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たかぎ いつま

高木逸磨

たかぎ いつま

1884.1.24(明治17)〜 1960.12.5(昭和35)

大正・昭和期の細菌学者

埋葬場所: 3区 1種 32側

 長崎県出身。高木武夫(同墓)の長男。1901(M34)家督を相続す。
 1910(M43)東京帝国大学医学部卒業。卒業後、東京市立駒込病院に勤める。'14(T3)母校の伝染病研究所所員になる。'18 朝鮮総督府医院副医官に任ぜられ、'19 朝鮮総督府技師を兼ねた。'21 伝染病研究所技師となる。'22 医学博士。'25 欧米留学。'27(S2)帰朝し、東京帝国大学教授となり、伝染病研究所所員、'33 駒込病院長を兼務した。この間、1929(S4)鼠咬(そこう)症の共同研究で日本学士院賞。'38 同仁会華北防疫所所長を歴任。
 また 滝乃川学園の創立者の石井亮一(8-2-13-1)の妻で、第2代学園長をつとめた石井筆子(8-2-13-1)の実家の渡辺男爵家とは縁戚にあたる。そのため、滝乃川学園医務室長を務めた。戦後は滝乃川学園 第5代学園長に就任している。
 '44 東京帝国大学を退官。戦後、'46.9〜'51.3 横浜市立医学専門学校の第2代校長となり、兼ねて、'47.6 大学令により横浜医科大学が開設され初代学長に就任した。学長在任のまま逝去。享年76歳。

<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典>
<横浜市立大学の歴史>


*墓石は和型「髙木家之墓」左側に墓誌が建つ。墓誌の初めに「高木武夫 他四名 昭和三十六年八月五日改葬」と刻む。俗名、歿年月日のみが刻む。高木逸磨は「逸磨」と歿年月日のみ。長男の高木紹夫(つぎお:T9.1-H9.6.15)は東京大学で医学博士を取得し、深谷赤十字病院に勤めた細菌(ウィルス)学者。


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