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のがみ ようぞう

野上燿三

のがみ ようぞう

1918(大正7)〜 2008.6.12(平成20)

昭和・平成期の原子核物理学者

埋葬場所: 3区 1種 25側 3番

 東京出身。父は夏目漱石の門人で能の研究家としても知られ法政大学総長などを務めた英文学者の野上豊一郎、母は小説家の野上弥生子、三男として生まれる。 長兄に京都大学教授でイタリア文学者の野上素一、次兄は東京大学教授で物理学者の野上茂吉郎。妻は英文学者の市河三喜(同墓)の娘で英語教育者の野上三枝子(同墓)。 娘は哲学者・評論家・埼玉大学名誉教授の長谷川三千子。娘の夫は東京水産大学名誉教授の長谷川晃(長谷川西涯)。
 東京帝国大学工学部機械工学科卒業後、海軍へ入り、東大目黒の海軍技術研究所に勤務(技術大尉)。戦時中海軍技官として長崎で新兵器の生産に関わっていたが、物資不足のため帰京を命じられ戻る。その二週間後に長崎に原子爆弾が投下された。共に働いた仲間たちが被爆し犠牲となった。
 戦後、東京大学理学部物理学科に再入学。卒業後、助手、助教授を経て、理学部教授となる。原子力・原子核の研究で多大なる功績を遺した。 1972(S47)原子力の教育・研究の総合的な推進を目的として設立された原子力研究総合センターの初代センター長に就任。'79(S54)停年退官し、東京大学名誉教授。 その後、明星大学教授となった。1997(H9)退職。2005(H17)秋に脳梗塞で倒れる。世田谷・九条の会にも属し憲法問題の会合にも参加した。
 妻の葬式を入院中の病室から喪主をつとめた娘の長谷川三千子に指示を出すほど元気であったが、妻が亡くなった三日後に肺炎のため東京都目黒区の病院で逝去。享年90歳。 葬儀・告別式は6月17日に耕雲寺で営まわれ、娘の長谷川三千子は連夜の葬儀の喪主をつとめた。 没後、遺族の基金で、わが国の原子核物理学若手研究者の研究奨励と育成に資する目的として「野上燿三研究奨励基金」が設けられた。


墓所

*墓所には5基の墓石が並んで建つ。左端が洋型前面『野上燿三 / 野上三枝子』の墓石が二人の墓石である。裏面は二人の俗名、没年月日、享年が刻む。 右面には「平成十二年六月吉日 野上三枝子 建之」と刻み、生前建墓された墓石であることがわかる。二人の墓石以外は和型墓石であり、二人の墓の右隣りは「市河三榮之墓」、市河三榮は市河三喜と晴子の長男で三枝子の兄。 その右隣りは「市河 三喜 / 晴子 之墓」、三枝子の父と母。その右隣りは「市河三愛の墓」、市河三喜と晴子の次男で三枝子の兄、早世した。その隣りの右端は「市河不二之墓」、父の市河三喜の後妻である。


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