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よしだ そうが

吉田宗賀

よしだ そうが

1826(文政9)〜 1871(明治4.7.11)

幕末期の宗偏流茶道家

埋葬場所: 3区 1種 30側 20番

 本姓は伊藤、幼名は次郎。名は綾好。号は時習軒、力囲斎。初め北村某の養子となったが、のち吉田宗意(同墓)の娘の かね(同墓)と結婚し婿養子となり、宗偏流時習軒派を継ぎ名声があった。宗賀没後は妻の かね 宗偏流茶道家を継いだ。

<平凡社『日本人名大事典』>
<講談社日本人名大辞典>


墓所 墓所
よしだ そうい よしだ そうい

*墓所には3基。正面二基並び、右側が「先祖代々」。左側が「時習軒宗意居士之墓」の刻みの左隣に小さく「純譽孝道居士」と刻む。裏面は弘化五戌申年一月二十五日 / 純 明治六年十一月十日」と刻む。墓所左手側に戒名等がびっしり刻む「先祖代々」和型墓石が建つ。延宝、享保、宝暦、文政と江戸中期の元号の文字がみれることから、吉田宗意以前の先祖代々であることがわかる。

*吉田家先祖代々の墓は芝清光寺墓域より改葬された。

*宗偏流の「偏」は正しくはギョウニンベンである。


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