東京都牛込区出身。本名冨士子。日本ダイヤモンド株式会社の創立者であり、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し蓄音機のルビー針を開発した技術者である小林豊造は父。文芸評論家の小林秀雄の妹。
東京女子大学英語専攻部卒業後、1928(S3)漫画家の田河水泡(高見澤仲太郎)(同墓)と結婚。矗江の筆名で戯曲などを発表。
『サザエさん』作者の長谷川町子(10-1-4-3)が、田河水泡の弟子入りをする際に、町子の母が「どうぞ町子を、よろしくお願いいたします。
何も望みはございませんが、たった一つ、日曜日には、どこの教会でもよろしいのですが、お近くの教会の礼拝に、出席させてくださいませんでしょうか」とお願いした。このことをきっかけに、潤子は町子と教会に通うようになり、受洗した。
その後、「信徒の友」(日本基督教団出版局)編集委員長、荻窪教会長老会会長などを歴任。基督教関係の著作物を多数執筆した。
それ以外の主な著書に『兄小林秀雄』『兄小林秀雄との対話』『のらくろ一代記』『のらくろひとりぼっち』『ミス・マープルと十三の謎』『長く生きてみてわかったこと』『九十三歳の伝言』などがあり、女性評論活動として『愛されるよりも』『愛の重さ』『愛のあるところ』『愛すことの発見』『ほんものとの出会い』『真実の愛を求めて』などの作品も残している。
老衰のため横浜市神奈川区の老人ホームで死去。享年99歳。葬儀は近親者で済ませ、キリスト教式の告別礼拝を6月5日に日本キリスト教団荻窪教会で営まれた。