NHKテレビシンポジュウム

 

21世紀の都市像を探る

 

地球都市・名古屋

 

 

1991年(平成3年)8月26日

 

PM 1:00〜3:30

 

名古屋国際会議場

レセプションホール(白鳥センチュリープラザ)

 

 

 

 

         パネラ−・プロフイ−ル

 

司会

曽我 健

1936年生まれ、新潟大学卒業後NHKに入社、「NHK ニュ−スワイド」「NHK特集」のキャスタ−として活躍、主に教育、国鉄、円高シリ−ズなどの分野での鋭い見識に定評がある。’89年〜’91年NHK解説委員長を勤める。

 

月尾 嘉男   東京大学教授

1942年生まれ、東京大学大学院を修了後、(株)都市システム研究所所長、

(財)余暇開発センタ−主任研究員を経て、現在、東京大学工学部教授、工学博士、

都市計画、交通計画、建築計画を専門とし、研究テ−マは人工知能都市研究。

1971年第1回草月実験映画祭入賞

 

細川 護尋   前熊本県知事

1938年生まれ、上智大学卒業後、朝日新聞入社、昭和43年に同社を退社後、

昭和46年参議院議員当選、大蔵政務次官、自民党副幹事長、自民党情報産業調査会会長、参院エネルギ−対策特別委員長、参院議員運営委員会筆頭理事を最後に、昭和56年

国政の場を離れ、翌々年熊本県知事に当選、本年2月まで知事を勤める、退任と同時に

臨時行政改革推進審議会「豊かな暮らし部会」部会長、上智大学非常勤講師、

NIRA(総合研究開発機構)特別研究員に就任、現在に至る。

 

牧野 昇    三菱総合研究所

1921年生まれ、東京大学大学院を修了後、東京大学講師、三菱製鋼(株)取締役を経て、(株)三菱総合研究所の設立に参加、現在、同研究所顧問、運輸省、科学技術庁、

建設省などの審議会及び委員会の委員を歴任、主な著書に「90年代の技術開発戦略」

「エレクトロニクス最前線」がある。

 

宮崎 緑    東京工業大学講師

慶応義塾大学大学院修了後、NHKに入局、昭和51年「NC 9」で初の女性キャスタ−に就任。「総理に聞く」「NHK特集」「党首インタビュ−」等を担当、その後

「モ−ニングワイド」を経て、現在はNHK衛生第一「ワ−ルドニュ−ス」「世界を読む」を担当、昭和61年世界女性ジャ−ナリスト会議に日本代表として出席して以来、東京工業大学社会工学科講師、国立環境研究所客員研究員、(財)日本花普及センタ−理事、(社)国際食糧農業協会理事など多数の公職につき、著書も「わたしのリアルタイム」「夢を拓く」「わたしの会ったアジアのこども」等がある。

ナレ−ション

 

工業生産の集積地として、大きな成長を遂げてきた東海地方、重工業からハイテクまで、産業各分野の伸びは著しく、中心都市、名古屋は我が国経済の主要な位置を占めています。しかし、世界ではECの本格的統一が来年に迫るなど、国境という垣根が薄れつつある中で、新たに主要都市間の生存競争という図式が明確になりつつあります。

新しい時代に誕生する町作りの例として、高速道路と高速鉄道の乗り換えがスピ−デイ−に行なえるようにと、大胆な発想で結びつけて、効率的なタ−ミナルを建設したフランスのリヨンの街。

美しいたたづまいと、ロ−マ時代から続く深みの有る文化、こうした街の魅力を最大限に活用しながらハイテク企業の誘致に励む、宇宙工学の分野で高度な成長をとげるフランス、ツ−ル−ズ市。

アメリカ東海岸のボルチモアは実に30年の歳月をかけて港を再開発、水際に人々を引き付ける試みは世界のウオ−タ−・フロント開発の先駆けとなり、都市全体を活性化する原動力になっています。

街に誕生した映画学校という新しい試みに、世界から様々な人が集まり、これに大きく刺激されながら町作りを進めるユタ州ソルトレイクシテイ。

こうした海外からの報告を折り込みながら21世紀名古屋が進むべき方向を探るシンポジュウムが開かれました。

 

曽我 健

今日の司会を担当します、NHKの曽我でございます。21世紀を前に世界は今歴史の大きな節目とも云うべき激動の時代を向かえております。都市も又こういう歴史に合わせてその姿を変えていきます。国際化、情報化、或るいは環境見直しの時代に入りまして、今、世界各地で様々な新しい都市像を求める動きが出ております。

この名古屋も「住み易い都市から、住みたくなる都市」。これは名古屋が掲げるキャッチ・フレ−ズだそうですけれども、このキャッチ・フレ−ズを掲げて今新しい都市作りを進めている最中であります。

21世紀の名古屋はどうのような都市になるのか、どうのような町にしたらよいのか、今日は様々な角度から話し合いを展開していきたいと思います。勿論名古屋以外の都市にも大いに参考になる話が沢山聞けることと思います。お話をして下さる5人の方々をまず紹介いたします。

私の隣が東京大学教授で都市論を専攻されている月尾先生です。月尾先生はこの3月まで名古屋大学の教授をなさっておりました。何故15年も勤めた名古屋から東京に移たのか、というような本音も含めてお話を伺いたいと思います。

そのお隣は細川護尋さんです。細川さんはついこの間まで熊本県の知事でいらっしゃいました。8年間で熊本県のイメ−ジをからりと変えてしまった。地方創造の素晴らしいリ−ダ−です。現在は行革審の「豊かな暮らし部会」の部会長を勤めていらっしゃいます。

そのお隣は牧野 昇さんです。三菱総合研究所の前所長、現取締役、相談役でいらっしゃいます。ご出身が小牧だそうであります。スケ−ルの大きい、大変緻密な発想をなさるんですけれども、中部圏の発展にも沢山の注文と、豊かなアイデアをお持ちです。

そのお隣が宮崎 緑さんです。ニュ−ス・キャスタ−としてお馴染みでございます。放送の仕事と共に現在、東京工業大学の講師も勤めていらっしゃいます。大学では「都市とコミニケ−ション」論を専攻されています。

そしてそのお隣が、名古屋市役所のの丸山裕二さんです。現在、総務部の理事を勤めていらっしゃいます。名古屋の都市作りの推進役でございます。行政の面から今日はお話を伺いたいと思います。

21世紀の名古屋、21世紀の都市はどうあったら良いのか、それぞれの立場を踏まえてお話を伺います。まず最初に月尾さんから口火を切ってください。

 

月尾

人間がある場所の集まって住むようになった歴史というのは、長くて1万年ぐらいと云われているのです。その中で国家という概念はほんの数%の時間、ごく最近のことで

95%以上の時間というものは、実は都市というような集合が、社会の基本だったわけですね。近世になってというより、近代になって、非常に国家間の勢力争いを、地球上で繰り広げなければいけないというとき、国家という概念が非常に表に出てきているわけです。しかし、現在よく使われているボ−ダ−レス・エコノミ−というような、経済的にはほとんど国家というものはなくなっている。それと人間の交流ということを考えても国家という概念が無くなった時に、やはり浮上してきたというのが、都市というものがもう一度主役にならなければいけない。というような事になってきたんだと思う。

特に日本の都市というのは、実は国家と同じくらいの規模を持っている。例えば、名古屋市というのは財政規模が1兆円弱でありますが、これはインドネシヤとかメキシコとか、ベネゼ−ラとかタイとか云うところの国家財政と大体同じ規模を持っているんですね、そういう意味では都市という単位なんですが、実は活動としても、もはや国家に匹敵するような活動の時代になっているということで、いろんな側面から見て、都市というものがこれからの社会の中の非常に重要な単位というものになっていくだろうと思っております。

曽我

有難う御座いました。続いて一人置きまして、牧野さんにお伺いいたします。牧野さん、どんな立場で、どんな話をお聞かせでしょうか?    

 

牧野

私としてはやはり名古屋市、愛知という県ですね、これの持っている長所欠点というか、アイデンテイテイというか、顔というか、こういうのをよく見つめてみなければいけないだろうと思います。例えば、NHKで連続テレビ小説、朝、視聴率50%とか色々御座いますね、30何回やっていますが、全く、主軸としての愛知、或いは三重、その他の周辺ですね、出たのは一回もないのです。何かこう一年を通して舞台にするとなると、どうもこの周辺が浮かんでこないというところがやはり愛知の新たな顔という、このへんの所を我々としてはどういう所に、どういう目的、どういう問題点が有るのかということを、余所からの見方というのをまず顔に置いておく必要があると思う。こういう感じがします。

曽我

続いてもう一人飛びまして、今度は丸山さんにお話を伺いたいと思います。今日はどんな視点からお話を戴けますでしょうか?

 

丸山

今の名古屋市の町作りという点で、非常に痛感していることが御座います。それは非常に大きな転換点にきているのではなかろうか、タ−ニング・ポイントに来ている。で、この地域をとりまく大型プロジェクト、例えば新国際空港が御座います。リニヤ新幹線の問題も御座います。東海・北陸自動車道或いは第二東名・名神。湾岸道路とか、又将来になりますと第二国土軸というような構想も浮上しておりまして、そういうものが2005年とか、若干遅れても10年とか15年となりますと、名古屋市を中心に考えた場合、日本国土が非常に時間距離が短くなる。移動時間が短くなることで人間の意識が非常に変わってくるのではないかと、人間、意識の変化とともに相当企業も住宅も流動してくるんじゃないかと、ですから、そういう事を今のうちに見据えて地域の中、或いは名古屋大都市圏双方からグランド・デザインと申しますか、そういうものをきちんと今から議論して、早めに作っておく必要があるんではないかと思っています。

 

曽我

さて、今度は向こうからこちらえまいりまして、宮崎さんに話を伺いたいと思います。

21世紀の都市像、或いは名古屋はどう有るべきか、今日はどんなお話をして戴けますでしょうか?

 

宮崎

世界が新しい国際社会の秩序を模索して激動しておりますが、こういう中で国家というものが大きく二極分化しているのではないかと思うんです。一つは国家がこれまでの国家という主権の固まりより、より高度の、上位の組織に吸収される部分ですね、吸い上げられる部分、国連であるとか、サミットであるとか、ECの統合であるとか、そういう色々な形で現われておりますが、かってなら内政干渉と云われた政策が、国際協調という名のもとに正当化される時代。これが一つの流れですね。もう一つはより下位の小さなシステムに権限を委譲していく部分ですね、これが大きく云えば都市であり、或いは最終的には一人一人の人間にまで行き着くんでしょうけれども、より下のレベルでの組織にどんどん分割されていく、今、ソ連で起こっていることを見るまでもなく、こういう傾向というのは出てきているわけですが、その背景にあるのは何かと申しますと、やはりその土地に固有の文化とか、伝統とか、考え方とか、習慣とかそういうものが強く揺り動かして、この世の中というものを変えようとしているのではないか、という傾向が、恐らく見ていて言えるのではないかと思うんですね、これを考えますと、日本の中の都市ではなくて、日本の中の名古屋ではなくて、世界の中の都市としてどのような特徴を発揮していくかというのを真剣に考えなければ、これは乗り遅れるんではないかと、こういう時代ではないかと見ております。

 

曽我

最後に細川さんからですけれども、都市の個性作りを強力に進めてまいりましたけれども、細川さんの都市論について伺いたいと思います。 

 

細川

私は名古屋についてパット思うのは、やはり多様性というものが少し欠けているんではないかと。大変失礼な言い方かも知れませんが、私は名古屋の文化についてパット考えますと、きしめんと中日ドラゴンズの他にあまり浮かんでこないんですが、そういう事では困るんで、これからは名古屋が発達していくためには、ア−チィステイックな街でなくてはいかん、ア−チィステイックな街ということは言葉を換えて云えば、如何に文化の拠点になるか、文化の発信地になるかということだと思うんです。最近恐らくここでもウイ−ン・フイルが来たり、ボリショイ・バレエが来たり、いろんなものが、キャッツが来たり、何が来たりということで、大変そういうフロ−のマ−ケットの中で、日本は一番のマ−ケットだと思います。けれども、しかし、ストックの面で、例えば、名古屋フイルというのがあるかどうか知りませんが、あまり聞いたことがないんで多分無いだろうと思いますが、そういうものがベルリン・フイルのように本当に世界に向けて名古屋というものをアピ−ルしていくようなものが出来てきたら、これは本当に名古屋にとって大変な強みになるだろうと思います。、何かやはり名古屋が文化の拠点として発信出来るような機能を備えていくということが非常に大事なことではないかという感じがしております。

 

曽我

ざっと5人の方々にお話を伺いました。もうこのお話の中にも色々出てきているんですが、もう少し名古屋の長所短所をお話戴きたいという風に思います。又、月尾さんに戻りますけれど、名古屋にずっとお住まいになっていて、名古屋の長所短所、今少し話に出ましたけれど、もうちょっと掘り下げてお話を戴きたいと思います。

 

月尾

まあ、普通、名古屋だけではないんですが、この地域を特徴付ける言葉でよく云われるのは産業技術都市という言葉が使われます。これは第4次全国総合開発計画でそういう名前を付けられて、確かにそれは当たっていると思うんですね。簡単に計算すると、世界の工業生産の1.5%ぐらいをこの地域で生産しているという、大変な地域です。

そういう点ではずっと歴史的に工業社会の優等生を続けてきたというのがこの地域だと思うんですね。ところが、社会が、いろんな定義が有りますが、情報社会に変わったとか、私は情報社会もそろそろ終わりで、新しい感性社会とか、情緒社会というのが始まっているという風に言っておりますが、そういうような時代に対しての転換というのが少し遅れているのではないかと思うんですね。それはいろんな側面から大事で、今細川さんが言われたように文化とか、そういうものを大事にしていくという、これからの社会の中に非常にそれが大きなストックになるという点でも大事なんですが、つまり、工業社会というものの中にさらに優等生を続けていこうとしても、実は文化というものが必要になってくる。例えばどういうことかと申しますと、この東海地方というのは自動車の生産の世界的な拠点なんですが、昔の自動車というのは安くて性能が良ければ必ず売れたんですね、燃費がいいとか、安全であるとか、そういうことであれば必ず売れたんですね、今はそういうことだけでは自動車というのは売れない。例えば、デザインが非常に優れているとか、何か特徴が新しい社会に訴える物を持っているという、文化的側面というものがかなり、その工業製品であっても社会に普及するために重要な要素になっている。そういうものをどんどんこの地域が付け加えていかないと、やはり工業社会の優等生としても続けていけないということになるんだと思います。その辺がまあ長所であり、欠点であろうと思うんですが?文化的な蓄積が無いわけではなくて、実はかなり芸ごと的な、お稽古ごとのようなものですと非常に全国的にも高い水準にあったりするわけなんですが、そういうものをうまく組み合わせることをこれからやって、工業を基礎にするんですが、それに新しい情報社会とか感性社会と云われるところへ変えていくということをやればいいんだというような印象を持っております。

 

曽我

牧野さんは名古屋の長所短所をどうご覧になるんでしょうか?

 

 

 

参考  

          産業関連指標 (%)

 

 

 


  年度

 

 

 

   名古屋圏

 

   東京圏

 

  工業出荷

 昭和45年

  29.7

   11.1

 

 

 

  24.8

   13.2

 昭和63年

 

  株式売買

 昭和45年

  56.2

    6.5

 昭和63年

  72.2

    4.0

 

 

  情報

  サ−ビス業

  従業員

 昭和47年

  53.2

 

    5.6

 昭和61年

  57.5

    4.6

 

                                    

牧野

やや専門的な分野で考えてみたいと思いますが、名古屋の経済とか産業とか、そういう点でいうと、非常に名古屋というのは特徴的なんですね。

例えば、工業出荷額というのは東京圏が工業出荷が落ちておりますけれど、名古屋は上がっていると、工業生産においては実に素晴らしいということですけれども、ところが金融とか情報というと、株式売買というのは東京に比べ1/10か、しかも下がっているわけですね、このサ−ビス社会とか、金融社会の中で東京は上がっていると、情報、サ−ビス業という、情報社会というのが有るのに名古屋は下がっているわけですね、しかも東京の1/10という、まあ非常に顕著でございまして、私はそれを変えていった方がいいのか、さっき言ったように名古屋の顔というか、アイデンテイテイというか、風土とか習慣がそうなのだから長所を生かすか、短所を長所に持って行くか、というようにするのかという事になれば、私はやはり長所を生かす方がいいんで、何も他の県とか、他の都市と同じようにやる必要は全く無いんで、名古屋というのは何が得意か、何が伝統的にですね、全体の人間として一番得意かというのがあって、他に比べて下がっているから上げようぜという、そういう発想がいいのかどうかというのはもう一回検討する必要があると思います。

曽我

宮崎さんは愛知万博の委員もなさっているそうですが、名古屋を見て長所短所どんな風に感じていますか?

 

宮崎

メリットの方を、長所の方を申し上げたいと思うんですね、位置付けですね、地理上の位置、日本の真ん中なんですね、情報化社会が進めば進ほど、目と目を合わせて見つめ会う情報の大切さというのは増してくると思います。居乍らにして手に入れられる情報の他に、目と目で見つめ会って確認する情報、或いはこれがさらに月尾先生がおっしゃった感性の社会になってきますと自分の目で見て、耳で聞いて、さらに触って、感じてみるというような部分というのは大変必要になる。そのためには人の移動、行き交うということがとても大事になると思うんですね、そういう面でいきますと名古屋の位置付けというのは日本の真ん中で、何処から行っても、どちらに行っても行きやすい所に在るわけです。さらに色々計画も立てられているようですし、リニヤの話とか第二東名の話とか、伺っておりますがそうしますと人が集まってくる、その情報交換の場を作るという、この場というのが非常に大切だと思うんですが、これに最も地の利の在るところではないかという風に思っているんですがどうでしょうか。

曽我

なかなか明るい話が出てまいりましたけれども、強引に纏めてみますと、これからの21世紀に向かって名古屋市の課題の一つは長所である産業をどうやってさらに育成して、新しい都市基盤を作っていくかというのが第1点ですね、それから第2点は都市の個性、これをどうやって作り上げていくのか、第3点は人と情報の文化をどうやって集めていくのかというような項目に纏めてみましたが。このまとめを元に世界各地のリポ−トをご覧戴きながらお話を進めてまいりたいと思います。

 

ナレ−ション

フランスからリヨンとツ−ル−ズ、この二つの都市をご紹介いたしましょう。

リヨンはフランスのほぼ中央に位置します。人口はフランスではパリ、マルセイユについで2番目、およそ80万人といわれています。代表的な産業としては繊維や機械工業が有名で、名古屋と似ているところが多い街です。

そしてツ−ル−ズ。フランスの南西、スペインの国境の近くにあります。人口は40数万人、超音速旅客機コンコルドが作られた街、そしてフランスが誇るアリアン・ロケットを生んだ街としても有名です。

 

フランスでは各地で都市再開発が進んでいます。数百年前からの町並みを近代化するためです。まずは交通の近代化の代表例

 

ここリヨン市はパリから南西にフランスの新幹線TGVで2時間程の距離にある都市です。人口はフランスでは第3の都市になります。車を運転するこの人は建設会社のリヨン支社長のゲイ・ギイツシュさんです、これからパリへ向かうところです。

車の行き先は交通結節センタ−です。このセンタ−はパリからリヨン、そしてマルセイユにつづく高速道路を通すことを条件に作られました。1976年のことです。車社会を意識しての事でした。交通結節センタ−の地下には高速道路とそれに続く幹線道路が走っています。3Fと4Fは1千台の車を止められる大駐車場になっています。3Fからはフランス国鉄の駅、ベラ−シュ駅への連絡通路があります。通路の両側はショッピング街になっています。通過人口は1日、6万人、人口およそ80万人のリヨン市の中でも最も人通りの多い街の一つです。駐車場から歩いて3分弱、もうフランス新幹線TGVのフォ−ムです。

字幕

「駐車場がとても便利で、TGVの数も多く使いやすい」

「醜いね!」

「便利さは完璧!」

「美しくないけど機能的ね!」

ベラ−シュ駅の乗降客は1日32、000人、フランスでは第14番目です。交通結節センタ−を管理しているのはコミュ−ノ−テバンドリオン。

これはリヨン市とその近くの550市町村からなる広域都市開発公社です。

1Fに乗り入れているのは地下鉄、交通結節センタ−と市の中心部を結びます。この地下鉄から電話回線、道路、下水道まで、街と街を結ぶものは公社が全てを作り管理します。2Fはバス・タ−ミナルです、1日、2000台弱の発着があります。バスの行き先の郊外の住宅地も公社が開発計画を立てるのです。公社の評議員は住民の間接選挙で選ばれます。デザインへの不満は残るものの、交通機能の強化は続いています。予想を越える自動車の増加に対応して、公社では駐車場の増設を行なっています。リヨンでは空港整備も始まっています。国際化が進む中でリヨンは高速交通の便利さを経済発展の基礎にしようとしています。

 

テクノ・ポ−ル総裁ジャン・バルセリ−ニさん

「一方に経済、一方に文化という考えは古いのです、ツ−ル−ズでは生活と産業がバランス良く発展しています。経済は文化、伝統、スポ−ツ抜きでは発展しないのです。」

フランスが誇るアリアン・ロケット。その最大の研究所があるのがこの街、ツ−ル−ズです。スペインとの国境、ピレネ−山脈の北側に位置するこの街の人口はおよそ40万人、フランスでは珍しく人口が増加している街です。学生数は8万人あまり、街の人口の20%を占め、若者の多い街です。

何故人口が増えているのか、その最大の理由は企業進出です。ハイテク関連企業は

1982年71社だったものが1989年には377社にもなり、この機会にツ−ル−ズとその周辺の人口は10万人も増えているのです。ツ−ル−ズにはもともと2000人以上もの研究員を抱える国立宇宙研究所がある他、コンコルドを作ったアエロスパシエル社が在りました。ハイテク企業が求める技術蓄積がもともとあったのです。1988年にはテクノ・ポ−ルが作られました。これはツ−ル−ズ市やまわりの自治体が株式の50%をもつ会社です。産・学・官の三者をコ−デイネイトし、町作りと産業誘致をしようという、いわば第3セクタ−なんです。

そのテクノ・ポ−ルが今年力を入れているのが宇宙大学です。毎年各国持ち回りで開かれています。今年で5回目になります。参加者は世界各国から若手の宇宙研究者です。

30ヵ国から260人もの人が参加しました。講義は7月から始まり9月まで続きます。日本からも企業や研究所から20人もの人々が参加しました。

 

「興奮します。多数の宇宙学者に会えるんですから!」

「同じ釜の飯を食って過ごした人間達が、将来集まると国際的なミッションも非常にスム−スに運ぶんではないかと」

 

ツ−ル−ズはロ−マ時代に始まった古い伝統の街です。赤いレンガ作りの美しい建物が並ぶので、ロ−ズ色の街、と呼ばれ人々に親しまれています。市の中心付近には16世紀に作られた太西洋と地中海を結ぶ運河があります。今では公園として整備され、市民の憩いの広場になっています。一見ハイテクとは無関係に見えるこの町並みですが、ハイテク企業誘致には重要な戦略のポイントになっています。人が住みやすい街、そこにハイテク産業を支える高度な技術を持った人に住んでもらう、そして郊外の研究所に勤めてもらおうというのです。

 

「楽しめる街ですね!」

「建物がとても素敵!」

「研究には良い環境が必要です、良い街で、自然もあり、スポ−ツも出来ねば・・・」

 

常に500ものクレ−ンが林立するツ−ル−ズは最近こう呼ばれています。

「良い環境を保ちながら、ハイテク産業を誘致し、集積する街」ということで−ル−ズは都市間競争を生き残ろうとしています。

 

曽我

フランスの二つの都市の参考例を見たのですが、月尾さん、名古屋市へのヒント、このリポ−トからどんな事をお感じになりましたか?

 

月尾

今のリポ−トの最初にフランスの地図が出てきましたけれど、あれをちょっと思い出して戴きますと、上の方にパリがあったわけですね、2時間ぐらいTGVで下がってきますとリヨンがあって、地図には載っていませんでしたが、もう1時間南へ行きますと地中海、マルセイユがあるのですね、その地図を90度横にしますと日本と全く同じなんですね、パリが東京で2時間ぐらい新幹線できたところにリヨンの代わりに名古屋がありまして、1時間ぐらい西に行きますとフランスで第二番目に大きいマルセイユがある。そういう意味で地理的に位置関係から云うとまさにリヨンと云うのは名古屋じゃないのかということですね、その時非常に印象的だったのは、人があそこに集まってくるのを非常に便利にしているというのがリヨンの特徴ですね。何故大事かというと、先程宮崎さんが言われましたけれども、これからの社会で人と人とが出会うというのが非常に大事になるということです。実はこれ単に社会的に大事というだけでなく、地域の発展にとっても人と人とが出会うことがこれから地域の発展に直接つながることじゃないかと思うんです。

最近1.57ショックとか1.53ショックとか、日本の人口が増えなくなったということが云われていまして、2000年頃からはもう人口が減っていくという状態になりますと、先程これも細川さんが少し云われましたけれど、地域に産業を誘致して、沢山の人を雇って、それで地域が発展しようということは現実にそろそろ出来なくなるような社会環境になってくると思うんです。そういう時に地域が発展するにはどうしたらいいのかというのには沢山の人が来て、そこでお金を使ってくれるなり、活動してくれることにより、地域が発展するということが非常に大事だと思うんですね。で、そういう代表がコンベンションとかイベントと言われているんですが コンベンションというとただ人が集まって来るだけではないかという風に思われがちであるが、実は大産業でありまして、日本ではそろそろあと数年で10兆円近い産業になると云われています。

現在、日本の主力産業であります自動車が30兆円産業ということで比較しますと、10兆円というのは大変な産業なんですね、だから決してその工場を一生懸命誘致するということだけでは、それもやって悪くはないが、それだけではなくて人がそこへ、世界からとか、国内から集まってくるというような、そういう町作りをしていくことが実はこれからさきの社会で地域が発展することに直接つながるだという点ですね。そういう点でリヨンのあの素晴らしいタ−ミナル・センタ−というのはこの地域でも是非参考にすべき事例ではないかと思いました。

 

曽我

牧野さんはどのようにお考えでしょうか?

 

参考

            交通分担率(%)

 

 

 

   鉄 道

   自家用車

   その他

 

  中京圏

   25.3

   60.9

   13.8

  首都圏

   57.8

   27.1

   15.1

  京阪神

   51.0

   33.0

   16.0

 

牧野

リヨンの交通関係で言いますと、これはあまりいいかどうかわかりませんが、大都市圏の間の一つのネット・ワ−ク、結節点であると思います。車が非常に多いんですね、名古屋圏というのは、次の表を見てみますと、極端で御座いまして、まあ中京圏、首都圏、京阪神圏という括りで行きますと、鉄道がべらぼうに少ないですね、又自家用車が異常に高いわけでございまして、まさに車社会都市なんですね、これはある意味ではまさに欧米型なんですけれど、これから効率的に人を運ぼうとか、公害をなくするためには、本当は鉄道がいいんですね。大勢1000人も乗せてほとんどガス出さないのに、1.5人乗せてガスをしょっちゅう吐き出すというのが特徴でございますから、排ガスを出すという負のインパクトというのは、これはやはり減らしていかなければならない。その辺が再検討する点といえば、その点に問題点有りと思いますね。

 

曽我

丸山さんはどうご覧になりましたか?

 

丸山

まだまだ、さっきの図にもありましたように、中京圏というのは自家用車も、それからバスやトラックという自動車関係で運送分担率75%ぐらい持っているという、非常にまあ、道路がいいということもあるのでしょうけれども、鉄軌道があまり整備されていないという、両面があるんではなかろうかと思うんですが。ですから、これからはやはり公共交通をもっと優先させる政策をもっともっと進めていかなければならないだろうと、今、地下鉄が8%ぐらいの比率しかないんですが、これをもっと地下鉄を高めて、それから名古屋の交通機関といいますと相互交通といいますか、ある鉄道に乗って、乗り換えるという、乗り換えがなかなか幾つかの欠点が御座います。そこら辺もこれから大いに整備して、名古屋の街に入ったら便利であるというような街にしていけば、そのものの印象が変わってくるのではないかと思います。

 

曽我

細川さんはどうでしょうか、日本の地方都市と比べて、フランスの都市作りの在り方、その辺、何かお感じになったことありますか?

 

細川

そうですね、皆、それぞれ骨太の公共投資をきちんとやっているということですね、名古屋の場合にはそんなことないんでしょうけれど、他の所では、九州でも、東北でも、北海道でも、皆そうですけれども、地方もそうでしょうが、例えば鹿児島で知事会やるというと、九州知事会をやるというと、大分の知事さんなんかは、一辺大阪に飛行機で出てきて、それから飛行機で帰ってくるという馬鹿馬鹿しい事をやっているわけですね、四国の知事会というのはよく大阪でやっているわけですね、皆、東京にいくためには参勤交代型の道路が出来ていますから便利ですけれど、お互いの地域間のネット・ワ−クというのはまるで出来ていないという、そういう状況はやはり、これはあまりいい事ではないと思いますし、そういう意味でさっきの結節点のようなものを作って、きちんと地域間のネット・ワ−クというものを、大動脈をまず整備してしまうという、骨太の公共投資をきちんとまずやるということは、なによりも新幹線に限らず道路にしても、飛行場にしても、大事なことだと思いますが、特に名古屋なんか空港をいろんな観点から、例えば、航空料金を引き下げるためにもっと外国のエヤラインを入れて、競争条件を競争原理が働くようにしようというならば、例えば、名古屋空港あたりももっと整備して、重点的に早く整備をして、24時間空港として機能できるように持っていかなければならないと思います。そういう意味で外国のように行政というものに、或いは政治というものに優先順位を付けてやっていくとう、そういうところが非常に日本に欠けているなあと言う感じがしました。

 

曽我

細川さんの本音が出まして、もっと地方の政治行政に権限を、と云う悲鳴のような答えが帰ってまいりましたけれど。今の日本の中央集権批判といいますか一極集中批判が聞かれました。地方が力を合わせてその方向に持っていかなければならないと思うんですけれども、それでもそういった難しい状況の中、細川さんの熊本は骨太な都市作り、地域作りを進めてこられたと思います。そのリポ−トが御座いますのでちょっとご覧戴きます。

 

ナレ−ション

九州の熊本といえばそのシンボルは長い間、熊本城でした。ところが、今、人目を引く建物が至る所に出来るようになりました。

このモダンな建物が警察署なのです。熊本では1988年から当時の細川知事の掛け声で、ア−ト・ポリスが始まりました。文化の創造、その象徴が建物なのです。公共施設でも民間施設でもア−ト・ポリスに参加しますと、コミッショナ−により若手の有望な建築家が推薦され、素晴らしいデザインの建物が設計されるのです。

熊本では41ものア−ト・ポリスのプロジェクトが進められ、これまで12の新しい建物が建てられています。

熊本市から南へ50km離れた所にある八代市です。10月にオ−プンする予定の市立博物館はア−ト・ポリスに参加している建物の一つです。地元住民からの要請で博物館のデザイナ−が商店街の舗装や街路灯のデザインを手懸けました。

ア−ト・ポリスが町中に浸透しはじめているのです。熊本県内には伝統産業を町作りに生かしている所もあります。

大分に近い小国町では特産の杉材を生かして体育館を作りました。小国ド−ムではコンサ−トやスポ−ツ大会が開かれ、地元の活性化に役立っています。テニス・コ−トが2面以上とれる広い体育館。天井は5600本あまりの杉材で全て支えられているのです。小国町には杉で出来た13もの建物があるのです。14番目の建物は9月から使われるこの小学校です。公民館や宿泊施設を兼ねることで過疎の村に学校が残りました。特徴を強調することで町には新しいエネルギ−が生まれています。

 

曽我

短いリポ−トでしたけれども、熊本は細川知事の8年間に大きく変わったという風に言われています。福岡、熊本だけが、あちこち人口が減り続ける中で、人口が増えているということも、この改革が大きな支持を受けている証拠だと思います。細川さんのこういった地域作りもさることながら、その原点ですね、まず何をお考えになって、こういう形で、こういう改革を進められたのですか?      

 

細川

さっきもちょっと申し上げましたけれども、行政として残せるものは、特に箱物については、文化しかないという、そういう意識で、どうせ同じような学校を作ったり、体育館を作ったり、或いは公衆トイレを作ったり、橋を建て替えたり、行政としてはどんどんやらなきゃならない仕事が沢山有るのですから、少しぐらい内外の著名な、気鋭の建築家の方にお願いして、設計料が高くなっても、それが後々まで歴史に残る、歴史の風説に耐え得るようなものを残しておくことが、それがやはり結局は、一時的に少し高くてついてもお客さんを集める、集客になっていくことだと思うんですね。パリなんかはまさに集積の結果、あれだけの人が集まっているわけで、奈良でも、京都でも、そうだと云えばそうかも知れませんが、そういう考え方で、とにかく行政として、そういう意識を持ってもらいたいということを絶えず言って来ました。私、時々パリなんかに行くんですが、ミッテランさんなんかはジャン・ヌベ−ルなんて云う30才ぐらいの若い建築家を、サミットの時なんか連れて歩いているらしいけれど、他の国の首脳に紹介したりして、デファンスでもなんでも、これからヨ−ロッパが統合する中で、フランスが生き残っていくかどうか、フランスの力を誇示していくためにはやはり文化の面で勝負するしかないのだという、デファンスでも或いはオルセ−の美術館でも、そうでしょうし、ピラミッドでもそうでしょうし、いろんなものをそういう後々まで歴史の遺産として残るようなという壮大な計画を立ててやっているわけですね、そういうのを見ると本当に羨ましく思いますし、・・・・

 

曽我

熊本の10年先、20年先、或いは100年先、楽しみなんですけれど、この細川さんの発想は今でも引き継がれて市民の間では定着していると考えていいんですか?

                                    

細川

定着しております。多少予算が減らされたりするかも知れませんが。

 

曽我

ちょっと先になりますけれど、2005年が愛知万博の予定と考えてよろしいんでしょうか?宮崎さん、先程紹介しましたけれど、月尾さんも万博の委員ですね、どんな個性ある町が理想だろうとお考えでしょうか?

 

月尾

結局、先程から色色な方が言っておられますけれど、一言で云えば、情報発信している町を作ると云うことだと思います。確かにア−ト・ポリスのようなのをやられますと、環境自身も非常に質の高い物になるという点でもいいんですが、別の、都市間競争という点か考えますと、あれによって、例えば、細川さんは設計料が高くなると云われたんですが、少しぐらい設計料が高くなっても、それが全国とか、まあ建築なんかですと、世界的に注目を集めている建築家を頼んで、設計をそこでして戴きますから、そういうところへ集まる注目とか、そういう事へ皆さんが関心を持って戴くという風に考えますと、都市のPR料と考えたらむしろ十分おつりが来てしまうようになってしまうと思うんですね。

そんなような効果を実は2005年に開く21世紀博覧会というのも、随意やりたい。

その場合には単に名古屋というか、愛知とかいう所だけの発信ということではなくて、日本が21世紀に一体世界に何が出来ますか?というところまで発信をするためにかなりのお金を使い、地域を使い、という事になっていかなければいけないというので、そのためにはどんなテ−マでやったらいいのかということを、宮崎さんなんかと一緒に検討している段階ですね。   

                       

曽我

宮崎さん、どうでしょうか?

 

宮崎

その情報発信するときに、今の日本の情報の発信というのは、どういう状況かと申しますと、東京を通らないと認知されない、どんな素晴らしい情報が名古屋から発信されて、名古屋に帰ってきたとしても、一度、東京を通って、全国版として認められないと、流行になったり、ファッションになったりしないというところが問題だと思うんですね。

これが世界の中の名古屋として名古屋から発信し、名古屋にそれが戻ってきて、それが素晴らしいということで、皆、一生懸命見るところまで引き上げるには、どうしたらいいのかというのが課題ではないかと思います。

 

曽我

さて、牧野さん、如何でしょう、名古屋の個性について。

                     

牧野

ゆとりのある都市ということになりますと、東京、大阪に比べ非常にまだ都市の中でのゆとりが高いですね。このデ−タを見ると解るんですが、距離別人口増減を見ると、大体東京に比べ30、最近は40から50km圏というのに人が増えて、人が通ってくるわけですね。その辺に住んで、大変ですね。だからクレソンさんが日本人は2時間かかってというのはこういうところを云うんだけれど、名古屋というのは丁度、段階で云うと40年、45年、50年となっておりますが、二つぐらいまだ近いんですね、言い換えますと割に近いところで空間的にも余裕のある都市だということが非常に大きな成長のポテンシャルとしてはいいんだと思います。

 

          距離別人口増減(%)

                  s40〜45         s50〜60

 

 

 


   0  10  20  30  40  0  10  20

 

 

 

 

  0〜10km

 10〜20

 20〜30

 30〜40

 40〜50

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  0〜10

 10〜20

 20〜30

 30〜40

 40〜50

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋にきている支店長とか、いろんな人や私の友達が、名古屋にくると二つ上手くなるという、一つはゴルフだと、すぐ近くに行けて、もう一つは謡とか能とかいう、古い日本のあれが非常に名古屋に残っておりますので、まあそういうところに特徴のある、もう一回繰り返しますと、やはり長い間磨き上げた、名古屋市民が築きあげたポテンシャルをどうやって 生かしていくかというところと、一つは都市的に非常に余裕のある大都市の中で、非常に余裕があると、ゆとりを如何に上手く使っていくかと、この二つではないかと思います。

曽我

そういった、名古屋の潜在力を、如何に夢のある町作りにしていくかが課題だという風に、抽象的ですけれども、この項はまとめてみたいと思います。

さて今も何人かの方から、何度も話が出てまいりましたが、人と情報の集まる街、文化のある街、情報発信の出来る街、という言葉が御座いました。第3の項目として今度はこういった町作りに何をなすべきかという点を話し合っていきたいと思います。

まずボルチモアとソルトレイク・シテイ−を取材してありますので、この二つの都市のリポ−トをご覧戴きます。

 

ナレ−ション

メリ−ランド州ボルチモアは東海岸に位置して、ワシントンから車で40分という位置です。メリ−ランド州はアメリカ建国時の13州の一つです。州都のボルチモアは独立戦争の最中、一時連邦政府が置かれたこともありますが、町並みが美しくチャ−ミングな街と云う意味で、チャ−ム・シチ−という愛称で知られています。

そしてアメリカ中西部のユタ州です。面積は日本の本州に匹敵し、産業誘致や町作りも活発に進んでいます。ソルトレイク・シチ−は東部から移り住んだモルモン教徒によって開かれた街です。勤勉な労働力を抱えて今後の発展が期待されています。

 

かっての重工業と海運でボルチモアが栄えた頃、港には倉庫が並び、荷を満載した貨物船の往来で賑わったといいます。インナ−・ハ−バ−と呼ばれるこの港は、産業構造の転換で役目を終えた後、官民一体の大規模な投資により1960年代から再開発されました。現在では市民が気軽に楽しめる身近なリゾ−トとして、新しい賑わいを見せています。

舟遊び、のんびりとした憩いのひととき、水際の安らぎが凝縮されたインナー・ハ−バ−は、大人も子供も楽しめる場所として、街の外からも多くの観光客を引き寄せています。

港には3つの大型ショッピング・ホ−ルが整備され、お土産から高級品までバリエ−ション豊かな品揃えが自慢です。

毎日見られるこうしたイベントも再開発の始めから計画的に続けられてきたことです。

インナ−・ハ−バ−の呼び物は世界有数の規模を誇る水族館です。500種類を超える生きものが、水際から海の中へと興味を広げてくれます。長年かかって整備されてきたインナ−・ハ−バ−は活力ある都市というイメ−ジを内外に植え付け、住民を呼び寄せるための、いわば表看板と云われるものです。港と平行して都心への再開発が着々と進行しています。オフイス・ビル群の整備に加えボルチモアが誇る歴史的な町並みの保存にも力を入れています。新しい機能と伝統の共存を図る町作りは、アメリカ国内でも高く評価され、ここに憧れて移り住む人が増えています。港の傍らに立つ住宅街。伝統的デザインの建物ですが、実は5年前、ボルチモア市が建てた新しいアパ−トです。街ではこうした住宅の整備を進めて、新住民を呼び込んでいます。この日本人女性もその一人です。生活条件が悪化するニュ−ヨ−クに見切りを付け、この6月に夫とともに移ってきました。子供をもうけ、健全な家族を育てるのに適した街を探して、アメリカ中を回った末にこの街に決めたといいます。

 

「のんびりと、落ち着いているというか、おっとりという言葉が合っているかも知れません、ニュ−ヨ−クはあまりにも何でも早く動くでしょ、いろんな事がいつも起きているけど、ここは本当に一つ一つ起きているという感じで、だから本当の生活するには、何か落ち着いて生活できるなあと云う感じがします。」

 

ボルチモアは港という持ち物、そして歴史という財産を最大限に生かしながら、その姿を整えてきました。生活に住みやすさという条件が都市に対して強く求められる今、ボルチモアは従来からの着実な歩みで町作りを続けています。

                                      

アメリカ中西部のユタ州ソルトレイク・シチ−、1996年の冬期オリンピック誘致に失敗したことは記憶に新しい出来事ですが、たくましい開拓者の血を引く市民の表情は活気にあふれています。そしてこの街は今アメリカで最も将来性のある都市の一つに数えられています。4000m級の山々が背景に広がるソルトレイク・シチ−は周辺の街を合わせて人口およそ170万人という都市圏を形成しています。ユタ州政府の建物の前に据えられた蜂の巣のモニュメントは働き者の象徴です。敬虔なクリスチャンの多いこの土地の人々の勤勉さが今大きく評価され、企業進出が相次いでいます。このため不振が目立つアメリカ経済の中では数少ない優等生といわれています。そして今この街の人々が期待しているのは映画に打ち込む若者たちが巻きおこした新しい風です。

そのソルトレイク・シチ−の郊外に開かれたサンダンス映画学校。ここでは1ヵ月から半年単位の様々な講義が開かれています。演技や脚本の基礎を始め、制作実習に至まで総合的な教育を行なうこの学校には、世界各地から俳優、監督をめざす若者が集まってきます。学校を設立したのは俳優のロバ−ト・レッドホ−ド、その世界的な名声と影響力に助けをかりて、学校の活動も世界に認められつつあります。サンダンス映画学校は毎年映画祭を主催しております。ハリウッドの大型商業映画と違い、自主制作のレベルから、若い才能を発掘する役目を果たしています。その成果が年々国際的に認められるようになり、アメリカ国内はもとより世界の映画界から堂々たる顔触れが集合しています。しかし非営利団体である学校は苦しい財政に悩まされてきました。そしてその苦況を救けようと資金援助に乗り出したのがユタ州政府と財界です。映画活動が一味違う地域作りの刺激剤になっていくと期待してのことです。

 

ユタ州政府経済開発局 サンドラ・サ−バスチィンさん

「サンダンスが映画界での地位を高めるにつれ、多くの人や作品がこの場所に引き寄せられてくるのです。これが私達にとって大きな刺激となるのです」

 

学校の活動は音楽、演劇と広がりを見せています。そしてそれには地元の若者も数多く参加するようになり、地域とのつながりも深まりつつあります。順調な経済発展を背景に町作りが本格化するソルトレイク・シチ−−−−−−勤勉で陽気なこの土地は、個性に広がりを予感しながら人々は今をゆうゆうと楽しんでいます。

 

 

曽我

人が集まる街、情報を発信できる街、ということでアメリカの二つの都市を例に紹介しました。実はこのボルチモアは月尾さんが名誉市民ですね、なぜあそこの名誉市民になられたのですか?

 

月尾

実はあそこの交通計画をだいぶ手伝ったということがあります。

 

曽我

ボルチモアの魅力といいますか、月尾さんを引き付ける物と言いますと何でしょう。

 

月尾

名誉市民ということもあって、少し説明させて戴くと、今から30年前のボルチモアは、写真というのが残っていますが、最初見たときは何か空襲の跡かと思うぐらい、惨憺たる状況だったですね、造船と鉄鋼がほとんど日本のために駄目になって、主要産業が無くなってしまって、唯一、ザ・ブロックといういかがわしい一画だけが全米に有名だったという状態だったですね。それで日本でもかなり有名だと思いますが、シェ−ファ−という名市長さんが、都市の方針を大転換しようということで、簡単に云えば、人が集まる街にしたいと云うことを打ち立てられまして、先程色々紹介されました水族館を作ったり、メリ−ランド州の科学博物館を港の隣りに作ったり、コンベンション・センタ−をすぐ傍に作ったり、ハイトリジエンシ−・ホテル呼んできたりと、それからアメリカ独立戦争の時に活躍したコンステレイションという木造の軍艦を港へ持ってきたりと、色々な人を集める努力をなされたんですね。現在ではどういう事になったかというと、毎年14万人があの街へ観光とかコンベンションのために来るという都市になって、全米でも非常に活気のある街の一つということに評価されているということになりました。で、そういう方針転換も非常に重要で、上手くいった例なんですが、もう一つ感じているのはやはり先程から情報発信ということなんですが、その時ですね誰が発信しているのかということが非常に重要というか、効果があるという風に思っています。ですから、ソルトレイク・シチ−の映画学校もやはりロバ−ト・レッドホ−ドが作ったと云うことがかなり効いているんで、ただ単に映画産業を育成するだけで各種学校的な物を作ったと云う事だと、それなりの効果が有るにしても、効果が小さいということですね。これから名古屋市がどんどん発展しようという時に、市長さんなり、民間の方でも、どなたでもいいんですが、誰がやっているんだということを明確にしていくということが非常に重要でないかという印象を持っております。

 

曽我

熊本県作りの細川さんに通じるところがあるという風に見せて戴いたんですが、細川さんはどんな風に感じていらっしゃいますか?

 

細川

やはり何処でも考えることは同じようなことを考える。ただ、私達の方はなかなか、日本ではああいう事をずいぶん早くから考えていたんですが、阿蘇で同じようなことを考えていたんですが、なかなかいろんな制約があって、国から縛り付けられているもんですから、それが出来ないという、自治体も予算だけでなかなかそこまで踏み込んでやれません。もう一息で何とか行きそうだなあと云うところまで行ったんですが。私も区切りをつけたもんで、そこまで出来なかったんですが。いづれにしても、映像とかファッションであるとか、或いはサウンド、音楽であるとか、或いはテイスト、グルメでなんとか、そういったもので勝負をしていくということは非常にその都市の活性化のために大事なことだと思いますね。

 

曽我

まあ映画学校も政府と財界が大変力を入れているところがリポ−トにありましたけれども、宮崎さん、人が集まって、情報がどんどん生まれてくるといった関係、今のリポ−トを見て何か感じたこと有りますか? 

 

宮崎

大事なのは、イメ−ジ作りとか、イメ−ジ戦略というのが大変大きな威力を発揮するのではないかと思います。ソルトレイク・シチ−のあの看板に働き蜂があった。日本は働き蜂でパッシングを受けているわけですね、あの街は働き蜂を売り物にしてしまっている。

こういうチグハグですね、戦略としてこちらから取り込んでいくというような逞しさみたいな、膠着した価値観では出て来ないと思います。従来型の延長線の線の先の方に何か小手先の改革をしようとしたのでは、出てこないのではないかと、もっとこう頭を柔軟にしまして、これまでの物差しを変えてしまうという、とかくテクニカル・スケ−ルで計られてきた世の中をヒュ−マン・スケ−ルで計り直すという、こういう転換ですね、これがひいては新しい情報を生み出して、今迄、あっても見えなかった、情報を見えるようにするという大きな鍵になるのではないかと思います。

 

曽我

ご覧戴きましたように、21世紀の都市作り、21世紀の都市の在り方は様々です。

こうした中で名古屋はどんあ都市を目指すべきか、これまで出た5人の方々の意見、それから海外の参考例などをもとに最後にお一人づつていげんといいますか、新しい名古屋へのキ−ワ−ドをお話戴きたいと思います。

 

細川

感性ある人がどれだけ集まるかということが一番大事だと思います。さっき、ア−チステイックという表現をしましたけれど、そういう芸術家の人達がどれだけ集まってくるか、同じ周波数の人がどれだけ集まってくるか、それからもう一つ人が集まってくるようにするにはどうしても若者文化という、今、東京に人が集まるのはいろんな理由は有るでしょうけれども、大きな原因はやはり若者文化が東京にはある。他の所には無いという事だろうと思うんですが、その若者文化を考えるときに大事なことはすぐトレンド、今、トレンドを皆、見てしまうんですけれど、だけど、今のトレンドを見て、そのトレンドに追い付こうとしているとその時には、追い付いた時には今のトレンドは先の方に行っていて、役に立たなくなっている。だから、そういうものを考える時にトレンドを見るんではなくて、若者のビヘビヤ−を見ることが大事だと思う。ビヘビヤ−を見ているとトレンドに追い付けるけれども、トレンドを見ていてはトレンドに追い付けない。だから、先を見ながら町作りをしていくことなんでしょうけれども、大事なことはやはり何といっても実行するということなんで、緑という話なんて何処の自治体にいったってスロ−ガンで掲げていない自治体は無いですね、しかし、何故それが進まないのか、何故上をちょん切ってしまって、日本の街路樹というのは大きな物にならないのか、それはやはり本当に行政にやる気が無いからでしょうね、市民の方からも、葉っぱが落ちて樋が詰まるから迷惑だとか、滑って転ぶとか、くだらん事を云う人が沢山いるから、という事だと思います。そういう意識も変えて行かなければならないし、色々有りますが、要は実行するということなんで、そこのところが一番大事だと思います。

 

曽我

牧野さんは如何でしょうか?

 

牧野

そうですね、住みやすい都市だけれども、住みたいと思う人が少ない、という都市という印象が強いわけですけれど。それを私はインストラクチャ−、例えば非常にこちらはインダストリ−とインストラクチャ−が揃っていると、或いは建物があると、劇場があるという事の、ハ−ドの形が整っているだけでは駄目だ。名古屋の人々が他を受け入れ易い、或いは外国人が来ても、何か受け入れてくれそうだという、ここはやはりハ−ド、ソフトウエヤと云うけれど、ヒュ−マン・ウエヤ−というか、人間性の問題だと思う。その点で名古屋の人というのはどうも住みにくいぜとか、何かこう排他的だぞというような、やはり僕はそういう意味で云うと、いくら整備し、土地を整備し、道路を良くしても、緑の植木を植えても、やはり人は来ないんではないかなと、その点で云うと名古屋の一つのそれぞれが、そいう点を自覚して、オ−プンとかインタナショナルとかそういうようなことの方向に向いてもらいたいと。結局、人間の問題だというように思いますけれど。

 

曽我

緑の話が出ましたけれど、緑さん如何でしょうか?

 

宮崎

是非、緑も大切にして戴きたいと思いますけれど、名古屋らしさ、ハ−ド、ソフト両面での名古屋らしさをどう作って行くのかと云うことに関しまして、これは行政が、だけが力を入れて頑張っても出来ないし、企業が独走しても出来ないものだと思いますね。やはり地・産・学と申しますが、住民一人一人の心の中から手作りで作っていく、そこに大きなコンセプトが生まれていくということが美しい姿ではないかと思うんです。そうでないと結局、一生懸命掛け声だけ掛けても、なかなか出来ないものではないか、という気がするんですね。社会が成長から成熟へと時代を変えまして、つまり、衣食たってその後どうするのかという所にきて、やはり求められるのは心の自由度ではないか、自由な心を発揮できるか、好きなものを好きといえるか、美しいものを美しいといえる、社会的な受皿としての環境がいかに整っているか。こういうのがこれからの魅力を発揮していく街の大きな要素になるのではないかというような気がするんですね。目隠ししてパット連れてこられて、ハイ此処は何処でしょうといわれたときに、何処も同じように見える街ではあまり面白く有りませんですね。ミニ東京とか、ミニ何とかというのではない新しい独特な魅力というものを発揮していく、そのための一味違った情報発信基地になる、これが素敵な街の姿ではないかと、私は思うんです。

 

曽我

丸山さんはどうご覧になりましたか?

 

丸山

ネット・ワ−クを組む、例えば、人と人のネット・ワ−クもありますし、例えば都市でいえば名古屋市とこの近辺でいえば、豊田とかと豊橋であるとか、一宮であるとか、いわば県境を越えた都市とネット・ワ−クを組んで一つの事業を展開する、或いはずっと離れた熊本であるとか札幌であるとか、そういう所と組んでやればいいし、或いは事業を展開する場合には外国のある都市と手を組んで、ストレ−トにどこも介せずストレ−トにネット・エ−クを組んで事業展開すべきでないかなと、そういう意味では今迄以上に大胆にやっていく必要があるんではないかと思っています。

 

月尾

二点程に要約させて話します。一つは名古屋市の都市計画というものはこれまで非常に高い評価を受けて、例えば、都心にあったお墓を全部郊外へ引っ越したとか、立派な広い道路を作ったとか、随分評価が高いんですが、この評価というのは機能的という評価だったと思います。それはリヨンの市民インタビュ−の所にも有りましたけれど、機能的だけれども醜いとか、快適でないということを言ってましたが。そちらの方が抜けていたと思うんです。これからは恐らく機能的は当たり前ですが、快適だとか、ゆとりがあるとか、寛ぐとか、そういう方向でもう一段上に町作りを積み重ねていくことがまず大事なことではないかと思います。もう一点はこれまで工業社会の中での非常に中心的な活字というのは同じだと思うんですね。例えば、どの街も同じような銀座と云われるような商店街を作ったり、同じような公団住宅を作るということで、都市というのは整備されてきたんですが、情報社会、乃至はもう少し先の社会を考えると、違うということが非常に高い価値を持ってくる社会になると思うんですね。そういう意味で、如何に違うか、つまり、熊本のア−ト・ポリスのように、他の街の音楽ホ−ルと如何に違うか、他の街の警察署と如何に違うかという事を打ち出していくということが、これからの社会の中の大きな価値になるということだと思います。そのようなことを目指していくべきですが、さらに一つ付け加えさせて戴くと、必ずしも名古屋の問題というわけではなく、実は日本の問題と同じだと思います。日本がまさに機能的で効率よい国を作り、どこでも同じような教育があり、何処でも同じような街があるという事を戦後ずっと推し進めてきたわけですが、そろそろ日本も脱皮するという時期だと思いましてですね、極端に云いますと名古屋がもし上手く転換できれば、日本も新しい時代に転換できていくんではないかと思います。そういう点で是非戦後の都市計画では先頭を切った名古屋が、21世紀の町作りにおいてももう一度先頭を切るような事で頑張って戴ければ非常にいいんではないかと思っております。

 

曽我

長い間、有難う御座いました。もう一度皆様の提言、キ−ワ−ドをざっと整理してみますと、ゆとりと潤いのある街、個性のある街、感性のある人々が集まる街、若者文化の先をよむ街、国際化、閉鎖性をどう打ち破っていくか、もっと住民参加を、心の自由な街、一味違った街、人に優しい町作り、そしてデザイン都市を実現、日本、世界 の各都市、或いは人々とのネット・ワ−ク作りと云ったような沢山の言葉が出てきました。まあ色々と注文も出ましたけれども、それだけまだまだ名古屋は発展途上都市といいますか、大きな可能性を秘めた街でもあろうかということだと思います。製造業を中心とした強い経済力、それから豊かな自然、交通、それに文化、或いは情報発信力をくわえて、是非、自分の殻を破って新しい21世紀の都市を目指してもらいたいと思います。短い時間でしたのでまだ語り尽くせない部分も沢山御座いましたけれども、今日のシンポジュ−ムはこの辺で幕を閉じたいと思います。どうも御静聴有難う御座いました。

 

 

  名古屋の都市作り

 

 

 
                  

 

                  

 

地球都市・名古屋・シンポジュウム91を聞いて

 

人々が都市の問題を論じようとするとき単純な落し穴に陥ってしまいがちである。

日本人というのは物事をすぐ西洋と比較して、判断の物差しとしようとするが、これが根本的に間違っていると思う。

昨年の地価問題の時も、今回のシンポジュウムにおいてもドイツのケルンや、フランスのリヨンがサンプルとして例示されているが、日本人である我々は、都市作りのサンプルとしてこのケルンやリヨンの町は参考にならない。というのはあまりのも小さすぎるということである。

我々は過去にはよく西洋を見本にして、追い付き追い越せという精神で頑張ってきた面があるが、過去の日本ならそれでもいいかもしれない。しかしこれからは西洋のモデルというものはあまり参考にならない。

このシンポジュウムでもリヨンを引き合いに出して、名古屋という町を考えようということであるが、人口40万の町と人口215万の町では比較が出来ない。1/5の違いである。この数字の違いというものを無視して単純な比較は出来ない。

人の数が少ないということは全ての面で有利である。

特に都市について語る場合でも、人口が多ければ何とも仕様がないが、人口が少なければ何とか民主的な方法が見付けだされる。100人の人間を説得するのと、20人の人間を説得する違いである。

この差というものは決定的な要因である。世の中が民主的であればある程、それは困難である。むしろ昔のスタ−リン時代のような政治なら、いとも簡単に出来るが、世の中が民主的になり、人権が確立され、権利意識が強くなれば強くなるほど、それは困難になってくる。道路一本作るにも100%の賛成を得なければということになれば、これはもう道路は出来ないということである。

日本の国内の政治的な課題は、全部、この民主的な人権意識の暗礁に乗り上げており、たった1軒の反対の為に橋は完成せず、道路は通らないということになっている。大きなプロジェクトは、この民主的と称する人権意識、権利意識のため全て停滞している。

最大多数の最大幸福は、少数のエゴの為に実現できずにいる。この問題を解決するにあたって数の相違ということは実に厄介な問題である。

この厄介な問題を先送りしておいて、名古屋とリヨンを比較することは出来ない。

ただ、こういう例もあるという程度の参考ということならまだしも、ゆめゆめマネを仕様などと思ってはならない。

各パネラ−からは色々な意見が出されたが、名古屋が全国的に認知されておらず、魅力に欠けているというのは事実だろうと思う。

しかしこれは外国人も含めて、知っている人は知っているのであって、何も今更内外にPRする必要はない。  

出席者の皆さんが忘れていることに、名古屋は広島、長崎のようにアメリカ軍の空襲を受けた事があるということである。

アメリカが原爆を広島と長崎を選んで落としたということは、それなりのアメリカ側の論理があった訳であるが、それと同じでアメリカ空軍が名古屋を空襲したということは、アメリカ側に名古屋が、既にこの時点でハイテク産業の拠点になっていたと見られていた、ということの証拠である。

空襲は日本全国受けたというのは事実であるが、アメリカ側にしてみれば何処の都市でも良かったと言えばそれまでであるが、名古屋空襲というのは今回の湾岸戦争の時のようにピンポイント攻撃に近い正確さで軍事施設を攻撃している。

50年近く前に名古屋がハイテク産業の土地であることを知っていた、アメリカ側の情報収集脳力にも驚かされるが、名古屋は昔も今も製造業の中心地である。

各パネラ−は情報の発信基地ということを強調されたが、これは東京にはかなわない。

東京は昔も今も情報発信基地で在り続ける。というのは江戸幕府が存在し、今は国会という物が東京にある以上、東京が情報発信基地として他の都市より優位であるという状況は変わらない。

東京が行政の中心である以上、名古屋がいくら頑張ってもその地位を逆転することは出来ない。その他の流行の発信地ということぐらいなら、そんなものはどちらでもいいんであって、名古屋には名古屋の文化があるといったところで、日本各地にはそれぞれの地域に根付いた文化というのは当然存在しているわけである。

名古屋の習い事というのはかなり有名になっているが、それが知名度が無いというのも事実である。全国的に見て名古屋の印象が悪いのは言葉のせいであると思う。

名古屋の言葉は実に聞き辛い。テレビ等を見ていても、大阪弁というのは認知されており、テレビから大阪弁が流れてきても何ら違和感がないが、名古屋弁が流れてくると妙にぎこちなく聞き辛い。

同じ同郷の人間が聞いてもそう感じるのだから、名古屋以外の人が聞いたらよけいその感情は強いと思う。名古屋にも上品な名古屋弁というのは存在するが、それを使いこなせる人が消滅してしまって、下品な名古屋周辺の田舎言葉が名古屋弁として流れているところにその原因があると思う。

だから名古屋出身の芸能人は出来るだけ名古屋弁を隠そうと努力している。今、我々が使っている名古屋弁というのは本当は名古屋弁ではない。この言葉の障壁が名古屋の人気を下げる主な原因だと思う。

この言葉の障壁は名古屋に居る限りにおいては問題はない。名古屋を出て他の地域に出たときそれこそダサイという印象に受け取られる。だから必然的に名古屋の印象は下降線をたどるわけで、我々、住民サイドから見てみれば、名古屋を全国的にPRして売り出す必要はないわけである。我々はソ連と違って自由市場経済の中で、経済活動をしているわけである。

この経済の必然性により、経済効果があればそれなりに市場が開拓され、経済の原則に則って人は集まってくる。

名古屋の地域的特徴というのは、こうした製造業の中心であるということで、各社工場は名古屋周辺に作るが、本社機能は東京に置くというところが、東京一局集中の問題であると同時に名古屋の問題でもある。けれども目下は情報化時代である。各企業にとって本社機能を東京に置かなければならない理由は希薄になってきている。

けれども、敢えて名古屋に本社を置かないということは取りも直さず、名古屋が人気が無いという事の証拠である。

この事について言えば、言葉の問題など関係なく、公共交通機関のアクセスの問題だろうと想像する。

名古屋は戦後約50年間というもの新しい公共交通機関というものが出来たことがない。名古屋市の地下鉄というのが出来たが、あまりにも規模が小さく、メリットがない。

もっと大きな規模で考えた場合、名鉄電車が知多半島の先に少し延ばしたのと、愛環鉄道と豊田新線など、距離にしてほんの僅かである。

桃花台のモノレ−ルなどは遊園地のお猿の電車の域を出ていない。

昔の国鉄、今のJRに至ってはほとんど新線というものを作らなかった。

名古屋に環状線が無いというのは致命的な欠陥である。各公共交通機関が全て名古屋駅に集まる中央集中型になっている。

今回のシンポジュウムでは誰もこの環状線に言及しなかったが、これが人を引き付ける魅力に欠ける第一の原因である。

それと同時に都市の問題を論ずる時に、その都市の事だけを、論じがちであるが、都市というのはその都市の中だけの住民だけで成り立っているのではない。

昔の中国の城廓都市ならいざ知らず、現代の都市はその周辺の人々により支えられているのである。決して名古屋市民だけの物ではない。

名古屋市の市バスの乗客は半分以上は名古屋市以外の人々である。地下鉄においても同様である。

名古屋市の活力というもの、名古屋市のダイナミックスは、名古屋市周辺の住民のよって成り立っているわけである。名古屋市の食料は市民が栽培したものではない。それなのに名古屋市の町作りを論ずる時、そのことを忘れている。

これは行政単位の変更の問題をも含んでいるが、それ程難しく考えなくても、環状鉄道でも都市へのアプロ−チの問題についても言えることである。名古屋市の自慢は100m道路であるが、名古屋市へのアプロ−チに100m道路があるかといえばそれは存在していない。

名古屋市民の生活がその周辺の人々によって支えられているとなれば、幅100mの橋を作って然るべきである。従来、名古屋市への導入路というのはいかにも狭く、名古屋市内に外部から入ることを拒んでいるようにもとれる。

確かに市内の道路は広いが、市内に入る道路は50年前のままである。

名古屋市の都市計画には、そうした配慮が欠けており、自分達さえよければという発想が見え見えである。

又、海外の例を引っ張ってきて、住民の声を聞くという言葉が乱発されているが、かって住民の声を聞いて成就したことがないではないか。

かっての本山市長というのは住民の声を聞くことを条件に市長を務めたが、この時代には何一つプロジェクトが完成しなかったではないか。

民主主義の世の中であるので、住民の声を聞くというプロパガンダは致し方ないが、本質的には行政のリ−ダ−・シップが肝要である。

住民の声を聞いていたら橋一つ、住宅一つ、道路一本出来る訳がない。

元熊本県知事の細川さんがいみじくも言っていたように、行政の仕事は入れ物を作るのが仕事だといっていたが、これはまさしく本音だと思う。

行政が学校や、公民館や、体育館を作らなければ誰が作るのかと言わなければならない。行政の仕事はやはり橋を架け、道路を作り、公共交通機関を充実させる事だと思う。

要するにハ−ドの面だと思う。このハ−ドの面において住民の声を聞いていたら何一つ出来ない。ここは聞く振りをして上手にリ−ダ−・シップを発揮するべきである。

それと同時にソフト面である医療とか、福祉面においては不正の摘発、及び不正の監視という事を怠ってはならないと思う。

福祉の充実ということは綺麗事すぎる。福祉の見直しということは自民党から共産党に至まで旗印になり得ない。福祉を後退させると一言でも言えば、政治生命を自ら断つも同様である。とすれば不正を厳重に監視する以外に公正な福祉行政ということはありえない。福祉を受けている人々が全て善良な市民ばかりであるとは思われない。その中には悪質な、小悪魔が多数居ると見なければならない。

公開の場では嫌な事や、真実を言う事を控えているが、世の中というのは善良な人ばかりではない、福祉を食い物にしている人間だって多数居るのである。

人権問題でそれを看板にしながら、私利私欲を肥やそうと思っている人間だって居るのである。政治とか行政サイドも綺麗事だけでは成り立たないと思う。ハ−ドの面の公共交通機関の充実ということは是非考慮してもらいたいことであるが、その中に住む人の心をどう向上させるのかという問題も大きな問題だと思う。

このセンチュリ−・ホ−ルに地下鉄を降りて歩いて来る途中、街路樹の足元を見ると草ぼうぼうであった。

昨年はデザイン博できれいに整備されていたが、デザイン博が終わって誰も整備しなくなると、周辺の住民は全く無関心である。街路樹の植わっている1m四方の土地の草を抜くぐらいのことは大した事ではなさそうであるが、それが出来ない。

この周辺の住民は一体どういう神経をしているのか理解に苦しむ。自分達の町という意識が始めから欠落しているのではないかと思う。

デザイン博を機会に広小路の街路に色々なモニュメントが配置されていたが、今、これに網が被せてあるそうである。言わずと知れた盗難予防である。市民がこういう意識では全国的に印象が向上しないのも致し方ない。

人間の心というのは実に浅ましい。年金を貰ってゲ−ト・ボ−ルをしていても街路樹の根本の草を抜こうとする気持ちもない。そして二言目には福祉を充実せよ、行政の怠慢という言葉が返ってくる。

この現実を名古屋市はどう考えているのだろうか。民主主義というのはささやかな善意の積み重ねで出来上がるものである。それでこそ、下から積み上げる民主主義であり、主権在民である。それなのに上からの取るものは、不正をしてまでして取ろうとするが、自分が人に恩返ししなければという発想は始めから欠落している。

自分の地域を美しく維持しなければという発想は毛頭ない。それでいて自宅前の植木鉢の管理は怠りない。一体こういう心境は何処から出てくるのか、広小路のモニュメントを持ち去ろうという心境はどうしてそうなるのか、実に情けない次第である。

これはほんの2、3時間名古屋の町を歩いた時の印象であるが、これでは全国から嫌われても仕方がない。人間の心まで、行政ではなんとも致し方がない。

こういう心理が名古屋の人々に有るのではないかと思う。

 

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