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よさの ひかる

与謝野 光

よさの ひかる

1902.11.1(明治35)〜 1992.4(平成4)

昭和期の医学者(公衆衛生学)

埋葬場所: 秋川カトリック霊園

 与謝野鉄幹と晶子(11-1-10-14)の長男。晶子が28歳の時の子。上田敏が名付け親となって「光」と命名された。慶応大医学部卒業後、長い間四谷の鍼灸学院の学長を務めた。 1952〜56(S27〜31)東京都衛生局長。'56〜70(S31〜45)東京医科大学理事。理事でありながら時々教壇に立ち衛生学の授業をすることもあった。 '64〜71(S39〜46)東京医科大学付属高等看護学校長。医学博士。享年89歳。妻の迪子は小林天眠の三女。 小林天眠は大阪変圧器(ダイヘン)創業者であり、文芸の理解者として多くの文士や歌人を陰で支えており、与謝野鉄幹・晶子の後援者であった。著書に『晶子と寛の思い出』(思文閣出版)がある。 この作品の中には、「美濃部達吉さんの奥さんの民子さんと、うちの母はとっても仲がよくてね。 民子さんは、よく自分で作った薔薇の花を母に持って来て下さったんですよ」と書かれており、美濃部家(25-1-24-1)とも親交があったことがわかる。
 また妻の迪子は『想い出わが青春の与謝野晶子』(三水社)を出版した。なお、弟の与謝野秀は外交官。 秀の子で甥の与謝野馨は現在政治家として小渕内閣で通商産業大臣を歴任するなど活躍している。

<『夢・感動・人間』系図で見る近現代史など参考>
<与謝野晶子のお孫様・光の娘 五味恭子様より情報提供>


*2007年4月7日、与謝野 寛・晶子の孫、与謝野光の娘にあたります五味恭子様よりご連絡を頂戴し、与謝野光の墓所や履歴等の貴重な情報をいただきました。この場をお借りし深く感謝申し上げます。

*「歴史が眠る多磨霊園」は著名人をきっかけとして歴史を学んでいくということがコンセプトであるために、与謝野光氏のページを残すことにする。


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