サッチャー来日記念特別番組

 

 

 

 

 

 

「地球新時代」のヨーロッパと日本

 

 

 

名古屋テレビ

 

平成3年9月8日

 

02:15〜04:10

 

 

 

 

 

パネラ−

 

  

 

田原総一郎

田丸みすず

 

 

 

 

 

イギリス元首相

マ−ガレット・サッチャ−

 

東京大学教授

鴨 武彦

 

衆議員議員

宮沢喜一

 

朝日ジャ−ナル編集長

下村満子

 

イギリス下院議員

ジェフリ−・ア−チャ−

 

ノン・フイックション作家

石川 好

 

 

 

              ナレ−ション

 

 

マ−ガレット・サッチャ−

信念と決断の政治家は「鉄の女」と呼ばれた。12年という長期政権を維持した彼女の政治手腕とリ−ダ−・シップはイギリスのみならず世界が認めるところであって。

とりわけ、内政においては英国病を克服し、イギリスに自信と繁栄をもたらした。

 

サッチャ−

国が繁栄しないかぎり、組合も繁栄しない。税金を安くしたり、国家統制を少なくしたり、つまり、自由な経済活動です。

でも只の自由ではなく、法に基づいた自由を持つということです。

 

さらには外交においても彼女の姿勢と決断は目を見張るものであった。

 

サッチャ−

この紛争は、強いものが弱いものを抑圧するもので、これには正義で立ち向かわなければいけない。イギリスはこれまでの歴史が証明しているとおり真実の為に立ち上がる。

 

数々の実績を残したサッチャ−首相ではあったが、人頭税の導入をめぐって国内に混乱を招き、昨年退陣を余儀なくされた。一方激変する世界情勢の元にあって、彼女の言動はより一層注目を集めている。激動のソビエットの行方、統合を控えたECの問題、さらには国際社会における日本の役割と責任についてサッチャ−女史が本音で討論。

 

 

田原

パネル・デイスカッションを始めます。田丸みすずさんと一緒に司会を務めます田原総一郎です。よろしくお願いします。

 

田丸

それでは今夜のパネリストの方をご紹介してまいりたいと思います。まずは田原さんのお隣から、日本の政界でこの方ほど実務、そして理論に明るい政治家はいないといっても過言ではないでしょう、ポスト海部の宮沢喜一さんでいらっしゃいます。

そして、今夜の主人公でいらっしゃいます、イギリスの首相として11年あまり、今世紀最長の在任期間を達成されました。その間あのイギリス病を克服し、フォ−クランド紛争も見事に解決なさいましたアイアン・レデイ−ことマ−ガレット・サッチャ−さんです。そしてそのお隣は史上最年少でイギリス下院議員となり、サッチャ−政権では保守党の副幹事長としてもご活躍ですが、あの世界的なベスト・セラ−「ケインとアデル」の著者でもいらっしゃいますジェフリ−・ア−チャ−さんです。

日本を代表する国際ジャ−ナリスト、御存じ朝日ジャ−ナル編集長の下村満子さんです。国際政治学の権威としてマスコミでも大活躍です東京大学法学部教授鴨武彦さんです。

さてこの方のユニ−クな日米文化論、日本人には定評があります、大宅荘一賞を受賞されました「ストロベリ−・ロ−ド」の著者でもあります、石川好さんです。

 

田原

パネルデイスカッションこれから2時間行ないますけれども、3つのブロックに分けてやっていきたいと思います。まず第1ブロックが、さっきも申しました激動するソ連とその行方、そして問題点と、これが第1ブロック。そして第2ブロックは日本の問題です。

サッチャ−さんではありませんが、フランスの首相クレッソンさんから日本はボロクソ云われていますけれども、或いはアメリカでもジャパン・パッシング激しいんですけれども、一体国際社会の中で日本の何処が、どんな問題が、どんな問題点があるのか、或いはこれから日本は国際社会の中でどういった貢献をすればいいのか、この日本の問題点、これが第2ブロック。そして最後に第3ブロックですが、このサッチャ−さんのイギリスを含めて、ヨ−ロッパが今大きく変わろうとしている。来年はECの統合が行なわれますが、このECの統合を巡ってサッチャ−さんは確か消極派というか、反対の意見をおもちだと思います。このECの統合、これをどう考えるか、或いはこれが世界に対してどういう影響を及ぼすのか、21世紀、世界の枠組みはどうなるのかという、この3つのブロックに分けて討論をやっていきたいと思います。まず各ブロックでサッチャ−さんから意見を伺い、或いは宮沢さんからご意見を伺い、そしてパネリストの皆さんからご意見、或いは質問をいただこうと、こういう形でやっていきます。

 

第1ブロック

         激動するソ連とその行方

 

田原

さて、第1ブロックですが、さっき申しました、昨日からソ連では人民代議員大会が開かれていますけれども、繰り返しますけれども昨日、今日、明日の3回ですね。

今の成り行きでは、このソ連邦というものは事実上解体してしまうと、大統領はいるんだけれども閣僚もなくなってしまう。最高会議もなくなると、共和国連合のようになってしまうんですが、一体、ソ連がこうなって世界の安全保障というか、世界の秩序が保たれるのかどうか?一体ソ連はどうあるべきか?何がどうなのか?この辺の問題についてサッチャ−さんから発言をしてただきたいんですが?なるべく手短にお願いします。

 

サッチャ−

手短にやってみましょう。今のモスクワの状況がどうなるかと申しますと、今後とも軍や外交、そして幾つかの経済政策については、中央からの政策が行なわれるでしょう。

この事はほとんどの共和国が必要だと認識しています。何故なら、我々はソ連との信頼関係によって軍縮協定に合意し、既に調印されているからです。

その上これはソ連邦全体と調印した協定です。これは監視されなければならず、実行に移されなければなりません。更にそれを実行していくためには中央に権限や権威がまとまった形でなければならないのです。

第2に信用供与、貿易についての協定、それから借款の供与の問題があります。

これはソ連全体に対して行なわれたものであります。従って中央政権にこの借金を返済して戴かなければなりません。

第3にソ連の通貨はル−ブルです、ですから中央的な経済政策を行なう機関というものがなければお金の価値は守れません。しかし、これ以外の権限は他の共和国に委譲されるでしょう。この事は悪い事だとは思いません。どちらかというと良い事でしょう。

なんといっても我々がこれまで注意を払ってきたのは、あらゆる政策が中央集権で行なわれてきたという事です。ですから権限を拡散すれば色々な人が責任を負う事になります。それによって初めて権限の行使を学ぶわけです。さてそれでは、この事がどうなるのかといいますと、ただ単に権限を中央から共和国に拡散させるだけでなく、政府の多くの権限を放棄することによって企業が動き始める事を我々は望みます。

さらに、それぞれの共和国が企業の為の枠組みというものを作る事が出来るように、そのためには適切な法律体制が必要でしょう。商業上の法律、経済に関する法律や枠組みというものが整備されて、自由に経済が動いていくように、それぞれの共和国がなればいいのに、それは銀行や金融制度も同じ事で、しかし、ソ連はこれらのものを導入することを恐れることはないと思います。非常に良い結果が生まれるだろうと思います。

 

田原

どうも有難う御座いました、それでは宮沢さんお願いします。

 

宮沢

サッチャ−さんのおっしゃった事は、ある程度の中心的な勢力がなければ、これこれの理由で困るんだと云う風におしゃったわけですが、私がサッチャ−さんにお伺いしたいのは、果たしてそういう中心的な勢力が、まあどういう名前で呼ぶにしても、本当に成立するかどうかということを伺いたい。

というのは、今度のク−デタ−を見ておりますと、連邦というものを基礎においた力、つまり共産党だとか、KGBだとか、内務省だとか、そういうものが、産軍複合体とか云うものが、自分の勢力を失うことを恐れて、連邦の力が弱まる事で、に対してク−デタ−を起こしたわけですが、そのク−デタ−が失敗したわけですから、そういうソ連邦をベ−スにした力というものは、今や非常に弱まりつつあることは事実だと思う。

そうしましたら、今度共和国を結ぶ、皆を一緒に束ねる絆というものは、何なんだという、ボンドというのは一体何なんだという事になりますと、仮にロシヤとパ−ル・ロシヤとクレムリンぐらいはスラブ民族ですが、それ以外、民族という場合はボンドというものはありません。強いて云えば経済関係というものだけが残る。そういう限りでの、その緩い、その連合というものは可能であるかもしれない、けれども今、サッチャ−さんがおっしゃったような希望からもそうあるべきであって、何が共和国を一緒に束ねるていくのでしょうか?それが第1の疑問、第2の疑問はペレストロイカ、経済改革というものは、これから始まるのであって、これが上手く行くという保障は、今のところ無いのだと思います。それをどう考えていられるのか?最後にそういう、いわば市場経済になり、平和的な自由な国としてのソ連というものが、大体これで間違いないと云う風に我々が思う迄に少なくとも7、8年、或いは10年近い時間が掛かるのではないかと思いますけれど、その点はサッチャ−さんはどうお考えになるのでしょう?

 

田原

宮沢さんは新しい提案をされるのかと思ったら、鋭い質問になりました。うかうかするとパネリストの皆さんの立場が奪われてしまうんで、がんばって下さい。まあその前にサッチャ−さん、宮沢さんの質問に答えてください。

 

サッチャ−

はい、2点ですね、どうすればこの中心的なものへまとまっていくのでしょうか?

これは国際的な責任を皆背負っています。其の事をしっかり守ってもらいたいと思います。そのためにはそれなりの強い力がなければいけません。新しい形のソビエット連邦が共和国にもっと権限を与えたものならば、それは当然、国際的に尊敬されるべきもので、そのためには約束を守り、国際的な責務を守ることが必要です。

例えば防衛についても、核軍縮についても、借金の返済についてもしかりです。さもなければ共和国は少しずつ崩壊してしまうでしょう。さらに共和国の中で何をやるのか決めなければ喧嘩になるでしょう。それは決して満足のいく結果を生まないでしょう。

だから、防衛や責務の問題は常識として中央政府が持たなければならないという事を決めるべきでしょう。共和国がそれぞれの立場で、その役割を冷静に行なう事は当然です。

だから、ゴルバチョフ氏が大統領という立場で、中央の権限を持って、必要ならばアドバイスを受けながら、閣僚会議を決定するということになると思います。

第2の点はペレストロイカが成功する保障はあるのだろうかということですが、政治の世界には保障というものはほとんどないのです。

ですから、大勢の受け身で、消極的であった年配の人々、そして命令されたこと以外やったことの無い人々にとって、これを実行するのは困難でしょう。

ところがモスクワやレニン・グラ−ドで若い人達と話をしますと、彼らは決して軟弱な受け身の人達ではありませんでした。彼らはチャンスを待っています。是非勉強して新しい考え方を身に付けたいと思っているようです。新しい土地や設備を借りて仕事をしようとする人達にも随分会いました。又、そこで講演も頼まれました。10月にはレニン・グラ−ドで講演をすることになっています。国土の14%は既に借地として人々が借りています。そしてその土地で商売を始める人々もいます。成功しているようです。

ソ連でこのような事が起きたのは歴史上初めてのことですよ、しかしこれは国民皆が一緒にやったという事ではありません、極少数の指導力のある人達が、刺激を与えた結果なんです。新しい考え方、哲学、進歩というのは大勢の人達が一緒にやったものではなくて、極少数の指導力ある人たちがインスピレ−ションを示すから、皆が従って来るのです。

ビジネスが成功すれば、その方が収入も労働条件も良くなるという事に気が付くと、ソ連の国民もそのような形のビジネスをやっていくでしょう。だから我々もその過程を手伝いたいとお思います。

なぜなら1900年から第1次大戦が勃発するまではソ連は実は企業家精神が有ったのです。つまり、自由企業制度と云うのがあったのです。そして当時はロシヤと呼んでいましたが、ロシヤの経済成長率はアメリカ以上だったのです。

だから、これを復活させようという事が大事なのです。ソ連は将来にもっと自信を持って良いと思います。

 

田原

はい、下村さんどうぞ。

 

下村

今、サッチャ−さんがおっしゃった、国際的なアブリゲ−ション、或いは約束を守る為に中央連邦的な、緩やかであってもそういうものは必要だと、もしそれが私ども西側の国々にとっても大変大切な事だというんである場合、それはやはり西側が今後ともソ連に対して何らかの形でプレッシャ−というと良くないんですが、やはりそういうアクションなり、外交上の色々な形で、そういう事を訴えていくなり、アクションを取るべきだと思いますか?

 

サッチャ−

ええ、そう思います。中央的な権限は、我々はソ連に押しつける必要はないのです。

彼らは既に義務を負う事をはっきり言っています。ただし非常に困難な事もあります。

例えば、核兵器、そして通常兵器などがそうです。それらの責任をしっかり受け入れるためには中央の権威がなければ、こうした義務を果たす事が出来ません。

更に、統一した通貨が国内で通用する為には、その価値を維持しなければなりません。

そのためには中央銀行が必要ですね。ですから、そういった義務というのは既にソ連は引き受けております。

しかし、我々の考えでは各共和国の大統領といっても、今迄にこのような権限を持ったことの無い人達ばかりです。何といっても沢山の権限を一辺に手にするわけですよ。それ以上の事をやっている暇は無いと思います。

だから各共和国間でも手を携えてやっていくことは沢山有ると思います。中央をパイプにして、各共和国でやっていくのが良いのです。

 

田原

ご意見拝聴ではないぞ、云いたい事を云うんだと云ってました鴨さんどうぞ。

 

その通りです。今の問題というのは、非常に重要だと思いますが、私は一つ二つ仮設的な意見を述べてみたいと思います。

やはり、今度のク−デタ−の失敗というのは非常に大きな意味を持つたと、で、もしク−デタ−が成功していたら、世界の枠組みが冷戦の終決といっても、もしかしたら問われるかも知れないといった心配を世界に与えたと思うんですね。

そうしますと、第1点は、ソ連邦と共和国がどういう力関係になるのかということは難しいが、国際的な支援というものはやはり今のソ連、ネイション・ステイツとして、変わっていくソ連に、EC諸国も、アメリカも、日本も、社会の様々な国が支援をしていかなければならない。ソビエットは様々な条約を守る国際的な義務がありますが、世界の方も相当な支援をしていくというようなことがク−デタ−後のソ連に非常に重要だと。

そういう観点からしますと、もっとソ連の変革というものを大事にして、これを見ていこうと、或いは応援していこう、という国際世論が大きくなりつつあるということは注目すべき点だと思うんです。   

それから2点目は、その連邦と共和国の関係というのは、いずれにしてもこれまでのソ連ではなくて、いろんな変化を起こすと、それは主権国家連合のような緩やかな連合というように行かざるをえない部分があるんでしょう。しかし、それでも一つ一つの共和国が完全に独立して生きていけるかというと、これも難しいんではないでしょうか。

ですから、緩やかな連合の中で、その連邦政府というものの解体を完全に引き起こさずに、軍事安全保障の面とか、経済的な重要な側面についてはその権限を分割するという、私はちょっと言葉が難しいかも知れませんが、主権のある部分は共存していくというような側面と、主権の重要な部分については連邦と共和国で分け合って行くというような知恵が、或いは工夫が、このク−デタ−後のソビエットの中に出てきているんではないでしょうか? 

 

田原

私の頭が悪いせいか、鴨さんの質問よく捉えられなかったが!

 

質問ではなくて、意見を述べました。

 

田原

それでは石川さん、どうぞ

 

石川

私はサッチャ−さんの考え方にかなり反対なんです。勿論、ソ連がですね、一つの大きな統一機構がなければ、というのは事実だと思うんですね、そうでなければ、例えば、ある基軸通貨というものがあって、そういうものは保障がなければならない。

それからどっかの国が援助する場合、援助を受けるにあたって、契約をする場所がなければいけない。そういう意味で中央の権力がなければいけない。

しかし、その前提について、それをあの大きな国を統一できるものはもう無いんだという云い方を宮沢さんがなさったと思うんですね、恐らく共産主義と云うものは、まさにあの大きな国を統一するための便方であったと、やはりソ連の問題というのは、なによりも国が大きい、大き過ぎるということなんですね、それと同じように中国もそうであって、やはり大き過ぎるんですね。

今、いい事は何かというと、小さくなろうという事なんだと、ですから、もし世界が協力できる事があるとすれば、それは確かに、世界とソ連との約束を履行してもらうために、ソ連の通貨がしっかりしてもらわなければならない、それから約束を実行するための中央権力がなきゃならないと云う事よりも、むしろソ連というものが小さく解体していくプロセスを世界は手伝うべきではないかと。

つまり、それは、あれだけ大きな帝国というものを一つのイデオロギ−や、一つの政治権力では統一できないんだと、そういう事の苦しみをソ連は、例えば、ツア−であったり、その前のピヨ−トル大帝がいたりして、専制政治があったんですね、やはり今回も共産主義というもので70何年やってきたと、それが初めて、少しづつ小さくなっていくんだと、そういうところを我々は目撃しているんではないかと、であるとすれば、むしろ解体化していく共和国に、そういうものを目指すよう世界は指示していくべきでないかと。

 

田原

ちょっと今のを確認したいんだけど、というのはソ連邦を支援するんじゃなくて、積極的に共和国を支援しろと!

 

石川

解体していくプロセスを手伝うということで、なるだけ、ソビエット、ソ連が身軽になった方がいいと。中ではロシヤという大きな共和国があるかもしれない、しかし、周りの小さい国、有りますね、そういうものが3つ、4つに、ECのような形で北の方に出来る。ソビエット圏、中央アジアに出来るというような、幾つかの段階を経て今の15の共和国に解体していく、その解体のプロセスを世界は手伝うべきでないか、と考えるんですが如何でしょうか?

 

田原

サッチャ−さん如何でしょうか?

 

サッチャ−

確かに大きな問題ですね。まず、第1に国の規模が大きいか小さいかという事は、政治哲学を決定する要素ではありません。

アメリカは大きな国です、そして中央政府があり、州があります、それでも民主主義を取っております。自由市場経済であります。

一方、アルバニアは小さな国です。そして、共産主義国家で小国ですが、民主主義の国ではありません。つまり、国家の大小は政治哲学とは関係ないのです。

第2に、ほとんどの共和国は出来れば独立したいと思っているのです。でも税金はある程度、中央に収めるといっています。という事は、長い間、民族としてのアイデンテイテイが抑圧されてきたからです。ソ連国内にはかって独立していた国があったのです。だから、今、民族としてのアイデンテイテイを求める動きが出てきているのです。

例えば、エストニア、ラトビア、リトアニアはそうです。第1次世界大戦の後、ロシアはウクライナとグルシアを併合しました。力を身に付け、独立を勝ち取るかどうかは彼ら次第です。

しかし、国際条約においては条約を調印した人が実際にその条約を実行しなければ信用できません。軍縮協定はソ連邦が共和国、全てを代表して調印したのです。各共和国はこれに合意したのです。これは守らなければなりません。

そして、これを遵守するのは中央政府でなければなりません。ソ連邦が代表するという事は決して共産主義に戻る事を意味しません。 

第3に、私はこうした共和国を救けるべきだと思います。中央政府をも救けるべきだと思います。彼らは法律体系というものをまだ持ていません。

例えば、合弁事業などで契約します、そして、ソ連へおもむくとまず国営企業というのがあるのです。しかし、契約をしたならば、それを履行するという法律体系がまだ出来ておりません。我々の国のように法廷でそれを解決するということもないのです。今、西洋型のものが少しずつ出来始めています。

それに加えて私有財産というものがなければなりません。ソ連では土地を買っても果たして本当に自分が所有権を持てるようになったのかよく分からない点があります。でも彼らは、法律や所有権の問題を一生懸命、暗中模索して学んでいます。

その学習過程を救けることは我々にも出来ます。彼らに欠けているのは経営学や、法律、中央銀行制度、信用供与、そして統計の整備、及び、その仕方と、統計を整理することによって経済を判断するといったことです。

公務員制度というものさえはっきりしたものが出来ていないのです。今迄の行政は全て共産党がやっていたのです。官僚や専門の公務員がやってきたわけではないのです。

あなたがおっしゃったように、我々はあらゆる構造が全部開放したら援助するなどと言うべきではないのです。そんなことを云っていたら企業が全部やってしまうかも知れません。我々はそれを徐々にやっていくように、救けなければならないと思います。

我々が寛大だからそうすべきだと云っているわけではないのです。

1979年、私が政権につき、その後、アメリカでレ−ガン氏が政権を取ると、我々は共同声明を発表しました。その内容というのは、これから10年間で、共産主義は崩壊するだろうと、そして東ヨ−ロッパは民主化に進み、ワルシャワ条約はバラバラになり、ソ連の人々が町に出てきて、自由と民主主義を求めてデモをやるだろう、そして経済の自由化が進むだろうというものでしたが、その時は、誰も信用しませんでした。

でも我々は何の代償も払わずに出来たのです。今、それが現実に起こりつつあるのです。ですから、我々は彼らに民主主義と市場経済を支援しようではありませんか。彼らも繁栄を求める権利を持っているのですから。

 

田原

宮沢さん、宮沢さんはさっき、共和国連合になって、それをまとめるボンドが有るのかという事をおっしゃっいましたが、それに対してサッチャ−さん、お答えになったんですが、それで満足されましたか?

 

宮沢

いや、あのねえ、私はどうやって、疑問に思っている事を、サッチャ−さんにわかって戴けるだろうかと、考えているんですけれど。

つまり、サッチャ−さんがさっきからおっしゃっている事は、とにかく共通の軍備、安全ですね、或いは外交政策、それからある種の経済政策、こういうものはどっかに中心がなければやっていけないはずであるから、中心というものが出来て、それで、こう一つの物になって行くと、こういう風に云ってらっしゃると思うんです。で、私が伺いたいのは、そういう風になると、我々から言えば好ましいけれども、ソ連の共和国の人達が一緒になってそういう自分達の、15なら15の共和国の、そういう命題に答えなければならないと、したがって、自分達は何て呼ぶにしても、中央的な、中心的な共通の政府と云うんでしょうか、を持たなければならないと。

何故そういう風に彼らは考えるのでしょうか?彼らを一緒に考えさせる共通のコモンなるものが、一体何なんでしょうか?それを実は知りたいと、デイスミステイックに考えるという意味ではなくて、本当に皆がデイスインタ−グレイトしないで、緩い形でも一つの中心の、何と呼ぶんでしょうか、フェデイラルと呼びましょうか、ユニオンと呼びますか、そういうものにまとまっていくんだと考える内在的な理由は何ですか?と云う事を私は知りたい。

それは、サッチャ−さんは沢山のソ連の、或いは、共和国の指導者を知っていらっしゃるいますから、私どもより現実的に、長いこと知っていらっしゃいますから、そういう風に考える理由が、私は有るんだろうと思うんで、そこの所を聞かせて戴きた出けないかということなんです。        

 

サッチャ−

お答えします。バルト諸国は独立するでしょう。

これはもう完全に、独立を希望していますし、当然権利があると思います。ウクライナも独立を主張するかも知れません。

しかし、論理的に云って、ソ連がこれ以上分裂すると、ソ連のどこが軍縮協定を守ってくれるのでしょうか?ロシヤ共和国ですか?一番大きな共和国だからと云って、そこが軍縮を守る責任者たりえましょうか?例えば、ソ連に今迄貸し付けた債務はロシヤ共和国が返済してくれるのですか?それとも幾つかの共和国が、いわば独立するという条件の一つとして、それぞれ責任を持つことになるのですか?でもバルト諸国は別にしてください。ソ連に編入されたのは非合法だったのですから。

ここで小さな共和国が恐れているのは、ロシヤ共和国の専制です。軍や核兵器を含む全てを牛耳る事です。ソ連のようなかたちの連邦というのは世界に類を見ないのです。

アメリカは各州の規模がばらばらですが、どの州をとっても絶対的な力を持った州というのはないのです。ところがソ連邦の中では、ロシヤ共和国というのは、それだけでも世界で一番大きいのですよ。地図を見るとロシヤ帝国見たいに見えますよ。ソビエット連邦というより、ロシヤ帝国と云ったほうがいいですよ。

今迄、彼らが引き受けてた義務の実行についてはどういう風に責任を取るのか、どういう風に分担するのか、これは非常に困難なことだと思います。

だから、中央政府がなければいけないと思います。例えば、ウクライナ、これはまあ他の共和国よりは大きいですね、これが又独立したいということになると、ウクライナの債務はどれだけなのか、と云う事になりますね、そして、他の共和国がどれだけ分担するのか。パリで結んだ軍縮条約をその他の共和国も守るだろうかという疑問がでてきます。

ですから、ソ連全体は分裂しないと思います。バルト3国は独立していくでしょう。

ウクライナはあらゆ面でソ連と一緒にやっていくでしょう。しかし、これも我々がどうしろこうしろと言える事では有りません。ウクライナが選択することです。彼らはその権利を持っています。でも、そのためには我々が彼らに対して信頼感を持てるように、彼らも努力しなければなりません。

 

下村

今の議論だが、どちらかというと、我々にとって、そうでなければ不便だという形の議論が行なわれているんですが、それは勿論そうですが、私も、むしろ逆の立場に立って考えても、当面、それぞれの共和国は長い間の悲願でしたから、どんなに小さな共和国でも、自治領でさえが、独立の気運が起こると思うんです。

これは、親離れするみたいに、皆、一人前の大人になったよと、しかし、その後、極めて冷静に自分達の共和国の長い未来を、或いは又、短期的未来でもいいんですが、考えた場合、サッチャ−さんがおしゃたように、西側じゃなくて彼らのサイドでも、何か西側と交渉する、或いは経済援助の事を交渉する、或いは色々な取り決めをするにしても、技術援助にしても、やはり小さな、吹けば飛ぶようなといっては失礼ですが、そういう共和国がわいわいと押し掛けてきても大変ですけれど、それが一つの共同歩調を取って、共通の利益ということで共同歩調を取って、対外的な折衝をする、西側と折衝するという方が、彼ら自信にとっても利益になる事は一杯有るんではないでしょうか?

ですから、単に独立するというだけで彼等は、それで全てが終わりではなくて、それはビギニングだと思うんですね。ですから、私は、どちらかというとサッチャ−さんの意見に賛成なんで、必ずしも我々の利益ではなくて、彼等の利益にもそれが添うんじゃないかという風に思うんですね。

 

 

田原

サッチャ−さん、次の問題でお聞きします。

具体的に、さっきもソ連を支援しろとおっしゃいました。今、具体的に経済援助をするとすれば、それは何処にするんですか?

ソ連邦にするんですか?或いはそれぞれの共和国に具体的にすべきなのか?その点如何でしょうか?

 

サッチャ−

共和国にして悪いという事はないでしょう。

でも又、共産主義的な考え方をしては駄目なのですよ。本当の意味での経済的な民主主義が出来るのであれば、貿易に関するコントロ−ルもなくなって、民営化が進でしょうし、新しい法律が出来て、私有財産が許されると、企業も自由に活動が出来るでしょう。

そうなれば、それは共和国の物でもないし、連邦の物でもありません、丁度、私達の国の企業と同じですね。

5月にソ連にいって、若い人達と話をした時、様々な民主主義的取引が、政府と関係なく行なわれている事を知りました。だからイギリスの様々な会社、例えば、兵器を売りたいとか、或いは、厳しく規制されているものを取引するというのではないかぎり、結構、世界中と自由に取引が出来ているようです。

ですから、様々なコントロ−ルや権限というのはソ連の政府の手を離れていくでしょう。そして共和国とか連邦ということではなくて、別のシステムを作って民営化が行なわれ、民間の手に委ねられていくでしょう。

そのような中で、例えば、システムを作りたいとか、銀行制度を学びたいということであれば、我々は直接、共和国に協力することも出来るでしょう。あくまで共和国の中でそういう事が行なわれるのであればという事ですが。

誰でも学んでいく過程では間違える事もあります。だからこそ協力をするのです。

資源もない、原材料もない小さな共和国がどうして独立できるのですか?現にロシヤ共和国から援助を受けているではないですか。でもリトアニアやラトビアは以前独立していたのですから独立するだろうと思いますが、必要な事は無い物は買う、持っているものは売るということではないですか?それは普通の取引ではないでしょうか?普通の自由な経済ではないでしょうか? ですから、自由経済に移行していくというそのプロセスにこそ援助が必要なのです、先ほど申し上げましたが中央の機能というのは必要なのです。

例えば、中央銀行の制度を作るということには支援が必要です、それは連邦向けの支援です、現在通貨の価値というものは十分に維持されておりませんし、又、兌換性もありません。ですから、現実をよく考えて言わなければなりません、表面的な議論をしてもし方がないでしょう、私達はソ連が自由市場経済になってほしいと思っています、そのためには共和国も自らの権限をある程度押さえるべきです、無論危険なことも出てくるでしょう、権限を持ちたいと思っている社会主義的な傾向も出てくるかも知れません、この人達もおそらくは自由市場経済を主張するでしょう、そして段々、自由市場経済へと歩み寄ってくると思います。

それから、一番面白い事は、私は時々、中々の外交官になれるのですよ。

とても興味深いことはソ連に対して救けて上げなければいけないと皆が思っていること、そしてソ連に政治的な自由が出てきた事です。でもどうすれば繁栄するかは解っていません、だからこそ救けて上げなければならないのです。工場から即、主婦の手に物が渡るわけではありません、つまり商人とか卸業という過程があることを教えて上げなければいけません、そして信用供与をして、必要な設備を買うことが出来るようにして上げなければいけないと思います。   

 

田原

分かりました、鴨さん、確かこの間のロンドン・サミットの時は、ソ連に対する具体的な、例えば、金融支援、金融援助ですね。これに対してフランス、ドイツが大変積極的で、イギリスとアメリカが消極的で、様子を見てという感じでした。日本も消極的でした。

今のサッチャ−さんの意見を聴いていますと、どう判断すればいいのでしょう?

ク−デタ−後変わったということなんでしょうか?

 

あの、まず第1に、ク−デタ−の失敗後、今のソ連の状態というのは非常に困難な状況であって、全て、論理的に進むかどうか分からない。

ロシヤ共和国のエリツインしにしたって、クリミヤの幽閉から戻ったゴルバチョフにしたって、色々な人が歴史上初めての経験をしているわけです。今迄の歴史的な経験に基づいてというわけには行かないわけです。

そうしますと、ク−デタ−失敗後、どうしても保守派による、元に戻るのではなくて、、その支援を何としても西側先進国から得たいと、それはイギリスにしても、アメリカにしても、フランスにしても、EC諸国も日本も、これはもう国際的な利益だと、彼等を救けざるをえない、これはロンドン・サミットの時より事態が深刻なんだという、いかに保守派のク−デタ−が失敗してもですよ、どうやって連邦と共和国の関係を調整していくのか、そしてペレストロイカ、挫折しているのをどうやって立て直すかという大変なことだと思う。だから外交戦略的に慎重だというのは分かりますが、ロンドン・サミットの時にもそういう国があり、より積極的に金融支援まで、というのもあったと思いますけれど、これからの、田原さん、私は重要だと思います。

けれども、政策の強調を、国々がもっとEC諸国でも、アメリカでも、日本でも、もっと詰めて、お互いに何が具体的に出来るんか、と言うことを態度の積極、消極を越えたところで詰めていかなければならないという感じが私はします。それはどういう風にしていくのかという差し迫った課題ではないでしょうか?

 

田原

宮沢さん、今の問題どうでしょう?繰り返しますけれど。

 

宮沢

金融支援をすべきかすべきでないかということはもう問題ではない。しなければならない。それは我々の利益でも有るから、ということははっきりしていて、ただそれをどういう風にしたら、それが有効に生きるのかということを皆が議論しているのであると思うんです、私は、やはり遅いようでも世界銀行やIMFの人達が行って、こういう方法で、こうすることが良い、とか云うことを向こうの当事者とちゃんと話して、その上でやることが大事だと、それは遅いようだけれど、それが出来ないぐらいなら、金を誰にどうやっていいのか分からないはずですから、同じ事だと思うんですね。

ですから、私はそういう事が必要だと思いますが、もっと具体的に考えていきますと、サッチャ−さんが云われたとおり、ソ連に大事なことは、市場経済というものを導入することであるから、それは供給者を複数にするということです。

非常に多くの物を作っている会社が一つしかないという状況を、どうかしてこれにいかなければならない、それには3つぐらい方法があって、1つは外国から行って、合弁事業をするか、或いは、今ある会社を分割するか、或いは産軍複合体を軍需から民需に転換するときにそういう工場に転換するか、資本が本当に要るときはその時であって、その時に出す資本なら、私は役に立っであろうと、こういう風に思います。

もうひとつは多少系列が違いますけれど、資源、石油と天然ガス、或いは内陸の石油もそうですけれど、これは少し資本を投下すると、ソ連自身の輸出力になって、生きてくる可能性がある。私はそういう事が現実的に可能な方法であろうと、ですから金融支援するかしないかという、良いか悪いかという議論はもう既に済んでいて、どのようにすれば有効にソ連の市場経済導入が出来るかということを考えればいいと思う。

 

田原

出来るところからやっていけばいいという点では、鴨さん、同じ意見ですね、そういう意味ではサッチャ−さんも同じだと思います。実はもっと議論したいんですが、次の日本の役割・・・・・・・・

 

ア−チャ−

この点、皆さんは私の意見を待っていらっしゃったのではないかと思いますが、日本の習慣では私は居ないような振りをして黙っているべきかも知れませんが、私の国では1時間も人を黙って座れせておくなんて事は有りませんね。

まず最初に、再び日本に来れて、皆さんとお会い出来た事を、とても幸せに思います。

これまでとても素晴らしい、アカデミックな意見や、サッチャ−女史からの政治的な意見がありましたが、私にとっては二つ大事なことがあります。

まず第一は、先日のソ連の出来事は民主主義にとって非常に打撃だったと思います。

ほんの僅かな間でありますが、皆さんも本当に恐ろしい思いをしたことでしょう。20年歴史が戻ってしまったのではないかと思ったほどです。

しかし、サッチャ−女史の云ったように、皆が町に出てデモをして戦い、そして勝利した。実に素晴らしいことではありませんか。国民が勝ったんです。人民の勝利です。

あの革命で僅か3人しか命をお落とさずに済んだということは、まさに奇跡的なことです。私ぐらいの年の人間は、ソ連の指導者たちが頻繁に暗殺され、処刑され、時には何千人もの人達が一斉に殺されたりしたことをよく覚えています。

将来を通して考えると、この3週間の間に起こった出来事は素晴らしいことであり、歴史的な大事件です。私が生きている間に不可能と思われていたこのようなことが現実になるとは思いませんでした。東欧諸国やバルト3国などがECに入るようなことになれば、共産主義が永遠に過去の物になってしまうばかりでなく、自由主義経済と云う、日本が素晴らしい例を世界にしめした制度がロシアや東欧においても実行できるようになると思うんです。

 

田原

どうも有難う御座いました。    

 

 

第2部

               日本の役割 

 

田原

実は,さっきもちょっと申し上げた,フランスの新しい首相クレッソンさんが、実は,日本の事をかなり痛烈に批判している。クレッソンさんだけではなくて、アメリカでもジャパッ・パッシング、日本は特殊な国だと、日本は訳が分からないと、云う点が少なからず有ります。

サッチャ−さんからご覧になって、今迄,いろんな質問を受けられたと思いますので、イライラしていると思いますが、その苛立ちをここでバンとぶちまけて戴きたいんですが。ずばり、率直に云って、つまり日本の何処が問題なのか、日本が世界で批判されるのは何処が悪いのか、如何ですか?

 

サッチャ−

私は日本が問題のある国だとは思いません。素晴らしい成功をしている国です。

日本こそ自らの努力で民主主義を選び、市場経済を選んで、素晴らしい成功をした見事な例だと思います。マネジメントのやり方、国の方針など、素晴らしいと思いますよ。

時々思うことがあります。他の人達が日本について文句を云うのは、日本をやっかんでいるのではないかと。日本の成功に、そして経営の素晴らしさに嫉妬を焼いているのではないかと。私は嫉妬を焼きません。私は日本に学びたいと思っています。

しかし、そういった批判は気にしない方がいいと思います。誰だって、日本がやった事は出来るのですよと、云ってやったら良いではありませんか?高度に能率的なビジネスをやって、研究開発の技術に投資をする、そして全ての細かい事に気を使って新しい製品を作る、そして沢山の投資をする、それこそが経済活性化の処方箋なんです。

やろうと思う人がいれば、やらせたら良いではないですか?そしてフェアな競争をさせたら良いのです。それは消費者にとっても素晴らしい事なんです。

世界の他の国が思っていることは、自分達の優秀な製品を日本でもっと買ってもらいたい、そのためには輸入できるようにしてもらいたいということです。

だから日本の国民はもっと選択の自由があるべきだと思います。何しろ我々の国では日本の製品は自由に売られているのですから、我々は自由に選択しているのです。

イギリスの流通制度というものは素晴らしいのですよ、イギリスの流通制度は大変良いと思います。日本よりはちょっと良いかなと思いますけれど。

 

田原

サッチャ−さんの言葉で、半ば安心したんですが、クレッソンさんの日本批判はやっか美だったんですか?石川さん、そうなんでしょうか?

 

石川

そうなんだろうと思います。ただ、サッチャ−さんは外交辞令が上手な方だという風に聞いておりましたし、本当にそう思いましたので、ここにクレッソンさんが居てくださればもっと良かったと思いますが・・・・

 

サッチャ−

私は今迄、外交的と云われた事は無いんですよ、はっきり物を云う方でだといわれています。お褒め戴いて有難う御座います。

 

石川

日本ではそういう方を外交上手というのです。もし、これに懲りなかったら毎年日本にきて戴きたいと思います。

でも、サッチャ−さんは大変誉めて下さいましたが、やはり、日本が嫌われている、と云う云い方は私はしたくないんですけれども、妙に思われているとは思うんです。

ですから、どんな風に妙に思われているかということを、今度は外交辞令でなくて、正直に、本当のことをサッチャ−さんに言って戴きたいと思います。

つまりヨ−ロッパの方からも、アメリカからも、言葉として出てきているだけでして、今日はサッチャ−さんに本音で・・・

田原

サッチャ−さんにお聞きする前に、宮沢さんは外務大臣もおやりになっていますし、G7,G5で何度もアメリカ、ヨ−ロッパの大蔵大臣とお会いになって、どうなんでしょう、率直に言ってアメリカ、ヨ−ロッパ・・・・

 

宮沢

其の事も申し上げますが、私の意見を申し上げていいですね。

サッチャ−さんが総理大臣をしていらっしゃる、首相をしていらっしゃる間、文字通り自由貿易というものを非常に、本当に自由にやられたし、又、日本からの資本導入についても大変にフェアにおやりになった、ということを私は心から感嘆してますし、感謝もしております。まず其の事を申し上げておきます。

そこで、その次に、さっき、サッチャ−さんが30分間なさった講演を、実はオ−デイエンスとして伺っていた。

こういう事を言っておられます。湾岸戦争の中で、日本の憲法上の色々な制約を知らない人達が、色々批判したことはアン・フェアであったと。

もう一つ、日本が財政的にした貢献は非常に大きな物であった。こういう二つの事をおっしゃった。其の点、私は非常にサッチャ−さんのご理解を他と致しますが、その話のずっと先の方で、しかし、世界にはまだ自由というものが侵される危険がある云々、各国はそれに対して守らなければならない、それだけの準備をしなければならない、という事をおしゃって、その時には日本ということはおっしゃられなかった、おっしゃらなかたんですが、日本という国が外国に出て軍事行動をするということが出来ない国である。日本の憲法はそういう事を許していない、これは国民的にいろんな意見が有りますから、私は私の意見として申しますけれども、そういう日本である。それ以外、出来る事はさっきおっしゃったように、掃海艇もやりました。又、災害があれば出て行きたいと思うが、しかし、日本の国の外で戦闘行為に従事することは出来ないという、日本であること、そのことが今後の世界の平和の維持のために支障になるのか、そういう日本について、どうお考えになっていらっしゃるのかということを、差し障りが無ければ聞かせて戴きたい。

デイプロマチックであられることは私は差し支えないことだと思いますけれども、ご意見をおっしゃられたら聞かせて戴きたい。

 

サッチャ−

私は正直に申し上げる事にちっとも抵抗は有りませんよ。何時もそうしておりますから。まず日本が軍事大国になることを、好ましくないと思う人が沢山いると思います。でも、それは皆さんお分りのことでしょう。しかし、日本は島国であるわけですから、海上の自衛力というのは必要です。

日本はペルシャ湾の機雷を除去するために掃海艇を派遣しました。

そのような、平和維持活動というのは大切です。ペルシャ湾に機雷が浮かんでいるという事は、海上交通のために良くないことです。これを排除しなければいけません。

こういう、国連の平和維持活動というのが大切なのです、国連は決して戦闘行為をしません。国連は湾岸戦争で戦ったのではなくて、採決された決議を実行したのです。

つまり、国連が我々に道義的権限を与えてくれたわけです。実際に湾岸にいってその決議を実行し、そして安全保障を回復した人々がいたのです。国連は平和が回復され、それを維持するために国連軍を派遣するのです。ですから、自衛隊は平和維持活動に参加すべきでしょう。

他にもっと活発な平和維持活動を施さなければならないような、軍隊を持たない国があります。そこには当然、議論があるでしょう。たまたま銃火に見舞われた時は一体どうするのですか? そういう状況が予想外に出てきた時、通常のル−ルでは自衛の権利がまず優先されるべきでしょう、即ち、自らの国が侵略された場合、これを撃退するのが自衛の権利です。これは国連でもしかりです。

このようなことは非常に稀なことです、侵略されるということは滅多にないでしょう。

そういうことが予想外に起きたとき、日本において自衛権と自衛隊についてはもう既に決断が下されており、その決断は賢明なことと思います。

国連の権限の中にあって、、日本があるべき最もふさわしい事は、国連の平和維持活動に参加することであり、そして世界のシ−・レ−ンを守ることです。貿易、通商というのはこれからも続けなければいけませんし、日本の国益のためにも貿易は必要でしょう。

日本の憲法の事は良く知っております。知らない人も沢山いるようですが、でも事態は変化していくかも知れません、今がそうです、だからこそ、その憲法を守っていく事が正しい事です。その範囲で行動したらいいでしょう。それが日本の国益につながりますから。

田原

今の、宮沢さんの質問にちょっと補足して、サッチャ−にお聞きしたいんですが。

サッチャ−さんは、日本は今の憲法を守って、例えば日本の自衛隊が国連軍、いや多国籍軍に参加して一緒に戦闘行為しない方がいいと、おっしゃいましたね。

ところが、日本では今、日本が、例えば湾岸戦争の時に、多国籍軍に参加しなかった。

戦闘行為を行なわなかった。従って、国際社会での発言力が無いと、国際社会にもっと発言力を持つためには、やはり、一緒に戦うべきだと云う、戦わないから、例えば国連安全保障理事会、いや安保理事国に、常任理事国になれないんだという意見があります。

サッチャ−さんに伺いたいんですが、日本は平和憲法を守り、多国籍軍に参加しない。戦闘行為を行なわなくても、国連の安保理事国に、常任理事国です。なる権利は有ると・・・・ 

 

サッチャ−

日本が安保理の常任理事国になれるかどうかということですが、今、それを求めるのは急ぎすぎでしょう。現在、常任理事国は5ヵ国からなっております。もし、もう一ヶ国が常任理事国になりたいと思いますと、その申請というのは、一ヶ国だけが申請するのではなくて、一つ席を増やすという事になります。そうなると、沢山の国が立候補するでしょう。又、お互いにしのぎを削るでしょう。

だから、今はまだ地域紛争というものがあるわけですから、それを解決するための、平和維持活動を行なうことが先決です。キプロスしかり、レバノンしかり、まだまだ平和維持軍を出すべきところが沢山有ります。日本がまず参加する事が必要ではないでしょうか?

田原

安保理事国と似ているんですが、日本は多国籍軍に参加しない。戦闘行為に参加しないから、従って国際社会で発言力が大変少ないんだ。やはり、国際社会で発言力を持つためには、多国籍軍に参加して、戦闘行為を行なわなければならないんだという意見が、日本の国内で少なからず有ります。この意見についてはどう思われますか?

 

サッチャ−

私が思いますには、日本はもっと大きな役割を果たせる国際的な場が有ると思います。

と云いますのも、日本は優れた経済力を持っておりますし、多くの国際的な協議の場に関わっております。G7の場だけではありません。G7の場でも経済問題だけを取り上げているのではありませんし、外交問題も取り上げております。

以前、私が首相の頃、初めて日本にまいりましたのは、1979年のことでした。それは私の最初のサミットの場でも有りました。それから5、6年の内に、日本は国際問題の場でも、より積極的な役割を果たすようになりました。より現実的な問題においても、討論の場においても、大きく関わるようになりました。これまでのように、全く議論をせず、一方的に言い放しで終わるということも無くなりました。そして、議論そのものにも参加するようになりました。

日本は第3世界に非常に寛大です。湾岸戦争の時に兵力を送った国に対して、日本は援助をしました。この事が、国際活動に参加するという事です。もう一方では非常に積極的に市場経済に移行しようとする国々にも援助をしています、これを国際的な活動というのです。ですから、余りにも自分の国を過小評価なさらないでください。

 

田原

成程、下村さんどうぞ!

 

下村

そうしますと、今、サッチャ−さんのご意見をこういう風に理解してよろしいでしょうか?つまり、例えば、仮に、次に湾岸戦争のような侵略が起こった時には、例えば、アメリカやイギリスのように先陣に立って、自ら不正に対して、悪に対して戦うと、命を懸けて戦うと、それから日本のように、憲法のある国は別にそうしなくても、つまり役割分担ですればいいと、つまり、日本の国が敢えて戦力を送り、そして、命を懸けて同じように戦わなければ国際社会で対等に受け入れられると云うような議論が日本ではしばしば有るんですけれども、特に自民党の方々に多いわけですけれども・・・

 

田原

宮沢さんは違う・・・・

 

下村

つまり、役割分担すればいいという事でしょうか?

 

サッチャ−

私はそう思います。湾岸戦争の時のはヨ−ロッパでも兵力を送らなかった国があります。だからといって、国際問題に対して発言力が無いとは云えないと思います。むしろ、活発に発言しております。日本の憲法は遵守されなればならないと思いますし、今は改正する時期ではないと思います。

 

田原

石川さん、この問題では石川さんと、朝までテレビで何度も討論しましたけれども、石川さんは、戦わない国は、結局、軽蔑されるんだと云っていましたね。日本は戦わないのだから軽蔑されていいんではないか、という意見だったんですが。今のサッチャ−さんの意見、如何ですか? 

 

石川

願わくば、サッチャ−さんの今の発言は湾岸戦争が終わってすぐ、ニュ−ズ・ウイ−クとか、アメリカのメデイアが、日本がこの戦争をル−ザ−であると云った頃、言って戴けると大変良かったと思います。もし、そういう風にサッチャ−さん始め、湾岸戦争に協力した他の国がそういう風に日本を見ているという事であれば、私は大変望ましい事だと思うし、ただ、それを我々がやらないと意思表示してやらなきゃよかったが、出来なかって、どうしたら良いのか分からなくて、平和憲法が有るから何てことで、やらなかったんじゃなかったと思うんですね。つまり、どうしたら良いのか分からなくて、もたもたしていたら時間が経ってしまったと。

 

田原

つまり、リ−ダ−の問題ですね。

 

石川

リ−ダ−の問題もあるし、国民性の問題、いろんな事があると思うんですよ。

ですから、本当は、我々も決断して、お金に撤するとか、軍隊を置かない、という事であったら、サッチャ−さんが誉めて下さった事は本当に嬉しいんですけれど、たまたま成ってしまったために、サッチャ−さんは、そういう風にしなくて良かったんだ、という事は何だか、とても恥ずかしい。

 

下村

私はリ−ダ−の問題だと思いますよ。はっきり言って!

 

田原

今は宮沢さんしかいなくて、片方いないと、欠席裁判になってしまうので・・・・

 

下村

欠席裁判と言うより、日本国民に責任有りますけれど、基本的には日本の指導者、別にリ−ダ−、沢山いるんですから、指導者が世界に向かって、日本という国はこういう国で、こういうことは出来るけれど、こういう事は出来ないんだ、私達のプリンシプルはこれであるという事を、一貫して常にコンスタントに、有事の時でないときでも、常にメッセイジを発してなければいけないのを、何もしなかったと云う事だと思います。

 

田原

鴨さん、どうですか?

 

私は、今、サッチャ−さんがおっしゃった事は大変重要な内容を含んでいると思います。つまり、軍事大国になるような事はやはり不幸になるかもしれんと、日本というのは、今の役割というものを、出来れば経済的な側面に限って、もっと国際的な役割、貢献というものが出来ていくのではないか、というメッセイジは外交辞令とか、そういうのではなくて、今の、日本が国際関係で直面している状況を反映していると思うんですよ。

で、一つは憲法というものを、どうしても改正しなければ、日本が国際的に安全保障といったような場面で、大きな、重要な役割を果たせない、という風に思われるかどうかと、私はそうではなくて、基本的に日本の役割というのは、重要な経済、ガットでもそうですし、IMFでもそうですし、サミットでもそうですが、第3世界に対する援助でもそうですが、重要な意志決定の共有、デシジョン・シアリングというものをきちんとしていくという、そこで役割を果たしていくべきであろうと思うんです。

今のような憲法の体制で、その出来ない範囲というのは自ずから決定されるんで、先程宮沢先生がおっしゃたように、私もそのオ−デイアンスで聞いておりまして、憲法上の制約があって、日本というのはこういうファイナンシャル・コントリビュションと云いますか、そういうものしか出来ない。

それの役割というのは以外と大きいと、それを知らないで批判するのはアン・フエアだとおっしゃったことは、非常に重要だと思います。

私はその線から、今の日本の役割というものを、もっと地域的にどういう風な安全保障を作っていくのか、今、国連の安全保障理事会の話がでましたけれども、安全保障理事会のメンバ−になるよりは、国連の安全保障の機構とか組織を、どうやって地域的に活性化するか、これなんかも非常に重要だと思います。

 

田原

ア−チャ−さん、今の問題で、ア−チャ−さんにお聞きします。質問をします、さっき、サッチャ−さんが、例えば、湾岸戦争の時、日本が多国籍軍に参加して戦闘するよりは、今の憲法を守って、むしろ戦闘に参加しないで、別の形で世界に貢献した方が望ましいとおっしゃいましたが、ア−チャ−さんの意見はどうですか?

 

ア−チャ−

実際、私は湾岸戦争の時、日本に居ましたが、そして日本の報道に接していたわけですが、そこで私が感じたのはサッチャ−さんが言われたように、日本人は劣等感を持つのが好きなんじゃないかと思ったぐらいです。

つまり、他の国が日本の事をどう思っているのか常に周りの目を気にしていますけれども、日本は世界で最も偉大な国の一つですよ、そしてサッチャ−女史が講演でも言われたように、我々は日本のやっていることをよく考え、勉強すべきなんです。

又、日本としても地球上で最も重要な国の一つであるということを認識すべきなんです、そういう意味でも、日本は国際的な役割をもっと果たすべきであり、石川さんがおっしゃったように、日本はちょっと変わった国だと思う必要は有りません。

日本が戦後40年間にしてきたことは尊敬していますし、世界にも貢献していると思います。

ちょと質問に答える前に、サッチャ−さんはイギリスの前の首相ですし、世界的な政治家でも有りますから必ずしも外交関係に差し障りの有ることはストレ−トに答えられないかも知れませんが、其の点、私は当時、保守党の副幹事長でしたから、その立場からクレッソン女史に一事云わせてもらいたいと思います。クレッソンさんが私のように頻繁に来日して、日本の人々と親しく交流していたならば、さらに日本人に暖かく迎え入れられていたのであれば、あんな愚かな事は言わなかったんではないでしょうか.

第3部

           ECの統合について

 

 

田原

もう一つ問題が残っていました。さっき、サッチャ−さんが講演の中でもさかんにおっしゃっていましたガットの問題、日本の食料、米の問題、米の自由化をもっと進めなければいけないんだという問題ですね、この問題でお聞きしたいんですが。

サッチャ−さんからご覧になって、日本は自由貿易の中で色々得をしながら、日本は特に農業問題で閉鎖的であると、壁を作っていてこれを外すべいだと、この問題でもう一回確認したいんですが、米以外にも、日本の閉鎖的な部分は有りますか? 

 

サッチャ−

日本はより自由な貿易から大きな利益が得られます。現にそうなっているでは有りませんか。高品質な物を生産しているじゃ有りませんか。これは自由貿易のお陰です。

ところで、日本の市場はイギリスの市場ほど自由であるかということを聞きたいですね。つまり、それは非関税障壁や文化的な障壁のことです。

何か欲しいものがあっても、外国から輸入するのはやめようと言う文化を変えることですが出来ますか?

イギリスの場合は、何世紀にもわたって日本とは違う考え方をしてきました。

つまり、巨大な帝国の中心にあったということで、世界から、あらゆるところから物が流れてくる仕組みを作り出していたのです。その結果、実に様々な商品がイギリスに入ってきました。イギリスで作ることが出来るとか、作っているとか、言うこととは関係がないのです。価値の有るものは何処の製品であっても、買うときは買うのです。

さっき、ア−チャ−氏が言ったように、イギリス人は日本の製品がいいからかうのです。イギリス人が日本の企業を歓迎するのは、イギリスの労働者をとても良い待遇で雇ってくれるからです。さらに高い水準の物を作ろうとするからです。

日本の企業はそのことをイギリスの労働者にも一番始めに言います。

日本の企業は若い人達を雇いますが、彼らは働く時に、より高い水準の物を作ってくれと云われると、非常に喜んでいるのです。

ですからこれは、日本とイギリスの海洋国家としての共通の伝統だと思います。

お互いに学び合うこともあれば共通点もあるのです。我々はヨ−ロッパでも決して変わった国ではありません。我々は日本の投資をよそより大いに歓迎しているのです。

今度は我々が投資する番です。

 

田原

宮沢さんは、通産大臣のとき、或いは外務大臣をおやりになって、ちょっと違いますか?

宮沢

さっきも申しましたように、この点については、殊にサッチャ−さんが首相で有られた時代に大変立派に、フリ−・トレ−ドの為にやられたということはさっきも申しましたが、私は心から敬意を感じているんです。それが又イギリス病を直す方法でもあった。

ですから、そういう点でですね、我々がサッチャ−さんから教えを受けることは多いと思います、さっき、言われましたように、イギリスが此処まで来るのには大英帝国の中心になっていて、何処からでも、何でも、買わなければならない、そういう立場にあったという歴史の経験があってここまで来たわけですから、さっきも一言おっしゃったように、何処の国でも、歴史と文化ということからなかなか完全には切れない。

ヒストリ−とカルチャ−からはなかなか自由になれないんだということを言われた。

日本の歴史とか文化とか言う、そういう意味では確かに西洋的でない特殊なものがありますから、それだけに難しい部分が残っていて、我々の努力が十分でないということは認めざるを得ないと思うんです。 

しかし、そういう過去、10年の努力を継続して、今、残っているものは本当に難しいもの、所謂ハ−ド・コア・アイテムというものは残っておりまして、それについてやはり国全体でいろんな努力をして、解決していかなければならない。

非常に苦しんでいる問題だという風に申し上げておきたいと思います。

 

田原

石川さん、今の文化の問題ですけれど、自民党の中にも米の自由化反対の人多いですね、自由化しなければいけないと思いつつ、本音の部分では米の自由化反対という、守りたいという気持ち、強いと思うんですが、その辺の問題、如何ですか?

 

石川

僕はそう思っていないですね。米も日本人は自由化していいと思っていると。おおよそそうだと思います。流れもそうなっていると思うし、ただそれをしたくないという風なある種のポ−ズを取っているのではないかと・・・・

 

田原

本当はしてもいいと思っている?

 

石川

そうです。それはいくつかの理由があるのですが、一つは恐いという、瞬間的に恐いというのがあるわけですね。一辺にそこまで入ってきてしまうと何か、日本的な物が何であるかという云う言い方は分かり難いんですが、そういう物が一挙に無くなってしまうからという瞬間的な拒絶反応があって、米の自由化が恐い、しかし、他方ではそれは不可侵な事でほとんど認めていると思うんです。しかし、なんて云うのか米の問題の難しさというのは、そういう数字に現われるものではなくて、ある種の抵抗のシンボルにしてしまったような所があると思うんです。だから、私は米の問題は入れても入れなくても滅びていく、いづれにしても手遅れな問題だと思っている。 

 

田原

下村さん、実は今、サッチャ−さんのおっしゃっている文化の問題というのは、最近の証券スキャンダルから銀行のスキャンダルの問題まで、あれを見ますと日本の馴合というか、もたれ合いというか、日本の閉鎖的な資本主義の構造の矛盾がバンと出てきた感じで、だから、自由化、自由化と言葉で言いながら、実は、実態は、全く自由化出来ていない面が多いんですが・・・・ 

 

下村

先程から、サッチャ−さん、資本主義のことを盛んにおっしゃっていたんですが、確かに日本も資本主義というシステムを取っている国、自由主義経済ということになっていますけれども、建前上は、しかし、現実に中のメカニズムを見ると、先程からサッチャ−さんがおっしゃっているような、個人をべ−スとした、所謂、自由な経済活動の個が、個からスタ−トするんではなくて、よく言われているように、やはり日本は社会主義ではなくて会社主義だと云われているような、企業が単位で、個人は企業の中に埋没しているというか、そういう形の、戦後の多分、経済復興のプロセスにおいて、そういう風にならざるをえなかったかも知れませんが、それがずっと尾を引いて今度のスキャンダル全てですね、会社が優先で個人は後、これは消費者の問題でもそうなんですけれども。

消費者運動が日本は育たないと云われていますね、これも、すべて個ではなくて会社、会社なくしてはそこで働いている従業員、及びそのファミリ−も皆、生活の糧を失うんだという、こういうメッセ−ジがずっと有りまして、会社のためには命を投げ出すというような、愛国心じゃなくて、戦後は、愛国心の変わりに愛社心が最優先し、これをふっきらない限り、勿論、それに良い部分も沢山有るんです。非常に行きすぎだと思います。ですから本当の意味での西洋で云われている、欧米で云われているような資本主義ではないと思いますね。

田原

鴨さん、その点どうでしょう?

 

やはり日本の大地は国際化は非常に進んでいて、貿易にしても、どうしても相互に依存するという形の体制を維持していかなければならないと、しかし、相互に依存するというような状況というのは、これは突き詰めて考えますと内政ですね。

それぞれの国の文化という中まで踏み込んで、いろんな仕組みとか慣行とか、そういうものとぶつかる、そこを何とか調整していかなければならないと、そういう難しさは絶えず有ると思うんですよ。

ですから、米の自由化の問題にしても、私は、日本は色々な自由化を云われてきて、その色々と交渉しながら時間は掛けていますけれども、その障壁を少なくする、取り払うという事をやってきているわけです。

しかし、それでも何処まで、中の政治的な文化みたいなもの、そこで折り合えるかという難しさは、私は、日本の場合、有るのではないかと、孤立は全然していないのです。

しかし、かなり同質的だ、という考え方が、単一的な民族だ、という考え方がなお強いんではないかと、心理的な面で、それからもう一つの論点というのは、先程、サッチャ−さんがおっしゃた、イギリスと日本は似ている面は有るんですが、けれども、今、現状を見ると似ていない面も有る。

つまり、イギリスの場合はECといったような共同体、経済共同体に入っている、そしてその色々な共通政策とか、そういうものを、仕組みを変える中に入っているのです。

ですから、ある意味では相互依存の問題から出てくる難しい内政の問題を調整するというメカニズムというか、仕組みに入っている。ところが日本はそういうようなかなりきちんとしたメカニズムに入っていない。

日米の構造協議にしてもそうですし、日本とECの関係にしても、きちんとした交渉というのは沢山有りますよ、しかし、そういう仕組みに入っているか、入っていないかと云うことはかなり重要な違いがあるのではないかと。これをどういう風に思われているのでしょうか?

 

田原

サッチャ−さんに対する質問ですね?

 

サッチャ−

我々は、皆、協力のための国際的な仕組みを持っているでは有りませんか。もし、我々が小さな貿易ブロックをあちこちに作るとしたらそれは間違っています。

イギリスがECに入るのは、ヨ−ロッパの中にある様々な障壁を破るために入るのです。この事は世界中の国々にとって手本になるでしょうが、又、EC内での共通の農業政策について我々がやってきたことは、他のブロックを作る事ではなくて、ヨ−ロッパでの障壁を崩すために参加したのです、だから、ガットやIMFなど国連を通じて、本当に皆が国際化されれば一番望ましい事と思います。

このようなメカニズムがあれば2国間協定などというものを作ったり、排他的なグル−プを作ったりという事が無くなってくると思います。もし、そのような行為をすると他の国の人達の状態を悪くするだけです。

此処に、農業の助成金の問題があります。助成金は第3世界の農作物の輸出を困難にします。貿易によって国は伸びるわけで、助成金では絶対に良くならないのです。

誰かが前におっしゃっていましたね、文化的に云って日本はとかく身内だけでやっていくという傾向があると、外から見てもそう見えます。どんな国でも癖は有りますが、とかく日本は自分の所だけという風に見えます。

大きなグル−プに属するということはいい事ですけれども、国として誤っている事をしていけません。国家として原理原則を持つべきです。例えば自分の名誉とか立場を確立すべきです。そしてそれらのものを確立した上で、グル−プに属したらグル−プの他のメンバ−を悪くするようでは駄目です。

つまり、グル−プに対して勝手な行動を取らず、忠実でなければならないという事なんですけれど、それによって我々はお互いに価値のある国になれるんです。

 

田原

来年はECの統合が行なわれようとしていますが、サッチャ−さんはECの統合、いわば、大きなグル−プですね、作っていく事に反対だということを聞いております。

サッチャ−さんがECの統合について反対される最大に理由は何ですか?

 

サッチャ−

統合を考える場合、単一の市場で、それが、あらゆる事について同じ基準を設けると、例えば、公害防止、食品や電気製品、自動車の安全基準についてもマ−ケットの中で全部共通にするのであれば、そのことについては大賛成ですよ、その方が我々にとってははるかにチャンスが巡ってくるのです。

同じ基準であれば、電気製品はスペインでも売れるし、何処でも売れる、これは一番いい事だと思います。

つまり、実質的に統合していくと、例えば、主権を持った国でもよりよいマ−ケットになるわけです。私が反対しているのは通貨統合ということで、国の経済政策が別なコントロ−ルを受けていると、議会も様々な権限が取られてしまう、という可能性があります。

我々は国民によって選ばれた議員です。その議会が国を動かして行くわけです。

特に重要なのは予算、つまり財務の面です。その点、我々は自発的な協力の方がはるかに実りが高いと思います。ヨ−ロッパが一つになる事に反対するか賛成かということよりは、どのような形のヨ−ロッパを求めるかという事です。

だからこそ、本当に自由に交渉できるようにすべきです。誇りを持った国家としてそれぞれのアイデンテイテイを持って、多様性を維持したまま、交渉して協力していこうではありませんか。

つまり、この事を私は言っているのです。その方がよりよい世界が出来ると思います。

それぞれの国が国際的な組織を通じて、いくつかのブロックを強く結束させることによって、初めてよりよい協力関係ができると思います。

 

田原

ア−チャ−さんはサッチャ−さんとはほとんどの政策では同じだけれど、統一EC,EC統一に対しては意見が違うそうですね!  

 

ア−チャ−

まず始めに私が世界各地を回りますと、サッチャ−女史がECに対して反対しているといったことをよく耳にしますが、けれどもそれはサッチャ−女史の演説をよくお聞きになれば、彼女がどう考えているか分かるはずです。このテ−マについて付け加えることは有りません。 やはり問題はフランスだと思います、サッチャ−女史がヨ−ロッパの合衆国化ということで、一つの通貨、一人の大統領、一つの議会というようなことを話しますと、そこまで考えている人はいない事が分かります、つまりサッチャ−女史がそこまで云わなければその問題の重要性に気付かないわけです。サッチャ−女史の話を詳しく聞いておればおそらく彼女の話の80〜90%までイギリス人がヨ−ロッパについて思っていることの代弁だということが分かると思います。というのもサッチャ−女史は非常に有名ですから単純に反対だという風に云われがちですが、しかし、私達は一つのヨ−ロッパというのは必要だと思っています。けれどヨ−ロッパが一つの通貨、一人の大統領になることを望んでいるわけではないんです。私達は国民、国家に誇りを持っていますから、それを譲るつもりはないんです。

 

田原

宮沢さん、今の、サッチャ−さんの意見如何ですか?

 

宮沢

今のお話で私は満足です。経済的には一応そういう物のが出来てくるであろうと、自由貿易市場というものが出来てくるであろうと私は思っていて、それに対して我々の地方は今のASEANと、後NIASと、日本と10ヵ国ですけれど、これが大変な勢いで成長しておりますから、世界、大体そういう3つの主な経済の柱が21世紀には立つだろうと思っています。 それで成長が我々の地域が早いから、2010年頃にはアメリカ・カナダ・メキシコ組をGNPでは抜くんではないかと思っていますし、2015年頃にはヨ−ロッパ、EC,EFTA組を抜くだろうと思っているんですけれども、成長の足が少し違うもんですから、大事な事は我々のアジアの地域というものは決して閉鎖的になってはいけないし、外に向かって開かれたものにしていかなければならない、我が国もその一つですから、その努力をしていかなければならないし、幸か不幸か、そのECのよう国の間の同質性が乏しいいもんですから一つの閉鎖的なものにはならないだろうと、又、なってはならないと思っています。そういう意味ではアメリカ・カナダ・メキシコ組もアメリカが中心に居ますからあまり閉鎖的なものにならないだろうと思っています。心配なのはEC・EFTA組はどうも、しばらくはフランスがリ−ドするだろうという心配は有るので、私はここ7、8年は閉鎖的なものになるかもしれないという心配を持っています。しかし、そうは云ってもやはり世界の経済がこれだけ所謂国境を越えてしまっていますからそんなに心配していないんですが、ECには今そういう兆しがある。サッチャ−さんのおっしゃった事はよく分かりましたし、各国は確かに外交政策も防衛政策も、あるいは通貨というものも、これは経済政策に関係有るから放棄すべきでないと云われることはよく分かって、恐らくそういう風なものにECはなっていかないと思います。サッチャ−さんが警告していらっしゃることはきっとその通りであって、そういう風にはならないで、進んでいくんではないかと思っています。

 

田原

今、フランスが考えている方向にいかないと云うことですか? 

 

宮沢

フランスがといいました意味は、フランスは所謂自由経済政策、所謂、市場経済政策というのを取っていない国だと私は思っているんです。イギリスはサッチャ−さんの時に、非常に明確にそうであったし、ドイツもそうでした。しかし、ドイツが統合してからはやはり国内で色々忙しくなっているものですから、やはりリ−ドはフランスがどうしても取るだろうと、そうするとその間は中々思うように開かれたECにはならないのではないかというのは私の心配なのです。

 

田原

鴨さん、どうぞ! 

 

少し大胆に云わせて戴きますが、第1に、ECというのは主権国家の付合い方の一つの先験的な、進んだモデルのような気がするんですね。

何故かと申しますと、先程、サッチャ−さんがおっしゃったように、今の、統合の現実というのは国々の主権をお互いにシアリング・モスベリチィ−という、共有しあって、多元的なプリンシプルの元に、政策を調整して、協調していこうと、従ってイギリスでもフランスでもドイツでも発展的な力を持って何処か統一するというユニテイフイケ−ショではなくて、コ−デイネ−ションだと思うんですよ。

だからこそシングル・ヨ−ロピアン・マ−ケットですね、これは1987年に出来まして、1992年までに人、物、サ−ビス等の非関税障壁を無くすというわけですね、私はこれは何処かが覇権的な秩序をリ−ドするのは難しいと、しかし、主権の重要な部分ですね、防衛とか最後の金融の問題とか、それがお互いに政治的な協調のル−ルを作っていく方向なんじゃないかという感じが、私はするんです、しかし、もう一つ私は関心を持っていますのはECの出発点が、サッチャ−さんどう思われるか分かりませんが、そもそも第2次世界大戦後、フランスとドイツの和解という事を、初めてECSCというのがありましたが、石炭鉄鋼共同体というのがありましたが、つまりお互いに戦争しなくても済むという仕組みを、なんとかして作ろうとする、その試みであったような気がする、そう云う意味では国々の付合い方の一つのモデルではないかと思う、いろんな難しさ有りますよ、ダけれども、この主権国家の付合い方の一つのモデルというのは、ドイツの統合がなぜこれほど早く統一が認められたかと、様々な国が、ゴルバチョフ政権が認めたか、アメリカも認めたか、イギリス、フランスや他の国々が認めたか、これはやはりECといった枠組みが戦後出来つつあるということの現実というのは大きいのではないでしょうか? 

 

田原

サッチャ−さん、今の鴨さんの意見如何でしょうか?

 

サッチャ−

そうですが、私が申し上げたい事はただ一つ、一緒に生活をしたいということです。

大きな紛争は避けたいという事です。人々を強制して人為的に支配しようというのは不可能です。そのようなことをすれば反感を呼ぶだけで、決して協力は得られません。

ヨ−ロッパの歴史を振り返ってみれば、それが一つの支配の元におかれたということは一度足りともありません。そのような支配があったのは戦争によってのみです、しかし、それすら成功しませんでした。

ですから、ヨ−ロッパではいつの時代でも必ずやどこかで自由が享受さているのです。

ユ−グノ−達が新天地を求められたのも、そのような自由な場所がヨ−ロッパには有ったからです。又、一つの領土、領域として考えるということになりますと、文明のル−ルということも考えなければなりません。

例えば、民主主義の発祥ということを考えますと、イギリスは議会の母であり、キリスト教の発祥を考えればロ−マが出てきます。コンスタンチンノ−ブルは法律の発祥の地であり、イタリヤはルネッサンスを通して、素晴らしい美術、多くの書物を生み出しました。そしてイギリスからはより多くの人々にために、第1次産業革命という形で科学技術が世に送り出されました。知的職業に就いている人達がその才能を活用し、それぞれの国民、国家の文明を築き、その特色の違いを生み出したのです。

私達は戦争に負けた事がないのです。島国であったと云うこともその理由の一つかも知れません。イギリスはとっても独立心に富んだ国です。

ヨ−ロッパは多くの異なる地域からなり、多様性に溢れる地域であります。

それぞれの国民、国家は誇りを持っています。それがヨ−ロッパだと私は思っています。さて連邦国家制のヨ−ロッパを望む人々はより強固なる一つのヨ−ロッパということよりはむしろ、連邦制度を好むものだと思います。湾岸戦争の時イギリスが参戦しなかったならば他のどの国が参戦したでしょうか?

 

田原

サッチャ−さんの意見、つまり、それぞれの国家が歴史を持ち、文化を持ち、それを無理矢理人工的に一つにまとめてしまうと無理が起きるだという意見は、それはそれでよく分かります。この問題もっと論じたいんですけれど、しかし、これがソ連の共和国と連邦の問題とかなり重なり有って、まったく今日的な問題であるんですが、残念ながら時間の方が来てしまいました。

 

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