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たかぎ みえ

高木ミヱ

たかぎ みえ

1919(大正8)〜 2017.8.15(平成29)

昭和・平成期の物理学者(結晶学)

埋葬場所: 24区 1種 61側 18番

 旧姓は久保。数論の神様・類体論の父と称された世界的な大数学者の高木貞治(同墓)は義父。夫の高木佐知夫(同墓)は物理学者。二人の子は化学者の川合眞紀。
 1940(S15)東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)卒業。福岡県立若松高等女学校で1年間教員として勤務。
 戦後、'49 東京工業大学で助手となり、'61 助教授を経て、東京工業大学教授に就任。分域構造とX線トポグラフィーや、X線トポグラフによる強誘電体結晶の研究、X線顕微鏡による結晶の相転移ならびに強誘電体結晶の分極反転機構の動的研究を行った。
 '79 停年退官後、東京家政学院大学で10年間に渡り一般教養の理科教育を担当した。膵癌のため死去。享年98歳。

<研究者データや略歴など>


墓所 墓誌

*墓石は洋型「高木家 / 堀江家」。左面「平成三十年八月吉日 堀江鐵彌 由紀子 建之」と刻む。墓所左右に墓誌が建ち、右側に高木家代々の墓誌、左側に堀江家代々の墓誌が建つ。高木家の墓誌は「髙木」を使用し、高木貞治の刻みから始まり、俗名・没年月日・行年が刻む。

高木家之墓

*以前は和型「高木家之墓」であった。高木貞治の孫の由紀子が、嫁いだ先の銀行家の堀江鐵彌没後、2018(H30)同地に「高木家 / 堀江家」を建之し直し現在に至る。堀江鐵彌(1931-2018.5.18:同墓)は日本長期信用銀行頭取を務めた銀行家。

*高木ミヱの名前を「高木ミヱ子」や「高木ミエ」とする表記もあるが、墓誌に「高木ミヱ」と刻むため、ここでは「高木ミヱ」で統一する。


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