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やまむろ むねただ

山室宗忠

やまむろ むねただ

1908(明治41)〜 1992.7.21(平成4)

昭和期の物理学者

埋葬場所: 15区 1種 1側

 東京出身。父は銀行家の山室宗文(同墓)、長男として生まれる。叔父に陸軍中将の山室宗武(同墓)がいる。
 1918(T7)成蹊学園小学校在学中に渡米しニューヨークに在住し、'21英国ロンドンに移り、ダリッジ・パブリックスクールに入学。'27(S2)ケンブリッジ大学に入学、トリニティホール・カレッジに所属。核物理学のサー・ラザフォード教授門下生となり「物質の構造」など基礎物理学を学ぶ。'30卒業後に帰国し、東京帝国大学大学院に入り、'35卒業。
 卒業後、三菱重工業名古屋航空機製作所入社、航空発動機振動の研究を行う。堀越二郎(16-1-7)の「零戦」の振動対策などを協力するなど、航空発動機の振動問題解決に尽力した。堀越とは名古屋市内の社宅も隣同士であり親交が厚かった。'45会社の疎開先であった長野県松本で終戦を迎え、三菱重工業も解体された。
 '49上智大学教授に転じ数学や応用物理学を教鞭した。国際学部教授を兼任し、理工学部創設に伴い理工学部教授となった。退官後は名誉教授となる。乃木生薬研究所初代会長なども行った。
 趣味はスポーツであり、選手としては、英国での高校生時代にラグビー選手で活躍。ケンブリッジ大学時代にはカレッジ・ボート部のクレッセント・クラブ選手で、小さな体を利してコックスとしてヘンレー・ロイヤル・レガッタなどに出場。神奈川県の陸上競技100メートル40歳以上部門で5年連続の国体選手にもなっている。また、上智大学教授の時はラグビー部、ゴルフ部の部長を歴任。他に、神奈川県陸上競技連盟役員や、東京オリンピック役員を務めた。


*墓石は和型「山室家之墓」。左面が墓誌となっている。名前、没年月日、享年が刻む。裏面は「昭和二十三年十月 山室宗文 建之」と刻む。

*1935(S10)有田萬里子(同墓)と結婚。萬里子は外務大臣を務めた有田八郎(9-1-1-2)の次女。二人の間には三男二女を儲けた。多くの孫に恵まれたが、アトピーの孫が求めていた漢方薬販売の品質、価格に問題が多いことを知り、資金と場所を提供してサプリメントの輸入、開発を提案したこともある。


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