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のがみ みえこ

野上三枝子

のがみ みえこ

1922(大正11)〜 2008.6.9(平成20)

昭和・平成期の児童英語教育者

埋葬場所: 3区 1種 25側 3番

 東京出身。英文学者の市河三喜・晴子の長女。21歳の時に兄の三榮と母を相次いで亡くす。次兄も早世していたため、父の三喜と二人になってしまった。父は後に後妻の不二を娶る(全員同墓)。
 父の影響もあり英語に長け、小学生からの英語教育の必要性を訴え、英語導入に賛同した成城学園初頭学級で36年間英語を教えた。その後、日本橋女学館短期大学教授となる。
 夫は物理学者の野上燿三(同墓)で、その母が作家の野上弥生子(1885.5.6-1985.3.30 鎌倉・東慶寺)。三枝子は義母の弥生子との親交が厚く、1957(S32)弥生子が中国へ招かれた際、終始同行した。
 1980子供たちが身近に感じるテーマを素材に、楽しく英語の世界に入っていけるようにイラストやゲームの要素を多数取り入れた小学生向けの英会話教材『英語のおもちゃ箱』の監修を務めた。1983『世界に羽ばたけ子どもたち―私の児童英語教育』を著した。
 一貫して日本人が外国の人々と言葉で意思を伝え、情報を交換し、話し合いによって問題を解決する力を高めたいと、小学生からの英語教育の必要性を訴え続け、公立小学校でも英語教育を開始すべきであると主張し、後に導入を実現した(2008.3公示された学習指導要領で「小学五年生からの英語必修化」が定められた。 ただし移行期間を踏まえ、2009年度からは「学校の判断」、2011年度からは「全小学校」となった)。
 これら一連の活動より、小学校英語教育の日本の第一人者と称される。公立小学校での英語必修化が定められた年に逝去。享年85歳。 夫の燿三が入院中であったため、娘で哲学者の長谷川三千子が喪主として執り行った。病室から葬儀の指示を出していた燿三も肺炎を悪化させ三枝子没3日後に亡くなった。


墓所

*墓所には5基の墓石が並んで建つ。左端が洋型前面『野上燿三 / 野上三枝子』の墓石が二人の墓石である。裏面は二人の俗名、没年月日、享年が刻む。 右面には「平成十二年六月吉日 野上三枝子 建之」と刻み、生前建墓された墓石であることがわかる。 二人の墓石以外は和型墓石であり、二人の墓の右隣りは「市河三榮之墓」、市河三榮は市河三喜と晴子の長男で三枝子の兄。 その右隣りは「市河 三喜 / 晴子 之墓」、三枝子の父と母。その右隣りは「市河三愛の墓」、市河三喜と晴子の次男で三枝子の兄、早世した。 その隣りの右端は「市河不二之墓」、父の市河三喜の後妻である。


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