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すずき しずか

鈴木 穆

すずき しずか

1874(明治7)〜 1933.8.23(昭和8)

明治・大正期の大蔵官僚、朝鮮総督府官僚、銀行家

埋葬場所: 12区 1種 1側 3番

 駿河国静岡に旧旗本で大蔵官僚の鈴木利亨の次男として生まれる。兄は建築家・名古屋高等工業学校教授(名古屋工業大学)を務めた鈴木禎次。
 1899(M32)東京帝国大学法科卒業。大蔵省に入省し、様々な要職を経て、大阪税関監視部長を歴任する。1904監視部長会議で出会った長崎税関監視部長を務めていた有賀光豊(9-1-1-1)と懇意となる。
 日韓併合に伴い朝鮮に赴任し、'10.10.1(M43)施行の朝鮮総督府官制により設置された朝鮮総督府度支部(度支部=たくしぶ)に属す。朝鮮総督府事務分掌規程により、度支部には、庶務課、税関工事課、司税局及び司計局が置かれた。度支部司税局長に就任。'12事務分掌規程改正で庶務課と税関工事課が廃止され2局体制となる。さらに、'15(T4)事務分掌規程改正で行政簡素化のために司税局と司計局の2局が廃止され、税務課、関税課、司計課、理財課、専売課の5課体制となり部長官が各課の事務を指揮することとなった。
 '17.6.6荒井賢太郎(9-1-2)の跡を継ぎ、2代目 朝鮮総督府度支部長官(後の財務局長)に就任。臨時土地調査局長も兼務した。'18事務分掌規程改正で度支部には臨時関税調査課が新設される。臨時財源調査局長を兼務。'19.8朝鮮総督府官制改正により、度支部は新設の財務局に改められた。同.8.20朝鮮総督府の役職を退任し、内地に戻る。
 '22(T11)25年余の朝鮮生活のキャリアを見込まれ、朝鮮銀行理事を任ぜられ、3年ぶりに朝鮮釜山の土地を踏む。満洲事業界に貢献せる特殊銀行たる朝鮮銀行は経済界で期待され、それに応えるように鉄道外債で深く関与した。後に朝鮮銀行副総裁を務めた。正4位 勲2等。享年60歳。

<満洲と鮮銀方針 鈴木新任鮮銀理事談 京城日報>
<夏目漱石におけるアジア 三谷憲正>


墓所

*墓所には4基建つ。奥に建つ五輪塔の正面「鈴木家先祖代々之霊位」と刻み、その左右に鈴木穆夫妻の戒名が刻む。右が鈴木穆の戒名「高徳院釋和穆居士」。左は前妻のスズ(須受)の戒名「香涼院釋貞敬須受大姉」と刻む。右面に「昭和八年八月二十三日 父 穆 六十才 / 大正十年九月十四日 母 須受 三十八才」と刻む。五輪塔の向いにある観音様が彫られている墓石右面には、穆の後妻はサダ(貞子)の戒名「慈徳院釋貞純大姉」(昭和二十一年一月十八日 俗名貞子 五十九才)と刻む。五輪塔の右側の墓石は正面に穆の長男で鈴木治夫妻の戒名。右面に没年月日と俗名、行年が刻む。後妻サダの墓石と鈴木治夫妻の墓石は「昭和五十四年十月吉祥日 建之」と同じ日に建てられている。入口に立つ墓石は早死した「長男の秀穂、三男の孝雄」の墓である。没年月日から鑑みて鈴木治夫妻の子であると推測する。

*鈴木穆の前妻のスズ(須受)は明治17年生まれ、広島士族の町野精蔵の二女として生まれたが、38歳の若さで没す。後妻のサダ(貞子)は明治21年生まれ、栃木県出身、川村兌の三姉。

*夏目漱石の妻の夏目鏡子(旧姓は中根)の妹の時子は、鈴木穆の兄の鈴木禎次に嫁いでおり親戚関係。雑司ヶ谷霊園にある夏目漱石の墓石の設計者は鈴木禎次である。兄の鈴木禎次の墓は染井霊園(1イ8-11)。なお夏目漱石が「朝日新聞」に連載した満州・朝鮮を旅行した紀行文『満韓ところどころ』では現地にてお世話をした鈴木穆も登場する。


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