岡山県出身。石原庫吉の三男として生まれる。1889(M22)東京帝国大学法科卒業。司法省に入り、判事試補、司法省参事官試補、裁判所書記長、判事を歴任した。
次いで茨城県参事官、大阪府書記官、香川県警察部長、岐阜県書記官を経て、1901(M34)第14代山梨県知事に就任(任期:1901.8.14〜1903.2.27)。この年は赤痢の流行した年であり、石原は防疫に力を注いだ。
'03第10代千葉県知事に就任(任期:1903.2.27〜1908.3.28)。この時期は、政友会に代わり憲政本党が県会の主導を握っていた。
'08第17代高知県知事に就任(任期:1908.3.28〜1910.6.13)。15代宗像知事以来、県内外から注目された県営水力電気事業はその後順調に進行した。
'10第13代静岡県知事に就任(任期:1910.6.14〜1911.5.16)。'11第10代北海道庁長官に就任(任期:1911.5.16〜1912.12.28)。
'12(T1)第15代愛知県知事に就任(任期:1912.12.28〜1913.3.3)。'14第21代神奈川県知事に就任(任期:1914.4.28〜1915.8.12)。
'15宮内次官となり、'22(T11)貴族院勅撰議員に任じられ、'27(S2)5月まで務めた。
その間、大礼使次官、'27(S2)より枢密顧問官、宮内省御用掛、維新史料編纂会委員などを歴任した。 正3位勲1等。享年73歳。
*墓所内には4基建つ。正面は右の和型「枢密顧問官 正二位勲一等 石原健三 墓」とあり、裏面「昭和十一年九月四日 享年七十有三」。左の和型「石原健三 室 静子 墓」とあり、裏面「昭和四年一月四日没 享年五十又五」。墓所左手側右から和型「石原家之墓」、小さい和型「稚葉孩子」。墓所右手側に墓誌が建つ。長男は石原義一。
*妻の静子(シツ:1875.9-1936.9.4)。福井県出身。旧姓は芳賀。兄の芳賀矢一は東京帝国大学文科大学教授の文学博士。
*7県知事(6県1道)就任は力石雄一郎(7-1-13-8)に並び最多県知事就任数であるが、当時は「官選」であり、戦後の住民の直接投票によって選挙する「公選」制ではないため、今後、県を変えて他県知事に何度も就任ということはないであろう。