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さやま しの

狭山信乃

さやま しの

1885.12.21(明治18)〜 1976.12.25(昭和51)

大正・昭和期の歌人

埋葬場所: 12区 1種 10側 21番(前田家)

 福井県出身。本名は前田繁子(墓誌には「志げ」)。旧姓は栢野(かやの)。
 東京女子師範学校卒業。在学中に歌人である前田夕暮(同墓)と出会い、1910(M43)結婚。翌年、夕暮の「詩歌」創刊とともに同人となり、狭山信乃の名で歌人として活動。また夫を助けてその経営にあたり、新人の育成につとめた。

<詩歌人名事典>


句

*墓石は「前田家墓」。左側に墓誌がある。前田妙子の次が夕暮であり、俗名は本名ではなく前田夕暮と刻む。クリスチャンの洗礼を受けているが、墓誌には戒名の青天院靜観夕暮居士が刻む。妻の本名は前田繁子であるが、墓誌にが前田志げ と刻む。なお妻も狭山信乃という名で歌人。戒名は鶴壽院寂光松繁大姉。享年91才と刻む。長男の前田透は十字を刻みアシジのフランシスコを刻む。墓所左手側に前田透の歌碑が建つ。
「わが愛する者に 語らん 樫の木に日があたり 視よ冬 すでに過ぐ   透」と刻む(S.61.1.13)。


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