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さいとう ひとし

斎藤 斉

さいとう ひとし

1898.12.2(明治31)〜 1961.1.23(昭和36)

昭和期の保険院技師、子爵、政治家

埋葬場所: 7区 1種 2側 16番

 東京出身。岩崎弥太郎の従兄弟で三菱財閥大番頭の豊川良平の5男として生まれる。兄の豊川順彌は日本で初めて自動車の生産を行った実業家。旧姓は豊川。斎藤實と春子夫妻は子宝に恵まれなかったことで、9才の時に斎藤家に迎えられ養子となる。また有馬頼寧の長女の静も養女となり、後に結婚(全員同墓)。
 1924(T13)東京帝国大学理学部数学科卒業。在学中はテノール歌手として演奏会で独唱。翌年より内閣統計局統計官補に就任した。以降、簡易保険局技師 兼 通信技師、兼 内閣統計局統計官、保険院技師、通信院工務局標準電波建設所長を経て、保険院保険制度調査会幹事、統計数理研究所参与、社会保険制度調査会委員、木船保険審査会委員、大東亜電気通信事務局長などを歴任した。
 この間、養父の斎藤實が、'36.2.26(S11)二・二六事件で薨去したことにより、同.6.15 家督を継ぐと同時に子爵を襲爵した。'44.4.8 貴族院子爵議員補欠選挙で当選し研究会に属す。'47.5.3 貴族院廃止まで在任した。戦後は、'45第一生命保険取締役、'50常任監査役を務めた。従四位。享年58歳。

<現代物故者事典>
<人事興信録など>


墓所 
碑 墓(近景)

*墓石は和型「従一位大勲位子爵齋藤實墓」。裏面「昭和十一年二月二十六日歿 行年 七十八才」と刻む。右面が墓誌となっており、斎藤斉、春子、静の順番で刻む。墓石右側には斎藤實の「御誄」碑が建つ。なお墓石の花立には「富士會」と刻む。

*斎藤斉の妻は静。有馬頼寧の長女で斉と同じく斎藤家に養女として迎え入れられ、後に斉と静は結婚。1男1女を儲け、長男は豊。長女の百子は東海大学教授の岡明に嫁いだ。


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