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やまだ とらのすけ

山田寅之助

やまだ とらのすけ

1861.11.21(文久1.10.19)〜 1928.3(昭和3)

明治・大正期のキリスト教伝道者、教育者

埋葬場所: 区 種 側 番

 弘前出身。母きよ、兄の源次郎に伴われて礼拝に出席。東奥義塾に学び、イング,J.と本多庸一(4-1-35-1)の教導を受け、1877.3.23(M10)弘前教会でイングから受洗。山鹿旗之進も一緒に受洗している。
 1880横浜美会神学校に入学、1883卒業。弘前、黒石の伝道を助けた後、函館教会に赴任。敢然自給(必要な物資を他に求めるのでなく、自力で敢然たる姿勢で獲得してまかなうこと)を主張、それを維持した。1884長野県松代、翌年名古屋、1887仙台に赴任。初めて同地にメソジスト教会を建設。
 1889青山学院神学部教授となり、約40年にわたり教職養成に尽くした。その間、1895聖地パレスティナを巡礼。その事柄を、1906『埃及聖地旅行談』として刊行した。また、1896無牧の銀座教会を長期応援、1908〜10には専任牧師となり、1911神学部教授に再任した。
 主な著書に、『基督伝』(1912)をはじめ、著訳書30余。『山田先生説教集』がある。享年66歳。

<日本キリスト教歴史大事典>


 


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