東京都足立区千住出身。本名は小達好子。旧姓は田中。愛称はスー。田中屋釣具店の娘として生まれる。夫は実業家の小達一雄。
連子の女優の楯真由子は継娘。義母は小達スエ(同墓)。義妹は女優の夏目雅子(同墓)、義弟はプロゴルファーの小達敏昭。
東京成徳高校を経て、東京成徳短期大学卒業。1972.3(S47)東京音楽学院在学中に藤村美樹、伊藤蘭と共にNHK歌謡グランプリのマスコットガールに選ばれる。
翌年、三人グループの『キャンディーズ』が結成され、「あなたに夢中」でレコードデビュー。
デビュー曲から4曲目までセンターを務めていたがヒット曲に恵まれず、センターを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた5曲目の「年下の男の子」が大ヒットとなった。
以降、「内気なあいつ」「春一番」「微笑みがえし」など次々とヒットを出し、となりのお姉さん的アイドルのはしりとなったが、熱狂的なブームの中、'78.4.4解散。解散時の「普通の女の子に戻りたい」という言葉は流行語となった。一時引退。
'80芸能界へ復帰。復帰の理由は、実弟が骨肉腫で入院しておりテレビでの活躍を期待していたことだという(弟は後に亡くなる)。
復帰後、ソロシングルを発表したが、以後は女優に転身し、'83連続テレビ小説「おしん」の養女の田倉初子役を演じた。
'89(H1)「黒い雨」で原爆症を患う主役の高丸矢須子を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。
日本アカデミー賞は「黒い雨」が大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。
'91.5.21(H3)夏目雅子の実兄である小達一雄と結婚。夏目雅子はこの時すでに没していたが、生前から親交があった。
数多くのテレビドラマにも出演しており、'94「家なき子」(日本テレビ)や2001連続テレビ小説「ちゅらさん」、「筆談ホステス」(毎日放送)ではヒロインの母役で、2010.10.23裁判員制度を取り上げた「てのひらのメモ」(NHK)の折川福実役が遺作となった。
映画にも数多く出演しており、'99映画「鉄道員(ぽっぽや)」、2003「鏡の女たち」など主要キャストとして演じた。最後の映画は2008「明日への遺言」。CMも多く起用された。
夫が夏目雅子の実兄ということもあり、夏目雅子ひまわり基金活動など福祉活動にも積極的に参加。
'99〜2001厚生省・公衆衛生審議会委員、2005〜2008国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団・日本エイズストップ基金運営委員、2009より財団法人化学物質評価研究機構評議員なども務めた。趣味は2003から片岡鶴太郎に師事して始めた墨彩画。
1992(H4)乳がんが見つかり、治療を続けながら芸能活動を続けていた。2010乳がんが再発。治療に専念していたが、翌年、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。
享年55歳。通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。戒名は春芳院妙純日好大姉。
葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ。
喪主の挨拶の中で本人のメッセージが吹き込まれた肉声録音テープが約3分20秒流された。キャンディーズのデビュー曲「あなたに夢中」が流れる中、出棺。遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。
子供を儲けることができなかったが、女優としては母親の役を当てられることが多く、田中の子供役として共演した経験のある俳優は男22人、女25人で合計47人にものぼる。
「芸能界に息子や娘が増えていくことが嬉しくて、とってもにぎやかなのよ」と生前語っている。
また、葬儀の際に夫の小達一雄は「22男25女、合わせて47人もの子供に恵まれた。好子はそのすべての子供たちを心の底から愛していました」と追悼の言葉を述べた。
※2011年12月、田中好子さんの所属事務所であるフォー・エイト様を介してご遺族様より「田中好子、小達スエ、夏目雅子」の三名の削除要求がございました。
「小達家の墓所は先祖代々のお墓なため、上記三名以外にもかなりの数の遺骨が眠っております。そんな芸能人・著名人でない一般の御霊を静かに眠らせてあげたい」というのが理由です。
ご遺族様のお気持ちを真摯に受け止め番地の掲載を「秘匿」として、墓所写真の掲載も控えたいと思います。なお、その後の話し合いにより、三名の芸能界での活躍だけでなく、ひまわり基金など社会事業での活躍をこのHPを介してひとつのきっかけになればという思いもあり、文章の掲載のご許可を頂戴しております。