番高い人件費の節約の問題が絡んでいるようにも思える。
以前は5万人とか8万人も従業員を抱えていた企業はこの人件費が相当コストを引き上げていたに違いない。
そうした大所帯の企業を、細切れのようにして、小さい会社にしておけば、なにかでトラブルが起きた場合でも、トカゲの尻尾のように、その部分のみ切り捨てることが出来るので、そういう観点から今の大企業は子会社、系列会社、引き入れ外注業者とを利用することにより本体をスリムにしている。
大企業の業務を細切れにして、それぞれを独立した子会社にさせることのメリットは、大企業側から見れば、トカゲの尻尾効果があるかもしれないが、その子会社の方に入社した社員にとっては、飼い殺し的な職場である。
親会社に対して、決してそれ以上になる事は出来ない、どんなに努力しても、親会社以上になることは出来ない。
努力して収益を上げれば親会社に吸収され、実績が悪ければハッパを掛けられ、おそらく管理職のポストには親会社から天下りがあるので、これも駄目となると、若い人にとっては全く夢、希望というものがないという事になる。
しかし、自由主義社会であるので、嫌なら辞めればいい訳で、人権の問題とは結びつかないが、社会的には二重構造になっているわけである。
別に差別とか偏見が入っているわけではないが、社会というか、会社というか、組織そのものが二重、三重になっている。
そしてこれと同じような問題として、引き入れ外注業者と人材派遣会社の存在というものがある。
これも現在は法的にもきちんと確立された制度で、人権とか差別に直接抵触するものではないが、同じ会社の中で仕事をしていても、別の会社であるというケ−スがある。
これも以上述べた親会社、子会社というものが絡んで、親会社の100%出資で、人材派遣会社を作っている場合がある。
今、銀行の窓口業務は、この親会社100%出資の子会社の人材派遣会社の人間が業務をしていると考えていいと思う。
つまり、従来の企業は、全ての業務を自社の人間が行なっていたが、今はほんの管理部門のみが正真正銘の大企業の人間で、それぞれの業務は、それぞれ違った子会社である人材派遣会社の人間で賄われている。
銀行の場合、窓口業務、ロビ−のガ−ドマン、現金輸送する仕事、行内の清掃をする仕事等、これらの業務がそれぞれ別の会社となっている。
これが三菱のような大きな企業になると、アフタ−・サ−ビスの部門、設計の部門、製造の部門等に、もっともっと細分化されてきている。
これは会社経営的にはメリットがあるかもしれない。
しかし人間の社会生活という面から眺めると、親会社に入社できた者はいいが、子会社とか、派遣元の方に入社したものは、長い人生において全く日の目を見ることがない。
これは立身出世という眼鏡で眺めた場合であって、純粋にビジネスとした場合はそれなりに意義の有ることは否定できない。
ただ将来、役職というものに憧れている者にとっては、子会社なり、派遣会社の方に付いていてはなかなかチャンスは恵まれないことは事実である。
問題はそうして何時まで経っても役職に付けないということが人権とか、差別の問題に抵触するかどうかということであるが、これは多分抵触しないと思う。
けれども人間というのはどんなことにも実に尤もらしい理由付けをしてくるもので、近い将来、思っても見なかった理由付けが行なわれて、この企業の系列、人材派遣の問題がクロ−ズ・アップされるか分からない。
この人材派遣の問題というのは経済活動の大きな歪みだと思う。
本来ならば親会社の人間で行なうべき業務を、系列といわれる子会社、乃至は人材派遣、又は引き入れ外注業者というものに行なわせているのである。
このことにより親会社の方は機能的にうんとスリムな体質になることは事実である。
それにより労働組合の方も、細切れに分断されてくるわけで、その分トラブルが分散するわけである。
以前、トヨタのトップの話を聞いたとき、トヨタは外注品の割合が30%,クライスラ−は70%ぐらいだということを聞いたことがあるが、この場合など、完全に経営の合理化につながっているわけで、トヨタの看板方式というのはこの系列、乃至は外注の在り方を極限にまで練り上げたものだと思う。
車の場合、トヨタはあらゆる部品を外注に作らせて、クライスラ−の方は全ての部品を自社内で作っているということを如実に示しているわけで、結果としてトヨタの方に軍配が上がっているわけである。
これは経営サイドから眺めた場合の評価であって、中で仕事をしている人間の側から見た評価ではない。
人権とか差別を論じようと思うと、この中で仕事をしている人間の立場に立たなければならない。
この場合、大企業というのは、過去のネ−ム・バリュウ−で優秀な学生を掻き集めて、採用することが出来る。
そのことはすなわち優秀な人間を採用することが出来るという事であるが、親会社が
100%出資している子会社の方も、独自に採用活動を行なったとすると、これは当然親会社よりは少し下がった人間しか採用できないということになる。
仮に親会社並みの優秀な人間が採用できたとしても、親会社に入社した同期の人間よりも全ての点で少しずつハンデイキャップがついて回る。
その挙げ句ポストにも付けないということが判った時点に、本人自身大きなジレンマに陥ることと思う。
引き入れ外注、人材派遣会社に入社した人はなおさらである。
同じ事務所で机を並べて、同じユニホ−ムを着て、同じ仕事をしていても、その待遇というのは、月とスッポン程違っているのである。
先に述べたパ−トタイマ−の不満と同じ物があるわけです。
今の若い世代というのは、我々の世代とは物の考え方が違っている。
就職ということも、新卒で大企業に入るということをそれ程大事に考えていない。
又、一度入社した職場にそれ程こだわっていない。
我々のような古い世代はどうしても大企業のネ−ム・バリュウ−という物にこだわってしまうけれども、今の若い世代というのはネ−ム・バリュウ−にこだわる事もなく、自分のやりたい事というものを大事にする。
つまり自己の主張というものがしっかりしており、あまり先のことなど考えないという傾向がある。
又、先のことを楽しみに現状に我慢するということもない。
先のことよりも今の方が大事という考え方である。
だから人材派遣会社でも、その場その場で高収入があればいいという考え方が有るのは否めない。
又、以前は「若い時の苦労は買ってでもやれ」ということがあったが、今はテレビのコマ−シャルで「若い時の苦労を買うなんて嘘だよ」というのがあるが、現実にそういう傾向がある。
遠い将来のことを考えて今は堪え忍ぶというのは確かに古くさいが、それでも今の世代は我々が思っている程軽薄ではなく、ちゃっかりした連中も多い。
何時の時代でもこういう両極端な考え方はあったわけで、それが証拠に今でも大企業に憧れる学生は後を絶たない。
ただこの引き入れ外注や、人材派遣会社の人々が、何時人権とか差別の問題を提起してくるのかという事である。
経営サイドが、経営の合理化という論理でこうした系列、乃至は人材派遣業というものを利用しているが、その内にこちらの方から反乱が起きるのではないかと思う。
今はまだその時期でないかもしれない。
だって、系列とか人材派遣業がこれほど世間に蔓延して間がない、人材派遣だけで20年
30年勤め上げた人がまだいない。
だからまだ問題が露呈してきていないが、この問題が露呈してくるには、まだ数年はかかるのではないかと思う。
世の中というのは必然的に、支配と被支配の両極端に分化する。
これは太古よりこの世に人間というものが存在した時からそうなっているが、つい数年前までは資本家と労働者という分け方であったが、しかしこれは今大企業と中小企業、ひいては親会社と系列会社、この系列会社の中には、引き入れ外注業者や人材派遣会社というものを含む構図になりつつあると思う。
この系列会社というのは、親会社から資金という絆で支配されている。
又、ポストは親会社からの出向という形で占められている。
その系列会社の子飼いの社員というのが、目覚める時期に達していないといえる。
人材派遣会社というものの歴史が新しく、まだ人材派遣だけで20年30年という歴史がないので、そうした不満が噴出する時期にはなっていない。
この人材派遣会社というのは法律で定められた業態とは云え、問題を妊んだ業態である。
私の個人的な推測では、これはコンピュ−タ−の普及に伴って出現した業態だと思う。
コンピュ−タ−が社会に出現してくると、キ−・パンチャ−の需要がふえ、その需要を満たすために経験者を有効に使う、という発想の元に、出現してきたと思う。
又、キ−・パンチャ−といのは多量の資料をタイピングしなければならない、するとそれに伴う職業病が出現してきた。
この職業病にまつわる裁判が提訴されると、大企業は自社内でキイ・パンチャ−を雇用すると、その保証問題という厄介な問題が起きることを恐れて、この人材派遣業者の派遣するキ−・パンチャ−に依存するというようになったわけである。
人材派遣会社に依存することにより、その保証という問題を回避することが出来る。
いわば責任回避である。だからこそ、そういう職業病を伴うような業態のセクションは、それを専門にして扱う人材派遣業に切り替える、というのが経営側の経営戦略になっているわけである。
これも経営という観点からすれば必然的なことであるが、派遣されている側の人間の立場というのは何ら考慮されていない。
今後はこちら側の問題が提起されてくるのではないかというのが私の危惧である。
この人材派遣業というのは、現代の矛盾を上手についた業態である。
考えてみれば日本では昔から花柳界には芸者の置き屋というのがあった。
これは宴会の席上に芸者を斡旋する商売で、要するに芸者を管理運営する仕事であったわけであるが、今の人材派遣業というのは基本的にあれと同じである。
けれども今の若い世代では芸者の置き屋と云ってもおそらくイメ−ジがわかないだろうと思う。今は芸者そのものがコッパニオンと呼び慣わされている。
その由来はともかくとして、人材派遣業の目玉というのがキ−・パンチャ−である。
このキ−・パンチャ−というのは一見高尚な仕事のように見える。
コンピュ−タ−と対峙して、いかに理知的な仕事のように見えるけれども、これもコンピュ−タ−の使い方さえ知ってしまえば、後は文字通り単純労働の連続である。
キ−・パンチャ−自身は何ら自分の意志をコンピュ−タ−に入れるわけでもない、ただただデ−タをタイプするのみである。
一日に何時間も同じ作業をするという意味で単純労働である。
よって職業病に陥りやすい。又、コンピュ−タ−が同一ならば誰がやっても同じ結果が期待できるという意味でも、単純労働である。
そういう意味で、人材派遣業に一番適した仕事であるが、今は人材派遣の種目も多技にわたっている。
建物の維持管理の一環として構内の清掃作業なんかもそうだし、製品の梱包作業でも同じ事が云える。
そういう業態のところには、今云った業界にどんどん置き変わっている。
それにより親会社の方は合理化を実施し、組織をスリム化しえるのである。
経営側にとって一人の労働者、社員に仮に500万円の年収、つまり給料として払っているとすると、会社側の人件費としては1200万円ぐらい掛かっているわけである。
経営側はこの人件費という目で人間を見るので、どうしても外注ということになる。
我々は500万円しか給料を貰っていないとしても、会社側とすれば1200万円ぐらい支払っているわけである。
これには社会保険、失業保険、厚生年金等、我々が引かれているのと同等以上に会社側も払っているのである。
こういう国の仕組みである以上、経営側としては自分の子飼いの人間は出来るだけスリムにして、外注を利用したいと考えるのも道理である。
人材派遣会社というのは、この部分を肩代わりしているわけであろうが、問題は仕事の指揮権に、どちらに優先権があるのかという、トラブルの処理である。
親会社には親会社としての、有るべき社員の気風というものが自然発生的に出来るものであるが、派遣されてくる人間が、それにどこまで順応させるかということである。
こういう細かい点で、人材派遣会社の人間と直接タッチするセクションでは色々と苦労があると想像する。
こういうことはデ−タとしては上がってこない、上がってくるのは合理化された結果としての数字のみである。
経営のトップとしてはそれで充分だろうが、中身の人間の方の問題が解決されたわけではない。
本来ならばキ−・パンチャ−も清掃も、梱包もすべて親会社の籍に入れるべきであるが、そうなると、親会社というのは莫大な人数を抱え込んでしまうことになり、小回りの効かない鈍重な経営体質になってしまう。
私のわずか50年の人生経験で世の中を眺めてみると、常に経営者側の方が一歩二歩も世の中を先取りしている。
又、優秀な人材を揃えているだけあって、やることに卒がなく進んでいる。
これは経営という立場に立ったときのことであるが、その点、労働組合の方は完全に立ち遅れている。
組合というのは選挙で人材を集めているので、特別に優れた人材というのは持ち得ない。
又、選挙というチェックがあるので、奇抜な行動ということも出来ない。
その点、経営者側というのはある意味で自由に行動が出来、特別に思い切った手段、方法というものも取り得るチャンスがある。
労働者、つまり自社の社員に不利にならない範囲という枠はあるものの、経営戦略というものは自由に選択できる。
経営側にとって組合側を騙す事は分けない。組合側というのは実に人材不足である。
これも当然といえば当然である。
大学出の優秀な人材というのは、優秀なだけに将来の自分の立場というものを考えているので、心から労働組合に打ち込んでくるようなことはない。
入社2、3年のうちは、お座成りに組合活動に協力している振りをしているが、彼等にとって組合活動というのは魅力にはなり得ない。これも無理ない話である。
例えば仕事の面では、若い人でもかなりの金と権力を(外注や下請けに対して)発揮出来るけれども、組合では選挙というチェック・システムがある以上、そういうことも出来ない。
今の労働組合というのは、経営側のチェック機能というものは存在していない。
ただ反対するか迎合するかである。
これは無理もないことで、組合というのは労働者に賃金を払う立場でない。
ベ−ス・アップの獲得といったところで、会社側にはもともと定期昇給というのがある。
組合活動がなくなったところでこの分は上がるわけである。
これでは組合の意義というものはない。
だから組合というのは活動方針というものを別のところに見いださなければならない。
賃上げも労働条件の改善も、もうすでに限界に近いところまできていると思う。
若い人の場合、組合離れはなにも民間企業ばかりでなく、日本全体のことである。
と云うことは日本の労働組合そのものが、転換点に達しているということである。
系列の問題、引き入れ外注、人材派遣の問題などは、本当は組合がもっともっとしっかり考えるべき問題だと思う。
けれども組合としても別の会社、ということで割合冷淡である。
又、労務管理を担当するセクションでも別の会社ということで、個々の問題としては冷淡である。
だから組合からも、労務の側からも干渉されず、その谷間に落ち込んでいるのが現実である。
ここに大きな問題が内在しているような気がしてならない。
これらの問題はただただ経済性という面でのみ語られているが、そうした企業で働く人の立場で今の社会システムを考えてみることも必要ではないかと思う。