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せんごく ひさとし

仙石久利

せんごく ひさとし

1820(文政3.2.23)〜 1897.6.6(明治30)

江戸後期の大名

埋葬場所: 12区 1種 5側 17番

 但馬出石(たじまいずし)出身(兵庫県豊岡市出石町)。第5代藩主の仙石久道の4男として生まれる。通称は道之助、雅次郎。
 1824(文政7)嗣子がいない異母兄の第6代藩主の仙石政美の死で、仙石騒動(お家騒動)が起こるも、結果、5歳にして但馬出石第7代藩主(出石藩仙石家10代)となる。 後に第二次仙石騒動が起き、1835(天保6)幕府より5万8000石が3万石にけずられた。 自身にも嗣子がいなかったため、早くから甥の仙石政固(同墓)を世子として指名し、政固と協力して藩政を行った。 戊辰戦争では新政府に恭順。1865(慶応1.5.15)政固を養嗣子と迎え、1870(M3.1.28)隠退して政固に家督を継承した。1876東京に移った。正4位。享年77歳。
 正室は安藤信由の娘の正子(法蓮院)。東京都文京区白山の大乗寺に葬られる。戒名は専光院殿妙感久利大居士。

<江戸大名家総覧>
<講談社日本人名大辞典>
<但馬の殿様>
<もへい様より情報提供>


墓所

*大乗寺墓地から改葬。墓所入口右手に「仙石家」。正面墓石が三基並んでいる。仙石政固夫妻の墓、仙石政敬夫妻の墓、合祀墓が建ち、合祀墓に仙石久利の名前が刻む。入口と墓石の間に挟んで墓誌が建つ。


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