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よしだ かね

吉田かね

よしだ かね

1828(文政11)〜 1889.3.4(明治22)

明治初期の茶道家

埋葬場所: 3区 1種 30側 20番

 父は宗偏流宗匠の吉田宗意(同墓)。号は時習軒。伊藤次郎と結婚。父の宗意の婿養子となったことで宗偏流の茶道家の吉田宗賀(同墓)として跡継ぎになる。
 1871(M4.7.11)夫の宗賀が没すると、その後を継ぎ、宗偏流時習軒派の茶道家として門人たちに教授した。晩年は剃髪して水月と号した。

<日本女性人名辞典>
<講談社日本人名大辞典>


墓所 墓所
よしだ そうい よしだ そうい

*墓所には3基。正面二基並び、右側が「先祖代々」。左側が「時習軒宗意居士之墓」の刻みの左隣に小さく「純譽孝道居士」と刻む。裏面は弘化五戌申年一月二十五日 / 純 明治六年十一月十日」と刻む。墓所左手側に戒名等がびっしり刻む「先祖代々」和型墓石が建つ。延宝、享保、宝暦、文政と江戸中期の元号の文字がみれることから、吉田宗意以前の先祖代々であることがわかる。

*吉田家先祖代々の墓は芝清光寺墓域より改葬された。

*宗偏流の「偏」は正しくはギョウニンベンである。


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