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よこい としえ

横井友詩枝

よこい としえ

1912.2.20(明治45)〜 2004.7.30(平成16)

昭和・平成期の「農の生け花」創案者

埋葬場所: 6区 1種 12側 12番

 東京出身。代議士の臼井哲夫の末子として生まれる。旧姓は臼井。雙葉高等女学校卒業。東京農業大学教授で土壌学の権威・農学博士の横井利直(同墓)と結婚。義父は近代農学の祖と称された東京農業大学初代学長・農学者の横井時敬(同墓)。
 夫の横井利直は農家のための土壌学を研究していた。夫が「農村には、野菜や果物やその他色んな物が転がっているではないか。それらでは生け花にはならないのか!」という言葉をきっかけに、「農家の皆さまのための生け花」を研究し始める。そして、農村にある自然の恵み、農作物をそのまま素材にし、身近な農具や民具を器にして生けた、感性を育む美と創造の世界「農の生け花」を創案した。
 1974.4(S49)日本農業新聞くらし面に、農作物を素材とし民具や農具を廃した生け花「農の生け花」の写真を掲載。これを機に季節の農作物などを素材に「農の生け花」の創作に取り組み普及に努めた。全国に愛好会が結成され、生け花の会「翠邦会」を主宰。東京農業大学で「農の生け花」展を行うまでに発展。
 友詩枝が重視したのは、生ける人の「農の心」。個々の創意工夫を大切にした。このため「教える先生は絶対不要」という固い信条を持っていた。「農の生け花には流派も流儀もなく、家元もありません。農家が農業にいそしむ感性で、自由に生ければよい」と指導した。また「各自がそれぞれ日常生活の中で、無理のない時間を見出しながら研究されればよい事で、その制作過程の中では、必ずや知らず知らずのうらに感性なるものは磨かれ、従って豊かな心をも養われゆく」と説いた。
 農家にある身近な野菜を使った生け花の写真集『実りと花と 生け花作品集』(1971)、『土そして心』(1980)、『農の生け花』(1995)を刊行した。享年92歳。

<「農の生け花」横井友詩枝>
<「農の生け花」誕生の由来−農家のための生け花−横井友詩枝>


*正面墓石「横井家之墓」、裏面「昭和三年七月建之」。墓石左側に墓誌が建つ。墓誌は横井時敬の刻みから始まり「正三位 勲一等 農学博士」と刻む。妻は清子(-S4.8.9・享年64)。孫(利直の長女)の和泉(享年5)、時彦の次男の時康(享年3)、陸軍上等兵で戦死した横井孝之、時敬の長男の横井時彦(-S22.9.13・享年57)、さゆき(享年当)、時敬の次男の横井利直(時次)、利直の妻の友詩枝(-H16.7.30)が並んで刻む。下の段には時彦の妻の はな(-S54.9.23・享年77)のみ刻む。横井利直には「正四位 勲三等 農学博士」と刻み、(時次)も刻む。墓石右側に利直の長女の横井和泉(和光院知泉童女)を祀った地蔵が建つ。

*墓石左手前に五輪塔が建ち、正面「横井家先祖之墓」、裏面「平成十一年秋彼岸吉日 横井友詩枝 建之」。左に「横井家先祖霊名碑」と刻む墓誌も建つ。この墓誌には横井時敬、横井清子、利直の長女の横井和泉、横井利直(時次)、横井友詩枝の5名の戒名、没年月日、俗名が刻む。横井時敬の戒名は大覚院殿高誉時敬大居士。清子(S4.8.9寂)の戒名は大光院殿明誉敬室清大姉。和泉(S10.3.2寂)の戒名は和光院知泉童女。利直(時次)の戒名は大慈院顕誉利徳直道居士。友詩枝(H16.7.30寂)の戒名は瑞光院友誉詩仙明枝大姉。

*入口外柵の右側裏に「昭和三年 横井家建之」、左側裏に「平成三年 東京農大百周年 改修」と刻む。


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