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すぎたに よしとき

杉渓由言

すぎたに よしとき

1892.11.13(明治25)〜 1965.5.3(昭和40)

大正・昭和期の政治家、男爵

埋葬場所: 21区 1種 29側

 東京出身。子爵議員を務めた冷泉爲勇(れいぜい ためいさ)の長男として生まれる。旧名は冷泉為由。1915.6.16(T4)由言と改名。冷泉家の子爵は弟の為安が継いだ。
 '19.7 東京帝国大学文学部史学科卒業。'22 同大学法学部政治学科卒業。同年、東京電燈に入社。和歌や短歌を披露しあう歌会始講師、奉行、御歌所参候なども務めた。
 神職から男爵議員を務めていた杉溪言長(同墓)の養子となる。1929.9.2(S4)言長が隠居したため、同.10.1 由言が男爵を襲爵した。
 '32.7.10(S7)貴族院議員の男爵議員に選出され、公正会に所属。'47.5.2 貴族院議員が廃止されるまで務めた。他に、中央電力調整委員会委員、有機合成事業委員会委員、司法省委員、日本産金振興設立委員などを務めた。享年72歳。

<平成新修旧華族家系大成>
<人事興信録など>


墓所 碑

*墓石は和型「杉溪家墓」、裏面「昭和十四年 〇〇己卯 三月 男爵 杉渓由言 建」と刻む。右側に「杉溪家祖言長卿碑」が建ち、杉溪言長の略歴が刻み、「昭和二十七年八月 辱交 土屋久泰 撰並書」とある。土屋久泰は漢詩人の土屋竹雨(6-2-3)と同一人物。左側に墓誌が建つ。

*墓誌は養母の茂子(しげこ:M4.9-S16.2.13:坪野幸次郎の長女で小田切重路の養女)から刻む。次に二男の杉溪文言(T14.1-S17.10.10)、養父の杉溪言長と続き、言長の戒名は翰林院殿政譽六橋大居士。自身の戒名は恒徳院殿仁譽由言大居士。先妻は尚子(たかこ:M34.2-S22.11.30:森田正縄の長女)。後妻は彌榮子(やえこ:M33-S42.11.28:山口圭蔵の二女)。なお先妻との長男の杉溪一言は日本女子大学名誉教授の心理学者。三男は陽言(1928-)。


杉渓一言 すぎたに きよとき
1922.3.29(大正11)〜 ご存命
昭和・平成期の心理学者
 東京出身。男爵の杉渓由言の長男。旧制高校時代に自分の将来に悩んでいたが、祖父の生き方に影響を受ける。この時期、哲学者の豊川昇の授業のテキストがゲシュタルト心理学を紹介していたことで心理学を志すきっかけとなった。
 1943(S17)東京帝国大学に入学した年の12月に学徒出陣で海軍に入営。適性検査の業務を担当した。戦後、'47 東京帝国大学文学部心理学科卒業。'49 同大学院(旧制)修了。'51 横浜国立大学講師、'57 助教授、'64 日本女子大学家政学部助教授、'65 教授、'92(H4)停年退官、日本女子大学名誉教授。その後、川村学園女子大学教授。
 学生相談、家族カウンセリング、産業カウンセリング、グループダイナミクスが専門であり、日本学生相談学会、日本家族心理学会、日本人間性心理学会、産業組織心理学会などの設立に関わり、日本産業カウンセリング学会名誉会長、日本家族カウンセリング協会会長などを歴任。'98 勲3等瑞宝章。著書に『部下指導の心理学』『職場のカウンセリング あなたを生かす人間関係』『対話学入門 心のふれあいの行動科学』など、カウンセリングや心理学の著書多数。

<著者略歴>
<心理学ミュージアム オーラルヒストリー 杉渓一言先生など>


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