東京出身。英文学者の市河三喜・晴子の長女。21歳の時に兄の三榮と母を相次いで亡くす。次兄も早世していたため、父の三喜と二人になってしまった。父は後に後妻の不二を娶る(全員同墓)。
父の影響もあり英語に長け、小学生からの英語教育の必要性を訴え、英語導入に賛同した成城学園初頭学級で36年間英語を教えた。その後、日本橋女学館短期大学教授となる。
夫は物理学者の野上燿三(同墓)で、その母が作家の野上弥生子(1885.5.6-1985.3.30 鎌倉・東慶寺)。三枝子は義母の弥生子との親交が厚く、1957(S32)弥生子が中国へ招かれた際、終始同行した。
1980子供たちが身近に感じるテーマを素材に、楽しく英語の世界に入っていけるようにイラストやゲームの要素を多数取り入れた小学生向けの英会話教材『英語のおもちゃ箱』の監修を務めた。1983『世界に羽ばたけ子どもたち―私の児童英語教育』を著した。
一貫して日本人が外国の人々と言葉で意思を伝え、情報を交換し、話し合いによって問題を解決する力を高めたいと、小学生からの英語教育の必要性を訴え続け、公立小学校でも英語教育を開始すべきであると主張し、後に導入を実現した(2008.3公示された学習指導要領で「小学五年生からの英語必修化」が定められた。
ただし移行期間を踏まえ、2009年度からは「学校の判断」、2011年度からは「全小学校」となった)。
これら一連の活動より、小学校英語教育の日本の第一人者と称される。公立小学校での英語必修化が定められた年に逝去。享年85歳。
夫の燿三が入院中であったため、娘で哲学者の長谷川三千子が喪主として執り行った。病室から葬儀の指示を出していた燿三も肺炎を悪化させ三枝子没3日後に亡くなった。