*子の土肥淳一郎(1997.5.3 90才没 同墓)は東京慈恵会医科大学名誉教授。
*土肥淳一郎の子の孝夫は1954(S29)10月8日「相模湖の惨事」(別称:相模湖遭難事件、裁判時の正式名称:機船内郷丸遭難事件)にて13歳にて没した。
この事件は私立麻布学園中学校の生徒が神奈川県相模湖へ修学旅行に出かけた際、定員35人のところに先生2人を含む78人が乗ったため、遊覧船「内郷丸」(3.5トン)が沈没し、22人が犠牲となった事故である。
同じ遊覧船に乗り亡くなった文官の森豊吉(6-2-22の2)の墓所には、今後このような惨事がないために建立した祈念碑が建つ。
また、この事故の12日前の9月26日に行った洞爺丸の遭難(青函連絡船上り第4便洞爺丸が暴風のため航行不能となり座礁、転覆沈没し、死者・行方不明者1155人、生存者150余人という海難史に残る惨事)と共に、1954年(昭和29年)に起きた10大ニュースのベスト8位(読売新聞調査)にランクするほど世間に注目された惨事であった。
なお、洞爺丸の遭難の犠牲者には菊川忠雄(18-1-18)がいる。
*墓石は洋型で「土肥家之墓」。墓石の裏面が墓誌となっており、土肥孝夫のところには「学友廿一名と共に相模湖に於て遭難」と刻む。入口右側に和型墓石の土肥健二夫妻の墓が建つ。
*上の写真は文官の森豊吉(6-2-22の2)の墓所内に建つ相模湖の惨事で犠牲となった森吉弘と学友21名を追悼する祈念碑である。句が3句刻む。