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わたなべ ためぞう

渡辺為三

わたなべ ためぞう

1880.4.1(明治13)〜 1956.9.10(昭和31)

明治・大正期の裁判官、判事

埋葬場所: 25区 1種 76側 1番〔志賀義雄〕

 埼玉県出身。渡邊昇三の6男として生まれる。旧字は渡邊爲三。娘の多恵子(同墓)は社会運動家・政治家の志賀義雄(同墓)に嫁いだ。
 1900(M33)判事検事登用試験及び弁護士試験に合格。1902 新潟の高田地方裁判所判事に任ぜられ、次いで山梨の甲府地方裁判所判事を務めた。
 '03 一端、官を辞すが、'08 再び判事になり、新潟、小樽、樺太、釧路の各裁判所の判事を歴任。次いで釧路、旭川、函館の各地方裁判所部長、大阪控訴院判事を経て、'24(T13)尾坂控訴院部長に就任した。正5位 勲5等。享年76歳。

<人事興信録>


レリーフ

*墓所は洋型墓石に「志賀義雄」、裏面「一九九〇年三月 志賀多恵子 建之」、右面「小弟 位里 書」と刻む。この書は部分核停条約批准に賛成し志賀義雄と共に日本共産党改革の意見書を提出し除名された芸術家の丸木位里のことである。墓石の後ろ壁左側には志賀義雄の顔のレリーフがはめ込まれている。墓所の左右に墓誌が建ち、右側墓誌に志賀義雄と多恵子。左側墓誌には多恵子の両親の渡辺為三とヒサヲ(1880.4.1-1956.9.10:北海道出身で金融業を営み北海道多額納税者の五十嵐久助の長女)、長男で早死した真一(1901.12.11-1910.6.18)。『前衛』の初代編集実務責任者をつとめた平木恭三郎(1912-2001)、妻の登美子(1919-2006)の名前が刻む。


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