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ちからいし ゆういちろう

力石雄一郎

ちからいし ゆういちろう

1876.6.30(明治9)〜 1933.3.17(昭和8)

明治・大正・昭和期の官僚、県知事

埋葬場所: 7区 1種 13側 8番

 愛媛県喜多郡大洲町出身。伊予大洲藩・加藤家執事職の力石八十綱の長男。母は筆頭家老の娘。二十数年かけて家系を調べたところ、先祖は遠く藤原北家から出ているともいわれている。
 少年期に東京に移り、府立一中、一高から、1900(M33)東京帝国大学法科大学法律学科卒業。文官高等試験に合格、直ちに内務省に入る。 徳島県参事官、岩手県警察部長、'05.4.19地方官官制改正で、岩手県事務官第四部長に捕す。 '07.1石川県事務官第四部長、同年.7.13地方官官制にまた改正が行われて補警察部長、同年.11関東都督府民政署長として大連に赴任、この時期に伊藤博文公の案内役をしている。 '10.2長野県事務官内務部長、'13.6(T2)岐阜県事務官内務部長を務めた。
 '14(T3)第二次大隈内閣の成立と共に、第16代長野県知事に就任(任期:1914.4.28〜1915.8.12)。 '15第17代大分県知事に就任(任期:1915.8.12〜1917.1.17)。'17第24代茨城県知事に就任(任期:1917.1.17〜1921.5.27)。 '21第21代宮城県知事に就任(任期:1921.5.27〜1924.6.24)を歴任。いずれの県でも政友会色を鮮明にしたため、'24加藤内閣で休職。
 '27(S2)田中義一(6-1-16-14)内閣で復帰し、第29代秋田県知事に就任(任期:1927.5.17〜1928.2.28)。 '28第23代新潟県知事に就任(任期:1928.2.28〜1928.5.25)。'28第21代大阪府知事に就任(任期:1928.5.25〜1929.7.5)。 '29田中内閣瓦解により辞表を提出し辞任した。従3位 勲2等。享年56歳。

<日本歴代知事総覧>
<昭和物故人名録>


*墓所には正面に二基並び、右の墓石は和型「従三位 勲二等 力石雄一郎之墓」、左面「東京帝國大學教授 従四位勲三等真鍋嘉一郎 書」、裏面「昭和八年三月十七日薨 昭和八年九月建之」。左の墓石は前面「力石家之墓」、裏面「昭和八年九月建之 真鍋嘉一郎 書」と刻む。左側に墓誌が二基並ぶ。戒名は無則院殿雄堂文毅居士。妻は きの(1889.5-1980.11.21)、三村佐助の長女。二人の間には6男1女を儲けており、長女の芳子は沓掛眞に嫁ぐ。男子は全員同墓に眠る。長男は巌夫(M39.7-S46.3.1)。二男の連平は早死。三男は源三(M42.5-S18.11.18)、、四男は平四郎(M45.1-S40.8.15)、五男は五郎(T4.11-H9.1.28)、六男は小彌太(T7.4-S58.5.18)。力石五郎は三菱商事常務取締役・初等社顧問を務めた。五郎の妻の登起子(H22.11.27没)は平野孝雄の長女。

*7県知事(6県1府)就任は石原健三(1-1-2)に並び最多県知事就任数であるが、当時は「官選」であり、戦後の住民の直接投票によって選挙する「公選」制ではないため、今後、県を変えて他県知事に何度も就任ということはないであろう。


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