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たけうち ごういちろう

竹内強一郎

たけうち ごういちろう

1894.12.29(明治27)〜 1989.7.2(平成1)

大正・昭和期の電機工学者

埋葬場所: 6区 1種 12側 11番

 父は実業家、政治家の竹内明太郎(同墓)、伯父に総理大臣の吉田茂。長男は地理学者の竹内啓一(同墓)。東京帝国大学電気工学科を卒業し、アメリカのダウトマス大学院でマスターオブサイエンス取得。横浜高等工業学校(横浜国大)教授となる。電気工学の分野においては当時、一級の研究者の一人。
 1933(S8)アメリカのツヴォルキンがアイコノスコープを発明。これはテレビジョン送影用として出色のものである。当時、世界ではテレビの開発、改良が盛んに行われており、竹内強一郎もこれに近い案を持っていたが先を越された。退職後は、小松製作所専務、相模工業社長などを務めた。享年94歳。


*墓石は和型「竹内家累代之墓」。左面が墓誌となっており、父の竹内明太郎から刻みが始まり、母の亀井(S34.3.30歿:郷里の豪農の山本賢一郎の娘)、早死した妹や弟が続き最後に強一郎が刻む。裏面は強一郎の長男の地理学者の竹内啓一と啓一の妻の晴子が刻む。なおTBSテレビ報道局長、ニュースキャスターの竹内明(めい)は孫にあたる。

*アイコノスコープ(撮像管)とは、被写体の像を電気信号に変換するための電子部品である。映像信号としてテレビ受像機に像を映し出すための最初の段階を担う部分であり、テレビカメラの心臓部である。


【テレビ】
 高柳健次郎が1926年(大正15年)12月25日、 浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)にてブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した。 送像側に機械式のニポー円盤と受像側に電子式のブラウン管を用いて、片仮名の「イ」の文字を送受像することに成功。 その際の走査線の数は40本だった。
 その後、世界的にテレビ研究が盛んに行われたが、日本での研究は戦争などで中断を余儀なくされ、地上派テレビが開始されたのは、1953年(S28)2月1日 NHKのテレビ放送からである。 日本が中断をしている間に、1929年イギリスのBBCがTV実験放送開始。 1935年ドイツで世界初の定期試験放送開始(オリンピック中継)と先を越される。 なお、日本初の民放テレビは1953年(S28年)8月28日 に放送開始をした NTV 日本テレビ放送網であり、NHK放送から半年後である。


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