| 歴史が眠る多磨霊園 |
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石井亮一 |
いしい りょういち | |
| 1867(慶応3)〜 1937(昭和12) | |
明治・大正・昭和期の社会事業家 | |
| 埋葬場所: 8区 2種 13側 1番 | |
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鍋島(佐賀県)藩士の子。築地立教学校(現立教大)卒業後、立教女学校教諭となったが、この間熱心な詣縦教信者となった。 1891(M24)濃尾大地震のさい孤児貧児をひきとり、孤女学院を創設、収容中の精神薄弱児童の教育法を研究するため渡米、 各地の精薄施設を視察した。帰国後、精薄児教育に専念し、その成果を「白痴児、その研究および教育」(1904)にまとめた。 その後、東京府児童鑑別委員会委員となったり、日本精神薄弱児愛護協会を結成するなど、精薄児問題に一生を捧げた。 <コンサイス日本人名事典> *妻である石井筆子は前夫との間に生まれた3人の娘が全員知的障がいであり、亮一の滝乃川学園にお世話になっていた。 もともと福祉活動を行っていたこともあり、よく手伝いにきていた縁で1903(M36)に亮一と結婚。 亮一没後は園長としても活躍した。 | |
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