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つげ こうへい

津下綱平

つげ こうへい

1909.4.31(明治42)〜 2000.1.16(平成12)

昭和期の実業家

埋葬場所: 12区 1種 10側

 岡山県倉敷市出身。実業家の津下紋太郎(同墓)の子。1932(S7)京都帝大経済学部卒業。同年父が会長を務めるカルピス製造に入社。 '34日本ゴム工業(後の日本理研ゴム、現・オカモト)に転じ、常務、のち専務を経て、'60副社長、'79取締役・相談役。 '85カルピス食品工業(現・カルピス)顧問、のち取締役。また、成城学園理事も務めた。'73藍綬褒章、'80勲三等瑞宝章。享年90歳。
 長女の綏子(やすこ)は元首相の羽田孜に嫁いだ。その間に生まれた羽田雄一郎は衆議院議員(民主党)。葬儀は霊南坂教会で行われた。

<現代日本人名録 物故者編など>
<森光俊様より情報提供>


*墓石は洋型「津下家墓」。左に墓誌が二つ。右側の墓誌には津下紋太郎、長男で津下統一郎(1902-1997.5.20)、統一郎の妻の満寿子(1905-2002.11.24)、二人の子の津下綜一(1929-2011.2.4)らが刻む。 左側の墓誌には、津下綱平、綱平の妻は幾子、長男の素男が刻む。統一郎が建之した右側に墓誌には「父紋太郎の永眠に因り此地を墓域と定め、昭和十四年九月在岡山県児島郡藤戸町大字天城墓域より祖先の霊を移して之を此処に祀る。」と刻まれている。

*津下紋太郎は日本製鉄、日本石油の専務、カルピス製造会長を務めた実業家である。津下紋太郎の子に、津下統一郎と津下綱平がいる。 長男の津下統一郎は戦後解散期の三井物産の長であり、富岡光学(京セラオプテック)社長・会長、大沢商会顧問、同志社理事、玉川学園理事、日本キリスト教奉仕団理事長などで活躍した実業家。津下綱平も日本ゴム工業(オカモト)やカルピス食品工業で副社長、取締役などを務めた実業家である。 統一郎の妻の満寿子は大沢商会社長で貴族院議員の大沢徳太郎の三女である。統一郎と満寿子の間に津下綜一。綜一はアラビア石油常務などを務めた。 津下綱平の妻は幾子であり、その間に長男の素男、長女の綏子(やすこ)。綏子は内閣総理大臣を務めた政治家の羽田孜に嫁いだ。その間に生まれた羽田雄一郎は衆議院議員。


関連リンク:

津下紋太郎小崎弘道(霊南坂教会)



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