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にしむら こう

西村 晃

にしむら こう

1923.1.25(大正12)〜 1997.4.15(平成9)

昭和期の俳優

埋葬場所: 12区 2種 37側 23番

 北海道札幌市出身。生物学者の西村真琴、数雄(共に同墓)の次男。関東学院中等部から日本大学専門部芸術科演劇選考を繰上げ卒業。 在学中から舞台に立つが、学徒動員で海軍航空隊入隊、特攻隊員(第14期海軍飛行科予備学生)として終戦を迎えた。
 戦後すぐ、劇団民芸の前身にあたる東京芸術劇場研究所に第一期研究生として入所。1947(S22)東京青年劇場を創立し、'51新協劇団の準劇団員となりゴーリキー「母」に出演。 同年、日活映画「風雪二十年」にて初主演。映画に進出してからは悪役が多く、また「真空地帯」などの軍隊映画に出て個性的演技で精彩を放った。 '59日活と契約を結び、「ビルマの竪琴」など、多くの名作に出演した。テレビもNHK「燃えるキリシタン城」('59)に初出演以降、多くの番組で起用された。
 '64今村昌平監督の主演映画「赤い殺意」での演技が認められ、日本映画記者会の毎日映画コンクール男優主演賞を受けた。'82「マタギ」でも同じく毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。 東野英治郎(26-1-34-3)の後を受け2代目水戸黄門(TBS'83第14部〜'92年11月の第21部終了。283回)となり、素朴な初代と違いスマートな「ご老公」で家庭の人気が定着した。 降板理由は妻の則子(同墓)が亡くなったショックからという。映画やドラマ、舞台以外にも、ルパン三世の「ルパンVS複製人間」でマモー役をつとめるなど声優や吹き替え、ラジオドラマからナレーションまで多種に渡り活躍した。
 '87紫綬褒章受賞。'94勲4等旭日小綬章。遺作は「黄落」('97)。趣味はローラースケート。'95.11(H7)食道がんの手術を受けた。 一時は回復するも、一年半後に心不全のため自宅にて逝去。享年74歳。葬儀は密葬、葬儀委員長は生前の約束で同じ特攻隊員でもあった学友の裏千家15代家元の千玄室。

<日本芸能人名事典など>


*墓石には自筆で「西村晃 則子 坊やと坊や眠る」と刻む。墓石は西村晃建之。裏面は墓誌となっており、父の西村真琴、西村晃らの俗名、没年月日、行年が刻む。墓石左手前に「やまざき」と刻む小さな墓石がある。



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