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てらお よしお

寺尾芳男

てらお よしお

1891(明治24)〜 1961.12.9(昭和36)

大正・昭和期の実業家、政界の黒幕

埋葬場所: 22区 1種 73側

 新潟県新発田市出身。寺尾精一郎、みどり(共に同墓)の子として生まれる。号を越雲。
 大正末期から新潟・京都・大阪で乗合バス会社設立の先駆をつけ、運輸業を中心に関西・関東の実業界で活躍。また郷里の新発田に日曹工場・金剛製作所の誘致に尽力した。
 1940(S15)地下鉄道先駆者の早川徳次(15-1-4)と東急の五島慶太、鉄道省の地下鉄国営化の思惑が絡んだ経営権抗争が起こる。結果、早川が引退に追い込まれ、東京地下鉄道と東京高速鉄道の両社の事業は統合され、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設立された。この時に、持ち前の義侠心と闘争心から東京地下鉄事件などの企業紛争に関係し硬骨ぶりを発揮した。
 戦後は東邦物産社長・日本電建社長として活躍。また只見川電源開発問題で岡田正平新潟県知事を後援し、渡辺良夫・塚田十一郎・田中角栄など新潟県出身代議士を側面から支援した。特に田中角栄との結びつきが強く、政界の黒幕と称されることもある。

<新発田市立歴史図書館人物アーカイブなど>


墓所 佐渡の石

*墓石前面に「寺尾家之墓」。裏面は「昭和三十五年七月お盆 寺尾芳男 建之」と刻む。左側に田中角栄から送られた「佐渡の石」碑がある。前面に「越雲 寺尾芳男先生の墓前に 佐渡の石 越山 田名角榮」と刻む。

*右側に墓誌がある。墓誌裏面に「寺尾家 先祖累代之霊 初代 寺尾新助と妻の戒名・俗名・没年月日が刻む。墓誌正面は寺尾精一郎から刻む。戒名は實成院殿義徳日芳大居士。妻は賢子。二人の間に子どもを11人(男6人、女5人)儲けており、子どもたちも眠る。末っ子にライオン副社長・公共広告機構理事長を務めた寺尾睦男も眠る。


※田中角栄は生前、多磨霊園のこの墓所に手を合わせに足を運ばれている姿を多くの方に目撃されている。土木事業者であった田中角栄を政界に導き、政治家としての礎を支えたのは他ならぬ寺尾芳男のお陰である。


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