| 歴史が眠る多磨霊園 |
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富田毅郎 |
とみた たけろう | |
| 1904(明治37)〜 1985.12.6(昭和60) | |
昭和期のバスケットボール普及と | |
| 埋葬場所: 9区 1種 2側 17番 | |
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東京出身。政治家の富田幸次郎(同墓)の子。
1922(T11)早大第一高等学院在学中、陸上競技部に籍を置くかたわら有志をつのってバスケットボールの機械科チームをつくる。
前年に中山克己が建築科チームを作っており、お互いに対抗試合を行った。
毅郎や中山がまだ知名度が低かったバスケットボールに注目する動機となったのは、'20成城中学でバスケットボールを経験した早稲田大学生の浅野延秋がきっかけだった。
'23(T12)5月それ迄の活動が認められ、早稲田大学バスケットボール部として正式に体育会に承認された。
早稲田大学高等学院バスケット部創設に携わる。創設メンバーには浅野延秋、中山克己の他に、李相佰(早稲田大学バスケットボール監督や協会常務理事などで活躍。
韓国人であり、日韓バスケットボール競技大会の李相佰杯争奪と名前が残る)などがいた。 <現代物故者事典など>
【多磨霊園に眠る人物とバスケットボール】 | |
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