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やまかわ しょうたろう

山川章太郎

やまかわ しょうたろう

1884.2.25(明治17)〜 1941.2.4(昭和16)

大正・昭和期の内科学者

埋葬場所: 3区 1種 9側

 香川県出身。祖父は江戸時代の儒者・和算家の山川孫水(1789-1866)。父も儒者・和算家の山川慎蔵(1834-1900)。
 東京帝国大学卒業。1913(T2)東北帝国大学医学専門部教授となり、'15アメリカのロックフェラー研究所の野口英世研究室に留学。 帰国後、東北帝国大学医学部教授(内科学)をつとめ、消化管のレントゲン診断法を確立した。また糖尿病の治療でのインスリン療法を日本で確立した第一人者でもある。 加えて、脂肪乳剤のパイオニアとしての名も有る。直腸癌肝転移にて逝去。享年58歳。教え子に文化勲章や学士院院長になった黒川利雄(1897-1988 八王子市の上川霊園)がいる。

<講談社日本人名大辞典>


山川孫水 やまかわ そんすい
1789(寛政1)〜1866.3.9(慶応2)
江戸時代後期の儒者、和算家
 大坂出身。山川慎蔵の父。山川章太郎の祖父。字(あざな)は子晋。通称は元輔。讃岐(香川県)高松にうつり、私塾明善館をひらく。 1827(文政10)高松藩が郷校(ごうこう)を開校したとき、校長となった。享年78歳。

<講談社日本人名大辞典>


山川慎蔵 やまかわ しんぞう
1834(天保5.5.17)〜1900.12.20(明治33)
幕末・明治期の儒者、和算家
 讃岐(香川県)出身。山川孫水の5男。山川章太郎の父。名は慎。字(あざな)は子固。号は東渠。 父に学び、大坂にでて藤沢東がい(とうがい)に師事し、塾頭となる。帰郷して、1891(M24)私立学校明善館(明善高の前身)をひらいた。著作に『零約詳解』などがある。享年67歳。

<講談社日本人名大辞典>


*「藤沢東がい」の「がい」=田+亥


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